2021/05/28

読書記録 April to May, 2021

 タイトルの通り、ここ最近読んだ(読み終わった)&読んでいる書籍と一言感想を、備忘録的にまとめておきます。

  • 「ボクはやっと認知症のことがわかった 自らも認知症になった専門医が、日本人に伝えたい遺言」長谷川和夫 / 猪熊律子 著・・・日本の認知症研究の第一人者である長谷川先生の著書.自伝としても素晴らしいし,認知症について書いた書籍の中でも,最も説得力のある一冊と言えるでしょう.

  • 「世界一しあわせなフィンランド人は、幸福を追い求めない」 フランク・マルテラ / 夏目大 著・・・ある種の勘違いがきっかけで購入した本.ただ,そうでもなければ普段なら読まない類の分野かもしれません.関連書籍をあと数冊読んでみたいと思っています.

  • 「フォン・ノイマンの哲学 人間のフリをした悪魔」 高橋昌一郎 著・・・このリストにある書籍の中で,最も印象に残っている本.情報系なら絶対に知っているものの,流石にその考え方や性格までは知らなかったフォン・ノイマン.当たり前ですが,彼は架空の世界のヒーローではなく,血の通った人間であり,ある意味科学に魂を売った,正真正銘の天才であるということがよく分かる.

  • 「フィンランドの教育力 なぜ、PISAで学力世界一になったのか」 小林禮子 / リッカパッカラ 著・・・リスト2つ目を読了してから買い直した(!?)本.東京高専はフィンランドとは縁があるわけですが,フィンランドからの留学生を受け入れるたび,学生個人のパーソナリティに加えて,フィンランドという国の教育システムにも興味をもった次第.分かったつもりになっているものの,もう数冊読んで知識を深めたいと思わせた一冊.

  • 「FACTFULNESS(ファクトフルネス)10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣」 ハンス・ロスリング / オーラ・ロスリング / アンナ・ロスリング・ロンランド / 上杉周作 / 関美和 著

  • 「サーチ・インサイド・ユアセルフ ― 仕事と人生を飛躍させるグーグルのマインドフルネス実践法」 チャディー・メン・タン / 一般社団法人マインドフルリーダーシップインスティテュート / 柴田裕之 著

最後の2冊は現在読んでるところ・・・ではあるものの,猛烈に忙しい真っ只中なので,いつ読了できることやら.キーワードは微妙に似ている,FactfulnessとMindfulness.後者は,ここまで忙しくなる前に読み終わっておきたかった(この多忙の中,心の健康をキープするのに役立ちそうなので).

2021/05/23

論文は1章から書いてはいけない(for beginner)

 何だか,こんな”〇〇は××しなさい”とか,”△△は□□しなさんな”みたいなタイトルの本が多いので,タイトルの感じを真似してみました(笑).


タイトルは多少ふざけましたが,これまた先日の英語の話題と同じく,普段から思っている,と言うか,学生の皆さんに論文(学会・研究会・発表会等での要旨も含む)を書いてもらうたびに助言していることなので,今回,文章にまとめておこうと思いました.

最初に断っておきますが,今回のタイトルはカッコ書きで「for beginner」と書いてある通り,以降の内容はまさに初心者向け,要は,論文や発表要旨を作成した場数がまだ少ない学生さん向けのものとなっています(場数を踏んでいる人なら最初から”書ける”ので書いても良いし,なんなら書きたいところから書けばいいのです・・・が,こと初心者に関してはよろしくない,という話です).

タイトルにインパクトを求めたので(苦笑),タイトルに含まれた情報量は実は少し少なくて,厳密に言うと,
”アブストラクト(あらまし)と第一章/節と最終章/節は,最初に書いてはいけない(というか,書けない)”
が,僕の考えです.

卒業論文や学会発表論文,要旨などには,その冒頭で論文全体の概要を記載するアブストラクト(Abstract)を用意する必要があることが一般的です.それに引き続き,研究の背景や対象領域における課題,自分の研究テーマの意義や目的を記載する第一章(はじめに)があり,その後,提案手法の説明や手法の説明のための準備,手法の妥当性・有効性を評価するための実験の説明等が続き,実験結果や考察に関する記述があった後,論文に記載された研究の取りまとめと今後の課題や方針について述べる最終章(まとめ・結論)が記述されて本編は終了.論文によってはその後に謝辞(協力いただいた関係者・機関等へ感謝を述べる)が挟まって,最後に参考文献,必要に応じて付録(本編に記載するには場所をとるので最後に回した補足説明や数式の証明など)を記載することとなります(論文や本など,100ページ以上のボリュームとなると文章の一まとまりは「章」で区切りますが,数十ページの論文やそれ以下の用紙の場合は「節」で区切るのが普通.章・節・項というのが単位になります).

特に,卒業研究をはじめとする研究活動を始めたばかりの学生がこの手の文章を書くことをイメージした場合,上記の各章 or 節の中で,どこが一番書きやすいと思いますか?
個人的には,恐らくほとんどの学生が一番先に取り組むであろう,自身の提案したい/開発したい手法やシステム,機械装置などに関する説明であったり,既にそれらが完成しているのであれば,これまたまさに自身が実施(しようと)している実験設定や結果・考察に関する記述ではないかと思います.これらはまさに,自分自身がリアルタイムで取り組んでいたり,実施した直後であったりするので書きやすいですし,むしろしっかりと覚えている間に書くべきです.また,書くことでアイディアの構成や実験設定の”抜け”に気がつき,早めに手法や実験設定の修正も可能になる,というメリットもあります(これはまた別のエントリとして書きたいですが,アウトプットはある意味,自分にとっての最良のインプット/フィードバックとなるので,書いてみるということはその意味でも重要です).

要は,論文の章立てでいうところの”中盤部分が一番書きやすい”(書こうと思えばすぐにでも手がつけられる)部分となるわけですが,ここまでは良いでしょうか?これはこれとして,ではなぜ,アブストラクトや一章,最終章は書きづらい/書いてはいけないのでしょうか?
まず,一番わかりやすいのはアブストラクトです.アブストはその名の通り,論文の概要(あらまし)です.論文の全体的な内容を,特に最も重要な,”読者が知りたいであろう内容”に絞り込んで要約したものがアブストです(アブストラクトは,論文によってはサマリー=summaryとも言います).
考えてみてください.研究を始めて間もない,ヘタをするとシステム開発も完了していなかったり,実験結果もまだ得られていないような状況で,研究全体の要約を書けると思いますか?
アブストラクトやサマリーは論文の冒頭で,あまり多くのボリュームを取らずに,簡潔にまとめるべき文章です.学生の皆さんは長文を書く(書かされる?)ことを嫌がったり心配する傾向があるように思いますが,むしろ,大事なことを(余計な部分を削り取って)簡潔にまとめれる能力の方が重要かつ,高い作文能力が求められます.そういった意味でもアブストラクトは第一章と同様,書くのは一番最後とすべきです.

続いて第一章ですが,第一章では
”その研究がどのくらい意義深い=やる必要性や将来性があるか”
について,読者を納得させる必要があります.もっとぶっちゃけていうと,面白そうなことやってるな(続きを読んでみようかな),と思わせることができるかどうかが重要です.
論文タイトルを見て興味を持たない読者はその論文自体を手に取ることはないでしょう.タイトルに惹かれても,アブストや一章を読んで面白くないと判断したら,それ以降を読むことはありませんね.”タイトル・アブスト・一章は論文の看板であり顔”です.看板を見て美味しそうな店だな,と思わせないと,人は店の中までは入ってきませんので,そういった意味でも非常に重要な役割を果たすパートです.

自身の研究の意義や重要性を説得力のある(簡潔な)文章で述べる必要があるので,当然関連研究についても押さえておく必要がありますし,自分の研究を完全に理解した上で執筆を始めないと,後からあれも足りないこれも足りない,ということになってくるわけです.
結果,最初にあるからと一章から手をつけても,一向に書き終わらず,そうこうしているうちに一章も書き終わらないうちに締切が来てしまうのですが,正確にはそうではなく,本来最後に取り組むべき文章に最初からチャレンジしているという順番自体に致命的な問題があります.
同様に,最終章もその研究全体をよく理解していないと書けませんし,そもそも一章と最終章はほぼ,記述内容が同一です.強いていうなら一章では,「これから○○について検証する」,とか,「こういった目的で実験を行う」,というように,現在形・未来形での表現が多く,最終章ではそれらが「○○について検証した.(その結果・・・)」,「実験を行った」のように過去形・完了形に変わるという程度です.一章では未来形であったのに対し,最終章では完了しているので,その結果や,結果を踏まえた今後の課題・方針に関する記述が付加される程度で,書くべき情報や書くために必要な準備はかなりの部分で重なります.

ある意味,初心者限定です,と冒頭で断ったのは,初心者と場数を踏んだ学生や教員では,文章力の差はもちろんのこと,それ以前の問題として自身の従事する研究そのものに対する知識や経験が少ないので,一章やアブストを書きたくても,書くためのコンテンツを持ち合わせていないのですから,書けなくて当然とさえ言えます.
ただし,そろそろ卒研を取りまとめますよ,というタイミングになっても書けないとなってくると,それはそこまでの時間を何に使っていたの?ということにもなってくるので注意が必要です.例えば4月から研究を始め,教員や先輩のアドバイスを聞きながら準備を進めつつ,自身の研究の意義や将来性,他の研究との違いを明らかにするために文献を調査し,手法を考え実験を実施し,結果が出て取りまとめて,評価・考察をしていくうちに,一章や最終章を書くための情報が溜まってくるハズですので,”その頃には”少なくとも当該の章を書くためのコンテンツは揃ってきているハズですね(あとは文章力の問題です).

何度か要旨を書いたり,学会などで発表したりしている学生であれば,自身の研究に対するベーシックな知識や他の研究との類似点・相違点,現在の自身の研究の完成度などについても把握できているでしょうから,正直に第一章から書き始めるという選択肢もできるでしょうし,状況に応じてそれ以外の章から書いていくことも可能かと思います.
文章力についても,最初はかなり苦労するでしょうから,文章を書き始める必要がある時は修正の時間を大量に用意できるよう,可能な限り早く書き始めることが重要です.しかしながらその一方で,ある程度のレベルまでは,繰り返し訓練することでほとんどの人は確実にたどり着けます.発表スキル等と同様,やればやるほど向上しますし,どんな人でも向上できるレベルの上限にまで到達すれば,世の中でも”文章が/発表が上手い人”と一般的に認識されるレベルにまで到達できると思っています(この意味で,「自分には文章/プレゼンの才能がない」と言っている人は,プロの小説家や俳人,インフルエンサーでも目指しているのであれば別ですが,いわゆる技術文書を書いたり,学会発表をしたりすることに関して言っているのであれば,単に”練習不足”なだけだと断言できます.怠けずに練習してください).

ただ,そうは言っても世の中では意外と「一章(アブスト)から書いてね」などと言われることが多かったりもします.そのような,否応無く対応せざるを得ない状況に遭遇した時,極力避けたいところではあるものの避けられない場合は,文字通り必要最低限の当たり障りのない文章を作成し,真面目に作文に取り組むのは,順番として最後の方に回すのがやはり結果としてベターだと考えます. 

2021/05/19

英語(語学)+1(後編)

前回のエントリに引き続き,英語をはじめとする語学の習得は大事だよ,という話を,勉強のメリットではなく,勉強しないデメリットから考察するという,ある意味挑発的な(笑)アプローチをとってみましたが,今回は後編として,特に”+1”の部分にフォーカスしてお話をしていきたいと思います.
が,その前に一点補足で,多くの学生さんにとって身近な外国語は英語であるかと思いますが,知っている=読んだり書いたり話せたりすることで(あえて下世話にいうと)メリットがある言語としては,当然中国語も入ってきます.あとはスペイン語まで入れれば,世界のかなりの部分で意思疎通ができるのではないでしょうか?
例えば北越の場合,英語は ”まぁまぁ”  できるつもりでいるので,最低限英語を喋る人とであれば意思疎通は可能ですし,それなりの準備は必要ですが専門的な内容での発表も可能です.また,在外のおかげで台湾には友人がたくさんできたので,中国語圏の情報も色々と知ることができます(それより何より,台湾という国と人の素晴らしさに惹き込まれてしまっているので,この関係は僕が死ぬまで大事にしていきたいと思っています).
人によっては,それが中国語であってもスペイン語であっても,ヒンドゥー語であってもアラビア語であっても良いでしょう.情報共有のチャネルが増えるというだけでも,日本語以外でのインプット/アウトプット手段しか持っていない人に比べて,それだけでアドバンテージがある,と言えるでしょう.

とは書いたものの.
高専の学生にせよ,そうでない学生にせよ,習得した語学に加えて是非,最低限 ”+1”  は身につけておいてほしいと思っています.
想像がついている皆さんも多いかもしれませんが(もしかすると2つくらい考えている人もいるかも),特に仕事の面でメリットがある,という意味でいうと,僕は
One = 自身の専門性(身についている,自身の専門分野に関するスキル・知識)
と考えます.
何が言いたいかというと,
”ただ「英語(外国語)が流暢に話せる」だけでは仕事に繋がらない.その言語をツールとして活かせる専門性がないと,「ただ英語話すのがうまいだけの人」になる”
ということです.
もしかすると↑は,高専で普通に過ごしている学生であればある意味心配はいらないのかもしれません.5年間(+専攻科の2年間?)高専で勉強して卒業すれば,最低限の専門性は身についているはず(身についていないと卒業できない)ですので,卒業後はその技術や知識を磨き続け,アップデートし続けていければ+1は既に手元にある,ということになると思います(ただし,工学系の知識やスキルは”日進月歩”どころではないスピードでアップデートされていきますので,卒業したからOK!と学ぶことを止めた時点で早々に ”+1ー1”  となるでしょう).

さらに,今回のタイトルでは+1と書いたものの,仕事をはじめとするもろもろをよりスムーズに進めるためには,直接的には仕事や専門性とは関係のない ”教養”  も重要となってくるように思います.ここでいう教養とは,要は”自分を形作ってきた文化的・思考的背景”とでもいえるもので,具体的にいうと,遠いところでは日本の歴史や文化,社会構造に関する知識,近いところでいえば,自分が育ってきた地域の歴史や文化に関する知識です.これはある意味,国内外に関わらず”人がコミュニケーションを取る際に必要な基本的要素”と思っているので,あえてタイトルに ”+2”  と記載しなかった理由でもあります.
場合によっては(特に日本人同士の場合は),明示的にその知識が会話の中で出てくることはないかもしれませんが,同じ文化的背景を持つ人同士であれば暗黙的に持てる認識であったり,ある種の常識であったり,考え方等が共有できることでコミュニケーションや共同作業が円滑に進みます.また,外国の方のように歴史的文化的背景が異なる人との作業の場合,お互いのバックグラウンドを理解することで信頼関係を築くことが容易になったり,単純に異文化に対する興味からコミュニケーションが活発化することもあります.

例外的に,一般的な枠を超えるような超人的な才能をもった人間であれば,その他の教養も語学力も飛び越えて一流の成果を挙げる可能性はあるかと思いますが,一般的な枠を超えない中では, ”語学力を身につけるとその枠自体が大きくなり,+1を武器にその枠内で成功する確率を上げられる.教養があれば,チャンスを掴んだり成功するまでのスピードをブーストできる”  というのが僕のイメージです.

そしてある意味,語学力についても教養についても, ”一朝一夕では絶対に身につかない”一方, ”継続していれば必ず身につく”  と言って良い素養だとも思っています.専門的能力については,ある面では難しいところもあるのが事実です.例えば,どんなに頑張ってもこの問題が解けない,といった「壁」は存在しますし,○年間プログラムを頑張ったけれど全く(ほとんど)まともに書けるようにならなかった,という人もいるかもしれません.ただ,ここでいう専門的能力は必ずしも工学的なものや理系のものである必要はありません.今回は(東京)高専の学生さんを主なターゲットとして書いていますが,それぞれの学生さんにとって,それぞれに合った(得意な,好きな)専門性はあるのではないでしょうか.それは文系の何かであったり,美術的なものであったり,もしくは経営や営業の才能であるかもしれませんが,それらの能力を海外でも発揮しようとすれば当然,語学が必要になってきますし,逆に英語が喋れて営業の才能があるのであれば,何も国内の営業職だけを就職や活躍の対象に限定する必要がなくなりますので,それだけでも活動の対象範囲が広がっていきます.

個人的には,人生,いつでもやり直せるし,いつから始めても遅すぎることはない,と信じていますが,良いことは早めに始めるに越した事はないとも考えています.要は,1年生なら今から始めればいいし,5年生でも専攻科生でも,場合によってはOBでも,今からでも始めればいいと思います.
かくいう僕は,中学校の頃から単純に英語が好きで(高専生としては特異かもしれません ^o^;;),好きだったので抵抗感もなく勉強が続けられました.一方,専門性については(函館)高専に入って初めてPCに触り,入学後からタッチタイピングを学び,当然プログラムスキルも高専1年生になってから勉強を始めたので,むしろ専門性については,入学前からプログラムが得意だったという学生より遅いスタートでした.そんな僕でも工学で学位が取れ,教員になれた上で,英語も海外の文化にも興味があったこともあり,海外での発表や研究の機会を得られたのは,まさに語学力が多少なりともあったからでしょう.おかげさまで海外にも連絡を取り合う友人ができたり,何かあったら ”あそこへ帰りたい”  と思う海外の国もできました.

僕自身,まだ比較的幸せな環境の下で勉強や仕事ができてきた&できているのでは,と,日本と世界の今後を予想しながら考える一方で,より混沌化し不確実性の増していく未来を考えれば,非常事態が起こってからでは遅いと考えるのが自然です.
誤解を恐れずに言えば,何かあった時にはすぐに or 何かある前に自分(と家族)の身を(特に生活面・経済面で)守ることができる/逃げることができる準備は整えておくことが
”今後長い間,落ち着いて生活していくための必要条件”
なのではないかと,かなり真面目に考えています.

2021/05/17

英語(語学)+1(前編)

今日は,ここ最近ずっと話したいと思っていたことについて書きます.基本的に僕は文が長くなりがちなんですが(苦笑),今回はスッゲェ長いので,前後編の2部に分けました(実は,それでもまだ長いんですが,興味のある人は読んでください).
特に高専生,というか,学生の皆さんに話したいと思っていて,つい先日,やっと僕が担任をやっている学生にも少しだけ話すことができたので,その補足も兼ねて書き進めていきます.ちなみに僕も,しばらく前からぼんやりと考えていたことなんですが,2018年,台湾に在外に行って以降,よりその意識が明確になったという経緯があります.

語学はできたほうが良い,世界中の人と話せる,話せると受験に有利,などなど,英語をはじめとする語学は”勉強すると良い”と言われてきて,実際に我々教員もそうやって学生の皆さんに語学習得を奨励してきました(もちろん中には,自らその必要性や語学習得の楽しさに気づいて,というかそれを楽しいと感じて,積極的に身につけている人もいるでしょう).

上記はある意味真実で,語学を習得するメリットが並んでいるわけですが,幸か不幸か個人的には今回,語学を勉強するメリットではなく”語学を学ばないことによるデメリット”といえるポイントについて紹介したいと思います.

冒頭で,台湾での在外の経験に触れましたが,皆さんは台湾の語学事情についてはご存知でしょうか?台湾は親日の国で知られていて,日本語を話せる人も(特に第三次産業関連や,アニメが好きな学生に)多いですが,最低限読み書きができないと"お話にならない"のが英語です.

なぜ,お話にならないのか,理由はわかるでしょうか?

台湾の現在の人口は2300〜2400万人くらい,日本の5分の1程度でしょうか.そのうち,学生はどのくらいいるでしょうか?後ろの話とも関係してくるので先に書いておくと,台湾は日本を上回る猛烈なスピードで高齢化が進んでいる最中なので,割合的に学生の世代は多くないし,今後はどんどん減っていくと予想されています(当然,人口も減っていくでしょう).
台湾の母国語は中国語,ではありますが,実は台湾で使用されている漢字は中国本土で用いられている中国語(簡体字)とは異なる繁体字と呼ばれるもので,日本で昔使われていた,”複雑な,画数の多い旧字体”と類似しており,簡体字と繁体字はほぼ別な字と言って良いでしょう(おそらく,音声でのコミュニケーションは可能ですが,台湾の人は中国本土の字を読めないと思います:もしかすると,本土の人は台湾の字を読めるかもしれません・・・中国の簡体字は繁体字を文字通りsimplifyしたものなので,originalは推測できるかも).

若干横道にそれましたが,要は何が言いたいかというと,台湾で教科書をはじめとする書籍を母国語で作ろうとすると,母国語を読める人はほぼ台湾の人に限定される上に,台湾の人口は高々2千数百万人ですから,ただでさえ売れない(!?)教科書をわざわざ繁体字で作ったり,英語の専門書を繁体字に翻訳しても儲けがありません.老若男女が手に取るであろうベストセラーの小説であれば翻訳されるかもしれませんが,国民全員が手に取って買っても,人口の母数が限られていますからやっぱり儲けはそれほど期待できないでしょう.
そうなると,最新の理論が英語で記載された教科書があったとしても,それを翻訳しようということにはならず,”原書のまま読め”ということになりますから,
英語が読めない=勉強をすることができない
ということになります.

ちなみに上では勉強(教科書)についての話題にフォーカスしましたが,これは一般の製品についても同様で,良い商品を作ったところで国内だけで流通させても儲けはあまり出ず,必然的に世界を相手にしないと商売自体が成り立たないことが多いと推測できます.
在外で台湾の大学でお世話になっていた際,現地の教員から聞きましたが,台湾ではいわゆる事務職への求人票にも,”TOEIC○点以上”といった語学力に関する条件が記載されることが少なくないようです.
例えば技術者の場合,最新の論文や教科書を読むため英語力が必要であることは言うまでもありません(日本でも当然,最新の情報はまず英語でpublishされるので,英語が読めることが重要ですし,自身の研究成果を公開する場合も,英語で書けないことには世界中に発表することはできない=日本語で書いてもそもそも読める人がいないから意味がないと言うことになります).
が,海外を相手に商売をする必要がある場合,電話の応対をするような事務職であっても英語がしっかりと理解でき話せないと,大事な連絡の意味を取り違える,なんてことが起こってくるので,やはり英語力が必須と言うことでしょうね.

しばらく,台湾における状況について記述してきましたが,ここまで読んできて,日本との共通点には気がついたでしょうか?
  • 高齢化が進んでいる(これから進む)=人口が減る/今後減っていく
  • 母国語が特徴的
台湾にとっての一つのメリットは,音声コミュニケーションであれば中国本土とやりとりできることでしょう.中国本土の市場は大きいですから,本土でも利用できる製品を本土に輸出(?)できれば大きな利益を上げられるかもしれません,が,皆さんもご存知の通り台湾と中国は微妙な関係ですので,あまりそのメリットにはすがることができないかもしれません(ちなみにここまでの話&これ以降の話,主な対象者は日本も台湾も,大学生や高専生などの高等教育を受けている人or過去に高等教育を受けた人,と考えてください).

翻って日本です.
日本語は世界でも習得が難しい言語と言われていますし,海外の人々がわざわざ日本語を習得して日本人と取引したいと思うことは,それほど多くないでしょう.むしろ我々が英語なり中国語なりを習得する方が近道ですし,個人レベルでも(自分の収入をあげるという意味で)有効です.
加えて,少子高齢化です.僕は介護予防研究を行っているので,台湾や日本,その他の国の高齢化率などについては比較的よく知っている方かと思いますが,改めて日本の人口の推移を調べてみて(予想していたとはいえ)かなりビビりました.総務省の「総人口の長期的推移」を見ると,2100年の人口は多く見積もっても6400万人,低く見積もると3770万人です.昨今の少子化対策が全く効果を表さないどころか出生率が下がり続けていることを考えると,低い方の見積もりさえ下回りそうな勢いかと思います.ちなみに,その時点での高齢化率の予測値は約40%で,人口のほぼ半分が高齢者,若年人口は9%を切る予想なので,国内の若者向けだけに製品を作ったところで,多く見積もっても600万人くらいまでにしかリーチしないという話になります(ちなみに,総人口がピークである2004年の若年人口は1759万人ですから,単純計算で市場は1/3です).

さて,前置きが非常に長くなってしまいましたが,ここまで書くと,語学を学ばないことによるデメリット,なんとなく僕が言いたいことはわかったかと思います.

ぶっちゃけ,ここまで来ても外国語は苦手,という人も,別にお金儲けしたいと考えていない,という人もいるかとは思いますが,状況によっては,お金を儲ける以前に,通常の生活を送るための最低限必要な費用を賄うための,”読み書きソロバン”としてのスキルの一つに「外国語(主に英語 or 中国語)」が入ってくる可能性が高いのでは,と僕は予想しています.
学生一人一人の能力やポテンシャルといった個人的な能力とは別に,日本自体は既に先進国ではない,また,科学技術立国ではない,という意見もチラホラと聞こえるようになりました.現在高専生であったり,高専生と同世代の学生がバリバリと働く年代は上記予想よりもかなり近い未来寄りですので,上記ほど悲観的な状況とはなっていないかと思いますが,少子高齢化が着々と進んでいるという感覚は持っているのではないでしょうか.この状況は,このまま維持されるのではなく,ネガティブな方向にまだまだ進行していくこと,また,進行の果てにどのような状況が訪れるのか,といったところを予想・想像していくと,幸か不幸か外国語を学ぶことのメリット以上に,学ばないことのデメリットが自身の外国語学習のモチベーションを上げる(学ばざるを得ない状況に追い込まれる)ということがあり得るのではないかと思っています(苦笑).

必要に迫られて勉強するのが最高のモチベーションであるのは一つの真理ですが,社会人になって仕事を抱えながらの勉強は非常に負担が大きいです.一方でそういった必要性が必ずしもない or 予測できない状況でモチベーションをあげて勉強するのは大変かもしれませんが,(社会人と比較して圧倒的に)容易に時間を作れる学生のうちに学べるところまで学んでしまうことができれば,いざという時の助けとなることはもちろん,語学習得のポジティブな理由として挙げられる恩恵も当然得ることができるので,少なくとも悪いことはない,のではないかと思っています.

・・・ただ,個人的にはもう一つ,このエントリのタイトルにも記載した通り,必要,かつ,重要なポイントがあると僕は考えています.
冒頭で予告しましたが,久しぶりに猛烈に長文を記載しましたので,残りは次回(後編)に回します.後編は,ここまで長文とはならないようにがんばります(!?).

2021/05/12

ミーティング三昧

 前回エントリでも書きましたが,今週は研究に関するミーティングが結構あります.

本当は対面で実施したかった,共同研究している大学の先生との打ち合わせ.介護福祉関連がご専門の先生で,当然大学の学部学科もそちら方面のため,打ち合わせを兼ねて学生が大学訪問して教室・実習室を見学するのは刺激になると思ったんですがね・・・.
それで思い出しましたが,コロナの影響もあって最近行くことができていない,八王子市内の保健福祉センターさんにも,ご挨拶しておかなければ.保健福祉センターは市内3箇所にあり,いずれもこれまでの研究活動で非常に有意義な助言をいただいたり,実験協力を賜っています.が,それに輪をかけて重要なのが,参加者の皆さんの健康維持・増進のための活動を見られること.センターが用意し一般に募集をかける体操教室から,参加者の皆さんが有志で集まり自主的に実施しているサークル活動まで,さまざまな取組が行われていて,研究活動と実験協力の関係性を構築しているおかげで,それらの活動を見学したり参加させてもらったりしていますが,これが実際のシステム開発に非常に重要な”示唆” (Suggestion)を与えてくれます.

もう一件,今週末に実施する打ち合わせは藤沢市の介護老人保健施設のスタッフの方とのもの.こちらも長らくお世話になっている施設で,まさにその名の通り高齢者の皆さんのリハビリなどに従事するスタッフの方からのご意見は,我々が開発している介護予防に関するシステムにとっても有意義かつ実践的なものが非常に多い.一方,我々がお邪魔することで施設利用者やスタッフの皆さんにコロナやその他ウイルスの影響やそれらに関する不安を与えるのも好ましいことではないので,当初からオンラインでの打ち合わせとして予定をしていました.が,やっぱりこっちも本当なら,是非現地で打ち合わせをしたいところだったなぁ,と(^o^;;

ちなみに,上記ミーティングの間には定例の研究室ミーティングがあったり,学生さんからのリクエストによる即席の(!?)個別ミーティングがあったり(これは対面でしたが,久しぶりだったなぁ),オンラインでの研究ミーティングもやっぱりあったりと,やっと研究活動の面でも”今年度が始まった感”が出てきました.

僕をはじめ高専の教員は忙しい人が多いですし,忙しさに関する考え方は人それぞれなので全員同じということはないでしょうが,少なくとも自分にとっては,研究に関する話し合いは休憩の時間が削れようが忙しさに拍車をかけようが是非やりたいイベントの一つです(研究は楽しいので).まぁ恐らく,ここでいう楽しいというは世間一般でいう楽しさ(Fun)ではありませんが,いわゆる単純な楽しさではないからこそ楽しいのだと思っています(わかる?).

あと,対面での会話という意味では,最近は専攻科の推薦入試の面接練習で学生さんの”練習相手”になることも増えてきました.まさに東京高専では,今がそのシーズン,という感じですね.当初,文字通りの打ち合わせという意味で,タイトルにミーティングというキーワードを持ってきましたが,単純に先週あたりからは,対話するという意味でもミーティングが増えてきています.
もちろん,実施の際には感染症対策をしっかりととってやらんといかんので,その辺りは例年よりシビアに気をつけながらやっていますが,そういった気遣いをしつつでも,直接話す機会を持つということはやっぱり大事だな,ということを改めて認識している今日この頃です.

2021/05/09

実質連休最終日?

 あまり連休っぽくありませんでしたが,いわゆるゴールデンウィークは今週水曜日に終了.木曜金曜は平日で,普通に出勤もしたしミーティングも打ち合わせも授業も結構あったものの,連休中盤以降は結構体力を使っていたので,木金は”省エネ運転”で,ある意味連休をこの土日まで引っ張ったような感じとなりました.

そうこうしているうちに緊急事態宣言が今月末まで伸びましたが,幸か不幸かあまり生活には変化なく(苦笑),普通に埼京線と京王線を使って通勤もしているし授業もある.
一点残念なのは,連休明けに予定していた外部機関(大学)の先生との打ち合わせを,宣言期間の延期に伴いオンラインにせざるを得ないこと.介護予防まわりの研究テーマで,共同研究をしているこの先生はまさにそちら方面の学部・学科の先生なので,今年度研究を新たに引き継いだ学生にも,別な大学のキャンパスを見せるとともにそう言った分野を学ぶ別な大学の学生さんの姿や学習環境を見せられれば,と思っていたんですが,ある意味予想通り宣言終了は先送りになってしまいました・・・

冒頭に記載の通り,水曜日(5/5)までは結構首や肩にも負担がきていたんですが,6日7日をなんとかやり過ごし,この土日である程度はリカバリーできた模様.一方,ここ最近は比較的運動もできているせいか,一時猛烈に落ち込んだ読書に対する意欲も有難いことに復活してきて,複数の本を並行して読むことができています(それが首と肩の凝りを助長したという説もありますが).また,そんな状況の中でtwitterやらブログやらも更新のネタがあるので比較的更新頻度も上がりめのような.

もう一つ変えたこととして,ブログやtwitterの閲覧専用として,新しいブラウザをインストールしました.googleのアカウントはいくつか持ってるんですが,実はこれらを切り替えるのって結構ストレス,かつ,切り替えをミスるとセキュリティ上もあまりよろしくないので,それも更新に二の足を踏む理由になっていたかもしれません.
このブラウザを開くと自動的に”すぐにブログやtwitterを更新できる”状況になる,という設定は,意外と更新頻度を上げるモチベーションになるかも,と思っています(と書いたこのエントリ以降しばらく更新がなくなったら「理由は別にあったか」と思ってください ^o^;;).

今週からは,オンラインになったものの共同研究先との打ち合わせが2件(1件は元々オンラインで実施予定だったもの)もありますし,卒業研究&特別研究も本格化してきます(実は今年度,ちょっとスタートが遅いような感覚もあり).定期試験までも残り1ヶ月を切る状況になるので,こちらもボチボチ全開で行けるようにしたいところです.

2021/05/02

連休

 実質昨日(日付が変わってしまったので一昨日)からスタートした今年のゴールデンウィーク.

今日(もう日付が変わって昨日ですが)はかなり濃い1日でした.
一言で言うと,非常に久しぶりに”仕事を全くしなかった日”(^o^;;

それがニュースになると言うのもなんだかなぁ,と思うものの,個人的にかなりレアな出来事であるのは確か.

相変わらずコロナ禍で自由度の低い連休ですが,最優先事項としてしっかりと休養をとりつつ,しっかりと楽しみつつ,終盤ではしっかりと連休明けの仕事準備も進めておきたいところ・・・でも,仕事の準備は”最”終盤でいいか(笑)

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