2022/10/19

プロコンと研究と沈金

既にご存知の方も少なからずと思いますが,10月15日,16日の二日間に渡り群馬県高崎市で開催された高専プロコン(プログラミングコンテスト)自由部門にて,東京高専から参加した2チームが”ダブル受賞”しました.1チームは最優秀賞,僕が指導していた(と言っても,プログラムスキルは圧倒的に学生さんの方がありますが)もう1チームは特別賞と企業賞を受賞しました.

詳細や画像などは僕のtwitter(@dkitakosi)で掲載済みなのでそちらを見てもらうとして,今日書きたいのは,プロコンの活動にせよ研究活動にせよ,実はそれ以外の様々な活動においても通じる共通点ってなんだろうな,とふと考えたことについてです.

学校の勉強ができるからと言って,必ずしも卒業研究がうまく進められる&まとめられるとは限りません.それはプロコンも(個人的な感覚からすると)同じで,プログラムが得意だからと言って,必ずしもプロコンで受賞できるとは限りません.プロコンについては,ある種スキルは必要条件かもしれませんが,十分条件ではない・・・と書くと,卒研も同じかもしれず,勉強が出来た方が出来ないよりもうまくいきやすいかもしれないものの,とは言え,全科目オール優でも卒研の進捗はボロボロ,という例は(まさに実例として)枚挙に暇がないです(^o^;;

じゃぁ,十分条件はなんだろうと考えたんですが,一つはやっぱり”楽しめること”だと思います.ただ,ここでいう楽しむというのは,いわゆる遊びを楽しむ,ゲームを楽しむという感覚ではなく,上手くいかないことも含めて心を広く持って,全てを受け入れると言ったイメージでしょうか?前回書いた

とも関わってきますが,研究をやっていると,むしろ成功よりも失敗の方が多いし,思い通りにいかないことが多い,というか”思い通りにいかないことしかない”というが実際のところ.ただ,それでも地道に朗らかにやり続けていると,たまに少し成果が挙がったり,誰かがその頑張りを見ていてくれたりすることで,とても幸せな気持ちになったり報われた気持ちになったりします.
中には,本当に楽しくて楽しくて仕方がない,という感覚で研究やプログラムに取り組む人もいるのでしょうが,そういう人たちはある意味幸せで,普通の人なら苦痛だと思うことも,好きであることが大幅に苦痛を上回り,苦痛と感じていないのだろうと思います(そういう人たちが,いわゆる才能のある人たちなのかもしれません).

ただ,どちらのタイプの人であったとしても,最終的に到達すべきところに到達した時の充実感や幸福感には差がないのではないかと感じてもいます.

十分条件としてもう一つあるとすれば,ある種の覚悟,というか,割り切りなのではないかと,今は考えています.

ただ楽しいだけではない研究を地道に続けていく,研究でなくとも,何かを達成しようとして継続的に努力を,活動を続けていくのは,やはり簡単ではありません.結果として必ず報われるとわかっているわけでもなく,今回のプロコンでも,多くのチームは頑張って準備をしてきたものの,受賞チームはその一部です.そういう意味で,自分自身に後悔がないよう頑張り切るための覚悟,というか,ここまでやってダメなら仕方ない,という割り切りがあった上で,初めて色々なことを楽しめるんじゃないかな,と思いました.

八王子市出身・在住で,沈金という伝統工芸に携わっている,私の友人でもある春日友子さんの個展にお邪魔してきました.素晴らしい作品を拝見しながら春日さんから,作品を作る際の取り組み方など色々とお話を伺ってきたのですが,個人的には非常に研究活動と似ている部分があるな,と思いました.
例えば,必ずしも自分の求める理想的な環境下で活動ができなくても,そういった環境の下でどうやってベストを尽くしていくか,そう言った環境下でベストを出せる心理状態に持っていくか,と言った方法論であったり,ある面では時間を贅沢に使って,今後どちらの方向へ進めていくことがベストか熟考に熟考を重ねたり,一方で,進められないときは進められないときとして割り切って(開き直って?),とは言え進められる状況になったときには爆発的に進めてみたり.対象物は一方で漆やアクリル,他方PCやら論文やらと似ても似つかないかもしれませんが,結果として双方とも,出来上がったり,作品(論文)を見た方から評価を頂いたりした時の喜びは一緒なのかもな,とも思いました.

これは恐らく,先日のプロコンに臨んだ学生にも同様のことが言えて,上手くいかない(いかなかった)ことも含めてどれだけその全部を楽しめるか,覚悟して割り切れるかというところが重要なんじゃないかと.
ただ,これが恐らく難しく,ある対象に対して楽しみを見出して覚悟を決められるからと言って,その人が他の対象にも同様に楽しみや覚悟を得られるかというと,きっとそれは全く違う(要は,好きなものは好き,嫌なものは嫌・・・)のでしょう.だからこそ,自分にとって(楽しくない部分も含めて)楽しめる,頑張りを続けられる対象を見つけられるかどうかが重要になってくる.その一方で,それを見つける過程ではやはりある程度,自分にとって楽しくないことも頑張ってやってみないことには,それを本質的な意味で楽しめるかどうかがわからない.

子供のうちに,特に意識せずそう言った対象を見つけられた人は本当にラッキーだと思いますし,僕も比較的早い段階で,”函館の高専で情報工学科ができるらしいよ.新しいし面白そう”という猛烈に軽い理由で(苦笑)進学し,どうせ入ったんだから研究をやってみたい,と思ったところがきっかけで研究の苦しさを含めた楽しさを知ることができました.
研究って面白いんだよ,ということを多くの人に伝えたいと思っていましたが,ここ最近,色々と考えてきて,ちょっと違うのかもしれないと考え出しています.要はそういった,

  • 自分にとって楽しめる,覚悟を決めて頑張れる対象を見つけると人生は面白い
  • でも,いきなりその対象を(偶然)見つけられる人は一握りで,若い(失敗しても大した問題にならない)うちにたくさん失敗しながら,早めにそれを見つけた方が良いよ
ということを伝えることが大事そうだな,と(もちろん,研究に興味のある学生がいたら,こっち方面に引っ張りたいとも思っています).
そしてやっぱり,そう言った経験をできた人であれば,人の頑張りも認められるし,その結果がどうなろうとも,次へのステップに向けた応援が(自分に対しても他人に対しても)できるのではないかなぁと考えているところです.

ここしばらく,あまり研究で突き詰めることはなかったのですが,幸か不幸か(!?)学生の皆さんの研究活動も佳境に入ってきている人が多かったり,OB学生の論文執筆でも色々と刺激をもらうことができたりして,仕事方面でも良い方向に自分を展開させることができそうで少し嬉しくなってきている今の状況が,この文章を書かせたのかもしれません.

p.s. ちなみに,春日さんの個展は今月末まで八王子駅前の東京メガネ八王子店さんで開催されています.

2022/10/07

研究は楽しい ーただし、ただ楽しいだけではないー

 昨日,恐らく3年以上ぶり,要はコロナが流行する前ぶりに,卒研に従事しているウチの研究室の全学生さん(5名)と,対面&個別&(昼食は挟んだものの)ほぼぶっ通しで打ち合わせを実施しました.

ここ数年,対面でのミーティングはやったとしても年に年に1,2回,時間制限も設けた中でやらざるを得ませんでしたが,昨日のミーティングは全員とびっしりと実施した感覚がありました.

率直に言ってどの研究も,順調に進んでいるとは言い難い状況ではありますが,それぞれに何とか,年度末に向けた方向性は見えてきたように思います.にしても,ぶっ通しの打ち合わせが久しぶりだったせいか,自分が歳をとったせいか,もしくはその両方の影響か,終了後はかなりバテました。打ち合わせ自体、当たり前ですが真剣に臨んでいたからでもあるでしょうが,もしかすると”打ち合わせに必要な体力”みたいなものがあって,しばらくぶっ通しでやっていなかったので,その体力が落ちてしまっていたのかもしれません.

とはいえ,研究の話をすることは楽しいです.うまくいっているから楽しいとか,会話が楽しい,というのとは違って,内容がかなりネガティブなものであったとしても,進捗が滞っていたとしても,解決すべき課題の解決策が見つからずにウンウン唸っていたとしても,そういった苦労をすること(そして,それを経て苦労を乗り越えること)や,自分が予想していなかった課題や成果に遭遇することに楽しさを見出しているように,個人的には思います.

いわゆる,ゲームや遊びの楽しさとは違う楽しさでしょうね.こういった,苦労や大変さの中に”研究の楽しさ”を見出すことができないと,研究職に就くことはできないでしょうね.
ただ,こう言った能力というか考え方は,研究(開発)職に特有のもの(他の職業には不要のもの)かといえばそんなことはなく,どこに問題があるのかを見つけ(課題発見能力),どうやってその問題を解決していくのかを考え(課題解決能力),得られた成果を,伝えるべき人にどうやったらわかりやすく伝えられるか悩む(コミュニケーション能力)ことで,現代であればどのような職業に就いたとしても必要な能力を向上させられます.

そう言った意味で,自分は将来研究職に就くわけでもないのになんで卒研なんてやらなければいけないのか,という疑問に対する回答にもなるかと思っています.だからこそ,一般的な工学系教育機関では,卒業研究が必修科目になっているんでしょう(というか、卒研が必修でない大学があることが信じられません・・・そう言った能力がなくとも,それなりの仕事に就けるということなのか,そう言った能力が必要ない職業が主要な就職先候補なのか).

はっきり言って,研究活動の大部分は単純な楽しさとは無縁の,”地味で地道な”活動であることが多いでしょうが,そう言った活動の成果として(そう言った活動を経るからこそ),興味深い結果や新たな知見,発表を見聞きした人からの高評価などが得られた時,楽しさというか,充実感・達成感を感じられるのかもしれません.

活動が真面目なものであるからこそ,感情的にはリラックスして,柔軟な考え方で遊び心を持って臨んだ方が,むしろ課題の解決や新たなアイディアの気づきに近づくのでは、とも思っています(個人的には,「仕事は力を抜いて,遊びは大真面目に」というのが,特に博士後期課程に進学して以降の僕の生き方の方針です).
そう言った苦労・努力と,苦労・努力の先にある楽しさの両方を,卒研に従事する学生全員に味わって欲しいと思います.

@dkitakosi からのツイート