2021/05/19

英語(語学)+1(後編)

前回のエントリに引き続き,英語をはじめとする語学の習得は大事だよ,という話を,勉強のメリットではなく,勉強しないデメリットから考察するという,ある意味挑発的な(笑)アプローチをとってみましたが,今回は後編として,特に”+1”の部分にフォーカスしてお話をしていきたいと思います.
が,その前に一点補足で,多くの学生さんにとって身近な外国語は英語であるかと思いますが,知っている=読んだり書いたり話せたりすることで(あえて下世話にいうと)メリットがある言語としては,当然中国語も入ってきます.あとはスペイン語まで入れれば,世界のかなりの部分で意思疎通ができるのではないでしょうか?
例えば北越の場合,英語は ”まぁまぁ”  できるつもりでいるので,最低限英語を喋る人とであれば意思疎通は可能ですし,それなりの準備は必要ですが専門的な内容での発表も可能です.また,在外のおかげで台湾には友人がたくさんできたので,中国語圏の情報も色々と知ることができます(それより何より,台湾という国と人の素晴らしさに惹き込まれてしまっているので,この関係は僕が死ぬまで大事にしていきたいと思っています).
人によっては,それが中国語であってもスペイン語であっても,ヒンドゥー語であってもアラビア語であっても良いでしょう.情報共有のチャネルが増えるというだけでも,日本語以外でのインプット/アウトプット手段しか持っていない人に比べて,それだけでアドバンテージがある,と言えるでしょう.

とは書いたものの.
高専の学生にせよ,そうでない学生にせよ,習得した語学に加えて是非,最低限 ”+1”  は身につけておいてほしいと思っています.
想像がついている皆さんも多いかもしれませんが(もしかすると2つくらい考えている人もいるかも),特に仕事の面でメリットがある,という意味でいうと,僕は
One = 自身の専門性(身についている,自身の専門分野に関するスキル・知識)
と考えます.
何が言いたいかというと,
”ただ「英語(外国語)が流暢に話せる」だけでは仕事に繋がらない.その言語をツールとして活かせる専門性がないと,「ただ英語話すのがうまいだけの人」になる”
ということです.
もしかすると↑は,高専で普通に過ごしている学生であればある意味心配はいらないのかもしれません.5年間(+専攻科の2年間?)高専で勉強して卒業すれば,最低限の専門性は身についているはず(身についていないと卒業できない)ですので,卒業後はその技術や知識を磨き続け,アップデートし続けていければ+1は既に手元にある,ということになると思います(ただし,工学系の知識やスキルは”日進月歩”どころではないスピードでアップデートされていきますので,卒業したからOK!と学ぶことを止めた時点で早々に ”+1ー1”  となるでしょう).

さらに,今回のタイトルでは+1と書いたものの,仕事をはじめとするもろもろをよりスムーズに進めるためには,直接的には仕事や専門性とは関係のない ”教養”  も重要となってくるように思います.ここでいう教養とは,要は”自分を形作ってきた文化的・思考的背景”とでもいえるもので,具体的にいうと,遠いところでは日本の歴史や文化,社会構造に関する知識,近いところでいえば,自分が育ってきた地域の歴史や文化に関する知識です.これはある意味,国内外に関わらず”人がコミュニケーションを取る際に必要な基本的要素”と思っているので,あえてタイトルに ”+2”  と記載しなかった理由でもあります.
場合によっては(特に日本人同士の場合は),明示的にその知識が会話の中で出てくることはないかもしれませんが,同じ文化的背景を持つ人同士であれば暗黙的に持てる認識であったり,ある種の常識であったり,考え方等が共有できることでコミュニケーションや共同作業が円滑に進みます.また,外国の方のように歴史的文化的背景が異なる人との作業の場合,お互いのバックグラウンドを理解することで信頼関係を築くことが容易になったり,単純に異文化に対する興味からコミュニケーションが活発化することもあります.

例外的に,一般的な枠を超えるような超人的な才能をもった人間であれば,その他の教養も語学力も飛び越えて一流の成果を挙げる可能性はあるかと思いますが,一般的な枠を超えない中では, ”語学力を身につけるとその枠自体が大きくなり,+1を武器にその枠内で成功する確率を上げられる.教養があれば,チャンスを掴んだり成功するまでのスピードをブーストできる”  というのが僕のイメージです.

そしてある意味,語学力についても教養についても, ”一朝一夕では絶対に身につかない”一方, ”継続していれば必ず身につく”  と言って良い素養だとも思っています.専門的能力については,ある面では難しいところもあるのが事実です.例えば,どんなに頑張ってもこの問題が解けない,といった「壁」は存在しますし,○年間プログラムを頑張ったけれど全く(ほとんど)まともに書けるようにならなかった,という人もいるかもしれません.ただ,ここでいう専門的能力は必ずしも工学的なものや理系のものである必要はありません.今回は(東京)高専の学生さんを主なターゲットとして書いていますが,それぞれの学生さんにとって,それぞれに合った(得意な,好きな)専門性はあるのではないでしょうか.それは文系の何かであったり,美術的なものであったり,もしくは経営や営業の才能であるかもしれませんが,それらの能力を海外でも発揮しようとすれば当然,語学が必要になってきますし,逆に英語が喋れて営業の才能があるのであれば,何も国内の営業職だけを就職や活躍の対象に限定する必要がなくなりますので,それだけでも活動の対象範囲が広がっていきます.

個人的には,人生,いつでもやり直せるし,いつから始めても遅すぎることはない,と信じていますが,良いことは早めに始めるに越した事はないとも考えています.要は,1年生なら今から始めればいいし,5年生でも専攻科生でも,場合によってはOBでも,今からでも始めればいいと思います.
かくいう僕は,中学校の頃から単純に英語が好きで(高専生としては特異かもしれません ^o^;;),好きだったので抵抗感もなく勉強が続けられました.一方,専門性については(函館)高専に入って初めてPCに触り,入学後からタッチタイピングを学び,当然プログラムスキルも高専1年生になってから勉強を始めたので,むしろ専門性については,入学前からプログラムが得意だったという学生より遅いスタートでした.そんな僕でも工学で学位が取れ,教員になれた上で,英語も海外の文化にも興味があったこともあり,海外での発表や研究の機会を得られたのは,まさに語学力が多少なりともあったからでしょう.おかげさまで海外にも連絡を取り合う友人ができたり,何かあったら ”あそこへ帰りたい”  と思う海外の国もできました.

僕自身,まだ比較的幸せな環境の下で勉強や仕事ができてきた&できているのでは,と,日本と世界の今後を予想しながら考える一方で,より混沌化し不確実性の増していく未来を考えれば,非常事態が起こってからでは遅いと考えるのが自然です.
誤解を恐れずに言えば,何かあった時にはすぐに or 何かある前に自分(と家族)の身を(特に生活面・経済面で)守ることができる/逃げることができる準備は整えておくことが
”今後長い間,落ち着いて生活していくための必要条件”
なのではないかと,かなり真面目に考えています.

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