2022/03/08

論文って何?

ほとんどの(高専の)学生の皆さんは,本科5年生になっていきなり「これから1年間で卒業研究に取り組み,“卒業論文”を執筆する」ように指示されます(国立の工業高専では,確か卒業研究はどこでも必修だったと思います.ちなみに一部の,特に工学系理系でない大学では,卒業研究自体が必ずしも必修科目でないところもあります).

東京高専も,僕の母校である函館高専でも同様ですが,そもそも論文ってなんでしょうか?
すぐに答えられる人はいますか?ちなみにここで僕が意図している論文は,いわゆる小論文のような作文の延長ではありません(類似する部分もありますが,当然相違点も多いです).ちょっと狭い定義になると,学術論文が最も近いでしょう.コトバンクで学術論文の意味を調べると,
「新しい研究成果を内容とし,一定の構成を持った論文.一般に,論文名,著者名,序論,方法と結果,考察と結論,引用文献リストから構成される.通常は,学術雑誌に掲載されたものを学術論文と呼んでいる.」
となっていますが,ここでは例えば学会や国際会議で発表するために書く出版物も学術論文であるとしましょう.

学術論文には,上にもあるとおり,背景や目的が記載された序論と,自身が行った(提案した,開発した,改良した)対象についての記述と,その対象の妥当性や有効性を調べるための実験とその結果・考察,および,それらを踏まえた結論が必要であることが一般的です.
・・・が,よくよく思い返してみたら,僕が高専に着任してからずっと感じている(そういった学生が少なからずいる)なぁ,というNGケースを,(今年度はほとんどの学生が学位論文=卒業・修了のために必要な論文は書き終えていると思うので,未来の学生に向けて)ぜひ紹介したいと思います.

学位論文にせよ学会で発表する論文にせよ,大前提として必要なのはその論文で記載されている手法や理論等の有効性と新規性です(独創性があればなお良いですが,今の世の中,完全オリジナルな研究というのは中々ありません).それに加えて重要で,上記の通り,少なからぬ学生が忘れてしまうのが,その論文=研究の中で
“あなたは何をしたの?”
ということに関する説明です.
この研究はこんなにすごいんです,こんなに素晴らしい成果を挙げているんです,こんなに色んなところで応用できるんです,と言葉を尽くしたところで,その研究に具体的に従事しておらず“ただ紹介しているだけの人”は,その研究グループの主要なメンバとは言えないでしょう.

先にも記載した通り,最近の研究は完全オリジナルということは中々ありませんし,むしろ先輩の研究を引き継いで改良していくことを目的とする研究も多いですが,どこをどう読んでも“自分が何をやったのか”がわからなかったり,百歩譲って記述があっても,どこからどこまでが自分のやったことで,どこからどこまでが先人の成果なのかがわからないようでは“評価不能”です.
率直に言ってこの“あなたは何をやったのか”は,学位論文では有効性や新規性よりある意味ずっと重要です.なぜなら学位はその論文を書いた学生本人に与えられるものなので,その学生が何をやったかがわからなければ当然,卒業に相応しいかどうかも判断できないこととなります.ぶっちゃけ,結果が芳しくなかったとしても,
「自分がやったのはここで,こんな工夫をしたけれどうまくいかなかった.何故うまくいかなかったのかを検証してみたところ,こんな課題が見つかった.今後はこの課題を改善することで性能も向上することが期待できる」
といったような考察ができれば,卒業研究としては十分に評価に値するものとなり得ます.

研究を進めるにあたり,関連研究を調べてそれらを踏まえて自分のスタンスを明らかにすることも,先輩の研究を理解して先行研究としてまとめることも重要ですが,それらばっかり大量に記載されていて,肝心の“自分が何をやったのか“に関する記述がなかったり,どこがそれなのかさっぱり見つけられないような論文は,繰り返しとなりますが評価不能と言わざるを得ません.

現在これを読んでいる学生の多くは,これから卒業研究(特別研究)に従事し,その後に卒論・特論などを書く人が多いのではないかと思いますが,あらかじめ上記のことを意識した上で研究を進めていくこと自体,自分の研究の立ち位置や,進むべき方向性を常に意識し“迷走しない“ためにも有効であると思います.

実際,つい最近そんな論文を見かけたことがこの文章を書くきっかけになったものの,今これを書いておくこと自体,これから研究を始める皆さんにとっても有益な情報となるかと思い,一気に書き上げた次第です.

2022/03/04

追記 ー良い(まともな)文章の書き方ー

 一昨日紹介した雑誌特集の中で取り上げられていた書籍

「文章術のベストセラー100冊」のポイントを1冊にまとめてみた

ですが,東京高専の図書館にも所蔵されていることがわかり,買うより借りた方が早い(笑)ということで早速借りてきました.パラパラとめくってみていて,個人的にさらに(特に学生の皆さんにとって)重要だと思われる&誤解が無いように補足しておかなければいけないポイントがいくつかあったので追記します.

個人的に最も重要,かつ,勘違いしてはならないのは

  • 文章は必ず「推敲」する

というポイントです.先のエントリで,

文章が上手くなるための近道は、書いた文章を誰かに見せて、「添削してもらうこと」にほかならない。

という部分を引用しましたが,ここでいう添削とは.”書いた文章を見直し(推敲)もせず添削者(教員)に丸投げすること,と勘違いしないようにしてください.
そもそも僕の場合,誤字脱字が多かったり,話の内容がさっぱりわからない場合は「読めない」といってそっくりそのままお返しします.最低限,日本語で書かれた文章として読めるレベルの状況には,自分自身でしてください(というか,それさえできない学生は・・・悲しいかな結構な数いるんですが,それこそ,トレーニングしてできるようにならないと,特に社会人になってから地獄を見ます).

教員が(また,引用先の文章でいう「誰か」が)見るのは主に

  • 表現上拙い部分がないか
  • ストーリーの展開に不自然な部分がないか
  • 事実が正確に,過不足なく記載されているか

といった部分で,誤字脱字や”てにをは”の誤りを指摘することは,本来指摘すべき項目にたどり着く遥か前段階で,そこから添削なんてしていたら日が暮れるどころか,”本当の添削がそもそも終わらない(始まりさえしない)”です.

文章作成が一人前にできるといえる必要条件は,”自分の文章を「第三者の視点で」客観視して見直し,修正することができる”ことかと思います.それができなければ,常に誰かに見てもらわなければいけないことになります.ここまで到達するにはかなりの修行が必要ですが,教員をはじめとする誰かに見てもらう前に,自分自身でおかしなところがないか推敲する癖をつけることが,必要条件をクリアするための最初のハードルになります.

ちなみに上で述べた,教員が見る部分の3つめですが,これはいわゆる理工系や報道系の分野に特化した観点でしょうね(詩や小説といった分野は,そもそもフィクションの世界であることが多いでしょうから,その場合,事実関係云々は添削の観点からは外れるでしょう).


  • 比喩・たとえ話を積極的に使う

比喩・たとえ話を使うのは,いわゆる理工系の文章(例えばレポートや論文)ではむしろNGとなる(というか,いらぬ誤解を与える)可能性が高いです(我々の添削対象として「事実が正確に」記載されているか,という観点がありました.いわゆる本格的な比喩やたとえ話を用いて,事実がより正確に/わかりやすく伝わることもあり得ますが,これはかなりの高等テクニックだと思います).

むしろ,特に学術論文や発表資料などでは,”実例を挙げる”ことで読者の理解を助けられることが多いです.例えば抽象的な概念を対象とする場合には,それを現実の場面に置き換えたらどう表現できるか,とか,具体的なシステム・手法が対象である場合には,それを具体的にこれこれこういった環境に適用したらこうなる,といった例があることで,読んで/聞いている人々もイメージがしやすくなる訳です.

まだ,借りた書籍の冒頭しか読んでいませんが,「はじめに」のページに書いてあるとおり,この本の対象となる読者はあらゆる分野の人となりますね.もちろん上のように,このポイントは自分の分野ではこう置き換えられる,といったように,一部翻訳や変換が必要になる部分もありますが,むしろそういったことを意識して読めるようになっていること自体,自分の文章術が向上している証拠と言えるかもしれません.

そういうわけで当該の書籍ですが,現在僕の手元にあるものの,東京高専の学生は図書館で借りられます.まずは借りて読んでみて,これは,と思ったら購入して手元に置いておく,という手もあるかと思いました.

2022/03/02

良い(まともな)文章の書き方

最近,週刊のビジネス誌を読むことがよくあります.以前も紹介したことがあったかと思いますが,今回も自分が勉強する,というよりむしろ,学生の皆さんに紹介したテーマが載っているように思ったので,重要なポイントのおさらい・確認を兼ねて,皆さんに以下の特集を紹介します(既にコンビニなどでは新しい号になってしまっているかと思いますが,多少大きめな書籍であったりAmazonなどのWebサイトであれば,バックナンバーも取扱があると思います.


ついこの前まで(実は現在進行形なのは内緒),本科5年生の卒業論文や専攻科生の特別研究論文といった,比較的長文となる科学技術文書の添削を行なってきましたが,率直に言ってこの手の文書をいきなり上手く書くことは学生でなくとも不可能で,大袈裟でなく“日本語的に意味を理解できて,ストーリーを追うことができる文章”を作ることさえ至難の技であることを,学生の皆さんは理解しているでしょうか?

ただもう一つ,重要な事実があって,どんなに作文が下手な学生でも,練習したらある程度レベルの文章は“絶対に書けるようになる“ということも言えます(これってある意味,何にでも言えることかと思います.いわゆる天才と言える人,センスのあると呼ばれる人でないと超えられない壁というのも感じる一方,逆にどんな人でもトレーニングによってここまでは来られる,というレベルがあって,それは一般的に見てもかなり高いところにあるよ,という話).

学生の皆さんはレポートを書いたり,その他課題で文章を書くこともあったでしょうが,率直にいってそのレベルの文章をちょこちょこ書いている程度では“良い文章を書く技術“は向上しませんし,逆に,このレベルの文章を書いた程度で「自分にはセンスがない」と諦めている人は,諦めのタイミングが早すぎます(上述の通り,センスがあろうがなかろうが,トレーニングすればある程度以上のレベルには到達できます).

紹介した雑誌には様々な非常に興味深い文章術が紹介されているんですが,中でも一番面白かったのが

(藤吉豊,小川真理子 著 日経BP)

という書籍の中から,さらに重要なポイントをピックアップした記事です(上の本,面白そうなので買って読んでみる予定).

トップ40がリストアップされていて,当該書籍の著者自身がその中からいくつかポイントを紹介しているんですが,その中で僕自身も「まさにそれ!」と感じたものを以下に引用してみます.
  • とにかく書く,たくさん書く
文章が上手くなるための近道は、書いた文章を誰かに見せて、「添削してもらうこと」にほかならない。(中略)書いた原稿を先輩に見せるたびに真っ赤に添削されて戻されていた。その繰り返しが書く力の向上につながっていったのだ。
  • 文章はシンプルに
文章のプロは、例外なく「一文を短くする」ことの大切さを説いている。ちなみに私たちが文字数の平均を取ったところ、一文の長さは、「60字以内」が好ましいことが分かった。
特に1点目については,僕自身がそうされてきたし今現在もやっていることです.ここで挫けたり,再び「自分にはセンスがない」と簡単に諦めてしまうと,上達のチャンスはありません.加えて,特に最近よく感じることですが,添削を繰り返して改善を繰り返すことで上達するのが文章術であるのに,そもそも“第一版の提出が遅すぎる“が故,改善の時間がない(=駄文のまま or 改善の余地が大量に残ったまま)締切が来てしまうことが非常に多いことの勿体なさ・・・
2点目については実の所,僕自身反省すべきところでもあり,どうしても一文が長くなりがちなので,もう少し簡潔な文章を書きたいと日々考えているため,印象に残りました.いわゆる論文のような文章の場合,必ずしも短い=正義ではないことも多いのですが,論文を書く際の癖のようなものがそのまま一般的な文章にも影響してしまい,あれもこれも長めの文章になっているような感覚があり,対象によって文体を自在に切り替えられる能力を身につけられたらなぁ,と僕自身考えています.

当該号にはその他,
  • プレゼン資料を作る際の文章術
  • メールを書く際の文章術
  • 英文メールの場合の文章術
  • チャットでの文章術
など,まさに今必要な文章術のエッセンスが紹介されているので,これってビジネス誌だけれど,ぜひ学生の皆さんにもせめて,この特集のページだけでも読んでもらえればなぁ,と思って紹介した次第です.

とはいえ,前半の話に戻りますが,文章は誰でもトレーニングさえすればそれなりのレベルに到達できますが,トレーニングしない限りは絶対自然にそこへ辿り着くことはない一方,やり始めればやっただけ(少しずつではありますが)必ず向上していきますので,学会発表の際や論文執筆の際に苦労や後悔をしないよう,作文技術を上達させたいと思う人は,今からでも,継続的に取り組みを始めることを強くお勧めします. 
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