2021/09/23

Output ーしたいけれど、したくないー

 最近はもっぱら,添削,添削,採点,採点,添削,採点,添削,添削,の日々を送っています・・・.その間に入ってくるものといえば,授業やら会議やら,言っちゃあ悪いですが,自身のリフレッシュになるような類のものではなし(そりゃ,仕事ですから当然ちゃんと,全力でやりますがね).こう言った作業もある面では非常に大事な側面があることは承知しているものの,物事にはバランスというものがあって,誰かが作ったものを見て指摘することをInputとするならば,やはり自分が考えたものを形にしてOutputしたいとどうしても思う.

そろそろ後期も近づき,今度は後期開講の授業準備もしなければいけないわけですが,ここでいう資料作りも,実際のところはInput寄りです(作る,という意味ではOutputなのかもしれませんが,かなりの部分で”これまでに得た知識を流用”している面が大きいので).

ここでいうOutputは,少なからず”既知 << 未知”であるものを意図していて,どうすれば目的を達成できるか,ある意味苦しみのたうちまわりつつ産み出した何か(例:仕事関係でいれば,論文や発表など)が,結果としてこちらの期待通りとならずとも,それを見聞きした誰かにとって意味のあるInputになっていれば達成感が得られる類のもの,とでもいうのでしょうか.

以前このブログやtwitterかで紹介したかもしれませんが,何らかの技術や知識などの学習において,最後のフェーズは「それを誰かに教えられるか」どうかです.物事を完全理解できていなければ教えられないし,ただある意味矛盾する表現かもしれませんが,完全理解できているかどうかを把握するために”教えて(話して)みる”という作業がとても大事になります.自分が誰かに話してみることで,自分がその対象を完全に理解できているか,理解できていないのだとしたらどこがどの程度理解できていないのか,よりよく理解するためには何が必要なのか,などなど色々なことがわかってくる.要は,

"Outputこそが自分に対する最良のInput"

となります.
書籍や論文も,授業で教わったことも,ただ読んで理解したつもりになっているだけでは50点,それを他者にとってわかりやすく要約して説明できたり,実際にそれを応用して問題を解いてみたりしてみて初めて完璧な理解に到達できますよ,というように僕は考えています.

前にも書きましたが,そういう意味でボチボチ,11月中旬の基調講演が近づいてきていて,その発表資料を作らなければいけません.自身の研究に関する発表ですから,新たな知識はいらんだろ,という話ですが,もしかするとよくよく整理して話そうとしても,どうにもこの部分がうまく説明できない,といったスライドが登場するかもしれません.研究の世界は一般的に”既知の(答えがわかっている)もの”は対象にならないので,研究を進め,実験を通してわかったつもりでいても,実は当の本人も完全に理解しきれていなかった,ということは少なからずある話です.ですから,この機会は最近Inputばかりの僕にとっては良い(いや,ある意味では多少厳し目の)エクササイズだと思っています.

InputばかりだからOutputしたい,と考えている自分にとってはまたとない機会ですが,先述の通りある意味のたうちまわるような苦労を,他の仕事の合間に,締切厳守で(苦笑),かつOutput対象の言語は英語で進めなければいけないので,タイトルの通り,”したいけれど、したくない”というのが率直な気持ちなんです・・・
とはいえ,締切があるとか,もう決まっちゃってる(学会HPには僕の写真も講演の概要もアップされちゃってる)という状況は,自分に鞭を入れるという意味では非常に効果的ですね(涙).
まだしばらくInput作業自体は別件で続きそうですが,そろそろデュアルで作業をしていこうと思っています,ということをここで宣言することで,新たな鞭を自分に入れようと思った次第.

@dkitakosi からのツイート