2022/12/31

2022年最後の投稿です ー映画鑑賞 ONE PIECE FILM REDー

 本日,2022年最後の日=大晦日です.今年は個人的にはかなり変化の大きな年でしたが,お陰様でなんとか(特に下半期は)心身ともに”比較的健康・健全に”過ごすことができました.

研究面では,久しぶりに国際会議参加のため海外出張にも行くことができましたし,来年度以降につながる”研究の芽”も見出せたように思っており,有意義だったと思います.

生活面で変わったことと言えば,読書欲の映画欲が復活したことが良い変化でした.

ということで昨日,年内最後の映画鑑賞に行ってきました.本当はTHE FIRST SLAM DUNKを見る予定だったのですが,一緒に行く子供たちの気が変わり(!?)標記の映画を見に行くことに(近日,スラムダンクも鑑賞予定です).

まだ劇場版でやっていますのでネタバレ的なことは控えようと思いますが,一言で表せば,さすが大ヒット,ロングヒットの映画,非常に楽しめました.
前半中盤くらいまでは,どちらかというと”ミュージカル映画”のような側面があったようにも感じていますが,UTA(Ado)の歌 and 楽曲自体が良く,現在サントラを買おうかと思っているところです.

一方でやはり,オリジナルストーリーではそろそろ佳境を迎える大作マンガ/アニメとして,中盤以降はどんどんストーリーで魅せて行く,その盛り上がりはお見事でした.特に個人的に印象に残ったのは,(僕の記憶違いでなければ)赤髪海賊団が,クルーも含めて全員しっかりと先頭に参加した場面って,オリジナルの漫画やTV版でもほとんど描かれていなかったように記憶していて,今回,比較的しっかりとその部分が描かれていたことに”お得感”を感じました.

2022年もあと少し.本当は少し宿題が残っているのですが,この宿題は”相手がいるもの”で,相手がアクションを起こさない限りはこちらはリアクションを取れない類のものなので,焦ってもしょうがない,と達観しています・・・と書きながら念の為確認してみたら,アクションを一つ確認できたので,早速そっちの宿題にも(一部)取り組みたいと思います.

来年の抱負などは,年が変わってからまた改めて.
皆様,良いお年をお過ごし下さい.来年もよろしくお願いします.

2022/12/24

文系と理系 ー区別している時点でアウトー

非常に興味深い本を読みました.


ちなみにこの書籍内でも記載がありますが,文系・理系(工学系)といったカテゴリが存在するのは日本のみで,これは非常に“悪しきカテゴライズ“だと思っています.著者もまさにそれを言っていて,とはいえ,タイトルにあるように,いわゆる文系として高校や大学で学んだ人材は,今後グローバル化やデジタル化(AIをはじめとする技術の発展・一般化)が進むにつれて,“「食っていく=給料をもらって生活していく」ことができなくなる“ということを述べています.

この主張,僕的には納得できる部分が大いにある一方で,納得できないというか,抜けている部分があると感じました.
具体的にいうと,“文系だけでなく理系も,いわゆる理系として身につけられる能力だけでは「いずれ食っていけなくなる」“ということです.

日本でいうところの文系人材は,敢えてシンプルかつネガティブな言い方をすると,“高等教育で理科と算数に関する勉強をしてこなかった”人々を指すのが一般的です.それこそ大学入試で物理や数学といった科目が受験科目に含まれないような大学・学部は文系大学・文系学部ということになります.逆にいわゆる理数系の勉強(ばかり?)を中心的に学んだ人は理系人材ということになります.僕が所属している東京高専は“工業高専“ですから理系ということになるんでしょうね.

著者は,今後文系が生きていく(就職する,転職する,起業する)にあたって重要なスキルとして,

英語力,ファイナンス,コンピュータ(プログラミング)

を挙げていますが,これって文系人材のみに必要なスキルでしょうか?率直に申し上げて理系(それこそ高専の学生)にとっても上記のスキルは非常に重要です(というか,知識やスキルがない/足りない人が多いと思います).
上記のうち二つ目=ファイナンスは,いわゆる経済の仕組みやお金に関する知識を指していますが,日本の教育機関でこれをしっかり授業として教えているところはどれだけあるんでしょうか?少なくとも僕は習った記憶がないです(辛うじて,中学社会で株式会社って何?程度のことを習った程度です).将来起業したいような人は確実に,そうでない人も確実に必要な知識ですが,上記の通り学校で教わる機会はほぼないので,残念ながら自分で身につけるしかありません.
また,三つ目のプログラミングは,高専,特に情報工学科では科目もたくさんありますが,では同学科の学生は全員プログラムが得意かといえばそんなことはありません(心当たりのある人もいるでしょう).プログラムが上手く書けるようになるには“数理的なものの考え方”が重要です.プログラムが得意な学生は数学系の科目やその他の情報系専門科目も得意な学生が多いと思いますが,プログラムを扱ったことがない文系の学生であっても,数理的なものの考え方ができれば,今後食って行ける可能性が高いでしょう(逆に,いわゆる理系の学生で,プログラムがもし書けたとしても,数理的な考え方が身についていない学生は将来,困ることがあると思います).

一方,当該書籍では記載がないものの,文系・理系に関わらず必要だと思われるスキルがもう一つあると僕は考えています.授業などでもよく話しているので気がついている人もいるかもしれませんが,ある種何よりも重要なのが

コミュニケーション能力

でしょう.これは上に挙げた3つのスキルの1つ目,英語とは別物です.英語力は語学力であってコミュニケーション能力ではありません.コミュニケーション能力を簡単に定義すると,
“伝えたい相手に応じて,相手に伝わりやすい手段で伝えられる能力”
といえます.実はこの能力,さまざまなサブスキルから構成されています.まず,思いやりが重要です(思いやりがスキルか,という話はありますが,相手の知識量や状態を観察したり推測したりするのは立派なスキルと僕は思います).加えて表現力も必要ですし,何より大前提として,それを伝えられる自身の知識量が重要です.

書籍にも記述がありましたが,英語がペラペラでも,伝えるべき知識がなかったり教養がない,だったり,文法はメチャクチャ知ってるのに,相手によって使い分けられないとなれば,その英語力は完全なる“宝の持ち腐れ“です.そんなくらいなら多少文法に誤りがあろうが発音がおかしかろうが,相手のことを考えて有用な情報を熱心に伝えようとしてくれる人の方がよっぽど好感を持たれるでしょう.

冒頭に書いた通り,そもそも文系理系というカテゴライズは日本特有のもの,と書きましたが,敢えてそこを意識して本書はタイトルをつけたのだと予想します.
その一方で勿体無い,というか,読んでみて強く感じたのは,この本で伝えたい内容は文系人材のみに向けた物ではなく,
“理系文系どころか性別にも年代にも関わらない,(今後)食っていく必要がある人”
を対象としていると思われるので,自分は文系だと考える/感じる人たちだけではなく,ぜひ理系の人(例:高専の学生)にも読んでもらいたい内容だったということです.
書籍終盤では,企業での勤務後,教育業界に関わることとなった方と著者との対談が記載されていますが,まさにこの部分は理系文系関わらず,“日本の教育”について議論されたものといって間違いありません.

書籍の中では上記の他にも,リスクを取らないことほど大きなリスクはない,とか,変わり続けるものこそが生き残る,といった印象的なフレーズも出てきます.
これらも全て,理系文系関わらず全ての人にとって,特に今後さまざまな分野で活躍してほしい学生の皆さんにとって重要な考え方だと思っています.

大学の教員は教授になってしまったら安泰なので向上する気がない,とか,学生に問題があるのは教える側にも問題がある,とか,毎年同じ講義をしている(授業で自分の教科書を読み上げるばかり)と言った耳の痛い記述もありますが,個人的には極力こうならないように努力しているつもりです.こういった書籍を含め,分野に関わらず様々なインプットを継続的に行なっているのは,良質なアウトプットを続けるためです(単純に読書が好き,という面もありますが).また,授業に関しても,コアな部分は一緒ですが,伝え方や説明の仕方が毎年updateしています(年々,学生さんとは年齢差が離れていきますから,授業の合間に話すネタもupdateしていく必要がありますし・・・).

ここまで散々書いてきて,全く逆のことを書きますが,特に学生の皆さんには是非,特に自分自身に対して理系文系というカテゴライズはしないことをお勧めします.要は,
“理系だから◯ ◯は勉強の必要はない“
という自分の可能性を狭めるような意識は捨ててもらいたいと思っています.
そういう意味ではまさにタイトルの通り,自分を理系(文系)と区別した時点で,自身の可能性を自分で限定してしまうから“アウト“ということです.

2022/12/21

映画鑑賞 ーDr. コトー診療所ー

標題の映画,昨日,レイトショーで見に行ってきました.

”Dr. コトー診療所”は,19年前に放送されたドラマシリーズ・シーズン1,16年前のシーズン2と欠かさず見てきました.原作漫画は読んだことがありませんでしたが,当時は,”北の国から”の純くんのイメージがまだ強かった吉岡秀隆の演技が好きで,彼が新作ドラマでどのように演じるのかを期待して見てみたら,演技は期待以上,ストーリは面白くも社会性があり,舞台となっている志木那島(しきなじま:ロケ地は与那国島)の美しさも相まって,ずっと大好きな作品でしたね.

今回も,まず最初に圧倒されたのは大画面で見る志木那島の美しく壮大な自然.ある意味これは完全な”本物”.これでもかと,16歳,歳をとったコトー先生と共に映し出されるのが,変わらぬ自然と時の流れを感じさせて味わい深いものがありました.

コトー先生は髪がかなり真っ白になって,前回テレビシリーズからの時間を感じさせるとともに,診療所スタッフや島の人々との関係性は変わらず,あの続きを見ているんだな,という感慨がありました(これはある意味,今年前半で見たトップガン・マーヴェリックと同様の感覚でした).

とはいえ舞台は離島の医療ドラマ,TVシリーズと同様,シリアスなシーンも随所に(なんなら冒頭から)盛り込まれていて,引き込まれていきます.久々の劇場版であることもあり,当時の子供たちは大人になり,診療所に新たな看護師や研修医もやってくることでストーリーに厚みが出ていました.新キャストも従来のキャストに溶け込んでいる一方,TVシリーズから続くこのドラマのテーマである”離島医療・僻地医療”の難しさや,人生の困難さ,それでも諦めずに立ち向かうコトーや島の人々の,執念に近い生命力を感じられます.
個人的には,新キャストであるキンプリの髙橋海斗(研修医・織田判斗役),生田絵梨花(看護師・西野那美)の存在が,ストーリーの中でも重要な役割を担っていたように思いました.

ちなみに,ここ最近はパンフレットを毎回購入しているのですが,今回のパンフレットの表紙は志木那島の雄大な自然の中に,愛用の自転車とともにポツンと佇むコトー先生が映っています.今回,上映前にパンフレットを買ったのですが,この表紙だけでも先に見ることができて非常によかったと思います.当該の絵は上映された映画のワンシーンとしても(全く同じではないかもしれませんが,同様の絵が)使用されているのですが,「そうか,このシーンが表紙になったのか」ということを認識することで,表紙に対するイメージがガラッと変わりました(ある意味,映画のメインテーマがこの絵なんだろうな,という意味で合点がいきました).

総じて,満足できた映画だとは思うのですが,結末は賛否が分かれるところのように思います(個人的には).あまり細かく書き過ぎるとこれから見る人に先入観を与えてしまうので控えますが,僕としては,上映時間を後30分伸ばしてでも描き切って欲しかったな,と.

分野が全くといっていいほど違うので単純比較はできませんが,主観的な比較で言うと,前回観た土を喰らう十二ヶ月の方が,満足度は少々高かったかもしれません.
・・・と書くと誤解があるかもしれませんが,続編として非常にクオリティは高く,夜遅く観に行った価値は十二分にあったとも思っています.

2022/12/14

映画鑑賞 ー土を喰らう十二ヶ月ー

 以下は,最近見た,とても印象的だった映画の感想です.


「土を喰らう十二ヶ月」

まず,何よりも最初にタイトルに惹かれました.内容に関するイメージが膨らみます.続いて予告編の動画を見て,いい意味で予想通りの内容であることが期待され,その時点で“必ず映画館で観る”ことを決めました(笑).

僕は,人が料理を作ったり,作った料理を食べたりする物語が大好きです.というと,大体どんなドラマでも食事シーン等は比較的よく出てきますが,そもそも“食“が物語の中心であったり,重要なファクターである作品が好物なんです.実際,漫画は美味しんぼにはじまりクッキングパパ,昔はミスター味っ子(かなり昔に完結した&劇画要素も強い漫画でした ^o^;;)も読んでましたし,TVだと孤独のグルメ,きのう何食べた?(双方とも原作は漫画ですが,TVドラマから入って漫画に誘われたタイプです),絶メシロードにタクシー飯店,晩酌の流儀にベイクオフも好きです.

今回観た映画の舞台は長野,四季折々の山里の景色が非常に美しく,その季節に合った,素朴だけれどもある意味手の込んだ,そして何より美味しそうな食材や料理がたくさん登場してきて,しみじみと「美味そうだなぁ」と思いながらニヤニヤしていました.特に僕の場合,ただ料理がドン!と出てくるのではなく,その作る過程が描かれているものが好みで,この作品も例に漏れず,なんなら食材を畑から収穫するところから描いているのが溜まりません.

主演は沢田研二,その昔はスーパーアイドルグループのボーカルで(と言っても,グループサウンズ時代はさすがに僕も知りませんが),その後ソロになっても人気を博していましたが,最近はむしろロックで,自分のありのままをファンにさらけ出すような生き方が評価されているように思います.
劇場は結構,人が入っていましたが,もしかすると40代は僕他少数派で,大多数はジュリー(沢田研二のアイドル時代の愛称)をリアルタイムで応援していた世代の方々だったのかもしれません.
最近では,コロナに倒れた志村けんが当初主演を務める予定であった「キネマの神様」の主演を代役で務められたことが話題になっていましたが,今回の映画ではいい意味で素朴な,ある面では達観し、ある面では妙に人間臭さを感じさせる魅力的な小説家を演じています.

料理が美味しそう,そしてその食材収穫や調理の様までが美しい,というのは,料理面において全面を担当された土井善晴さんの影響が大きいと思います.テレビの料理番組でも(特に我々の世代はお父さんの土井勝さんと共に)有名な方ですが,本当に美味しそうな(そして恐らく確実においしいであろう)料理を造られる方で,この方の協力あってこそのこの映画だとも思われます.

ある意味,土井さんが協力されている,ということを知って,作品への興味がさらに強まった感があります.

食べる,という行為は当然,生きることにつながります.そして,人が日々何をどのようにどんな環境で食べているかが,大袈裟ではなくその人そのものを形成しているようにも感じています.
僕はここしばらく,体調を整え体力を向上させることも目的として,かなり食事には気を遣っていますが,その一方で“我慢しているという感覚はない“と断言できます.実際,食べたいものを食べているし,ハメを外すときはそれはもう酷いものです(苦笑).ただ,それらをトータルして,無理のない,自分に合った食生活を送ることができているように思います.

そういった,その人の多くの部分を形成する食にはどうしても興味をそそられてしまいますし,この映画でも,ただ淡々と日々“ものを食べているだけ“ではなく,それぞれの人生の岐路において,自分はどう生きていくか,何を食べて(生きて)いくか,と言ったシーンも,大いに考えさせられるところでした.
恐らく,10代20代,もしかすると30代くらいの人までは,この映画の良さを十分に感じることができないかもしれませんが,食に興味のある人なら一度観てみて,その5年後,10年後,15年後に改めて観てみると、また違った感じ方ができる,という楽しみ方もあるように思いました.

年末です ー実感あるようなないようなー

タイトルの通り,今年も最後の月,その上そろそろ残り1/2ヶ月ですが,イマイチ実感がありません.コロナの流行はいまだ予断を許さない一方,ワクチン接種も進み移動制限も国内外問わず緩和されてきたおかげで海外出張にも行けましたし,年末ならではのイベントもいくつか入っているので,全く実感が無いわけでは無いのですが.

恐らく一番の原因は,例年この時期だと大量にやってくる”添削依頼”がほとんど届かず”凪状態”だからでしょうね.率直に申し上げて,非常に心配です.このまま凪のままの場合,年度末が地獄と化します(冗談抜きで).現在,実験進行中の学生さんも多いので,事情が全くわからないわけでは無いのですが,それはそれとして進められるものをパラレルで進めていかないと,時間的には間に合わないことがこれまでの経験上”予言”できてしまいます.

そもそも,論文執筆経験がないことは百も承知ですし,自分たちにもその自覚はあるでしょうから,初版で100%近い完成度は,はなから求めていません.考えながら作業を進めていく必要はありますが,むしろ,”進めながら考えて,進めたものに対してコメントをもらいながら修正しながらまた考える”というプロセスで進めていかないと,時間だけが過ぎていくよね,という・・・

この話も最近初めて伝えたわけではなく,なんなら4月,さらにいうならそれ以前の研究室配属の前から話していたように思うのですが,いかんせんやっぱり経験して(失敗して)みないとわからないのかも知れません(ただ,失敗しても良いのであれば良いですが,大部分の人は失敗すると,少なくとも当人にとってはヤバい状況になるはずなんですが).

そうは言っても,こちらも年末年始の予定はすでにプランニングしてしまっていますので,慌てて駆け込んでも”休業中”のタイミングで門が開くことはありませんので,悪しからずご了承ください,としか言いようがありません.とにもかくにも,頑張ってくださいとしか言えません(よっぽど僕が代わりに全部やってしまいたい,と思うものの,その場合卒業するのは僕になってしまいますので).

2022/12/04

総括 ー3年ぶりの台湾出張ー

 タイトルの通り,今回は2019年12月以来,3年ぶりの台湾出張でした(というか,これを書いている時点ではまだ”機上の人”であるため,現在進行形ですが).

久しぶりの出張,ということで,以下の3つのポイントに絞って,今回の台湾訪問を振り返ってみたいと思います.

(1) 出張目的(学会発表(指導),学会発表,日本からきた研究者&現地研究者との交流)について
(2) 台湾の現在について
(3) 今回の出張全体について

(1) 出張目的(学会発表(指導),学会発表,日本からきた研究者&現地研究者との交流)について

 前回出張時が”TAAI2019”,今回は”TAAI2022”と,参加する学会は同じです.日本の人工知能学会(JSAI)と台湾の人工知能学会(TAAI: 学会名と同じ略称です)が主催する国際会議で,我々が参加したのはJSAIがOrganiseするSpecial Sessionでした.
 参加した学生さんは私の卒研室のOBで,現在豊橋技科大に所属する学生さんで,豊橋で従事している卒論と,学会発表テーマをデュアルに研究しているという中々の強者です(その分,無理が祟って色々と”持ってる”面も見せてくれるのですが).上のような状況でもあり,ある程度研究成果も挙がって論文は書ける状況にあったものの,執筆には結構時間を要することとなり,実の所deadline(登校締切)には間に合っていませんでした.が,私が2018年,在外研究時代にお世話になった先生のご厚意でなんとか投稿させていただくことができ,無事acceptされて現在に至っています.
 そういう意味で言うと,やはり僕にとって,2004年から続く約20年の台湾訪問の経験は生きているように思います.特に2018年の在外研究での1年間では,受け入れてくださった中央大學(日本の中央大学とは違います)の先生をはじめ様々な先生にお世話になりました(今回も一瞬だけお会いすることができたのですが,この件については(2)で記述します).台湾での友人が増え,困った時にはフォローしてもらえる関係性というのは非常にありがたく,こちらも必ず,なんらかの形で恩返ししたいという気持ちを常に持っています(今回、僕が海外出張できたように,学生の皆さんが台湾訪問できる形になれば,恩返しという意味でも,学生交流という意味でも貢献できると考えています).

 話は戻り,学生さんの学会発表ですが,かなりタイトスケジュールで準備を進めていたこともあり,実の所ギリギリまで資料は完成していませんでした.が,率直に言って”彼ならなんとかなる(する)だろう”と思っていたことも事実です.少なくとも1年間は卒研生と指導教員として一緒でしたし,その後結局,2年にわたって本科での研究を継続することとなったので,彼のパーソナリティや能力は(良い面も悪い面も)把握できているという感覚がありました.
 台湾到着後も色々と紆余曲折ありましたが(詳細を知りたい人は北越に聞いてください),発表当日の時点では,なんとかなる(個人的には「それ以上」にはなる)レベルになっていたように思います.実際の発表時には,想定外のアクシデントもあったものの,ご覧いただいた他の先生方曰く,むしろそれさえも良い演出に思えた,というほどスマートに発表を実施できていたので,むしろ学生さん自身にとっても今回の経験を自信にしてもらえればと思います.その一方で,やはり自分の発表というのはどうしても穴が目立つもので,むしろそう言ったところに注目して,評価はありがたく頂戴しつつも課題にも取り組んでいく,というスタンスが更なる成長には重要だと思います.

(2) 台湾の現在について
 
 今回の出張も,実はかなりギリギリのタイミングでゴーサインが出たものでした.台湾は10月中旬まで,入国者に対して1週間の自主隔離を経ての(実質)入国を課していたので,1週間程度の短期出張では,”出張期間より隔離期間が長い”状態となり,そもそも現実できな状況ではありませんでしたが,10月中旬に帰省が緩和され,
 ・出発国での3回以上のワクチン接種
 ・台湾での1日おきの抗原検査(陰性なら報告義務なし。陽性の場合は然るべき処置を受ける)
というのが原則となりました.
 現在開催されているカタールW杯ではマスクのない姿での応援シーンが話題となっていますが,台湾では日本と同様,普段はマスクを装着することが義務となっています.とはいえ,人が集まる箇所ではかなり過密になることもあり(台湾名物の”夜市”は,ある意味例年以上の人だかりでした),そんな中でも人々はマスクをつけ,経済を動かしつつも感染対策をとるといったバランスを重視した政策が機能している印象を受けました).
 (1)でも記載した,在外研究でお世話になった先生との再会ですが,結果としては短時間のものとなりました.後から伺った話では,政府の政策として,海外からの訪問者との接触に対するルールのため,長時間の対応が難しかったとのこと.世界から色々な人が集まる今回のようなイベントでは,現地での対応役は必ず必要になってくると思いますが,そうでない人にとっては接触を密にせず,そういった方向でも対策をとっていると理解しました(当該の先生には,「挨拶できただけでも嬉しかったですし,今後も近いうちに&頻繁に台湾には伺うので,状況が許すようになったら是非またお話ししましょう」と連絡しました).
 少なくとも,外国人の僕から見た台湾は,いい意味で非常に落ち着いた対処をしている,という印象を受けました.

(3) 今回の出張全体について

 まず,何より先に言いたいことは,僕自身,台湾という国やその文化,そこに住む人々が大好きであるということ,そこへ久しぶりに訪問できたことが嬉しく,この期間中の全てが楽しかったということです.加えて,思い起こすと前回訪問から18年ぶりとなる台南市に来ることができて,前回訪問時を思い出させる場所や,前回訪問時には経験できなかった色々な場所への訪問やイベントへの参加ができたこと,ここ数年では最も印象的な5日間となりました.
 特に感じたのは”食文化の違い”です.僕はこれまで,台北,桃園(台湾北部),台中(台湾中部),南投(台湾中央部),高雄(台湾南部),花蓮(台湾東部)と言った箇所に複数回訪問しています.台南は高雄同様,台湾南部というイメージでいましたが,こと食文化に関しては,高雄とも台中とも,その他エリアとも異なっていたことが非常に興味深かったです.僕は台湾に訪問した際には,必ず現地の夜市(Night Market)を訪れます.夜市では現地の様々な美味しいものが食べられるんですが,そこに見事に地方の違いが現れます.これまで,特にギャップが大きいと考えたのは,ある意味当然,台北,桃園などの北部と,高雄が含まれる南部との違いでした.台南はその名の通り台湾南部の地域ではあるものの,見事に他の全ての地域と違う個性があり,かつ,(どの都市の夜市も同様ですが)その上で全部美味しいという特徴が魅力的でした.
 今回,台湾の先生から伺った話とも符合しますが,台南は”台湾が台湾と呼ばれる起源”となった都市であり,台湾で一番最初に栄えた街ということで,日本でいうところの京都のような位置付けであるようです.京都が,同じ関西圏である大阪や兵庫とも異なるアイデンティティを持っているのと同様,台南には台中や高雄とは異なる特徴があることが,今回非常に強く印象に残りました.具体的に言うと,夜市で提供されている食べ物の殆どが他の地域では見たことがないものであったり,似てはいるもののディテールが異なったり,さらに(これが一番大事ですが)それら全てが例外なく美味である,と言う点は,人でごった返す夜市を巡りながら,何度口に出して同行していた学生さんに伝えたかわからないほどです.

 今回,学会発表した学生さんは,実の所すでに複数回の発表を実施しているのですが,コロナ禍の影響もあり,実際に現地に訪問し,対面で発表したのは今回が初めてです.そう言った意味もあり,卒研やその他活動との両立もしなければならず,かなり大変であったとは思いますが,そんな中でも最初の”対面発表の場”が台南であったことは,非常に貴重で印象深い記憶・経験となるものと思います.率直に言って,台北や高雄であれば,(特に僕のような台湾大好き人間の場合)行こうと思えばすぐに行けるし,実際に行きたいので行く,と言った感覚の街ですが,台南や台中のような都市は,ある種今回のように,学会開催地であるために訪問の必要がある,といったモチベーションがないと腰が重いかもしれません.逆に,今回のような印象深い経験ができると,逆にそれがモチベーションとなって,再び台南に訪れたい,せっかくだから台湾の他の地域も見てみたい,と言うように繋がっていくように思います.

 これまで,オンラインではあるものの複数の国際会議発表を経験してきた当該の学生さんについては心配していませんが(笑),単に英語が苦手だからとか,準備が面倒だから,とか,何かあったら怖いから,と言った理由で海外での発表や,日本語が通じない国への旅行を躊躇・敬遠している学生さんには,是非一歩踏み出してもらいたいと思っています.
 もちろん,しっかりとした準備や原地の予習なしで乗り込むことはリスクがありますが,それは国内でも一緒です.新たな経験を積むことで新たに見えてくる景色や楽しさが必ずあります.むしろ,失敗でさえが数年後,10数年後,数10年後には”ネタ”になる時代が来ますので,まだまだコロナ禍であるとはいえ,状況が許せば是非チャレンジして欲しいと強くお勧めします.

2022/11/29

久しぶりの国内/国外出張

東京高専では本日から後期中間試験が始まりました.そんな中,日本国内ではコロナの第八波の影響も出てきていますが,ワクチン接種が3回を超える人も増えてきていて,今のところ行動制限は行われない方向のようです.

僕や学生さんの研究活動の面で言うと,北越が在外研究から戻ってきた約1年後の2019年度末からコロナが流行し始め,当初は軒並みあらゆる学会,国際会議が中止となる中,一部の学会はオンラインでの開催を試み,ここ3年ほどはウチの研究室でも,僕自身,および学生の皆さんがオンラインでの成果発表を行なってきました.

冒頭に記載した通り,第八波の影響もある中,(様々な分野でも同様ですが)アカデミック分野においては,徐々に対面での開催や対面・オンラインを選択可能なハイブリッド開催でのイベントが増えてきました.
タイトルにもあるとおり,実は今年度,国内に関しては既に2回,研究活動推進のための打ち合わせ出張を実施しました.一つは北海道(8月),もう一つはつい数日前に訪問した名古屋(11月)です.

オンラインでの授業や発表など,技術の進歩によって,直接会わずとも便利に,気軽に打ち合わせができるようになったとはいえ,やはり対面での打ち合わせに勝る打ち合わせ方法は,少なくとも今のところないというのが印象です.理由を考えるといくつか挙げられますが,オンラインではどうしてもリアリティがない(実際に目の前に打ち合わせ対象者がいる状況で,失礼といえば失礼ではあるものの,特に,長年やり取りをしてきた相手方であればあるほど,オンラインだと現実感が薄れてしまうのは,理由はともかくとして実際のところかと思います),また,オンラインでは”非言語情報”(表情やジェスチャ,体全体から感じる空気感,声のボリュームや抑揚の変化など)が伝わりづらい面もあるように思います.

とにもかくにも実際,これまでに実施してきたオンラインでの打ち合わせと,ここ2回で実施した対面での打ち合わせを比較すると,やはり圧倒的に対面で実施した方が”伝わる”感が強いのは実感してきました.

そんな中,明日からは約3年ぶりの海外出張です.行き先は台湾,在外で2018年度の1年間お世話になった地に久しぶりに再訪できます.具体的には,台湾南部,台南市に所在する成功大學にて開催される国際会議

TAAI2022(The 27th International Conference on Technologies and Applications of Artificial Intelligence)

で,高専OBの(&北越の共同研究者である)学生さんが発表するので,現地参加してくる形になります.
実際に発表するのは学生さんになりますが,僕のミッションとしては,発表内容に対するコメントを出して発表支援するのはもちろん,在外時代にお世話になった先生へのご挨拶&今後の研究に関してのディスカッション,海外インターンシップや専攻科新カリ授業に関しての情報交換と(コロナ禍緩和に伴う)新しい取組への布石を打っていきたいとも思っているところで,せっかくの機会ですので,台湾のAI研究関係者(に加え,実はなかなか国内で会うことができない,国内の関係者)との連携を強化していきたいと考えています.

コロナ禍は,実際の発表者にとってもやはり影響が大きく,今回発表する学生さんは国内外関わらず,かなりの発表の場数を踏んでいるものの,実はこれまでの発表は全てオンラインで,今回の台湾での発表が”対面での口頭発表初体験”になるとのこと.
いわゆる一般的な口頭発表では,(発表する学生 and/or 機関のレベルにもよりますが)発表内容はしっかりと覚えて話すのが通常ですが,オンラインの場合,(実際にどうかは,気づく場合とそうでない場合もありますが)発表内容を覚えていなくても,”カンニングペーパー”を用意しての発表もできなくはないかと思います(見る人が見れば結構バレますが).

上述の通り,対面での発表でもあからさまにカンニングペーパー(というか,台本)を手元に発表する学生もいて,これは流石に見ているこっちも恥ずかしいと思うものの,あるレベル以上の発表であれば内容は暗記(というか,自分の研究を自分で発表するんだから,暗記も何もわかっていて当然で,あとはどうやってわかりやすく聴衆に伝えるかの工夫がむしろ重要でしょう)しておくのが当然,と言うことで,今回発表する学生さんも,現在進行形で鋭意発表準備中です(間に合うか?).

なんといっても,本当に久しぶりの海外渡航ということもあり,行き先の台湾もつい1ヶ月ほど前に海外からの入国者に対する規制を緩和したばかり.我々訪問者側も,受入先のルールを理解してしっかりと守りつつ,成果を挙げつつ,久しぶりの異文化交流も楽しんできたいと思っています.

なお,中間試験も初日(今日)と最終日に,自分自身が担当する科目についてはしっかりと実施し,しっかりと採点して,しっかりと成績はつけていきますので,安心して(!?)ください.

2022/10/19

プロコンと研究と沈金

既にご存知の方も少なからずと思いますが,10月15日,16日の二日間に渡り群馬県高崎市で開催された高専プロコン(プログラミングコンテスト)自由部門にて,東京高専から参加した2チームが”ダブル受賞”しました.1チームは最優秀賞,僕が指導していた(と言っても,プログラムスキルは圧倒的に学生さんの方がありますが)もう1チームは特別賞と企業賞を受賞しました.

詳細や画像などは僕のtwitter(@dkitakosi)で掲載済みなのでそちらを見てもらうとして,今日書きたいのは,プロコンの活動にせよ研究活動にせよ,実はそれ以外の様々な活動においても通じる共通点ってなんだろうな,とふと考えたことについてです.

学校の勉強ができるからと言って,必ずしも卒業研究がうまく進められる&まとめられるとは限りません.それはプロコンも(個人的な感覚からすると)同じで,プログラムが得意だからと言って,必ずしもプロコンで受賞できるとは限りません.プロコンについては,ある種スキルは必要条件かもしれませんが,十分条件ではない・・・と書くと,卒研も同じかもしれず,勉強が出来た方が出来ないよりもうまくいきやすいかもしれないものの,とは言え,全科目オール優でも卒研の進捗はボロボロ,という例は(まさに実例として)枚挙に暇がないです(^o^;;

じゃぁ,十分条件はなんだろうと考えたんですが,一つはやっぱり”楽しめること”だと思います.ただ,ここでいう楽しむというのは,いわゆる遊びを楽しむ,ゲームを楽しむという感覚ではなく,上手くいかないことも含めて心を広く持って,全てを受け入れると言ったイメージでしょうか?前回書いた

とも関わってきますが,研究をやっていると,むしろ成功よりも失敗の方が多いし,思い通りにいかないことが多い,というか”思い通りにいかないことしかない”というが実際のところ.ただ,それでも地道に朗らかにやり続けていると,たまに少し成果が挙がったり,誰かがその頑張りを見ていてくれたりすることで,とても幸せな気持ちになったり報われた気持ちになったりします.
中には,本当に楽しくて楽しくて仕方がない,という感覚で研究やプログラムに取り組む人もいるのでしょうが,そういう人たちはある意味幸せで,普通の人なら苦痛だと思うことも,好きであることが大幅に苦痛を上回り,苦痛と感じていないのだろうと思います(そういう人たちが,いわゆる才能のある人たちなのかもしれません).

ただ,どちらのタイプの人であったとしても,最終的に到達すべきところに到達した時の充実感や幸福感には差がないのではないかと感じてもいます.

十分条件としてもう一つあるとすれば,ある種の覚悟,というか,割り切りなのではないかと,今は考えています.

ただ楽しいだけではない研究を地道に続けていく,研究でなくとも,何かを達成しようとして継続的に努力を,活動を続けていくのは,やはり簡単ではありません.結果として必ず報われるとわかっているわけでもなく,今回のプロコンでも,多くのチームは頑張って準備をしてきたものの,受賞チームはその一部です.そういう意味で,自分自身に後悔がないよう頑張り切るための覚悟,というか,ここまでやってダメなら仕方ない,という割り切りがあった上で,初めて色々なことを楽しめるんじゃないかな,と思いました.

八王子市出身・在住で,沈金という伝統工芸に携わっている,私の友人でもある春日友子さんの個展にお邪魔してきました.素晴らしい作品を拝見しながら春日さんから,作品を作る際の取り組み方など色々とお話を伺ってきたのですが,個人的には非常に研究活動と似ている部分があるな,と思いました.
例えば,必ずしも自分の求める理想的な環境下で活動ができなくても,そういった環境の下でどうやってベストを尽くしていくか,そう言った環境下でベストを出せる心理状態に持っていくか,と言った方法論であったり,ある面では時間を贅沢に使って,今後どちらの方向へ進めていくことがベストか熟考に熟考を重ねたり,一方で,進められないときは進められないときとして割り切って(開き直って?),とは言え進められる状況になったときには爆発的に進めてみたり.対象物は一方で漆やアクリル,他方PCやら論文やらと似ても似つかないかもしれませんが,結果として双方とも,出来上がったり,作品(論文)を見た方から評価を頂いたりした時の喜びは一緒なのかもな,とも思いました.

これは恐らく,先日のプロコンに臨んだ学生にも同様のことが言えて,上手くいかない(いかなかった)ことも含めてどれだけその全部を楽しめるか,覚悟して割り切れるかというところが重要なんじゃないかと.
ただ,これが恐らく難しく,ある対象に対して楽しみを見出して覚悟を決められるからと言って,その人が他の対象にも同様に楽しみや覚悟を得られるかというと,きっとそれは全く違う(要は,好きなものは好き,嫌なものは嫌・・・)のでしょう.だからこそ,自分にとって(楽しくない部分も含めて)楽しめる,頑張りを続けられる対象を見つけられるかどうかが重要になってくる.その一方で,それを見つける過程ではやはりある程度,自分にとって楽しくないことも頑張ってやってみないことには,それを本質的な意味で楽しめるかどうかがわからない.

子供のうちに,特に意識せずそう言った対象を見つけられた人は本当にラッキーだと思いますし,僕も比較的早い段階で,”函館の高専で情報工学科ができるらしいよ.新しいし面白そう”という猛烈に軽い理由で(苦笑)進学し,どうせ入ったんだから研究をやってみたい,と思ったところがきっかけで研究の苦しさを含めた楽しさを知ることができました.
研究って面白いんだよ,ということを多くの人に伝えたいと思っていましたが,ここ最近,色々と考えてきて,ちょっと違うのかもしれないと考え出しています.要はそういった,

  • 自分にとって楽しめる,覚悟を決めて頑張れる対象を見つけると人生は面白い
  • でも,いきなりその対象を(偶然)見つけられる人は一握りで,若い(失敗しても大した問題にならない)うちにたくさん失敗しながら,早めにそれを見つけた方が良いよ
ということを伝えることが大事そうだな,と(もちろん,研究に興味のある学生がいたら,こっち方面に引っ張りたいとも思っています).
そしてやっぱり,そう言った経験をできた人であれば,人の頑張りも認められるし,その結果がどうなろうとも,次へのステップに向けた応援が(自分に対しても他人に対しても)できるのではないかなぁと考えているところです.

ここしばらく,あまり研究で突き詰めることはなかったのですが,幸か不幸か(!?)学生の皆さんの研究活動も佳境に入ってきている人が多かったり,OB学生の論文執筆でも色々と刺激をもらうことができたりして,仕事方面でも良い方向に自分を展開させることができそうで少し嬉しくなってきている今の状況が,この文章を書かせたのかもしれません.

p.s. ちなみに,春日さんの個展は今月末まで八王子駅前の東京メガネ八王子店さんで開催されています.

2022/10/07

研究は楽しい ーただし、ただ楽しいだけではないー

 昨日,恐らく3年以上ぶり,要はコロナが流行する前ぶりに,卒研に従事しているウチの研究室の全学生さん(5名)と,対面&個別&(昼食は挟んだものの)ほぼぶっ通しで打ち合わせを実施しました.

ここ数年,対面でのミーティングはやったとしても年に年に1,2回,時間制限も設けた中でやらざるを得ませんでしたが,昨日のミーティングは全員とびっしりと実施した感覚がありました.

率直に言ってどの研究も,順調に進んでいるとは言い難い状況ではありますが,それぞれに何とか,年度末に向けた方向性は見えてきたように思います.にしても,ぶっ通しの打ち合わせが久しぶりだったせいか,自分が歳をとったせいか,もしくはその両方の影響か,終了後はかなりバテました。打ち合わせ自体、当たり前ですが真剣に臨んでいたからでもあるでしょうが,もしかすると”打ち合わせに必要な体力”みたいなものがあって,しばらくぶっ通しでやっていなかったので,その体力が落ちてしまっていたのかもしれません.

とはいえ,研究の話をすることは楽しいです.うまくいっているから楽しいとか,会話が楽しい,というのとは違って,内容がかなりネガティブなものであったとしても,進捗が滞っていたとしても,解決すべき課題の解決策が見つからずにウンウン唸っていたとしても,そういった苦労をすること(そして,それを経て苦労を乗り越えること)や,自分が予想していなかった課題や成果に遭遇することに楽しさを見出しているように,個人的には思います.

いわゆる,ゲームや遊びの楽しさとは違う楽しさでしょうね.こういった,苦労や大変さの中に”研究の楽しさ”を見出すことができないと,研究職に就くことはできないでしょうね.
ただ,こう言った能力というか考え方は,研究(開発)職に特有のもの(他の職業には不要のもの)かといえばそんなことはなく,どこに問題があるのかを見つけ(課題発見能力),どうやってその問題を解決していくのかを考え(課題解決能力),得られた成果を,伝えるべき人にどうやったらわかりやすく伝えられるか悩む(コミュニケーション能力)ことで,現代であればどのような職業に就いたとしても必要な能力を向上させられます.

そう言った意味で,自分は将来研究職に就くわけでもないのになんで卒研なんてやらなければいけないのか,という疑問に対する回答にもなるかと思っています.だからこそ,一般的な工学系教育機関では,卒業研究が必修科目になっているんでしょう(というか、卒研が必修でない大学があることが信じられません・・・そう言った能力がなくとも,それなりの仕事に就けるということなのか,そう言った能力が必要ない職業が主要な就職先候補なのか).

はっきり言って,研究活動の大部分は単純な楽しさとは無縁の,”地味で地道な”活動であることが多いでしょうが,そう言った活動の成果として(そう言った活動を経るからこそ),興味深い結果や新たな知見,発表を見聞きした人からの高評価などが得られた時,楽しさというか,充実感・達成感を感じられるのかもしれません.

活動が真面目なものであるからこそ,感情的にはリラックスして,柔軟な考え方で遊び心を持って臨んだ方が,むしろ課題の解決や新たなアイディアの気づきに近づくのでは、とも思っています(個人的には,「仕事は力を抜いて,遊びは大真面目に」というのが,特に博士後期課程に進学して以降の僕の生き方の方針です).
そう言った苦労・努力と,苦労・努力の先にある楽しさの両方を,卒研に従事する学生全員に味わって欲しいと思います.

2022/09/30

週明けからは後期が始まります

1ヶ月ほどのご無沙汰でした.

この1ヶ月,おかげさまで本はかなり読めているんですが,中々アウトプットの機会がありません(どちらかというと,心理学や哲学関連の本ばっかり読んでいたような印象があります.アドラー心理学とか,思考力に関する書籍とか).

加えて,前期と比較して後期は担当授業が多いので,その準備でかなりバタバタしていました.そうこうしているうちに,あっという間にあと3日後には後期が始まります.
学生の皆さんは後期の準備は大丈夫でしょうか?秋休み前,私が担任しているクラスには,

”休養も重要だけれど,この休みは後期に向けた「準備をする」という意味合いもある”

という話をしましたが,準備は万端かどうか.卒業研究や特別研究に従事している5年生や専攻科2年生,また今年度は新カリキュラム1年目ということで,専攻科1年生も結構色々と大変かもしれません.
率直に言って,卒業研究・特別研究に従事している学生については,緊張感や危機感が感じられません.それより何より”主体性”が感じられないのが非常に恐ろしいです.主体性がない学生には,曲がりなりにも研究活動と呼べるような活動はできないと思っています.

初めて研究活動に従事する学生にいきなり主体性を持てと言われても,という意見もあるかもしれませんが,少なくとも年度はじめ(僕の研究室を希望してくれた学生にはその前)から繰り返し伝えており,頻繁に伝えてきました(「主体性を持て」と言われてもピンとこないでしょうから,これこれこういったことを”自ら動いて”実施するんだよ,と伝えてきたつもりです).
これまで主体性を発揮する機会がなかったとすると,それはそれでウチのカリキュラムに致命的な問題があると言わざるを得ませんが(恐らく,機会は少なからずあったはず),少なくともこの半年で成長の機会はあったはずです.後期になっても変わらないとすると,それこそ危機感が,具体的な”危機”に変わってきます.

実際に論文がまとめられない(それどころか,そもそも書く内容がない)となってしまってからでは遅いのですが,そうならないことを期待したいと思います.

2022/08/23

SABAKAN ー夏休みに鑑賞した映画ー

書籍の紹介をすることが多いこのページですが,今回は映画の紹介を.
ここ最近,映画を観ることが増えてきました.学生時代もよく観てきたのですが,読書欲と同様,映画鑑賞欲も復活してきたのは良い傾向のように思っています.

この夏休み期間中は既に トップガン マーヴェリック を観ていて,これもかなりの傑作でした.そもそも僕はリアルタイムで,劇場で第一作目を(地元の函館で)観ていて,第一作目を良い意味で意識した作りになっていることに非常に感動しました.とはいえ,当該作品を初めて観る(一作目を観ていない)人にとってもインパクトを与えられる作品だったと思っています.

が,今回紹介したいのはタイトルにもある

”サバカン(SABAKAN)”

という作品.

この映画もある意味 トップガン マーヴェリック と同じく,僕が小学生,中学生の頃を思い出させる1980年代後半を時代背景とする物語です.(まさに一作目のトップガンが上映された)1986年の長崎を舞台に,小学校高学年の少年二人の友情を描いた作品です.

その当時流行っていたキン消し(大人気の漫画,キン肉マンのキャラクターをかたどった消しゴム,と言っても,消しゴムとして使っていた人は一人もいなかったでしょうね・・・いわゆるコレクションのためのもので,僕も大量に集めていた記憶があります)が出てきたり,大好きなアイドルが斉藤由貴だったりと(現代の学生の皆さんは知らないと思いますが,“スケバン刑事“というドラマが人気で,その第一作目に主演していました),その時代に同じように小中学生だった僕にとってはかなり琴線に触れるバックグラウンドでした.

また,少年たちが住む長崎という街は,僕が高専を卒業するまで住んでいた函館市と

  • 坂が多く
  • 異国情緒漂う
  • 港町

であるという点で共通していて,美しい海や山の景色を見ると,ついこの前帰省したばかりだというのに(苦笑)故郷を思い出させると共に,そのストーリーから自分の少年時代も思い起こさせてくれ,おそらく映画を観ていた他の皆さんより僕を感情移入させたようにも思います.

(これから観る人もいるかと思いますので)ストーリーの詳細は省きますが,少年二人の友情物語は単純に感動します.また,このお話は現代,これまた恐らく現在の僕と同世代であると思われる草彅剛が演ずる売れない小説家が,少年時代を思い出す回想として語られていくところもグッときます(この人のナレーションは,本当に,なんとも言えず心に響く印象があります).草彅君は,実際にも僕と同世代なので,ますます感情移入してしまいます.僕より若い世代の皆さんは,もしかするとそこまで映画の世界には入り込めないかもしれませんが,とはいえどの世代の人であっても,自分の子供時代を思い出して感慨深くなることはあるでしょうから,そういった世界観に興味がある人にはお勧めです.

少年二人の両親も,いかにも当時のお父さん,お母さんという感じで,こんな人いたいた!と感じながら見ていました.

特に,父親役の竹原ピストルは最高でしたね.物語終盤で,父が息子と自転車で二人乗りしながら“酒と泪と男と女”を歌うシーンがありますが,これは竹原ピストルの情感に満ちた歌声による相乗効果で,より感動を促したように思います.

映画の紹介をする草彅剛のインタビューが記載されたHPで,是非子供にも観てほしい作品,との一文がありましたら,個人的には,子供も感動する,というより,子供たちがこの作品を観て,どういった感情を抱くのか,単純に非常に興味深い作品だな,と感じました.今回は僕一人で見にきたんですが,上映期間中に子供たちを連れてもう一回,観に来るかもしれませんね.

P.S. と書いていて思い出しました.夏休み,もう一作,映画を見ていました.チビ二人を連れて見にきた“映画 ざんねんないきもの辞典”も面白かったです.オムニバス形式で3話からなる映画でしたが,大人でも十分に満足できる面白い出来になっていました.

2022/08/15

何のために文章を書くのか ー人を動かす文章ー

 先日のエントリで紹介した4冊のうち2冊,

を読みました.両方とも中々に面白く,文章作成の際の参考になる書籍でしたが,この2冊に共通していることとして,タイトルにもある通り,”文章を書く目的”があります.表現は若干異なるものの,双方で強調されているのは,

文章を書く目的は”人を変える=人(の心)を動かす”ことである

ということで,これはまさにその通りだと思います.いわゆる理系(科学系)・工学系の文章(例:論文やレポート)の場合,客観的かつ冷静に研究の独創性や新規性,有用性を示したり,行った実験の結果を明確に示すことで読む人からの評価を得る(査読者からacceptされる/読者にとって有用な知見を与える)必要がありますし,いわゆる一般的な読み物であったとしても,読者がそれを読んで感動したり笑ったり,場合によってはそれをきっかけにその後の考えや振舞が変わるような変化を与えられることが理想で,少なくともそれを目指して書かれることが前提になっているべきでしょう.

堀井憲一郎さんの書籍は,著者がコラムニストであることもあり,”面白い文章”を書くための方法にフォーカスしていますが,それでも学生の皆さんにとって参考になることがたくさん書いていました.例えば,文章を書く際にはその文章を読む人をできるだけ具体的にイメージすべきことや,何を伝えたいのか,まずはそこを意識した上で文章を書き始める必要があることなどは,まさに論文を書く際にも非常に重要なポイントです.

斎藤孝さんの書籍では,企画書からお詫び状,メールの文書まで、様々な文章/文書の書き方を,それらが”書かれる目的”に応じて説明しています.こちらでもやはり,その文章を読む相手のことを意識し,また,その相手に対してこちらはどのような変化をもたらしたいのかについても具体的に意識して書くことを前提とした上での具体的な書き方が記載されていて,中々実用性のある内容でした.

また,そもそも良い文章を書くための準備,練習についても,双方の書籍で記載がありましたが,それぞれの著者の活躍の場が異なっていることもあり,共通していると思えるノウハウもあれば,書く文章の種類によって準備の仕方が変わってくるものだなぁ,と思えるものもあり,対比しながら読むことで読者の考え方の幅も広がり,効果的だなぁ,などと考えながら読み進めていました.

特にここ数年で,文章を書くことに苦手意識を持つ学生が増えてきているように思いますが,恐らくその原因は,

  1. そもそも書く経験自体が乏しい
  2. 経験が少ないので,まずはたくさん書いてみる,ということをしない
  3. 良い文章を読む頻度が乏しい
といったところが主なものと思っています.書けば書くほど上手くなるし,その際,アドバイスを受けながら修正すれば上達のスピードも上がります.上のような書籍を参考にして,練習も積みながら書いていけばさらに効率も良いでしょう.
上記書籍にも記載がありましたが,話すことと書くことは全く別物です(プレゼンがうまいからといって良い文章が書けるわけではありませんし,その逆もあり得るでしょう).良い文章を書くためには,それなりのトレーニングが必要ですが,苦手意識のある人にとって朗報なのは,そのトレーニングは決して”決死の特訓ではなく”,とはいえ,日々のちょっとした努力と継続的に書き続けることで,どんな人でもある程度のクオリティの文を書けるようになると言えることです.

特に,我々が目標としているのは文芸的に素晴らしい小説の大作などでなく,工学的にわかりやすいすっきりと読める文章ですので,文学的なボキャブラリや詩的な表現なども不要です.
一方,上達するまでにかかる時間には個人差もあるかと思いますので,特に苦手意識があるという人ほど,早めにトレーニングを(できる範囲で,でも,継続的に)始めておくことをお勧めしたいところです.高専や大学(特に理系)では,卒業のために論文を書かなければいけませんが,締切数週間前になって,実は文章を書くのが苦手で・・・と言われても,そこから急激に文章力を上げる魔法のような方法はさすがにないと思われます.

2022/07/26

2022夏の読書週間 ー図書館の利用法ー

 年度初めくらいから,諸々調子が悪い間も幸いなことに読書欲は衰えず,雑誌も新書もその他書籍も関係なく,かなりの分量読んできました.ちなみに,好んで読む本のカテゴリについて,僕はかなり”雑食”で,興味があったらどんな分野でも読みます.

ちなみについ先日も4冊ほど自宅最寄りの図書館から借りてきました.それが以下.

なぜこれらを借りたのかというのは,もしかするとわかる人はわかるかもしれませんが(苦笑),文章作成に関して最近,思うところがあったためで,個人的に文章術を勉強したい,というより、自分が思っている,考えていることを確認するためという意味合いが強いかもしれません.

書籍の知識を本当に生かしたいなら,借りるのではなく買った方が良い,という人がいますが,この意見について,僕はある意味では賛成です.
個人的に図書館では,時間がある時は比較的じっくりと中身まで見て借りるものの,場合によってはタイトルだけ見て”ここからここまで”みたいな感じだったり,面白そう,と思ったものを取り敢えず,といった感じで借りてみることも多くあります.その上で面白いもの,是非手元に置いておきたい,と思った本は,一通り読み終わった後で敢えて購入することもあります.

最近は色々と値上げもしていますし,特に学生の皆さんの場合は書籍購入の予算も限られているでしょうから,図書館を有効活用するのはお勧めです.
ただ,個人的には,やはりどうしても自分にとって重要,と思える本は買って読む傾向が強いですし,自分の子供たちにも活字をどんどん読んで欲しいと思っています(マンガでも).幸い,彼女たちは父に似て比較的読書は好きなようですし,読書購入費用に関しては,分厚い専門書を何冊も,となるとキツイかもしれませんが(苦笑),基本的にどんどん買ってよし,というスタンスです.

実際,僕も子供のころからかなりの本を読んできていて,そういったインプットが今の知識やアウトプットの質・量に確実に影響を与えていると思います.そして,インプット自体は続けていかないと,時代の流れに置いて行かれるような不安感は持っています.
わからないことはネットで調べれば良い,というのも一つの真理なのですが,個人的な考えとして,ネットで調べられる情報は”深さがない”ということと,”真偽不明な情報が多すぎる(真偽を確認するのが難しい)”というところが難しさだと感じています.

本に書いてあったらそれは全部真実か,というと当然そんなことはないんですが,とはいえ,一冊の本を出版する場合,それが自費出版などでない限りはそれなりの数の人間の目による確認があるので,そういったところで一日の長があるかと.
加えて,これはネット上の文章でも良いかと思いますが,やはりたくさん文章を読むことで,自分が文章を書く際に使えるボキャブラリや,こういったときにはこんな表現が使える,といった表現の幅も増えるところがメリットだと感じています.

今,上のリストの3冊目を,それこそタイトルに惹かれて読んでいるところですが,共感できる部分がたくさんあって面白いです.時間があれば,これらの本を読んだ感想についてもアップできればと思っているところ.

2022/07/16

ドラマチックな実話 ー少し落ち着きましたー

 お久しぶりです.タイトルに記載の通り,ほんの少しだけですが落ち着きました.ただ,体力的精神的にはまだまだの状況なので,リハビリがてら少しずつ復活していきます.

そんななか,非常に面白い本に出会いました.

無敵の仕事術 君の人生をドラマチックに変える!
(加藤 崇 著,文藝春秋)

心身ともにすり減っている状況の中でも,読書欲は比較的高く,いろいろな本を読みましたが,なんでこの本を手に取ったのか,実は今でもよくわかっていません.別に仕事の仕方のスキルアップのための知識が欲しかったわけでもないですし,後述しますがこの本,どちらかというといわゆる”HowTo本ではない”です.そういう意味で,この本については,もう少し良いタイトルがあったのでは?とも思っています.

この本は,実話に基づく3つのエピソードをもとに,どうやって自分の仕事にやりがいを見つけ,生きがいをもって生きていくか,ということを,特に若い世代の皆さんに熱意を持って伝えています.どちらかというと仕事術というよりは,生き方を伝えている,とでもいうのでしょうか.
全て,著者である加藤氏が実際に体験した事にもとづいて書かれているのですが,これこそ文字通り,”事実は小説より奇なり”で,本当にこんなことが起こるのか!というほどドラマチックなストーリーで,読み進めながらワクワクドキドキしてくる感覚がありました.そして何より,この著者のパーソナリティに僕個人が非常に好感を持ち,加えて文章が読者をどんどん引き込んでいく感覚にもなりました.

物語のベースは,起業や企業再生といった分野のものなので,学生の皆さんにとってはまだ少し(もしくは全く)遠い世界の話題に思えるかもしれませんが,それぞれの企業は人型ロボットや赤外線を用いた視線認識など,高専の学生にとっても興味のある分野を取り扱っています.ただ,それよりなにより,著者はその成功体験だけをドラマチックに語るだけではなく,その裏に数々の失敗を積み重ねてきたこと,失敗による後悔がスタートラインとなっていることも率直に語っています.

ある意味,現在の僕自身の状況に重なる部分もあり,自分もここから”V字回復”していきたいという意欲を呼び起こしてくれるという意味で,出会うべくして出会った本なのかもしれません.

2022/04/07

2022年度(令和4年度)が始まりました ー皆さんへお願いー

 数日前に新年度が始まりました.


業務連絡的な内容&一部愚痴になりますが,手短に・・・

昨年度末から今年度はじめにかけて,メンタルにもフィジカルにも負担の大きい出来事が重なっていまして,その状況のまま新年度に突入しています.ということで,少なくとも体調はよろしくなく,メンタル的にも結構ダメージがあるままです.

とはいえ,やるべきことは大量にあります.病院に行かないと,とか,入院しないと,となってしまうと仕事に大きな穴があいてしまうので,そうならない程度に“仕事量を調整しながら”進めざるを得ないので,特に学生の皆さんにはご迷惑をおかけすることになるかもしれません.
復調してきたらその分の埋め合わせとしてバリバリ頑張りますので,少しお時間をください.
などと言いながらも本日から新年度のホームルームもありますね・・・

ちなみに昨年度と同様,今年度僕は本科担任と専攻主任(本科でいう担任のようなもの)を兼任です(これがまた大変で・・・).書類への押印や署名,その他依頼には,“リアルタイムでは対応がほぼ100%不可能”ですので,できる限り早めに連絡してもらえればと思います(これは僕の体調に関わらず,常にお願いします).

2022/03/08

論文って何?

ほとんどの(高専の)学生の皆さんは,本科5年生になっていきなり「これから1年間で卒業研究に取り組み,“卒業論文”を執筆する」ように指示されます(国立の工業高専では,確か卒業研究はどこでも必修だったと思います.ちなみに一部の,特に工学系理系でない大学では,卒業研究自体が必ずしも必修科目でないところもあります).

東京高専も,僕の母校である函館高専でも同様ですが,そもそも論文ってなんでしょうか?
すぐに答えられる人はいますか?ちなみにここで僕が意図している論文は,いわゆる小論文のような作文の延長ではありません(類似する部分もありますが,当然相違点も多いです).ちょっと狭い定義になると,学術論文が最も近いでしょう.コトバンクで学術論文の意味を調べると,
「新しい研究成果を内容とし,一定の構成を持った論文.一般に,論文名,著者名,序論,方法と結果,考察と結論,引用文献リストから構成される.通常は,学術雑誌に掲載されたものを学術論文と呼んでいる.」
となっていますが,ここでは例えば学会や国際会議で発表するために書く出版物も学術論文であるとしましょう.

学術論文には,上にもあるとおり,背景や目的が記載された序論と,自身が行った(提案した,開発した,改良した)対象についての記述と,その対象の妥当性や有効性を調べるための実験とその結果・考察,および,それらを踏まえた結論が必要であることが一般的です.
・・・が,よくよく思い返してみたら,僕が高専に着任してからずっと感じている(そういった学生が少なからずいる)なぁ,というNGケースを,(今年度はほとんどの学生が学位論文=卒業・修了のために必要な論文は書き終えていると思うので,未来の学生に向けて)ぜひ紹介したいと思います.

学位論文にせよ学会で発表する論文にせよ,大前提として必要なのはその論文で記載されている手法や理論等の有効性と新規性です(独創性があればなお良いですが,今の世の中,完全オリジナルな研究というのは中々ありません).それに加えて重要で,上記の通り,少なからぬ学生が忘れてしまうのが,その論文=研究の中で
“あなたは何をしたの?”
ということに関する説明です.
この研究はこんなにすごいんです,こんなに素晴らしい成果を挙げているんです,こんなに色んなところで応用できるんです,と言葉を尽くしたところで,その研究に具体的に従事しておらず“ただ紹介しているだけの人”は,その研究グループの主要なメンバとは言えないでしょう.

先にも記載した通り,最近の研究は完全オリジナルということは中々ありませんし,むしろ先輩の研究を引き継いで改良していくことを目的とする研究も多いですが,どこをどう読んでも“自分が何をやったのか”がわからなかったり,百歩譲って記述があっても,どこからどこまでが自分のやったことで,どこからどこまでが先人の成果なのかがわからないようでは“評価不能”です.
率直に言ってこの“あなたは何をやったのか”は,学位論文では有効性や新規性よりある意味ずっと重要です.なぜなら学位はその論文を書いた学生本人に与えられるものなので,その学生が何をやったかがわからなければ当然,卒業に相応しいかどうかも判断できないこととなります.ぶっちゃけ,結果が芳しくなかったとしても,
「自分がやったのはここで,こんな工夫をしたけれどうまくいかなかった.何故うまくいかなかったのかを検証してみたところ,こんな課題が見つかった.今後はこの課題を改善することで性能も向上することが期待できる」
といったような考察ができれば,卒業研究としては十分に評価に値するものとなり得ます.

研究を進めるにあたり,関連研究を調べてそれらを踏まえて自分のスタンスを明らかにすることも,先輩の研究を理解して先行研究としてまとめることも重要ですが,それらばっかり大量に記載されていて,肝心の“自分が何をやったのか“に関する記述がなかったり,どこがそれなのかさっぱり見つけられないような論文は,繰り返しとなりますが評価不能と言わざるを得ません.

現在これを読んでいる学生の多くは,これから卒業研究(特別研究)に従事し,その後に卒論・特論などを書く人が多いのではないかと思いますが,あらかじめ上記のことを意識した上で研究を進めていくこと自体,自分の研究の立ち位置や,進むべき方向性を常に意識し“迷走しない“ためにも有効であると思います.

実際,つい最近そんな論文を見かけたことがこの文章を書くきっかけになったものの,今これを書いておくこと自体,これから研究を始める皆さんにとっても有益な情報となるかと思い,一気に書き上げた次第です.

2022/03/04

追記 ー良い(まともな)文章の書き方ー

 一昨日紹介した雑誌特集の中で取り上げられていた書籍

「文章術のベストセラー100冊」のポイントを1冊にまとめてみた

ですが,東京高専の図書館にも所蔵されていることがわかり,買うより借りた方が早い(笑)ということで早速借りてきました.パラパラとめくってみていて,個人的にさらに(特に学生の皆さんにとって)重要だと思われる&誤解が無いように補足しておかなければいけないポイントがいくつかあったので追記します.

個人的に最も重要,かつ,勘違いしてはならないのは

  • 文章は必ず「推敲」する

というポイントです.先のエントリで,

文章が上手くなるための近道は、書いた文章を誰かに見せて、「添削してもらうこと」にほかならない。

という部分を引用しましたが,ここでいう添削とは.”書いた文章を見直し(推敲)もせず添削者(教員)に丸投げすること,と勘違いしないようにしてください.
そもそも僕の場合,誤字脱字が多かったり,話の内容がさっぱりわからない場合は「読めない」といってそっくりそのままお返しします.最低限,日本語で書かれた文章として読めるレベルの状況には,自分自身でしてください(というか,それさえできない学生は・・・悲しいかな結構な数いるんですが,それこそ,トレーニングしてできるようにならないと,特に社会人になってから地獄を見ます).

教員が(また,引用先の文章でいう「誰か」が)見るのは主に

  • 表現上拙い部分がないか
  • ストーリーの展開に不自然な部分がないか
  • 事実が正確に,過不足なく記載されているか

といった部分で,誤字脱字や”てにをは”の誤りを指摘することは,本来指摘すべき項目にたどり着く遥か前段階で,そこから添削なんてしていたら日が暮れるどころか,”本当の添削がそもそも終わらない(始まりさえしない)”です.

文章作成が一人前にできるといえる必要条件は,”自分の文章を「第三者の視点で」客観視して見直し,修正することができる”ことかと思います.それができなければ,常に誰かに見てもらわなければいけないことになります.ここまで到達するにはかなりの修行が必要ですが,教員をはじめとする誰かに見てもらう前に,自分自身でおかしなところがないか推敲する癖をつけることが,必要条件をクリアするための最初のハードルになります.

ちなみに上で述べた,教員が見る部分の3つめですが,これはいわゆる理工系や報道系の分野に特化した観点でしょうね(詩や小説といった分野は,そもそもフィクションの世界であることが多いでしょうから,その場合,事実関係云々は添削の観点からは外れるでしょう).


  • 比喩・たとえ話を積極的に使う

比喩・たとえ話を使うのは,いわゆる理工系の文章(例えばレポートや論文)ではむしろNGとなる(というか,いらぬ誤解を与える)可能性が高いです(我々の添削対象として「事実が正確に」記載されているか,という観点がありました.いわゆる本格的な比喩やたとえ話を用いて,事実がより正確に/わかりやすく伝わることもあり得ますが,これはかなりの高等テクニックだと思います).

むしろ,特に学術論文や発表資料などでは,”実例を挙げる”ことで読者の理解を助けられることが多いです.例えば抽象的な概念を対象とする場合には,それを現実の場面に置き換えたらどう表現できるか,とか,具体的なシステム・手法が対象である場合には,それを具体的にこれこれこういった環境に適用したらこうなる,といった例があることで,読んで/聞いている人々もイメージがしやすくなる訳です.

まだ,借りた書籍の冒頭しか読んでいませんが,「はじめに」のページに書いてあるとおり,この本の対象となる読者はあらゆる分野の人となりますね.もちろん上のように,このポイントは自分の分野ではこう置き換えられる,といったように,一部翻訳や変換が必要になる部分もありますが,むしろそういったことを意識して読めるようになっていること自体,自分の文章術が向上している証拠と言えるかもしれません.

そういうわけで当該の書籍ですが,現在僕の手元にあるものの,東京高専の学生は図書館で借りられます.まずは借りて読んでみて,これは,と思ったら購入して手元に置いておく,という手もあるかと思いました.

2022/03/02

良い(まともな)文章の書き方

最近,週刊のビジネス誌を読むことがよくあります.以前も紹介したことがあったかと思いますが,今回も自分が勉強する,というよりむしろ,学生の皆さんに紹介したテーマが載っているように思ったので,重要なポイントのおさらい・確認を兼ねて,皆さんに以下の特集を紹介します(既にコンビニなどでは新しい号になってしまっているかと思いますが,多少大きめな書籍であったりAmazonなどのWebサイトであれば,バックナンバーも取扱があると思います.


ついこの前まで(実は現在進行形なのは内緒),本科5年生の卒業論文や専攻科生の特別研究論文といった,比較的長文となる科学技術文書の添削を行なってきましたが,率直に言ってこの手の文書をいきなり上手く書くことは学生でなくとも不可能で,大袈裟でなく“日本語的に意味を理解できて,ストーリーを追うことができる文章”を作ることさえ至難の技であることを,学生の皆さんは理解しているでしょうか?

ただもう一つ,重要な事実があって,どんなに作文が下手な学生でも,練習したらある程度レベルの文章は“絶対に書けるようになる“ということも言えます(これってある意味,何にでも言えることかと思います.いわゆる天才と言える人,センスのあると呼ばれる人でないと超えられない壁というのも感じる一方,逆にどんな人でもトレーニングによってここまでは来られる,というレベルがあって,それは一般的に見てもかなり高いところにあるよ,という話).

学生の皆さんはレポートを書いたり,その他課題で文章を書くこともあったでしょうが,率直にいってそのレベルの文章をちょこちょこ書いている程度では“良い文章を書く技術“は向上しませんし,逆に,このレベルの文章を書いた程度で「自分にはセンスがない」と諦めている人は,諦めのタイミングが早すぎます(上述の通り,センスがあろうがなかろうが,トレーニングすればある程度以上のレベルには到達できます).

紹介した雑誌には様々な非常に興味深い文章術が紹介されているんですが,中でも一番面白かったのが

(藤吉豊,小川真理子 著 日経BP)

という書籍の中から,さらに重要なポイントをピックアップした記事です(上の本,面白そうなので買って読んでみる予定).

トップ40がリストアップされていて,当該書籍の著者自身がその中からいくつかポイントを紹介しているんですが,その中で僕自身も「まさにそれ!」と感じたものを以下に引用してみます.
  • とにかく書く,たくさん書く
文章が上手くなるための近道は、書いた文章を誰かに見せて、「添削してもらうこと」にほかならない。(中略)書いた原稿を先輩に見せるたびに真っ赤に添削されて戻されていた。その繰り返しが書く力の向上につながっていったのだ。
  • 文章はシンプルに
文章のプロは、例外なく「一文を短くする」ことの大切さを説いている。ちなみに私たちが文字数の平均を取ったところ、一文の長さは、「60字以内」が好ましいことが分かった。
特に1点目については,僕自身がそうされてきたし今現在もやっていることです.ここで挫けたり,再び「自分にはセンスがない」と簡単に諦めてしまうと,上達のチャンスはありません.加えて,特に最近よく感じることですが,添削を繰り返して改善を繰り返すことで上達するのが文章術であるのに,そもそも“第一版の提出が遅すぎる“が故,改善の時間がない(=駄文のまま or 改善の余地が大量に残ったまま)締切が来てしまうことが非常に多いことの勿体なさ・・・
2点目については実の所,僕自身反省すべきところでもあり,どうしても一文が長くなりがちなので,もう少し簡潔な文章を書きたいと日々考えているため,印象に残りました.いわゆる論文のような文章の場合,必ずしも短い=正義ではないことも多いのですが,論文を書く際の癖のようなものがそのまま一般的な文章にも影響してしまい,あれもこれも長めの文章になっているような感覚があり,対象によって文体を自在に切り替えられる能力を身につけられたらなぁ,と僕自身考えています.

当該号にはその他,
  • プレゼン資料を作る際の文章術
  • メールを書く際の文章術
  • 英文メールの場合の文章術
  • チャットでの文章術
など,まさに今必要な文章術のエッセンスが紹介されているので,これってビジネス誌だけれど,ぜひ学生の皆さんにもせめて,この特集のページだけでも読んでもらえればなぁ,と思って紹介した次第です.

とはいえ,前半の話に戻りますが,文章は誰でもトレーニングさえすればそれなりのレベルに到達できますが,トレーニングしない限りは絶対自然にそこへ辿り着くことはない一方,やり始めればやっただけ(少しずつではありますが)必ず向上していきますので,学会発表の際や論文執筆の際に苦労や後悔をしないよう,作文技術を上達させたいと思う人は,今からでも,継続的に取り組みを始めることを強くお勧めします. 

2022/02/19

冬の読書週間 ー教育論の新常識ー

 秋口に偶然見つけて購入して読み始めたものの,かなりボリュームがあり,内容も多岐に渡っているため先日やっと読み終わった以下の本.

教育論の新常識 松岡亮二 編 中央公論新社

一言で言うと、非常に興味深く、リアルタイムな内容なので実感・共感することも多い書籍でした.”教育論”なんてキーワードがタイトルに入っているので,対象読者は学校関係者なんでしょ?と思う人もいるかと多いでしょうが,むしろ老若男女問わず多くの日本人に読んでほしい内容です.また,ある意味ではもろに学校関係者であり,当事者である学生の皆さんにも是非手に取ってほしいところ(生徒レベルだと,ちょっと内容が難しいかもしれませんが,高校生なら十分に理解できるレベルでしょうか).

そう言う意味で,タイトルはもう少しキャッチーな方が色々な人に読んでもらいやすいのでは?とは思いましたが,ざっと目次を見るだけでも

  • 教育格差
  • デジタル化
  • 英語教育
  • Edtech(ギガスクール)

といった,今まさに課題となっている,注目すべきテーマが並んでいることに加えて,コロナ禍のここ数年の状況についても記述があるので,学生の皆さんの視点からも「確かにこれは大変だった/困った」といった実感を伴いながら読み進められるように思いました.

こと教育行政に限った話ではないと思われますが,日本って科学的・理論的な考察をせずに重要事項を決定してしまう傾向があちこちにあるようで,まさに科学的・理論的な物事を教えるはずの教育政策においても,”データがない”,あったとしても”分析しない”で政策を決め,さらに,やったら”やりっぱなし””検証・考察しない”と言う,これが卒研をやっている学生なら不合格間違いなしの,妥当性も有効性も保証できないダメダメな状況なのでは,と思われる状況が垣間見えます.
これまで,国のトップに工学系・理系の人がほとんどいないことも理由なんでしょうが,今の世の中,データは取ろうと思えばいくらでも取れるし,データがあれば予想や分析できることも大量にあるはずなのに,それができないのは構造的な問題があることはもちろん,いわゆる官僚の皆さんには理系分野の人が少ないことも影響しているのではないかと思いました(ちなみに,機械学習分野でアメリカと並びトップを走る中国は,長らく国のトップに理系工学系畑の人がついています).

日本が科学技術立国などと呼ばれていた大昔でさえ,頑張っていたのは研究者個人・個々の研究機関じゃないかと個人的には思っていますが,教育格差が拡大し,すでに先進国とは言えない状況となった今では,国をあげて構造的なところから教育制度を変えていかないと,有能な人材はどんどん日本から出ていくでしょうし(実際,先日ノーベル賞を受賞された先生も,国籍はアメリカに移されていましたね),そろそろ取り返しがつかないところまで来ているように思っています.

このブログを読む学生さんは理系工学系が多いんじゃないかと思っていますが,自分の活躍の場を確保すると言う意味でも,後輩の実力不足に悩まない未来を作るためにも(!?),個人レベルの学力云々だけではなく,”より用意制度を作るための教育政策”に興味を持つという視点は大事なんじゃないかな,と思う次第です.

2022/01/07

2021冬の読書週間 ー研究者に興味のある人へ その2ー

 年は変わりましたが,読み始めは去年だったのでタイトルは2021のままとしています.先日紹介した本とは別な本で,中々に実践的な知識が記載されているものに出会いましたので紹介します.いわゆる”ブルーバックス”と呼ばれる有名なシリーズの一冊です.

理系のための研究ルールガイド 坪田一男 著 講談社

先日紹介した「ヒラノ教授〜」は,より大局的,戦略的な話題が著されていると書いたかと思いますが,上の本は冒頭でも記載した通り,より実践的で,良い意味で細かいところまで記載しています.

学生の皆さんにとって,”研究者”というと教員や企業の研究職を思い浮かべるのでしょうが,広義の意味では,卒研(や特研)に取り組む学生も研究者,もしくは少なくとも研究者の卵です(その後研究者を本格的に目指すかどうかは別として).
卵であれ雛であれ,研究をすることになるからには,その業界の知識・ルールは知っておいて方が良いです.それこそ道路交通法のようなルールをイメージしてもらえれば分かる通り,例えそのルールを知らなかったとしても,違反すればペナルティがあります(悪質な場合は罰金ですまなかったり,他人に実害を与え得る可能性もありますね).研究の分野も同様で,学生の皆さんは何も意識せず行ったことであっても,それがルールに反した行動の場合,本人 and/or 周囲に大きな(悪)影響を与える可能性があります.

各学生は原則,研究室に所属していますので,そういったルールを教えるのは指導教員の責任であるわけですが,往々にして,”これは一般世界でも常識だよね”と思えるようなルールであっても知らない人がいたり,教員も想定していなかった(あずかり知らない)状況で,気がついた時にはルール違反が発生していた,ということもあります(最近は特に多い).
そういった不測の and/or 不可抗力的な(?)ルール違反を避けるための予習として読んでみる,という意味でお勧めであるとともに,ルールのもう一つの側面として,その分野の人が活動しやすいようルールがサポートしている,というところもあるので,予め知っておくと研究活動がスムーズに進んだり,”論文投稿や学会発表の際に冷や汗をかかずに済む”,といったメリットもあるでしょう.

卒研に取り組み始める新年度入りたての5年生や,そろそろ研究室配属が気になり出す後期後半の4年生(まさに今)にとっては当然お勧めの本ですし,そろそろ卒論をまとめ始めるとか,ぼちぼち国内外の学会発表の話が出てきた,なんていうタイミングで予習・復習的に関連する節だけ読む,という使い方もできそうです.

ブルーバックスは他にも,純粋に知的好奇心を満たすようなテーマのタイトルも多いので,既に知っている人も多いかと思いますが,興味に合わせて手に取ってみると良いと思います(ちょっと調べてみたら、当該シリーズは1963年創刊,シリーズタイトルは2000を超えているそうです).

2022/01/04

進路活動に向けた「自身のアピールポイント」の考え方

この投稿を執筆した時期(=年末)の半月くらい前に、僕が担任的なことをしているクラスの学生さん向けにまとめた,標記に関する資料をこちらにも(一部修正して)アップしておきます.

とはいえ以下の内容は,今回ふと思い立ち書き上げたものではなく,特に東京高専で教員をやるようになってからはほぼ毎年,進路活動をしている学生に話してきたことです(ポスドク時代や大学教員時代は,親しい後輩などにアドバイスした経験くらいはありますが,そこまで大々的に”進路指導”に携わったことがなかったので,あまりしっかりとは言語化していなかったように思います).

以降からが本文で,毎年学生が(特に高専の学生は)苦戦する、自己アピールに関連した話題です.

まず,そもそも高専4年生になれていて,(恐らく)5年生にも進級でき,卒業できる(であろう)皆さんに長所がないわけがない,というのが大前提です.自分には長所,アピールポイントがないと,面接や試験の直前に言い出すような学生は準備不足,意識不足なので落ちます.

詳細はまた別の機会としますが,高専の学生は(少なくとも他の大学生と比較して)優れているところがたくさんあることを自覚する意味でも,他大学の学生も参加するイベント(できれば学会など)に早くから参加した方が良いと思います.また,企業がどういった学生を求めているかを早めに知ったり,他高専の学生の状況を把握するという目的で,就職支援を行なっている企業(○○ナビさんとか)が主催する説明会には是非参加してください(合同企業説明会は,個人的には参加mustと言いたいところです).もちろん,この企業に興味があるという具体的な名前が挙がる人は,その企業を決め打ちで直接見学に伺うのがベストです.

前置きが長くなりましたが,ここからが本題です.
長所,アピールポイントは,ただ”「コレが得意,コレができる」というだけではダメ”です(言うだけなら,実際にできなくても言えるので).
必ず,自分が実際に経験したことや,その長所で成し遂げたことなど,”実体験”をペアにしてください.
これらを踏まえて,面接などで活用できるアピールポイントの用意の仕方は以下の通り.
  • 自分の長所,アピールポイントを手当たり次第列挙する.それが思い浮かばない人は,学内外関わらず,高専在籍期間中で頑張ったこと,成し遂げたこと,苦労したこと(場合によっては失敗でも良い)などを列挙する
  • 長所,アピールポイントについて
    • それらを生かして実際に成し遂げたことや,普段の生活で活用していることなどをできるだけ具体的に(かつ簡潔に)まとめる
  • 実体験,経験について
    • それらの体験から,自身が具体的にどんな気付きを得たか,どんなことを心がけるようになったか,どういった能力を身につけることができたか,などについて,具体的に(かつ簡潔に)まとめる
  • 上の”「長所,アピールポイント」と「実体験,経験」とのペア”を作っておき,”どちらから聞かれても(話し始めても)もう一方を話せるように”しておく
ペア(対応付け)については,単射である必要はありません.むしろ多価写像でも(一つの要素が複数に対応付いていても)良いです.
アピールポイントは,根拠がないと誰でも(言うだけなら)簡単に話せるので,自分がどういった経験からその能力を得たか,とか,その能力でこんなことを成し遂げた,といった根拠があることで面接対応者によりリアルに伝わります.

例えば面接で何か聞かれた時には,上記どちらを先に回答しても良いですが,アピールポイントから話したなら,それによる成果などの実体験を必ずくっつける,経験,体験から回答したなら,その体験経験からどんな学び(能力)を得るに至ったのかも必ず添える,というトレーニングをして下さい.

リストを作るまでは,一人でもできますし,何人かで集まり,自分以外の人について助言し合うと良いです(自分を客観的に見るためには,これまたある種のトレーニングが必要です).自身では気づかないことも,第三者ならスムーズに指摘してくれることが多いです.

面接は時間制限がありますし,例えば大学編入学で教員が推薦書を書く場合,各学生のアピールポイントなどについては100%,学生本人が自己アピールの文章を作成し,それを提出してもらった後,それをベースに作成します(当然,何も書いていなければこちらも書きようがないので「書けない」といわれておしまいです).
自己アピール文も長過ぎては要領を得ない&そもそも指定の書式があるので,コンパクトにまとめる必要があります.

上記について,企業研究や受験勉強の合間にでも,今のうちから少しずつでも準備しておくことで,準備不足による不合格,不採用を防げます.

最後に一点.
当たり前ですが,準備不足は致命的です.
全く無理ではありませんが,特に就職希望における多くの場合,「第一希望」の先行は活動期間のかなり序盤,場合によっては最初だったりします.
序盤ということは,準備期間も十分に取れない可能性があります.一番入りたい企業の選考を最初に受けて,準備不足で不採用,ショックを引きずったまま他の企業の応募準備をしなければいけない状況を想像してみてください.

上は必ずしも全員そうなる,というわけではありませんが,実際にあり得ます.また,大学編入学,専攻科進学でも起こり得るので,ある意味全員,想定しておくべきシチュエーションです.

また,正直に言って,5年生(4年生の終盤)や専攻科2年生(1年生の終盤)になって本当にアピールポイントが(思い付か)ない,と考える学生がいた場合,こちらとしては何も言いようがありません(ないと言っても何かあるでしょ?と引っ張り出してもらう以外にない).実際には少なからず能力的・性格的な長所や特技,なんらかの資格や頑張りといったものはあるはずですが,例えば4年生になったばかりの段階で,もしかして自分にはそういったアピールポイントがないのでは?と考える学生は,非常に下世話ではありますが,年度当初に必ず決めることとなる委員会活動やその他課外活動の委員などを必ず担うようにしてください.それだけでも(自分で見つけやすい)ポイントを一つ用意することができますし,高専内であれば4年生は中心的な役回りとなることが多いので,担当した仕事が大変である可能性は高いですが,その分得られる経験は本当に尊いものとなると思っています.

最後に,自分の特徴やアピールポイントを発見するためのツール・手法を紹介します.
自分の頭の中で考えたり箇条書きしてみたり,というのがスタンダードかと思うのですが,例えば

  • マインドマップ(自分マップ)
  • 偏愛マップ
といったキーワードでググってもらえると,比較的システマティックに自己アピールのポイントを探し出せるかと思います(上記,後者は良く,自己紹介や他己紹介の際に使用される方法ですが,”自分を知る”という意味で当然,アピールポイントを掘り下げる場合にも役立ちます).

2022/01/01

2022年 明けましておめでとうございます

皆さん,明けましておめでとうございます.今年もよろしくお願いします.

去年は,ここ数年の中でも群を抜いて”過酷な1年”でした.コロナ禍による諸々だけではなく,心身ともに消耗するような出来事が多かったと思います.

そんな状況に引き続いての新年なので,例年だとそれなりに前向きな目標を設定するのですが,今年に関してはとにかく

”心身ともに健康を維持すること”

が唯一かつ最大の目標です.
見栄えはしませんが,個人的には,これでも十分に前向きな目標と思っています.また,上の目標さえクリアできれば,それに付随して色々なサブゴールも必然的に達成できるのではないかと思っています.

ということで,この1年はくれぐれも”安全運転”で行くことを心がけていきます.

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