2023/05/13

今読んでいる本,読もうとしている本,習慣的に読んでいる本(雑誌) ー漫画含むー


 先日,某授業をしていて不意に,「最近忙しくて,読みたい本がたくさんあるのになかなか読めていない」という話をしたんですが,ふと,

”どのくらいの本が積まれているのか?=(待ち行列に並んでいるのか?)”

念のため把握しておいた方が良いのではなかろうか(=読めないことがわかっているのに買う本が減るのではなかろうか ^o^;;)と思い立ちました.

僕が,いわゆる読書をする媒体としては2種類あって,電子書籍/実物(!?)の書籍でそれぞれ待ち行列ができています.さらに,一般的な書籍で自分がぜひ読みたいと思ったものは電子書籍で買いますが,興味の有無,自身にとって有益(有意義)かどうか不確実性がある書籍は図書館で”実物”を借ります.加えて,後日電子書籍として購入したり図書館で借りたりすることが難しい,最新の情報が掲載される雑誌の類も,必ずしも毎週ではありませんが特定のものを購入することが多いです.まだあります(笑).僕は小学校高学年くらいから漫画雑誌,および単行本も購入していて,この習慣はいまだに続いていますので,これらも読まねば(?!)なりません.

上記諸々について現時点で,現在進行形で読んでいるもの,”積読”になっているものを,備忘録的にリストアップしておきます.ちなみに僕の読書傾向は”雑食”で,硬軟自在,自分がその瞬間に興味を持ったものは何でも手を出します(苦笑).

  • 今読んでいる本
    • 実物:科学とはなにか ー新しい科学論、今必要な三つの視点ー
    • 電子:「言葉にできる」は武器になる。
  • 積読本
    • 実物:北前船の近代史 ー海の豪商たちが遺したものー
    • 電子:
      • 武器になる哲学 人生を生き抜くための哲学・思想のキーコンセプト50
      • 医者が教える食事術2 実践バイブル
      • 理数探求の考え方
      • 5段落エッセイ指導で日本の子どもが変わる!
  • (比較的)定期的に買っている雑誌
    • THE 21
    • Tarzan
    • 東洋経済
    • PRESIDENT
    • ダイヤモンド
  • 漫画
    • 実物:週刊少年マガジン
    • 電子:
      • ONE PIECE
      • BLUE GIANT
      • クッキングパパ
      • きのう何食べた?
      • 新米姉妹のふたりごはん
      • 今どきの若いモンは
      • リエゾン
      • 極主夫道
・・・改めて並べてみると,猛烈にありますね(苦笑).それに,ほぼ定期的に購入している雑誌もかなりのもの.実際,書籍購入にはかなりの費用をかけている実感がありますが,これらは(漫画も含めて)全て”自分への投資”という実感を持っています.
読書で得られるものは,自分の現在の仕事に関連する知識はもちろんのこと,仕事(特に研究)や自分の人間としての幅を広げられるような知見,それとは反対に,自分がなかなか経験できないような世界観に自分が置かれていると想像を掻き立てられ,非日常を味わえる新鮮な感覚,趣味でもあり日常でもある料理(食べること)の楽しさ面白さを体験できる,等など,即時的なものから明日使えるもの,(以前紹介したリベラルアーツ的に)教養として,”いつかその時が来たら使えるかもしれない知識”と認識しているので,読書で得られたいろいろなものはそのまま自身の血肉となり,自分自身を形成しているという感覚です.

おそらく,一生役に立たない情報もあるかもしれませんが,そういった情報を含めてまるまるインプットしておくことで、人間として余裕,余白というか,良い意味での”遊び”が得られると考えています.

読書と並行して,最近は英会話のレッスンも再開しています.英会話はある意味,直接的に僕の仕事とも関連してくるスキルかと思いますが,いつも思っているのは,
”どうせ英語を話すなら,自分や日本について,相手のメリットに繋がるようなコミュニケーションを実現したい”
ということ.
たくさん単語を知っている,発音が良い,むずかしい文法を駆使できる,流暢に話せる,といったスキルがあったとしても,自分について,自分が暮らしてきた日本という国やその文化について,まともに知らないようであれば,
”ただ英語が話せるだけのバカが,自ら恥を晒すために流暢に英語で話している”
に過ぎないと考えています.これは別に,日本のために頑張れ,という話ではなく,自分が育ってきた国のことくらい,海外の人に説明できるようになっておかないと,海外の人から(どころか自国の人間からも)尊重されるような人間にはなれないよ?という意味です.

これはある意味,言語という意味では同様の”プログラム”にも共通すると感じていて,ただただスキルがある(流暢に喋れる, プログラムの複雑な/最新のスキルを有している,などなど)だけでは意味が無く(場合によってはむしろネガティブな影響がある),その能力を使ってどれほど周囲に良い影響を与えられるか,その能力を有意義な対象に対して活用できるか,といったところがより重要になると思っています.

・・・途中で脱線した感がありますが(苦笑),とにもかくにも僕が意識していることは,自分の全ての活動は自分の今後の全てに直結しているし,より良い今後(プライベートも仕事も含めて)のために役立つと思える活動については,(他の人から見て)無駄に見えたとしても,むしろどしどし積極的にやっていこう,ということです.

もしかすると遠回りに見えることもあるかと思いますが,それこそ”急がば回れ”の精神かと思っています.自分の人生にどのような知識やスキルが必要になるかは,ざっくりとはわかるかもしれませんが,実際に全てがわかることはありません(それこそ、情報系なら数学の知識やプログラミングスキルが大事,ということは,おそらく誰でもわかるので重要性は低いです).もしかすると大事かもしれない,と思ってインプットしておいた知識が,思いがけないところで自分の仕事やプライベートの充実に繋がっていく可能性があることを意識して,様々なインプットを積極的に(特に,時間が大量にある学生のうちに)実施しておくことを,強くお勧めします.

2023/05/02

Village ーある種,最低で最高に刺激的な作品ー

 昨日のスーパーマリオに続き,今日は1人でレイトショーで観てきました.



非常に良い意味で,過去最高に頭を働かせる必要がある作品だったと思います.

ストーリー的には,誤解を恐れずに言えばシンプルなものかもしれません.
過疎の村に金を呼び込むためゴミ処理施設を作ろうとする者,反対する者.出来上がった施設で働く者,働かざるを得ないものの不満を抱き続ける者.自身はこれ以上ないほどに頑張っているのに全く報われない者,本人は全く努力していないのに生まれ and/or 財力でデフォルトで良い立場にいる者,といった,それぞれの差異に応じた”区別,差別”といったものが露骨に描かれています.

実際に現状,ここまでの状況があるとは信じたくないですが,状況としては(世界のどこでも,日本でも)十二分にあり得るでしょう.
そのような過酷な状況の中で,主人公の優(横浜流星)がどのような感情を抱いていたのか,また,どのような感情からその振舞が引き起こされたのか,それぞれのシーンで考えさせられる点が多くありました.

が,問題は(?!)実質一番最後のシーンで,主人公の優が…するところです(これから観たい人もいるでしょつから,伏せておきます).

このシーンは…個人的に非常に悩ましく,かつ素晴らしいシーンだったと率直に思います.
この映画を観た人の感想はさまざまだという評判を聞いていましたが,まさにその通り,結末は視聴者に完全に委ねられていて,かつ,その理由も同じく,観た人の解釈次第だといって良いでしょう.

この考察/評価ができる or 楽しめる/悩める・苦しめる人は,その時点で幸せ(?)です.ぶっちゃけ,自分にとって都合の良い(ハッピーな?)エンディングに持っていくことも可能かもしれません(ストーリー的に厳しいかと思いますが).とは言え,この映画の素晴らしさはまさにこの「余韻」にあると言って過言ではないでしょう.

ここまで,鑑賞者に深く考えさせる作品には中々お目にかかれないという意味で,連休が始まったという多少寝ぼけ気味の感覚が一気に研ぎ澄まされた印象があります.
…なんて無難にまとめていますが,とうの鑑賞者である私自身,結末をどう解釈するか,いまだに考察中(=楽しんでいる最中)です.

最後に,今回,主演の横浜流星さん,じっくり演技を見たのは初めてですが,凄い俳優さんですね.まだ26歳と若手と呼ばれる年代なのかもしれませんが,今後が非常に楽しみな方.そして,なんと言っても一ノ瀬ワタルさんと古田新太さん,西田尚美さんに杉本哲太さん,周りを固める俳優陣,全員”最低で最高”でした.

2023/05/01

ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー ーマリオ世代(!?)は必見ー

 一足早く公開されたアメリカでも大好評だそうですが,ここ最近見ている他の映画の予告編で紹介された時点で,観るのは確定していた映画です(笑).



はっきり言ってタイトルの通り,恐らくスーパーマリオのゲームを一度でもプレイしたことのある人であれば,楽しめること請け合いでしょう.特に(年齢がバレますが ^o^;;)初代ファミリーコンピュータ用ソフトとしてリリースされた初代スーパーマリオ,ディスクシステム(懐かしい!)でリリースされた2,スーパーファミコン(これまた懐かしい)でリリースされた3をプレイした世代であれば,諸々文句ナシに楽しめるはずです.

と書くとオールドファンのみにハマる映画のように思われますが,ここ数日の盛況っぷりを見ると,最近のマリオファンの皆さんにも見事にハマっているようですから,ぶっちゃけ全世代にハマるのでしょう(すいません.最近のハードウェアは持ってないので,ここ最近のマリオ関連ゲームは一才プレイできていないのです).

ということで,以降はいわゆる”オールドファン”向けに書かせてもらいますが,その前に全世代向けに全世代向けにお勧めしておきたいのは,”3Dで観るのが超お勧め”ということです.2Dで見ていないので2Dがダメというつもりはないし,2Dで見ても十分に楽しいかとは思うのですが,アクション映画としても秀逸な本作品,コメディ要素もあるんですが,アクションもコメディも,3Dで見た方が確実に楽しめることと思います(2Dよりちょっとチケットが高いですけど).

ここからが本題(!?)で,まず,ストーリー的には破綻なく無難にまとまっている,というと可もなく不可もなくのように思えるものの,そもそもゲーム世界とリアルを結ぶシナリオがスムーズに感情移入できる時点でかなり秀逸なシナリオだと思えます(これも”マリオ世代”であるからかもしれませんが).
アクションが大迫力,かつ,コメディ要素が全開であるのも魅力的で,ほぼ満員の劇場ではあちらこちらで子供達の爆笑が響いていました(と書きつつ,当の自分も大笑いした箇所少なからずでした).
最近のハリウッドCG映画の技術は凄まじく,実はこちらでは紹介していないんですが,1ヶ月ほど前に”長靴をはいた猫”を観た時も全く同じ感想を抱きました.

加えて,初代マリオ世代にとって泣けたのは,要所要所で奏でられる”懐かし挿入曲”でしょうか.詳細は省きますが,日本では某青春ラグビードラマの主題歌として大ヒットした名曲や,AC/DC,A-haの名曲が,それぞれのシーンを効率的に彩るタイミングで見事に融合していて,これはまさに”当時のプレイヤー”をターゲットにした演出のように思いました(とは書きつつ,楽曲のクオリティは世代を超えると思いますし,そういう意味でも効果的なタイミングでインサートされていたように感じています).

なんと言っても,クッパ(ラスボス)がいい味を出しています.
この作品を視聴予定の皆さんには,是非,本当に,最後の最後まで,しっかりと見てほしいと思います(エンディングロールの途中でおかえりになった皆さんは・・・).

2023/04/29

アクティブラーニング ー実は歴史が深かったー

皆さん,アクティブラーニングという用語を知っていますか?

アクティブラーニングは,ある特定の学習(教授)法を指すのではなく,例えばグループワークやチームでの議論(ディベート),反転学習(事前に学生が予習の内容として問題の解法や結論を学び,授業でその確認や補足,問題に対する議論を行う授業)といった(最近ではこの言い方が主流らしいですが)”主体的対話的で深い学び”の手法全体を指す総称です(4年生以上の東京高専の学生だと,必然的に関わることとなる"社会実装"も,一種のアクティブラーニングでしょうね).
まさに我々教員もリアルタイムで(ある意味,学生の皆さんと一緒に)取り組んでいるアクティブラーニング.とはいえ率直に言って,この“教え方の概念”に効果があるとしても,あらゆる物事には両面があり,素晴らしいの一辺倒ということはないでしょう.ということで読み始めたのが以下.

アクティブラーニング ー学校教育の理想と現実ー (小針 誠 著,講談社現代新書)

タイトルの通り,手法や概念としてのアクティブラーニングの利点欠点について著されていることは期待していましたが,それより印象深かった(ある意味びっくりした)のは,
“アクティブラーニングって意外と(!?)昔から実践(試行)されてきた方法なのね”
ということ.

このエントリのタイトルにも記載しましたが,本書を読むまで恥ずかしながら,アクティブラーニングの概念や手法は,古くともこの20年くらいの間で提案されてきたものだと思っていました.本書で紹介されているアクティブラーニングの実践例として最も古いものは大正時代まで遡りますので,少なくとも日本では約100年前には存在し,実際に行われていたこととなります.そしてある意味面白い,というか(実際はただ楽しんでいるだけではとてもいられないものの)“歴史は繰り返す”を読んで字のごとく体現しているのだな,と思えるところとして,いわゆるアクティブラーニング(本書でいうところの「生徒主導で,学習に臨む態度や考える力を重視する経験主義の教育」と,教師主導・知識重視の本質主義(系統主義)の教育(それこそ,詰め込み教育と言われるタイプのもの)とが,ある時期はこちら,その後はこちらと振り子のように繰り返されてきたという点が挙げられます.

アクティブラーニングの波は,上述の通り最初に大正時代,その後,“戦時下新教育”として第二次対戦中にも取り組まれていたことは意外でした(その後,本書を読んでいて,なるほどそれも一理ある,と感じましたが).そしてさらに,戦後新教育,平成以降のアクティブラーニングがあり,加えて“ゆとり教育“のスパイスも加味された上で現在,アクティブラーニングのエッセンスも残しつつもまた“その反対側“へと振り子が触れつつあるような感もあります.

この書籍を読んで一番印象的だったのは上にも記載した通り,なぜ戦時下においてアクティブラーニングの取組が積極的になされてきたのか,というところでした.そして歴史が繰り返され,なぜまた現在,アクティブラーニングの重要性が訴えられてきたのか.繰り返される歴史には,それぞれの時代背景はあるものの,背景ごとの相違点がある一方で,やはり共通した意図があるように思います.特に,教育は国の一大政策です(「国は国民からなっている」ので,と僕は思っています).ということは,日本に限らずある国がある教育政策を取ること=その国がそういった人を育成したい(その結果として将来的にこういった国を目指したい)という意志そのものだと考えるわけです.
本書を読んで上記の考えを再確認したとともに,本書に記載されたような推測は,確かにあり得ると(多少の実感を持って)感じたところが,今回の一番の収穫でした.
具体的な“推測“については,敢えてここには記載しません.興味のある皆さんは是非,手にとって見てもらえればと思います.

2023/04/15

メタ認知 ーマインドフルネスにも通じる自己観察ー

年度末,年度はじめも比較的読書は(細々と)続けていたのですが,とにかく多忙でアウトプットの時間がほとんど取れませんでした.とはいえその間何冊かは読了したのですが,幸か不幸か“ハズレ”の書籍が多く(苦笑),アウトプットの暇もないし,アウトプットしたくなる書籍もなかったというところでした.

そんな中,この本はちょっと面白いな,と思ったのが

メタ認知 ーあなたの頭はもっとよくなるー (三宮真智子 著,中公新書ラクレ)

皆さんも見聞きしたことがあるかもしれませんが,「メタ」というのはいわゆる「より上位階層の」という意味合いで,メタ認知というのは要は、“認知に対する認知“です.本書曰く,心理学分野における認知というのは,頭を働かせるあらゆることを指すとのこと.ですのでメタ認知とは例えば,“「自分は今こんなことを考えている」ということを一つ上から観測している“といったイメージになります.

何らかの感情や思考をしている自分を,もう一人の自分が上から見ている,とも言えるかと思いますが,それが効率的に,また,意識的にできるようになると,例えば現在の自分の状態を客観的に確認して,より効率的な方向へと改善したり,怒りや焦りといったネガティブな感情に囚われる前に,自分の状態をポジティブ(少なくともニュートラル)な状態へと引き戻すこともできるようになることが期待できます.

とはいえ,書くのは簡単,行うのは難しいのがメタ認知だと個人的には思っていて,実際,メタ認知をしっかりとできるようになるにはそれなりの“修行“が必要なようです.例えば,メタ認知のための知識が不足していたり,自身の状態を知るための方法に不足や誤りがあれば,誤った認知をしてしまい,その結果,状態を改善できないどころか,むしろ改悪してしまうこともあり得るでしょう.

とはいえ,本書に紹介されたような自身の状態をモニタリングする方法や,メタ認知を通して自身の状態を改善するための知識などを蓄積していくことで,メタ認知のスキル自体が上がっていくことも期待できそうです.

一方,本書の後半の一部では,メタ認知とは全く無関係ではないのでしょうが,効果的なものの考え方や,思考力を改善するための協働の仕方,環境の整え方,といった“脇道的な“(補足的な?)内容にも触れています.この辺りの部分も含めてびっしりメタ認知についてコンテンツを埋めてもらっても良いくらいだと,個人的には感じました.

書籍を読んでいて全般的に感じたことは,ここ数年,よく読んできたマインドフルネス(心を落ち着け,現在の自分の状態をそのままにスキャニングすることで心身状態をニュートラルに持っていく取り組み)にも通じるものがあるなというところ.先日読んだ仏教における瞑想はほぼマインドフルネスそのものですが,メタ認知によっても,現在の自分の状態をモニタリングする点では同様と思います.マインドフルネスの場合は,モニタリングしたその情報をそのまま受け入れる一方,メタ認知の場合は,その情報を踏まえてどのように自分の状態を良い方向を持っていくか,実際の方策を通して行動を取るための方法論,という印象を持ちました.

上述の通り一部脱線した感もあったものの,全体を通して見るとよくまとまっていて,メタ認知に関する初心者だけではなく,ある程度具体的に活用したい,実践したいという人にとっても読む価値のある書籍だと思いました.

2023/03/20

おとなの教養 私たちはどこから来て、どこへ行くのか? ー確認できたことはよかったー

ある意味,自分に対する確認として読んだとも言える今回の書籍,結果として確認できたので良かったです.

おとなの教養 ー私たちはどこから来て、どこへ行くのか?ー (池上彰 著,NHK出版新書)

この書籍は,いわゆる”リベラルアーツ”について紹介する書籍です.高専の学生だとあまり聞き覚えのない言葉かもしれませんが,大学ではよく使われる言葉・・・とはいえ,正確な(?)意味を理解できていない人は大学生でも多いかもしれません.
それこそ,本書のタイトルともなっている「教養」という意味をイメージする人が多いかもしれませんね.例えば,今は違うように思いますが,僕が以前在籍していた北大には「教養棟」と呼ばれる建物があったと記憶していて(もしかすると学生が勝手に名付けた通称かもしれませんが),そこではいわゆる”教養科目”を教えていました.その時点での我々学生のイメージとして,教養科目は専門科目を学ぶための基礎的な科目&社会人になる際に必要な(知らないと恥ずかしい)知識を学ぶ科目,といったところでしょうか(例えば前者でいうと,専門分野での計算を行うための基礎となる数学系の科目,後者は世界史や経済,語学といった科目).
ただ,この日本語訳はちょっと違うな,と歳をとってみて改めて思っていて,本書を読んでみると,まずはリベラルアーツの直訳として「人を自由にする学問」という表現が出てきます.これはこれで抽象的でわかりづらいですね(苦笑).その昔のヨーロッパの大学ではリベラルアーツとして,(1)文法,(2)修辞学(弁論の技術を学ぶ),(3)論理学,(4)算術,(5)幾何学,(6)天文学,(7)音楽の7科目が挙げられていたとのこと.当時これらの科目を学ぶと人は自由になったのか,というとちょっと疑問ですが,読み進めていくと徐々に分かってきます.
実例としてMIT(マサチューセッツ工科大学)では音楽の授業が充実していることが挙げられています.その理由についてMITの教員は,

MITでは最先端の研究をしていて、学生にも最先端技術を教えているが,それらは4年もすると陳腐化する.すぐ陳腐化するものばかりを大学で教えてもしょうがないし,むしろ社会に出て新しいものが出てきても,それを吸収したり,自ら新しいものを作り出して行くためのスキルを大学で学ぶべき

と述べていて,音楽はそのための”教養”の一つだよ,と.
この説明と合わせて,その他アメリカの大学,特にエリート大学の多くはリベラルアーツとして”すぐには役に立たなくても良いこと”を教えている,という記述が,リベラルアーツの定義として,個人的に非常にしっくり来ました.要は,単に最新の知識や難しい理論を詰め込むのではなく,今後社会に出て新たな(解決法が不明な)問題を解決したり,そもそもどこに問題があるのかを見つけ出すための”考え方や解決の仕方の「土台」を作るための科目=リベラルアーツ”ということだと認識しました.

大学ではもっと,社会に出てすぐに役立つ科目を教えるべき,といった風潮が日本でもありました(今でもある?)が,ある意味これとは全く反対の方向性ですね(苦笑).そして最近に至っては,学生に教養がない,という意見もちらほら聞こえます.が,それってそもそも,即戦力の学生が欲しいと”すぐに役立つ(=すぐに陳腐化する?)科目ばかり”教えるよう要望があったことによる副反応なのでは?とも思えます・・・

高専の場合,大学とはやはり違っていて,現時点での最新の技術を教える部分に特色があり,その特色ゆえに企業の皆さんから期待されている面があるので,それはそのままでよい,とある程度は感じていますが,個人的には自分の授業やその他の活動の中で,学生の皆さんには”今後社会に出たときのため,これは考えて(身につけて)もらいたい”というtips的な情報や「ものの考え方」といったノウハウも示すようにしています(学生さんがそれに気づいているか,また,自分も取り入れてみようと思ってくれているかは不明です).

ちょっと話がズレましたが,本書で著者の池上彰氏は,著者自身が考える「現代のリベラルアーツ7科」として,(1) 宗教,(2) 宇宙,(3) 人類の旅路,(4) 人間と病気,(5) 経済学,(6) 歴史,(7) 日本と日本人を挙げています.これらは相互に関連する部分も多いものの,確かに社会に出て以降,さらに大人になってからも問題を見つけたり解決したりする際,学んでおくべき重要な項目と僕も思います.

ただ,僕自身この本を読んで(冒頭記載の通り)印象に残ったことは,上記各項目の内容というより,以下の2点です.

1. 簡単に教養を手に入れることは無理

2. 学び続けることと、アンラーン(unlearn)が大事

1.ですが,最近書店でよく見かけるのが,簡単に(短期間で?)身につけられる教養,といったタイトルの書籍です.これ,もしかすると上述した昔の大学でいうところの教養科目をイメージしているのかもしれませんが,もし,すぐには役に立たなくても良いこと,を指しているとすると,おそらくリベラルアーツの本来の役目の半分くらいしか満たさないと思っています.いわゆる雑学的な幅広い知識としてのみ,その書籍の内容を覚えたとして,それはそれでいずれ何処かで役立つ可能性はあるでしょうが,おそらくその知識をインプットしたのみでは,今後新たに発生する可能性のある,答えが示されていない(あるかどうかもわからない)問題を解いたり,そういった問題が今後どこでどのように生じるかを見つけることはできないと感じます.こればかりは,それこそすぐには役に立ちそうもないけれど興味がある,とか,特段興味はないけれど,もしかすると面白いかもしれないから試しに読んで(見て,聞いて)みようか,と手にとった書籍や映画などから少しずつ,長い期間かけて”蓄積して”いかないと得ることは難しいと考えています.つまり,”インスタント教養は効能が限定的”とでもいうのでしょうか.

2.については,本書での記述で「やはりな」,と納得した部分がありました.現在の日本の歴史教科書では,聖徳太子という名詞がそのまま出ることはないそうですね(僕が中学生の頃は普通に掲載されていました).代わりに,厩戸皇子/厩戸王や厩戸皇子(聖徳太子)といった表記がされ,また,以前教科書に載っていた肖像画は,本人でない可能性が高くなったので掲載されなくなったとのこと(皆さんの教科書では,既にそうだったかもしれませんね).

何が言いたいかというと,教科書に載っているようなことでも,それらが必ずしも事実とは限らない.これは,当時嘘を教えていた、ということではなく,その時点での事実はそうだったものの,調査研究を続ける過程でより正確な情報が得られ,それによって内容を修正しているということになります.1.とも関係しますが,現時点で最新だったり,正しいとされている知識や情報も,時の流れとともに陳腐化したり,実は間違いだった(より適切な情報が得られた)ということがわかった場合,当時の知識を一旦削除(unlearn)して,新たな,より適切な知識へとアップデートする必要があるよ,ということです.これがまさにアンラーン,な訳ですが,そもそもアンラーンするためには常にアンテナを張って,情報をインプットし,自身の持つ知識が最新で最適かどうかを確認する必要があります.そしてそのためには1.にも書いた通り,定期的にかつ継続的に,自ら情報を取りに行くことが重要になります.

今回,本書を読んで上記2点をしっかりと再確認できたことが,僕にとっては最大の収穫でした.

今年度の社会実装教育フォーラムで,(学生の皆さんが)構想賞を受賞しました ーあとは実装ー

 twitter (& facebook)では報告していましたが,こっちでお伝えするのを失念していました.

3月3日と4日の二日間にわたり,久しぶりの対面(&一部オンライン)で,

第11回社会実装教育フォーラム

が開催され,僕が指導するプロジェクトチームの皆さん(全員4年情報工学科の学生さんです)が”構想賞”を受賞しました.

ただ,誤解を恐れずにいうと,今回の受賞,学生の皆さんにとっては少々悔しい結果だったと推測しています.当該フォーラムは”社会に取組を実装する”ことの効果やインパクトを競うことが最終目標なので,”構想止まり”では先に進めません.

とはいえ実は現在,我々のチームでは某自治体さん,および自治体に所在する企業さんと連携して,実証実験を進めていきましょうという話し合いが本格化していますので,その準備がスムーズに進み,具体的な実験を実施することができたとしたらあるいは,来年度のフォーラムでは最高賞(=最優秀社会実装賞)がいただけるのでは?と期待しています.

具体的な取組については,もう少し計画が進んでから・・・と書きつつ,実は今回のタイミングで某自治体さんのタウンニュースの取材を受けており,リンク先からはご覧いただける状況にもなっています(^o^;; (まぁ,敢えて隠すほどのことではありませんのでね,と言いつつこちらでは名前を伏せておきます).

とにもかくにも,今のところ新年度でのメンバー変更はないようですし,あとは来年度の5年生(前期)=今回の受賞メンバ & 4年生(後期)がどれだけ現実的な実験プランを立てるとともに,実験で評価いただける状態までシステムを持って行くか,が勝負でしょう.

2023/03/15

BLUE GIANT ー音の迫力が凄まじいからこそ、原作の凄みがわかるー

正直申し上げて,完全なる”にわかファン”でした.ただ,偶然タイトルを見かけて電子書籍サイトで原作漫画の表紙とあらすじ,劇場版CMを見た瞬間,これは劇場版を見なければいけない,と,僕の第六感が命じたこの作品.

BLUE GIANT

基本的に好奇心は旺盛なので,特に映画音楽書籍系については分野にあまり関係なく”雑食”で,感覚にもとづいて行動する&比較的成功する確率が高いと自覚しています.そして今回の作品,最高でした.

一人の青年が世界一のジャズプレイヤーになることを目指して上京し,仲間と共に日本最高の舞台でのプレイを目指していくまでが本作のストーリー.冒頭記載の通り,広告を見てピンきたのが実際のところなので,まずは”予習”として原作のシーズン1を大人買いして読みました.
その上で劇場版に臨んだのですが,個人的には予習しておいて非常に良かった.劇場で購入したパンフレットを読んで初めて,当該作品はまさにこのシーズン1のストーリーがもとになっていることを知ったのですが,原作を読むことで劇場版の構成が非常に良く練られていることが理解できます(ストーリーと音楽のバランスや,演奏シーンとストーリーとの融合によるシーン構成が素晴らしい).時間の都合上圧縮されている部分もある一方で,原作には描かれていないいくつかのシーンが,主人公の青年たちの日常を瑞々しく表しているように感じられました.

今回,特に素晴らしかったのが音楽,というか”サウンド”

ジャズがテーマの作品ということもあり,当然劇中でたくさんのジャズナンバー(有名なものから,彼らが作ったオリジナルも)が流れるのですが,今回鑑賞した劇場の音響の素晴らしさも手伝い,それぞれの曲の躍動感やグルーブがモロに伝わってきて,思わず幾度となく体が動いてしまうほど.
元々Rhythm&Blues等,黒人由来の音楽やR&Bから派生した日本人ミュージシャンの曲を好んで聴いていることもあり,ジャズも時折聞いていましたが,今回,映画館の素晴らしい音響でジャズを初めて聴いて,かつ,映画内で主人公,宮本大が言う”ジャズは感情の音楽”と言うセリフも相まって,その迫力がとてつもなく素晴らしいことに感動しました.

加えて,そもそも劇中でのジャズ演奏,挿入されるその他の曲は,上原ひろみをはじめとする日本を代表するジャズミュージシャンが担当.これは本当に凄い.
あまりにも素晴らしかったので,映画を見た直後にサウンドトラックをダウンロード購入してしまいましたが,実はこのサントラ,率直に言って劇場で聞くほど良いとは感じられていません(今の所).なんと言っても・劇場の素晴らしい音響で,ビリビリと響くようなサックスの音圧で聴くことにこそ意味があると実感できたと言う意味で,あえて購入してよかったとも思っています(音量上げて,良い再生環境で,お酒を飲みながら(笑)改めてじっくりと聴いてみようと思っています).

原作漫画を読んで感じたのは,ジャズ漫画とはいえ当然,絵から音は出ないものの,まるで音が鳴っているかように見える(!?)臨場感やダイナミックさが素晴らしい表現力で,読者の多くが同様の感想を持っているようです.その一方,ある意味”音が鳴っていないのに鳴っているように感じる”ほど素晴らしい原作漫画の表現力を,映画館のド迫力サウンドで再現している(もしくはそれさえも超えている)と感じさせるのは,映画館ならではの素晴らしさだと思いました.
それこそ,メインキャストの宮本大,玉田俊二,沢辺雪祈のリアルなライブに来場して,その場に本人たちがいるかのような臨場感を味わうことができました.

本当に文字通り,映画館で観なければ(聴かなければ)味わえない感動だと思います.

最後にこの映画のストーリーについての感想です.
原作を予習しておいて,加えて,事前にパンフレットも予習しておいて良かったです.
あまり書きすぎても野暮ですので控えますが,実のところ、恐らくどの順番で見ても,観た人それぞれの感動があると思いますが,僕は個人的に,

”漫画 → 映画のパンフレット → 映画本編”

の順番で観ることができてよかったと思っています.

本作,原作の漫画は現在シーズン3(でしょうかね?)として連載中で,実は僕はまだシーズン2の冒頭までしか読めていません.が,この時点で今後の展開がさらに楽しみになってしまっているので,(他に読みたい本もたくさん後に控えているのですが ^o^;;)早めに読み進めていければと感じているところです.


2023/03/14

どうせ死ぬのになぜ生きるのか

ここ最近,哲学心理学系の本を読むことが多いですが,今回の書籍はそれらとも密接に関連する,宗教に関する本です.

どうせ死ぬのになぜ生きるのか ー晴れやかな日々を送るための仏教心理学講義ー (名越康文 著,PHP研究所)

著者の名越康文 氏は,TV番組のコメンテーターとして出演することもありますが,本職は精神科医です.精神科医がなぜ仏教を?という疑問を持つ人もいるかもしれませんが,ここ最近,哲学系,特に心理学系の関連書籍を読み漁っていると,これらの分野は根底ではしっかりとした共通点がある,というか,お互いに関係し合っている面があることがわかってきて,書籍中で著者も述べていますが,自身の仕事である精神科医としての活動にも活用できる点が多くあることがわかります.

そもそも,このタイトルの問いに対して,万人が納得できる答えを明快に持っている人というのはなかなかいないように思います.本書冒頭で,人間の悩みや不安は尽きることがないが,その1番の理由は,それらの根底にある漠然とした不安(疑問?)= “どうせ死ぬのになぜ生きるのか“ が解消できないからではないか,という記述があります.人間を含め,生物は必ず死にます.それはわかっているものの、普段は特に,もしくは敢えてそれを考えることなく生活している人がほとんどでしょう(僕含め).
ただ,そういった不安,というか,答えのわからない問いを抱えたまま生きていることで,何かの拍子に不安に駆られたり,一つの心配が解消してもまたすぐ次の心配事がやってくる・・・ とはいえ,答えのない(わからない)問いの答えをどのように見つけるのか,という本質的な問題があるわけですが,根本的な不安を緩和したり解消したりするための実践的な方法として,仏教があるよ,というのがこの本の主題です.

宗教というと,胡散臭さを感じる人や,特に若い学生の皆さんにとっては自分とは関係の薄いものというイメージがあるかもしれませんが,歴史の教科書で習った 仏教伝来 から 現在まで 生き残ってきている という意味では,やはりそれなりの意味・意義があるのだろう,とも感じないでしょうか.


著者は仏教と他の宗教との違い,そしてこのタイトルに対する一つの回答(解決策)として宗教が挙げられる理由を.

不安を緩和・解消するための実践的な方法論を持っているため

と書いています.

国語の授業で習った(学習済みでしょうかね?)平家物語に,諸行無常という言葉が出てきますが,これは仏教用語です.意味としては,世の中で変わらないものなど一つもない.むしろ,あらゆるものが常に動いている(別の表現をすると,自由である)ということです.人は必ず死ぬ,というのも諸行無常であり,人の心も絶えず揺れ動いている(常に新たな心配が生まれる)というのもこの考え方で捉えることができます.

ただし仏教では,自分自身と心はイコールではなく,本当の自分は感情の波の動きによって普段見る・感じることはできないと考えているようです.確かに,普段は落ち着いて温厚な人でも,怒りや悲しみの感情に影響を受けて普段とは全く異なる言動をすることは少なからずあると思います.

仏教では,例えば普段の行動(掃除をする,食事をする,といった些細な物事を含む)を通して自分の心の動きを観察し,観察することを通して心を落ち着かせる(感情の波を立てないようにして,本当の自分を見ることができるようにする)方法論がたくさんあります.普段の呼吸や,通勤通学時に歩く際など、コツを掴めばそれら全てが自分の心を沈めて(冷静に観察して)“本当の自分“を見ることができるようになる,と.


いかにも仏教っぽい方法論としては,(詳しくは本書を参照のこと)行=ぎょうと呼ばれる取り組みであったり,瞑想といったものは名前を知っている人もいるかもしれません.
とにもかくにも本書において,仏教は我々,特に日本人とは長い付き合いである故に縁も深く,あちらこちらにお寺があり親近感があり,かつ,日常に即した(ある意味,特別の大袈裟な準備を必要とすることのない)方法論を通して,自分の心を冷静に観測することを可能とする手段であるということを述べています.


以前紹介したと思いますが,瞑想とは現在,そのエッセンス部分がピックアップされて,Mindfulness(マインドフルネス)として,様々な企業(Googleのような世界的大企業含む)でも取り入れられていて,より身近なところでは“食べるマインドフルネス“といったように,普段の皆さんの日常的な行動をマインドフルに行うことで心を落ち着けられる,といった使われ方もしています(ちなみにこの,食べるマインドフルネスは.上で紹介したある種の行ということができます).

とはいえ,これらを極めたところで「どうせ死ぬのになぜ生きるのか,の答えは得られないのでは?」と考える人もいるかと思います.実際,著者もこの問いの答えには辿りつけていないとのことですが,僕個人の考えとして,この問いに対する“言語化された解答“は確かに得られていないのかもしれないけれど,この根本的な問いから派生する様々な不安や感情の揺れを,一つ上の視点から冷静に観測して,心の落ち着きを取り戻したり不安を和らげたりできるのであれば,それは,言語化はできていないものの,現在の自分を受け入れて心やすらかに生きていけるという意味での一つの答えと言っても良いのではないかと思っています.

本書では,行や瞑想に加えて,方便という概念についても記述があります.これもまた仏教の概念の中では重要なもので,仏教をより実践的な宗教たらしめている要素と思いました.簡単にいうと,

行や瞑想によって自分の心の安定性を保つことで,
周囲の人々に対して適切な方法で貢献すること

ということになるでしょうか?

これら諸々を読んでも,やっぱり宗教は胡散臭い,と思う人もやはりいるような気はしますが(^o^;;),本書には,いわゆる実践的な方法論として,簡単にできる(といっても,手間がかからないという意味で,心の準備やコツは必要ですが)行のやり方や,実践事例,少々難解な仏教用語や仏教の枠組の中で行われている取組を,知識のない我々にもわかりやすく,また普段の生活に取り入れやすく紹介してくれているので,仏教という宗教そのものは置いておき,“メソッドだけ採用する“ために使うという手は十分にあると感じました.

そもそも著者も,仏教について本気で学び始めてからまだ数十年(それでも,大した長期間ですが)であり,まだまだ足りない部分がある,と認めつつも,むしろそうであるからこそ,仏教が身近ではない(僕を含む)一般の読者にとっても敷居の低い,わかりやすい書籍となっているように思いました.

2023/03/11

映画ドラえもん のび太と空の理想郷

 今日は,小学生の娘が観たい,というので,かなり久しぶりにドラえもん映画を観てきました.

映画ドラえもん のび太と空の理想郷

公式サイトを覗いてみると,今作でシリーズ42作目とのこと.確かに僕が小学生の頃(もう35年以上前 ^o^;;)からやっていたし,恐らく,直近で最後に見たのはそのくらい前でしょうね(Wikipediaの力を借りて調べてみましたが,恐らく最初に見たのはシリーズ3作目あたり,1983年公開の“のび太の大魔境” and/or “のび太の海底鬼岩城”あたりかと思います).

ネタバレになる,というほど,皆さんが観る機会は無いかもしれない(子供が小さいと,親も一緒に観る,という今回の僕のようなシチュエーションがあると思いますけれど),とはいえ念のため詳細なストーリーは省きますが,一言で言ってとても面白かったです.

なんといってもストーリーが素晴らしく,“伏線回収”が見事としか言いようがありません.最近の子供向け映画というとクレヨンしんちゃんが有名でしょうか.こちらはたまにTVで放送しているのを見て,やはりストーリーが素晴らしく,不覚にも涙することがあったりしますが,実は今回のドラえもんも,終盤はまさに“泣かされ“ました.

そして,これまたネタバレ案件なので詳細は述べませんが,エンディングはいい意味で“いかにも“,という感じで,後味が非常に良く,終わった直後にはチビと何度も「面白かったねぇ」と繰り返してしまうほど.自ら観に行こう,というところまでは行かないものの,子供達から誘われたら,次回作以降もまた観に行ってみたいと思わせられます.

当たり前ですが,ダテに42作も続いているわけではない,ということでしょうね.


最後に,この映画で印象に残ったセリフを一つ.

“この世界は初めから素晴らしい“

ある意味,このセリフが言えるためには色々な経験が必要で,それを乗り越えた先に“世界の素晴らしさ“が見えてくるもの(それこそ,ルイ・アームストロングの”What a wonderful world”のように)と思いますが,のび太をはじめ,劇中の登場人物(&ロボット)がストーリーの中で経験したことを踏まえれば,非常に実感がこもったものとなるのも納得できます.

2023/03/06

自分の強みを見つけよう 「8つの知能」で未来を切り開く

今日紹介する以下の書籍は,タイトルだけ見ると自己啓発書的なイメージが強いように思うものの,実際に読み進めてみると,そういった側面もあるものの,むしろこのタイトルにもあるとおり,まずは自分自身を正確に,具体的に捉えるための尺度にフォーカスしており,そこに興味を持ったことから読み始めました.

自分の強みを見つけよう 「8つの知能」で未来を切り開く 有賀三夏 著,yamaha music media

多くの人は,知能指数(IQ)という言葉を聞いたことがあると思います.一般的にIQが高い人は“頭の良い人“などと言われる(見なされる)ことが多いですが(この辺り,書き出すと長文になるので興味のある人は調べてみてください),実際のところ,IQを算出するテストは頭の良さを測るには分野が偏り過ぎており,例えば本書では「主に人間の記憶力,推力,判断力から測定するもの」と定義されているように,原則変動しない,数値化・得点化された単独の尺度として利用されています(別な資料でも,論理(数学)的,言語的,空間的な能力に基づくといった記述があります).

個人的にもこれは少々乱暴な尺度だと感じていて,人間の能力ってそれらだけではないよね?というところでタイトルに引っかかって見つけたのが本書でした.
本書では,人間の知能は単純に数値化できる単一の尺度では表現しきれないし,可変だし,鍛えることができる,という,そもそものIQの考え方とは対照的な前提からスタートしており,

  • 論理・数学的知能
  • 言語的知能
  • 音楽的知能
  • 空間的知能
  • 博物的知能
  • 身体・運動的知能
  • 対人的知能
  • 内省的知能
の8つからなるとする“多重知能理論”について紹介しています.

これらの根拠は,それぞれの活動によって活発化する脳の領域と対応づけられているため,科学的根拠もある程度はっきりしていると思われますが,IQのようなある特定の側面のみに注目した尺度ではない(&得点が高いか低いかで“その人全ての知能(≒頭の良さ?)が判断されてしまう“),ということと,人によって得意不得意な分野があるので,その凸凹を見ながら,“自分はどの知能が優れているのか,どこが強みなのかを把握するために活用できる“という点が重要だと感じます.

また,何か新たな知識を学ぶ(本書では英語を学んだり,映画や小説を見た/読んだ時に感想を話し合う,といった例が挙がっています)際,その人のどの知能が発達しているかによって,学び方(教え方)の入口(本書ではエントリーポイントと表現されています)が異なる,別な言い方をすれば,ある方法で上手く学習が進まなくても,その人の知能に応じた別なアプローチで学習することで,同じ対象でも学習効率が上げられる効果が期待できるとしています.
確かに実際,英単語を覚えたり英会話を習得する際,とにかく喋ってみる、という実践から入る人もいれば,単語をしっかり覚えて文法を覚えて,という人もいれば,それらをミックスして上手く習得できる人もいるでしょう.教える側の教員としても,何かを教える際のアプローチとして,黒板に書く一辺倒ではなく,実例を挙げてみるとか,実際にやってみてもらうとか,図示してみるとか,”複数のゴールへの道筋“を用意しておくことで,より多くの学生に理解してもらうことができるだろう,ということは,実体験としても納得できます.

一方で,本書の少々残念,というか物足りなかった部分としては,この理論を説明するにあたって,IQとの対比をはじめとした歴史的背景を紹介したり,逆に一部専門的過ぎる部分があったりと,フォーカスが絞りきれていない点です.特に,この理論を活用してどうやって実際に個々人にadaptした教え方をするのか,といった部分や,個々の知能の測定方法の詳細などについての記述が若干足りていないところは,良くも悪くも欲求不満な(もっとしっかり書いてほしいと感じた)ところでした.

ただ,この理論自体,IQを完全に否定するものではないと個人的には思いましたし,自分が自分自身の(弱みよりむしろ)強みを知ったり,自分の能力向上の際,自分が思っている知能ではない知能を活用するアプローチで新たな発見や成長に繋げられる可能性を提示するという意味で,面白い考え方だと感じました.
多重知能理論自体,提唱されてからまだ間もない理論のようですが,アメリカやアジア圏で,実際に教育に取り入れている機関も多くあるようで,むしろこの本で十分に記述されていない部分についてより深く知るため,もう少し勉強してみようと思わせられているという意味で,本書の存在意義は十分に達成できているのかも知れません.

2023/03/01

ジブリアニメで哲学する ーある種,哲学が身近にー

 ここ最近は情報のインプットアウトプットに関する書籍の感想が多かったですが,現在同様に,哲学・心理学系の書籍も意図的に読んでいます.今回紹介するのはそのうちの一冊で,率直にいって”ジャケ買い”というか,タイトルに興味を持って読んでみたものです.

ジブリアニメで哲学する 世界の見方が変わるヒント 小川仁志 著,PHP研究所

いわゆる哲学ってそもそも何?という話ですが,実は僕もよく分かっていませんでした(苦笑)ので,ちょっと調べてみたところ,辞典などでは

”世界や(世界で起こる)物事,人間の生き方(人生)の基本的・根本的な原理(仕組み・大本)を探求する学問”

といった意味合いのようで,個人的には,人がこの世で生きていくにあたって重要な(有用な)ものの考え方・捉え方,といった認識でいます.それこそ,学校で習う哲学というと,かなり昔の哲学者(プラトン,ソクラテスやらアリストテレス)が対象になることが多いので,良くも悪くも(?)”堅苦しさ”が前面に出てくる印象がありますが,そんな哲学の対象をジブリアニメにしたことで,哲学がどんなものかはおいておき,書籍の性質的には一気に身近になったように思いました(それが,僕がこの本を読んでみようと思った要因でもあります).


本書の中で著者は,ジブリの代表的なアニメ(映画)ほぼ全作を対象に,個々の映画における特徴的なキャラクターや設定,映画のテーマや,作中で印象的に登場する小道具的なものについて,これらはどのような意味で用いられているのか,論じていきます.
例えば,「となりのトトロ」に登場する”ネコバス”は,作中では文字通りネコなんだけれどバス,という,字面だけ見れば怪物(とはいえ作中ではかなり可愛いキャラクター)であるものの,この作品に登場する”バス”は,当該作品においてどのような意味を持っているのか,著者なりの視点で記述されています.
同様に,「魔女の宅急便」における”魔女”であったり,「紅の豚」においてタイトルにもなり,作中でもたくさん登場する”赤”という色にはどのような意味があるのか,などなど,様々な作品における多様なコンテンツについて”哲学して”いきます.

哲学,という言葉を使うと一気に高尚なイメージが出て来ますが,我々も映画に限らず,音楽(歌詞やメロディ)だったり小説だったりでも,

”この歌詞はそのまま受け取れば字面通りだけれども,作者はこのような「別な意味」をこの歌詞に暗黙的に込めているのではなかろうか”

といった”深読み”をして楽しむことがあるかと思います.そしてだいたいその場合,字面自体はありふれた普通のものであったとしても,その裏には,人間愛であったり,人生の真理のような,より大きな意味 and/or 作者の思いが込められていると考えることが多いように思います.

本書で行っている哲学はまさにこれで,そう考えると実は我々も普段から無意識に,自分にとって身近なものを使って”哲学していた”のかもしれません.
ある面でこれが楽しかったりもするわけですが,この深読みの結果は当然,人によって異なる場合が多く,それぞれの”読み方”どちらが正しい(or 作者の本当に考えていることと近い)かを議論したりすることがあるかと思いますが,著者も本書で,一通り自身の考えを記述した後,「ある一つの答え」という表現で,著者の考える結論(その対象はこういった意味合いで登場しているのでは?)を述べます.

僕が読んでいても実際,これは自分とは違う見方だな,と思うものもあれば,非常に自分と近い考えだと感じる部分もありました.上述の通り,人が10人いれば考え方が10通りあると考えるのが当然であるものの,意外とその当たり前のことを忘れてしまい,自分と違う考えについては否定的になってしまうことが多いように思います.ただ,本書を読んでいると,(対象がジブリアニメだからなのかもしれませんが)
「そういう見方もあるのか.それはそれで面白いな」
とか
「自分と同じ考え方でこの作品を捉えていた人が他にもいたのか」
といったように,”考え方や捉え方の違いを楽しむのと同時に,自分と他者との考え方に共通点があることも楽しむ”ことが自然にできます.

著者はあとがきで,「何度でも書きたい本」というタイトルで,同じ本を何度でも書けそう,しかも,毎回違うことが書けそう,と述べていますが,これは全く同感です.
実体験として,少年時代から好きなアーティストのCDを何度も聴き直すことがありますが,購入当初に買った時に聴いた後の感じ方と,5年後,10年後に聴いた時の感じ方が違うことは,まさに実感していますし,ほぼ同様のタイミングで聴いても,その時の自分の心持ちによって全く異なる印象で響いてくるということも少なくないように思います.映画にせよ音楽にせよ小説にせよ,対象は変わっていないのに”自分が変わることで捉え方が変わる”というのは,それらの作品をもとに”自分を定点観測”しているような,非常に面白い感覚ですよね.

そういう意味では,例えば今回対象になっているジブリアニメのような,(自分を含め)多くの人にとって身近な作品や,自分が大好きな作品を,何年かごとに見直してみると,作品中に新たな発見があったり,昔は感じられなかった新たな感情が生まれることで,自分の変化や成長に気づくことができるのかもしれません.

冒頭に記載した哲学の定義に,人生の原理を探求するというものがありましたが,なんらかの不変な対象を鏡として自分を見直すことで,自分のものの見方や考え方(の変化・成長)を観測することが,まさに人生の原理の探求にも相当するのかな?と感じたことが,本書を読んでの一番の収穫でした.

2023/02/27

必ず結果を出す人の伝える技術 ー書き方にも生き方にも応用できますー

 ここ最近よく読んでいる,如何に効率よく必要な情報を入手し,それを必要な時に伝わりやすく出力するか,といったテーマの流れで,今回読んだのは以下の一冊.

必ず結果を出す人の伝える技術 佐々木かをり 著,PHPビジネス新書

この書籍はそのタイトルにもあるとおり,基本的には”伝える=話す”ことに重点を置いた技術にフォーカスして記述されています.ですので当然,話すこと,特に”人の心に響くような,受け取った人が新たなアクションを起こすきっかけになるような”伝え方についてわかりやすく説明してあるのですが,その多くは,同様のアクションを起こすきっかけになるような書き方,もっといえば”表現の仕方”にも繋がるように感じました.
そしてこれまた,いつも僕自身が考えていることとの答え合わせもバッチリできました・・・と書くと偉そうですが,伝えること,表現すること,コミュニケーションをとることを考えれば,僕ならずどのような人でも,ちゃんと考えれば同じところに行き着くはず(と思うんですが,なかなかそこまで考えずに,雑な伝え方をする学生 ーには限らないですが,やっぱり目につくのは学生ですー が多いので,是非気にしてみて欲しいところ).

まずは,そもそも伝えたいことがあった場合,それを誰かに伝える目的をはっきりと認識すること.ただ伝達すると言うだけでなく,それによって相手に何らかのアクションを起こして欲しい(例:論文を書いたら,それ読むことで自身の研究に興味を持って欲しい=他の自分の論文も読んでほしい,ある商品の良さを魅力たっぷりに伝えることで,その商品を自分が使うことを想像して,結果としてその商品をオーダーして欲しい,などなど),と言う目的を理解できていないと,話し方にも書き方にも熱意が伴わず,読者(聴衆)にアクションを引き起こすことは難しいでしょう.
加えて,目的がはっきりしないと,様々な物事を表現するための適切な(具体的な)表現を選ぶことも難しくなります・・・というか,そもそも適切な表現を使いたい,と言う意欲も生まれないかもしれません.

日本ではよく,”起承転結をしっかりと”といったことが,話したり書いたりする際には重要だと言われますが,実のところこれはむしろ日本語に特有の概念で,海外であったり,国内でも我々のような工業系分野の人間であれば,まず”最初に伝えるべきは最も重要なこと”です.そして,起承転結は国語の授業で作文を書いたりする際,見聞きしたことがある人もいるでしょうが,実は,効果的に(口頭で)伝える技術,効率的なコミュニケーション能技術について,小中学校での(もしかすると高校,大学でも)授業で教わることはないかもしれませんね.どのように素晴らしい知識や技術を学んでも,どんな素晴らしい発明や商品開発が実現しても,それを世間一般に伝える技術がないと,その技術が広がったり,多くの人に使ってもらうことは困難,と言う意味で,本来であれば最初に教わるべき技術のはずなのに,日本人はこの辺りのスキルを軽視しているのではないかとさえ思ってしまいます.

本書では,伝え方のもう一つの重要なポイントとして,使ってはいけない言葉(表現),是非使いたい言葉(表現)を挙げています.
詳細は実際に読んでもらうとして概要をまとめると,

  • 自分や相手にとってネガティブな言葉は使わない
  • ネガティブな表現はポジティブな表現に置き換える
  • 元々ポジティブな言葉・表現はどんどん積極的に使う,伝える

といったところです.

加えて,既に記載しましたが改めて,

  • はっきりしない抽象的な表現は使わないように,できる限り具体的な情報,伝える側の意図がはっきりと伝わる表現を使う(表現を変える)
  • 自分から見て,ではなく”伝えたい相手にとって論理的な(筋道の通った)話し方”を意識する

というポイントも挙げられています.

口頭で伝えたいことがある場合はさらに,ノンバーバル(非言語)コミュニケーションも活用しましょうと強調します.ノンバーバルコミュニケーションとは文字通り,言語によらない表現(例:表情,ジェスチャ,声の大きさや高さ,話すスピードや抑揚など)ですが,ここまで活用できるようになるとかなり上級者かもしれません(日本人の場合).著者はこれらに加えて,服装や服の色なども,例えば発表の場に立つ人間が,その場をどのように認識しているかを伝えるためのツールとして使えると述べます.

上記諸々のノウハウは,それこそ論文を書いたり,学会で発表をしたり,(時期的にタイムリーですが)就職や進学での面接に臨む際にも重要な項目です.
論文を書くとき,その目的を認識していない,誰を対象に書いている(話す)のかを分からないまま書く/話す内容を考えているようでは,まともな内容になりませんし,言葉の端々に冗長だったり抽象的な表現が出てくるような文章やプレゼンでは,読者や聴衆を納得させることはできません.面接に除く学生が,いかにも練習不足であることが見え見えな受け答えであったり,そもそも面接に臨む服装でない(御社に採用していただきたいです!と言う意欲の見えない),といった場合も,本人が意図しているかしていないかとは関係なく,受け手にとっては不誠実,不確実で,わざわざ時間をとって読んだり聞いたりしてみたい文章/お話だと思われない(当然,そんな学生を採用したいとは思わない)でしょう.


僕は面接練習の時,ほぼ100%学生に伝えることがあります.それは,

”自分のアピールポイントと,そのポイントを獲得するに至った根拠や経験をペアで(たくさん)キープしておく”

ことが重要だよ,ということです.

面接では,自分をアピールする(売り込む=自分を採用したらあなたの会社は得ですよ,と思わせる)ことが大切ですが,例えば「自分は優秀です」とか「自分はプログラムができます」と”言うだけ”なら誰でもできます.アピールをするからには,その能力はどうやって得たのかとか,どんな経験を経てそのストロングポイントが育まれたのか,実体験や根拠が必要です.
逆に,自分にとって有意義だった経験は何?と聞かれた時に,「○○に参加したことです!」と経験だけ答えても,面接においては何のアピールにもなりません.回答に引き続いて,その体験・経験から自分は何を学んだか(得たか)までを回答することで,これも自分のアピールにつながります.面接では(実際には面接に限らずどのような会話でも),相手からどのように質問されるかは分かりませんので,答えを一言一句暗記するのはむしろ逆効果です.どのような聞かれ方をしても,アピールポイント or 経験が出てきて,その後,残るもう一つ(アピールが先なら,続いてその根拠,経験を先に回答したら,それから何が得られたか)がスムーズに出てくるよう,ペアだけたくさん用意しておくことをお勧めしています.

実はこの方法と類似のノウハウが,”自分の体験にタグ付けしよう”というアドバイスとして,本書にも記載されています.自分が経験した様々な事柄にタグ付け(ある事柄に,その事柄で得られた知見をタグ付けしておく)ができていれば,会話の最中に出てくる様々な話題が出るたび,その話題にタグづけされた自身の経験などをスムーズに引っ張ってくることができる,というもので,これはまさに僕が学生の皆さんに伝えている”アピールポイント-経験・根拠ペアを用意しておく”こととイコールの方法と認識しました.

本書の最後では,ここまで紹介した諸々は全てスキルであり,当然重要なんですが,最も重要なのは話す/書く本人の意欲や意志,誠実さである,という記載があります.これもまさに非常に同意できるポイントです.要は,書くにせよ,話すにせよ,伝えると言うことは,伝えたい人がいる,伝えたいことがあると言うことですから,その内容についての熱意や誠実さがあり,それをより分かりやすく伝えたいという意志があるからこそ,様々なスキルを用いて伝えやすくしたいと思うでしょう?と.
自分で一生懸命に取り組んだ卒業研究なら,自分が熱意を持って取り組んだことを,どうやったら色々な人にわかりやすく伝えられるだろう?と考えるのは当然でしょう,と.
採用してほしい企業の面接に臨むなら,どのように取り組めば,人事担当者に自分の良さを,強みを,限られた時間の中で認識してもらえるだろう?
と考えますよね?ということですよね.

逆に言えば,これらが意識できていない人は,本当にその研究に熱意を持って取り組んできたのか?本当に我が社に入りたいと思っているのか,疑われてしまう可能性が少なからずある(場合によっては,本当に熱意があるか,と問われれば・・・と言うケースもあるかもしれませんが)と言うことでしょう.

そんな意味で,今回この書籍を読みながら,妙にここ最近,僕自身がよく考えることとシンクロする内容だな,と,幸か不幸か感心しながら読み終えることができました.

2023/02/19

情報の強者 ー前回紹介した書籍と併せて読むと,より納得感が増すー

前回紹介した書籍と似たような,というか,ある面で前回の書籍の内容を補足・補填するような書籍を並行して読んでいました.ただ,タイトルからして恐らく,類似した内容だろうなと推測しつつ,相違点・共通点を探しながら読んでみるのも面白いと思い,(実はこのエントリを書き始めた時点では,まだ読了していないのですが)読んでいるのが以下.


前回紹介した書籍のタイトルが”情報の「捨て方」”でしたが,どちらかというと本書の方が,より具体的に”捨てる方法”について記載しているような気がするのは興味深いです.とはいえやはり基本的な構成は類似していて,まずは情報のインプットから話題が進み,その後,取捨選択の方法に向かって展開していきます.

特に印象に残ったのは,

”情報を自ら積極的に取りに行く”

という点です.実はこのプロセスの中には,どのような情報を積極的に取りに行くか,という字面の通りの意味がある一方で,例えば取るべき価値のある情報の周辺にある不要な情報は”意識的に取らない=捨てる”という意味も含まれています.
例えば,新聞は情報としては(ネットなどと比較して)速報性は低いけれど、信頼性や,その記事を執筆する記者のクオリティは高いので,あながち侮れないこと,同様に書籍は,著者の意図や考えが(ネットやTVのように)勝手に=都合の良いように切り取られることなく,すべて余すことなく記載されていることが重要であること.逆に,SNS等のようなネットサービスの場合,利用者の嗜好に従って”利用者が好む=利用者にとって耳障り目障りの良い情報”のみがフィルタリングされて提供されるので,利用者にとって不都合でも重要な情報は,利用者が選別する以前にフィルタリングされてしまい届かない点が問題であること等など,なるほど確かにと思われる記述が続きます.

前回の書籍紹介時に既に感じていて,実は書き忘れていたのですが,学生の皆さんをはじめとするネット利用者の多くは,非常に強力な検索ツール(主にGoogle)を手元に置いているにも関わらず,実はモロに宝の持ち腐れをしている,と僕は思っています.どういう意味かというと,Googleを活用した効率の良い検索の方法を駆使したり,検索すべきキーワードの質が良ければ,いくらでも重要な情報を入手できるにも関わらず,まともな検索の仕方を知らなかったり,そもそも”〇〇について調べよ,という課題が出たから仕方なく,〇〇のみをキーワードにして検索”してしまうので,誰のレポートも同じ内容になったり(さらに性質が悪い場合,wikipediaのコピペであることが丸わかりになって全員再提出になったり)してしまう.本書でも主張していますが,情報は,自ら積極的に取りに行く必要があるもので,誰かに言われたから嫌々に”受け身の姿勢で”入手しようとしても,ろくな成果が挙がらないことが多いです.

それこそ,場合によってはネットで検索するより,近所にいる実際に情報を持っている人から話を聞いた方が有意義である場合もあるでしょうし,SNSからリコメンドされた自分にとって都合の良い情報より,友人や,あるいは初対面の人との会話の中で,自分にとって新鮮な情報を得られることもあるでしょう.これも,自分から人と対話をすることによってしか情報に出会う機会が得られない一例と言えます.

何だか,今回と前回は全編後編のような構成となりましたが,結局のところ,
自分にとって不要な情報をどうやって捨てるか=自分にとって重要な情報をどうやって効率的に得られるか
ということなのでしょう.

・・・実は,ここまで書いた時点で,まだ本書の7割ほどしか読み終えていません.残りの3割では,やっぱり僕の考えとも合っている,インプットしたからにはアウトプットしないとね,といった内容の章が続いているようです.文章自体はこのまま以下に続けていきますが,以降は3章と4章を読み終えた後で追記したものとなります.

3章では,得られた情報を如何にして自分の知識(知恵)として活用するかのノウハウが書かれています.著者はこれをループ,と呼んでいますが,即ち,自分がこれまでに得てきた情報と別な情報との関係性を考慮して情報同士を繋ぎ合わせることで新たな価値が生まれたり,より深い洞察が可能となることを示唆しています.一方で,あまりループを“ガッチリと堅め過ぎることなく“新たな情報が得られたら古い情報を捨ててループに組み込むことで,時代や状況の変化にも柔軟に対応できると著者は主張します.

確かに,情報は鮮度も重要で,古い考えに囚われるが故に新しい考え方や変化についていけなくなる人も少なからずいますから,情報や知識・知恵はどんどんリニューアルしていくことが重要です(特に工学分野で研究や開発,仕事をする人材は,自分の知識をどんどん新しくしていかないと,あっという間に置いていかれます.鏡の国のアリスにおける赤の女王が語っている「その場にとどまるためには全力で走り続けなければいけない」というアレと同様,技術自体が常に進み続けているので,自分が止まっていると置いていかれる,勉強を続けていてやっと最新の状況と同じ状態でいられる,ということですね).

そして最後はやはり,情報を効果的にキープする/活用するにはアウトプットが大事,という話題で締められます(これに関しては,情報を活用しようとする多くの書籍と僕の考えは同一です).
もう一つ,これもまさに同感と感じたのは以下の一節,
「いったん頭の中に入れて,わかった(と自分では思っている)ことを脳の中に整理し,固定化するのにもっとも役立つのは,「わかっていない」人に教えてあげること」
という部分です.
わからない人に教えるためには,自分自身,より深くその対象について理解している必要があり,かつ,どう説明すればわかりやすいかを考えること自体,さらにその対象についての理解を深めるために役立ちます.

特に演習系の科目で,学生の皆さんに相談は歓迎,と言っているのは,わからない学生さんにわかるようになってほしいという面も当然ありますが,むしろ,わかっている(と自分では認識している)学生の皆さんに,さらに理解を深めるために,わからない学生に教えてあげてほしいという意識の方が強いです.そして当然,このやりとりをすることで損をする人間は一人もおらず,完全なる“Win-Win“の状況が形成されるわけです.もちろんこれは演習系に限らず,あらゆる勉強に通じるものですので,ぜひそう言った意識を多くの学生の皆さんにも(それ以外の多くの人にも)持ってもらいたいところ.

2023/02/15

情報の「捨て方」 ーメインテーマは異なる(と思う)、でも、とっても大事ー

ここ最近,いっぺんにたくさんは読み進められないのですが,最近学生さん向けにも(学内限定で)発信した”情報のインプット”に関する書籍を,自分自身に対する復習や確認,場合によっては新たな発見のために読み漁っています.

その中で,前回同様タイトルに引っかかって読み始めたのが以下.


率直に言って現在,我々が触れることができる情報は,我々が想像している以上に膨大で,その中から自分に取って重要な情報のみをピックアップすることは至難の業ですが,不幸なことにそれを理解できている学生さんは皆無と言っていいでしょう.本書でも指摘していますが,そもそも自分に取って必要/有益な情報を得るためには,最低限

”自分にとって不要な情報を遠ざける(スルーする)技術”

および

”自分に取って(即時的に/将来的に)必要(になるかもしれない)情報を獲得する技術”

の両方が必要です.
本書のタイトルを見る限り,上記のうち前者がメインかと思うかもしれませんが,個人的な印象として,本書では後者に大きめのウェイトを割り当てているように思います.

そもそも冒頭しばらくは,どうやって有益な情報を得ていくか,と言う話題にスペースを割いています.
一方,これも本書を読んでいてなるほど!と思ったところですが,そもそも多くの人(学生含む)は,身近に便利な(高スペックな)検索サイトがあるから安心しているものの,それを活用して”何を検索すべきか”については意識していないようだ,と言う推測です(僕も恐らく,そうだろうなと感じています).
実際,学生さんの多くは課題などで「これについて答えよ」と言われると検索サイトをおもむろに使い出し,調べればすぐわかる,と言わんばかりにレポートを出してきますが,だいたいは検索結果の信憑性を検証することもなく嘘情報をコピペしてNGになったり,検索キーワードとして適切なものを入力できず,参考情報に近づくこともできずにタイムオーバー,といったような"こんな便利なツールがあるのに,なんで検索さえできないの?"
と思うことがほぼ100%です.つまりそもそも,(時代の最先端を行く若者のくせに)使い方が分かっていない上に,簡単にガセネタを掴まされてぬか喜びしている,というアホな状況に陥っていると推測しています。

自分にとって必要な情報だけを得る(=不要な情報はシャットアウトする)にはまず,自分に取って必要な情報とは何で,不要なものは何かを知るところから始まります.要は,自身の現在/将来の興味をしっかり把握し,そこにアンテナを張って置けるか,アンテナに引っかかった対象について効率よく知識を得ることができているかが重要です.

例えば上でも例示したような,授業で課題が出されたから仕方なく(安直に)ググる

といったレベルでしか検索サービスを利用していないようであれば,モロに”宝の持ち腐れ”状態であり,常に自分の興味や(興味はあるが)知らない世界に対するアンテナを張っておくことで,現代の検索サービスの存在意義は何百倍、何千倍になる(このような使い方ができない人との格差はどんどん広がっていく)ことになりますよ,と.

加えて,これはついこの前のエントリとも密接に関連しますが,不要・有害な情報を避けながらインプットをしっかりとしていくことは,自身にとってさらに有益な”効果的な情報のアウトプット”に繋がると言う記述を読んで,さらに納得感が強まりました.

本書でも最終的に目指すところは”良質なアウトプットをするためには,良質なインプットが重要(そのため,好ましくないインプットはフィルタリングしましょう)”と言うところなのだな,と認識できた時点で,冒頭からの全ての章のつながりが一気にイメージできた感があります.
さらに,大前提として,ただ単に情報をインプットする意識ではなく,”アウトプットする前提でインプットする”ことを意識することで,情報に関する感度が猛烈に上がることも非常に同意できます(実際,僕がこのブログで紹介している書籍や映画の紹介では,読み終わったら/観終わったら紹介しよう,と言う意識を持ちながら読書や映画鑑賞に臨んでいるので(慣れないと疲れますが),印象的な点,おもしろかったところつまらなかったところ,自分だったらこう書くな/演じるな(?)と思った点など諸々について,メモまで取らぬまでも,記憶にしっかり焼き付けたり,書籍なら印象的なページを写真撮影したりもします).

こういった作業は,皆さんと情報共有するためという目的は当然あるものの,それより何より自分自身に取って,”教養”を涵養するための非常に重要な作業になっています.
本書では教養についても終盤で触れていて,個人的にはとても納得できる説明・定義になっていたので,以下に引用します.

「身に付けるつもりもなく摂取してきたものは、年月を経るうちにいつのまにか、豊かな人生を送るのに欠かせない教養と呼ばれるものに変貌を遂げています」

本書ではタイトルの通り,情報を「捨てる」方法について述べているものの,確実に各々にとって不要な情報は積極的に排除しつつ,その一方で今後必要な & 必要になるかも知れない情報を広く入手することで,今後の自分の”成長のために必要な情報に対するアンテナ感度”をどんどん上げていくための方法について記述しているといえるでしょう.

このため,個人的に本書を読み進めるにあたり,しばらくの間は
なんだ,タイトルと違うじゃん
という印象から始まり,その後
なるほど確かに,”捨てる方法を洗練させるには,選別の方法は重要だね”
と思えるようになり,さらに
そうそう,結局一番大事なのはアウトプットだよ
と考えながら読み進めていき
確かに!教養がないことには(より)良質なインプットもアウトプットも実現できないな
と,大いに納得した次第です.

本書のタイトル(& 興味を持ってもらえたのであれば,このエントリ)に騙されたと思って,読んでみてもらえればと思います.

P.S. 本書の著者,成毛眞氏は,ついこの前,東京高専情報工学科某各年向けに投稿したコンテンツに含まれている書評サイト「HONZ」の代表者であり,日本マイクロソフト社の初代メンバでもあります.

2023/02/13

職業としての科学

 先日から読んでいた以下の書籍

職業としての科学 (佐藤文隆 著,岩波新書)

タイトルに惹かれて読み始めたのですが,冒頭からしばらくの間は,科学技術の歴史的な内容が多く,かつ,文章が堅苦し過ぎて読みづらさがありました(これには最後まで慣れなかった・・・と書きましたが,終盤になって内容がガラッと変わってから,多少読みやすくなりました)).
一方,そういった中でも,タイトルにある職業としての科学の歴史の変遷に伴う位置付け側から記述も当然あり,そこの所はなかなかに興味深いものがありました.

その昔,科学は生活に余裕のある人,もしくは生活に余裕のある人の支援を受けた人の活動であり,また,かなりの部分で宗教的なバックグラウンドを有したものであったと.それが,産業革命を契機に一気に工業的産業的な価値と結びつくようになり,いわゆる国家の政策としての趣を帯びたものになっていく.

もしかすると学生の皆さんはこう言った経緯を授業などを通して知っているのかも知れませんが,実は僕が学生の頃にはこういったコンテンツを教えてくれる授業が(僕の母校の函館高専には)当時存在しておらず,世界史のバックグラウンドから予想はしていたものの,科学の歴史にフォーカスした書籍を読むのは今回がほぼ初めてということもあり,その部分は非常に面白く読めました.

一方,書籍終盤では一気に現実的な(ある意味世知辛い)内容となってきて,それこそ,”研究者の卵”が本当に研究者になれる割合はどのくらい?とか,そもそも”食っていけるのか”といった議論が国内外の比較を通して行われており,いわゆるアカデミックな職業(大学・高専の教員)だけではなく,企業研究者なども含めた話題は,こういった職業を将来の進路(候補)として考えている皆さんにとっても面白いと思います.また,科学の進歩は科学者自体の活動をも大きく変えていて,さまざまなものが自動化されたり,(仕組みを正確には or 全く知らなくとも)雑多な作業を簡略化できるようなツールも生まれてきています.

こういった”文明の利器”は,我々の活動を効率化したと同時に,実はかなり”サバイバルな状況”も作り出しています(苦笑).オリジナルなものを作り出すことが難しくなってきているし,いわゆる科学者は,こういった便利なツールを使う側ではなく,むしろ”仕組みを知り尽くし,新たに創り出す側”に存在する必要があります.いや,実のところ,この点については科学者よりもさらに範囲は広くて,工業高専の学生の皆さんもこういったサバイバルを生き残って活躍していく必要がありますね.皆さんは,仕事を効率化するようなものでもアミューズメント目的であっても,便利なツールやアプリ,例えばGoogleやInstagram,TikTokやChatGPTなどを使って満足しているだけではダメで,それよりも便利なハードウェアやソフトウェアを,今後どんどん産み出す側に回ることを(我々教員や,社会から)期待されています(大袈裟でなく).

上述の通り,本書の前半と後半は見事に声質が異なっているように見え,前半は科学技術史,後半は現在も含めた今後の科学,および科学者についてまとめたものと言えるでしょう.
もしかすると,すでに授業などで習っている学生の皆さんは,最後の3章,もしくは2章を読むだけでも十分に面白いかと思いました.

2023/02/06

読んでほしい本 ー自分のアタマで考えようー

 現在,東京高専に限らず,多くの大学(特に工業系の場合),高専の最上級生の学生は,卒論や特研論文(専攻科生),修士論文や博士論文の執筆に追われていることと思います.

特にここ数年気になっているのは,学生の文章作成能力が急激に落ちてきていると感じることです.文章表現・作成能力は,もちろん作文のスキルも構成要素ではありますが,そもそも”何を書くか”,また,”どのように書くと,その文章の読者にとってわかりやすいか”を考えることが重要です.そういう意味では,例えばなんらかの目的を達成するために手法を提案し,実験をするにしても,

  • その実験はなんのためにやっていて
  • どのように実施すれば目的を適切に果たすことができて
  • 得られたデータをどのように評価すればわかりやすい考察となるのか

といったポイントについて考えた上で実施する必要があります.明日意味,こういったことがしっかりと考えられていれば,得られた成果を文章や図表にするのはそれほど難しくないのかもしれません.が,恐らく最近の学生の皆さんは,研究を立ち上げたり,進めたり,実験計画を検討したり,実施したりする前に,十分に自分の頭で考えてみる,ということができていないような気がします.

ただ,そうは言ったものの,どうすれば”ものの考え方”を教えられるかというところが結構難しく,こうすれば良いのに,と思ったり,それを伝えて見たりしても,実は教えた時点でそれは個々の学生にとっては”先生から教えられた「知識」”になってしまうことが多く,結局やっぱり自分で考える(考えさせる)機会がなかなか生まれないこととなることも多い.

そんな中,以前から気になっていた以下の書籍を読む時間ができ,一気に読み終えました.

ちきりん,自分のアタマで考えよう,ダイヤモンド社,2011.

ちきりんはハンドルネームで,ブロガーとして大人気であった方で(ここ最近は更新があまりされれおらず,twitter等に舞台を移しているかもしれませんね),調べてみたら最近も本は執筆されているようで,続刊も読んでみたいと思っているところです.

この書籍で,まず重要なところは,”知識と思考を分ける”というところ.知識とは情報です.ある意味では正解かもしれないし,誤った情報である可能性もあります.ただし,それが正解か不正解かは本来,自身で考えて吟味してみないと分からないことが多いです.が,多くの人はその情報を見つけた時点で,それが正解かどうかを考えることなく,大体は(なぜか)正解だとみなしてしまいます.もしかするとそれは,得られた情報が正しいかどうか,考えたり調査したりする方法を知らないためかもしれません.
そういう意味ではむしろ,考える練習をするためには,調べれば分かる(かもしれない)ようなことでも,調べる前に,あえて自分で考えてみる,ということが重要だとこの本でも述べられています.とはいえ,考える習慣がない,考えるトレーニングが十分でない人が考えても,なかなか思考が進まないことは多々ありますし,考えていると本人は思っていても,実はただ単に時間だけが過ぎていってしまう場合も少なからずです.

本書では様々な事例を挙げながら,どのように考えると良いのか(新たな知見が得られたり,情報に踊らされずに済むのか)について,複数の”考える方法”を紹介しています.

どうやって考えると情報に踊らされず(騙されず),もしくは,自分のやりたいことを自分自身でも効率よく整理できるのか,個人的には,自分ではできているはずなのに人に教えるのが難しい感覚を(特にここ最近)持っていたのですが,この本を読んでもらうことで,考え方を学ぶヒントになるのではないかと感じるほど,自分が伝えたいことをうまく言語化してもらっていると思えました.

その点,実は僕自身,”どのように伝えるとうまく考え方を教えられるのか”については思考が十分ではなかったということになりますが,この本を読んで,伝え方のヒントが得られた感があることに加え,是非”考え方を知りたい人”にもお勧めしたいと思っています.

本書にも記載がありますが,思考を深める過程で重要なステップとして,まずは言語化があります.よく考えることで,思考の過程や結果をうまく文章として表現できるようになります.さらにそのもう一歩先に,”視覚化”があります.文字表現したものを,さらに概念的に図やイラストなどで表現できるようになると,多くの人にとって一眼で理解できるような情報(思考の結果得られた知識)となります.
こういったトレーニングを積むことで,冒頭で記載したような論文執筆に苦しむ学生も,実験の考察がうまくできないような学生も,考えた上で読者にとってわかりやすい文章を書けたり,一目見て比較しやすいような図表,グラフを作成したりすることができるようになると期待できそうです.

今現在執筆中の学生にとってはちょっとタイミングが遅かったかもしれませんが,考えることの重要性は,今後,特に社会人になってからはさらに高まります.遅すぎるということはないので,もし興味を持った人は,一度手に取って読んでみてもらえればと思います.お勧めします.

2023/01/31

映画鑑賞 ーケイコ 目を澄ませてー

 雑誌の映画紹介で取り上げられていて,興味を惹かれすぐにチケットを取り,観に行ってきました(いわゆる衝動買いですね).

ケイコ 目を澄ませて

 映画の題材を一言で表してしまうと,耳の聞こえないプロボクサーの映画,ということになるのですが,字面だけを見てのイメージと,実際に映画を見た際の印象は全く違うと思います.
僕が本作を見た感想を表すとするならば,

”生きることの大変さと面白さを感じられると同時に,こんなに身近にこんなに綺麗なものが隠れているんだ,ということを感じさせてくれた作品”

と言えるかと思います.
生きていると,大変なこと,辛いこと,思い通りにいかないことって多いですが,だからこそ,ちょっとしたことで感動できたり喜べたりする.人生って素晴らしい!というほど手放しに肯定できないものの,”まぁまぁ面白いじゃん”と思える気持ちは大事だな,と,本作を観てしみじみと感じました.

率直に行って,涙が出るほど感動した,とか,大ハッピーエンド,といった終わり方もしていないように思いますが,逆にそれが妙にリアルだし,しっかりと”自分ごと”として体に入ってくるような感覚です.

そしてそういった日常の中でのさまざまな風景や音が,これまた非常に効果的に,とはいえ自然に物語を彩っています.古いボクシングジムが主な舞台でもあり,練習風景も沢山登場しますので,ミット打ちやロープスキッピングのリズミカルな音が心地よかったり,また,東京23区内が舞台なので、電車の通る音も頻繁に入ってきます.要は,ボクサーにとっての環境音がそのまま映画のBGMとなっているのですが,当の主人公であるケイコにはそれら全てが聴こえていない,という極端に対照的な状況が,むしろケイコの心情を推し量りたくなる感情を引き起こします.

映画鑑賞後にパンフレットを読んでいて改めて気がつきましたが,主演のケイコ役である岸井ゆきのは,本作ではほとんど,非常に短いほんの一言二言しかセリフを話していません.演技はほとんど表情と,タイトルにもなっている”目”によるものですが,それらの演技が非常にケイコを”雄弁に喋らせて”いたため,全く違和感なく,むしろ喋らない(喋れない/聞こえない)ことでさらにストーリに入り込みやすくなっていたとも感じられます.

ここ最近で見た映画と比較すると,土を喰らう十二ヶ月と近いかもしれませんが,それよりもさらに人生,人,人の感情そのものにフォーカスした,しみじみと静かに,良い映画だったなぁ,と思い返すことができる作品でした.
決して派手な作品ではないので,公開されている映画館もそれほどは多くないようですが,後から知ったところでは海外での評価も高い作品とのこと.

最後にもう一点,忘れずに書いておきたいこととしては,上にも記載した通り,この映画の舞台は東京都で,エンドロールでも東京23区内のさまざまな風景が取り上げられているのですが,そのそれぞれが非常に良い.それこそ,土を喰らう〜では,日本の田舎の美しい風景が沢山挿入されていましたが,都会には都会の良さがあるし,それに加えて,自分が今住んでいる東京にも,都会ならではの美しさがあるな,と改めて感じさせてくれる映画でもありました.そしてそれは,普段通勤の途中やウォーキングの途中,ふと見かけた綺麗な風景や面白かったり興味深かったりした風景を写真におさめるこのと多い僕にとっても,非常に共感できたし,むしろこの”都会の環境音と景色”については,この作品でも地味ながらウリとなりうるコンテンツだと思いました.

2023/01/18

早くも年度末の様相 ーもう一回引き締め直すべしー

昨日,情報工学科の卒業研究発表会がありました.

実際のところ,うちの学生さんは全員何とか発表はできたものの,実験がまだ終わっていなかったり,実験が終わっていても考察が不十分だったり,年度末に学会発表を控えていたり,そもそも2月中旬が締切となっている卒業論文をまとめる必要があったりするので,気を緩めるような余裕は全くないんですが,個人的には年末年始の多忙に引き続く卒研発表関連のバタバタも一段落して,なんだか少々”気が抜けた”感覚になっています.

とはいえ現在はまだ1月,学年末試験も迫ってきているので問題も作らないといけないし,年度末の研究打ち合わせも決まっています.加えて,社会実装関連での企業さんとの打ち合わせなども詰まっているので,学生さんだけでなく(というかむしろ)自分に対して

”もう一度気を引き締めるべし”

と言わなければいけませんね(苦笑).
卒論の添削もそうなんですが,5年生の学生各位には是非,多少なりとも自分で問題を発見し,試行錯誤して問題を解決していきながらものを形にしていく力を身につけて欲しいと思っています.ぶっちゃけ,失敗しても対して大きなダメージなく作業が続けられるのは,学生の時分のみです.大学編入学したり専攻科進学する学生は,幸か不幸か”まだ学生”の状態ですが,だからと言って卒論執筆や実験結果の取りまとめのような比較的大きなイベントは,学生の間でもそうそうあるわけではないので,むしろこういった経験を有効活用しないと,あの時もっとこうしておけば,と後悔することになります.

もちろん,結果として卒業できないとなってはそれなりのダメージですが(笑),少なくとも卒研発表はできているわけで,発表ができた時点で卒業できないリスクは”そんなに大きくはない”はずです.

と,学生に対して伝えているように見えつつ,やっぱりこの辺りの話も実は自分に対して(も)暗示をかけているような感覚なのが現在.
一旦落ち着いてしまったものはしょうがないですが,もういちどエンジンを掛け直し,年度末&新年度に向けての色々な準備に気合を入れて取り組んでいきたいところです.

そうそう,昨年終盤に学生さんが発表した国際会議の論文がJournalにInviteされているので、そのExtend versionの投稿作業も進めていかなければいけません.色々とやるべきことがあり,それぞれに”進んでいる”ことは何より良いこと.おかげさまで体調は良い方向でキープできているので,重要なのは気持ち,ですね.

2023/01/03

映画鑑賞(今年一発目) ーTHE FIRST SLAM DUNKー

みなさん,明けましておめでとうございます.
本年もよろしくお願いします.

2023年最初の投稿ですが,ここ最近は定番になりつつある,映画鑑賞記です.

標記の作品,


僕にとっては主に中学生&高専時代に最もよく見た作品の一つであり,そういう意味ではすでに20年以上前の作品であるものの,伝説的作品のため若い人でもファンは少なくなく,かつ,作者の井上雄彦さんはその後も「リアル」や「バガボンド」など,人気作品を連発しているので,そこから"スラダン"に辿り着いた人もいるのではないでしょうか.

今回の映画の感想は,一言で言って"最高"でした.ただ,具体的な話がほとんどできないほど“見てのお楽しみ感“が強い映画だと思うので,興味のある人は是非見てもらいたいなと思います.

強いて一点申し上げると,この作品は過去にスラムダンクを見た(漫画を読んだ)ことが無い人でも楽しめると思われる一方,スラムダンクを過去に楽しんだ人であれば5倍,いや10倍は楽しめるのでは無いかということです.
最近,Dr. コトー診療所や,少し前だとトップガン マーヴェリックのように,当時からの時の流れを感じさせる作品をいくつか視聴してきましたが,これらはある種の“懐かしさ“を感じさせるという意味での良さがありました.
が,THE FIRST 〜 については,(実際には懐かしさを感じる人もいるでしょうが)当時作品を楽しんだそれぞれの人が,まさに当時にタイムスリップして“リアルタイムの物語“として楽しめるように感じました.

また,これは年末に観たONE PIECEとも通じる部分がありますが,挿入される楽曲・サウンドが素晴らしい.ドラマの緊迫感や試合のスピード感,リズム感を見事に表せているという意味で,聞いていてストーリーにどんどん惹き込まれていく感覚には痺れました.

ちなみに今回もチビたちと行ってきましたが,当然“リアルスラムダンク世代ではない”チビが「もう一回観たい」というくらいですので,繰り返しになりますが,リアルタイム世代で無い,初めてスラムダンクをこの映画から観る,というみなさんにもお勧めできます.


さて,ここ最近は冬休みシーズンということもあり,本やら映画やらに関するコンテンツが多かったですが,そろそろ冬休みも終わりますので,通常営業モードに戻るかもしれません(ネタさえあれば).
ただ,読んだ書籍に関する感想については,これ自体が直接的間接的に自分の活動に生きてくることを信じて(とはいえそもそも単に“本を読むのが好き“というところがスタートですが),かつ,その感想をアウトプットすることも自分の能力のブラッシュアップに繋がることを期待してやってますので,本業(!?)が忙し過ぎて暇がなくならない限りは細々とアップしていく予定です.
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