2023/03/20

おとなの教養 私たちはどこから来て、どこへ行くのか? ー確認できたことはよかったー

ある意味,自分に対する確認として読んだとも言える今回の書籍,結果として確認できたので良かったです.

おとなの教養 ー私たちはどこから来て、どこへ行くのか?ー (池上彰 著,NHK出版新書)

この書籍は,いわゆる”リベラルアーツ”について紹介する書籍です.高専の学生だとあまり聞き覚えのない言葉かもしれませんが,大学ではよく使われる言葉・・・とはいえ,正確な(?)意味を理解できていない人は大学生でも多いかもしれません.
それこそ,本書のタイトルともなっている「教養」という意味をイメージする人が多いかもしれませんね.例えば,今は違うように思いますが,僕が以前在籍していた北大には「教養棟」と呼ばれる建物があったと記憶していて(もしかすると学生が勝手に名付けた通称かもしれませんが),そこではいわゆる”教養科目”を教えていました.その時点での我々学生のイメージとして,教養科目は専門科目を学ぶための基礎的な科目&社会人になる際に必要な(知らないと恥ずかしい)知識を学ぶ科目,といったところでしょうか(例えば前者でいうと,専門分野での計算を行うための基礎となる数学系の科目,後者は世界史や経済,語学といった科目).
ただ,この日本語訳はちょっと違うな,と歳をとってみて改めて思っていて,本書を読んでみると,まずはリベラルアーツの直訳として「人を自由にする学問」という表現が出てきます.これはこれで抽象的でわかりづらいですね(苦笑).その昔のヨーロッパの大学ではリベラルアーツとして,(1)文法,(2)修辞学(弁論の技術を学ぶ),(3)論理学,(4)算術,(5)幾何学,(6)天文学,(7)音楽の7科目が挙げられていたとのこと.当時これらの科目を学ぶと人は自由になったのか,というとちょっと疑問ですが,読み進めていくと徐々に分かってきます.
実例としてMIT(マサチューセッツ工科大学)では音楽の授業が充実していることが挙げられています.その理由についてMITの教員は,

MITでは最先端の研究をしていて、学生にも最先端技術を教えているが,それらは4年もすると陳腐化する.すぐ陳腐化するものばかりを大学で教えてもしょうがないし,むしろ社会に出て新しいものが出てきても,それを吸収したり,自ら新しいものを作り出して行くためのスキルを大学で学ぶべき

と述べていて,音楽はそのための”教養”の一つだよ,と.
この説明と合わせて,その他アメリカの大学,特にエリート大学の多くはリベラルアーツとして”すぐには役に立たなくても良いこと”を教えている,という記述が,リベラルアーツの定義として,個人的に非常にしっくり来ました.要は,単に最新の知識や難しい理論を詰め込むのではなく,今後社会に出て新たな(解決法が不明な)問題を解決したり,そもそもどこに問題があるのかを見つけ出すための”考え方や解決の仕方の「土台」を作るための科目=リベラルアーツ”ということだと認識しました.

大学ではもっと,社会に出てすぐに役立つ科目を教えるべき,といった風潮が日本でもありました(今でもある?)が,ある意味これとは全く反対の方向性ですね(苦笑).そして最近に至っては,学生に教養がない,という意見もちらほら聞こえます.が,それってそもそも,即戦力の学生が欲しいと”すぐに役立つ(=すぐに陳腐化する?)科目ばかり”教えるよう要望があったことによる副反応なのでは?とも思えます・・・

高専の場合,大学とはやはり違っていて,現時点での最新の技術を教える部分に特色があり,その特色ゆえに企業の皆さんから期待されている面があるので,それはそのままでよい,とある程度は感じていますが,個人的には自分の授業やその他の活動の中で,学生の皆さんには”今後社会に出たときのため,これは考えて(身につけて)もらいたい”というtips的な情報や「ものの考え方」といったノウハウも示すようにしています(学生さんがそれに気づいているか,また,自分も取り入れてみようと思ってくれているかは不明です).

ちょっと話がズレましたが,本書で著者の池上彰氏は,著者自身が考える「現代のリベラルアーツ7科」として,(1) 宗教,(2) 宇宙,(3) 人類の旅路,(4) 人間と病気,(5) 経済学,(6) 歴史,(7) 日本と日本人を挙げています.これらは相互に関連する部分も多いものの,確かに社会に出て以降,さらに大人になってからも問題を見つけたり解決したりする際,学んでおくべき重要な項目と僕も思います.

ただ,僕自身この本を読んで(冒頭記載の通り)印象に残ったことは,上記各項目の内容というより,以下の2点です.

1. 簡単に教養を手に入れることは無理

2. 学び続けることと、アンラーン(unlearn)が大事

1.ですが,最近書店でよく見かけるのが,簡単に(短期間で?)身につけられる教養,といったタイトルの書籍です.これ,もしかすると上述した昔の大学でいうところの教養科目をイメージしているのかもしれませんが,もし,すぐには役に立たなくても良いこと,を指しているとすると,おそらくリベラルアーツの本来の役目の半分くらいしか満たさないと思っています.いわゆる雑学的な幅広い知識としてのみ,その書籍の内容を覚えたとして,それはそれでいずれ何処かで役立つ可能性はあるでしょうが,おそらくその知識をインプットしたのみでは,今後新たに発生する可能性のある,答えが示されていない(あるかどうかもわからない)問題を解いたり,そういった問題が今後どこでどのように生じるかを見つけることはできないと感じます.こればかりは,それこそすぐには役に立ちそうもないけれど興味がある,とか,特段興味はないけれど,もしかすると面白いかもしれないから試しに読んで(見て,聞いて)みようか,と手にとった書籍や映画などから少しずつ,長い期間かけて”蓄積して”いかないと得ることは難しいと考えています.つまり,”インスタント教養は効能が限定的”とでもいうのでしょうか.

2.については,本書での記述で「やはりな」,と納得した部分がありました.現在の日本の歴史教科書では,聖徳太子という名詞がそのまま出ることはないそうですね(僕が中学生の頃は普通に掲載されていました).代わりに,厩戸皇子/厩戸王や厩戸皇子(聖徳太子)といった表記がされ,また,以前教科書に載っていた肖像画は,本人でない可能性が高くなったので掲載されなくなったとのこと(皆さんの教科書では,既にそうだったかもしれませんね).

何が言いたいかというと,教科書に載っているようなことでも,それらが必ずしも事実とは限らない.これは,当時嘘を教えていた、ということではなく,その時点での事実はそうだったものの,調査研究を続ける過程でより正確な情報が得られ,それによって内容を修正しているということになります.1.とも関係しますが,現時点で最新だったり,正しいとされている知識や情報も,時の流れとともに陳腐化したり,実は間違いだった(より適切な情報が得られた)ということがわかった場合,当時の知識を一旦削除(unlearn)して,新たな,より適切な知識へとアップデートする必要があるよ,ということです.これがまさにアンラーン,な訳ですが,そもそもアンラーンするためには常にアンテナを張って,情報をインプットし,自身の持つ知識が最新で最適かどうかを確認する必要があります.そしてそのためには1.にも書いた通り,定期的にかつ継続的に,自ら情報を取りに行くことが重要になります.

今回,本書を読んで上記2点をしっかりと再確認できたことが,僕にとっては最大の収穫でした.

今年度の社会実装教育フォーラムで,(学生の皆さんが)構想賞を受賞しました ーあとは実装ー

 twitter (& facebook)では報告していましたが,こっちでお伝えするのを失念していました.

3月3日と4日の二日間にわたり,久しぶりの対面(&一部オンライン)で,

第11回社会実装教育フォーラム

が開催され,僕が指導するプロジェクトチームの皆さん(全員4年情報工学科の学生さんです)が”構想賞”を受賞しました.

ただ,誤解を恐れずにいうと,今回の受賞,学生の皆さんにとっては少々悔しい結果だったと推測しています.当該フォーラムは”社会に取組を実装する”ことの効果やインパクトを競うことが最終目標なので,”構想止まり”では先に進めません.

とはいえ実は現在,我々のチームでは某自治体さん,および自治体に所在する企業さんと連携して,実証実験を進めていきましょうという話し合いが本格化していますので,その準備がスムーズに進み,具体的な実験を実施することができたとしたらあるいは,来年度のフォーラムでは最高賞(=最優秀社会実装賞)がいただけるのでは?と期待しています.

具体的な取組については,もう少し計画が進んでから・・・と書きつつ,実は今回のタイミングで某自治体さんのタウンニュースの取材を受けており,リンク先からはご覧いただける状況にもなっています(^o^;; (まぁ,敢えて隠すほどのことではありませんのでね,と言いつつこちらでは名前を伏せておきます).

とにもかくにも,今のところ新年度でのメンバー変更はないようですし,あとは来年度の5年生(前期)=今回の受賞メンバ & 4年生(後期)がどれだけ現実的な実験プランを立てるとともに,実験で評価いただける状態までシステムを持って行くか,が勝負でしょう.

2023/03/15

BLUE GIANT ー音の迫力が凄まじいからこそ、原作の凄みがわかるー

正直申し上げて,完全なる”にわかファン”でした.ただ,偶然タイトルを見かけて電子書籍サイトで原作漫画の表紙とあらすじ,劇場版CMを見た瞬間,これは劇場版を見なければいけない,と,僕の第六感が命じたこの作品.

BLUE GIANT

基本的に好奇心は旺盛なので,特に映画音楽書籍系については分野にあまり関係なく”雑食”で,感覚にもとづいて行動する&比較的成功する確率が高いと自覚しています.そして今回の作品,最高でした.

一人の青年が世界一のジャズプレイヤーになることを目指して上京し,仲間と共に日本最高の舞台でのプレイを目指していくまでが本作のストーリー.冒頭記載の通り,広告を見てピンきたのが実際のところなので,まずは”予習”として原作のシーズン1を大人買いして読みました.
その上で劇場版に臨んだのですが,個人的には予習しておいて非常に良かった.劇場で購入したパンフレットを読んで初めて,当該作品はまさにこのシーズン1のストーリーがもとになっていることを知ったのですが,原作を読むことで劇場版の構成が非常に良く練られていることが理解できます(ストーリーと音楽のバランスや,演奏シーンとストーリーとの融合によるシーン構成が素晴らしい).時間の都合上圧縮されている部分もある一方で,原作には描かれていないいくつかのシーンが,主人公の青年たちの日常を瑞々しく表しているように感じられました.

今回,特に素晴らしかったのが音楽,というか”サウンド”

ジャズがテーマの作品ということもあり,当然劇中でたくさんのジャズナンバー(有名なものから,彼らが作ったオリジナルも)が流れるのですが,今回鑑賞した劇場の音響の素晴らしさも手伝い,それぞれの曲の躍動感やグルーブがモロに伝わってきて,思わず幾度となく体が動いてしまうほど.
元々Rhythm&Blues等,黒人由来の音楽やR&Bから派生した日本人ミュージシャンの曲を好んで聴いていることもあり,ジャズも時折聞いていましたが,今回,映画館の素晴らしい音響でジャズを初めて聴いて,かつ,映画内で主人公,宮本大が言う”ジャズは感情の音楽”と言うセリフも相まって,その迫力がとてつもなく素晴らしいことに感動しました.

加えて,そもそも劇中でのジャズ演奏,挿入されるその他の曲は,上原ひろみをはじめとする日本を代表するジャズミュージシャンが担当.これは本当に凄い.
あまりにも素晴らしかったので,映画を見た直後にサウンドトラックをダウンロード購入してしまいましたが,実はこのサントラ,率直に言って劇場で聞くほど良いとは感じられていません(今の所).なんと言っても・劇場の素晴らしい音響で,ビリビリと響くようなサックスの音圧で聴くことにこそ意味があると実感できたと言う意味で,あえて購入してよかったとも思っています(音量上げて,良い再生環境で,お酒を飲みながら(笑)改めてじっくりと聴いてみようと思っています).

原作漫画を読んで感じたのは,ジャズ漫画とはいえ当然,絵から音は出ないものの,まるで音が鳴っているかように見える(!?)臨場感やダイナミックさが素晴らしい表現力で,読者の多くが同様の感想を持っているようです.その一方,ある意味”音が鳴っていないのに鳴っているように感じる”ほど素晴らしい原作漫画の表現力を,映画館のド迫力サウンドで再現している(もしくはそれさえも超えている)と感じさせるのは,映画館ならではの素晴らしさだと思いました.
それこそ,メインキャストの宮本大,玉田俊二,沢辺雪祈のリアルなライブに来場して,その場に本人たちがいるかのような臨場感を味わうことができました.

本当に文字通り,映画館で観なければ(聴かなければ)味わえない感動だと思います.

最後にこの映画のストーリーについての感想です.
原作を予習しておいて,加えて,事前にパンフレットも予習しておいて良かったです.
あまり書きすぎても野暮ですので控えますが,実のところ、恐らくどの順番で見ても,観た人それぞれの感動があると思いますが,僕は個人的に,

”漫画 → 映画のパンフレット → 映画本編”

の順番で観ることができてよかったと思っています.

本作,原作の漫画は現在シーズン3(でしょうかね?)として連載中で,実は僕はまだシーズン2の冒頭までしか読めていません.が,この時点で今後の展開がさらに楽しみになってしまっているので,(他に読みたい本もたくさん後に控えているのですが ^o^;;)早めに読み進めていければと感じているところです.


2023/03/14

どうせ死ぬのになぜ生きるのか

ここ最近,哲学心理学系の本を読むことが多いですが,今回の書籍はそれらとも密接に関連する,宗教に関する本です.

どうせ死ぬのになぜ生きるのか ー晴れやかな日々を送るための仏教心理学講義ー (名越康文 著,PHP研究所)

著者の名越康文 氏は,TV番組のコメンテーターとして出演することもありますが,本職は精神科医です.精神科医がなぜ仏教を?という疑問を持つ人もいるかもしれませんが,ここ最近,哲学系,特に心理学系の関連書籍を読み漁っていると,これらの分野は根底ではしっかりとした共通点がある,というか,お互いに関係し合っている面があることがわかってきて,書籍中で著者も述べていますが,自身の仕事である精神科医としての活動にも活用できる点が多くあることがわかります.

そもそも,このタイトルの問いに対して,万人が納得できる答えを明快に持っている人というのはなかなかいないように思います.本書冒頭で,人間の悩みや不安は尽きることがないが,その1番の理由は,それらの根底にある漠然とした不安(疑問?)= “どうせ死ぬのになぜ生きるのか“ が解消できないからではないか,という記述があります.人間を含め,生物は必ず死にます.それはわかっているものの、普段は特に,もしくは敢えてそれを考えることなく生活している人がほとんどでしょう(僕含め).
ただ,そういった不安,というか,答えのわからない問いを抱えたまま生きていることで,何かの拍子に不安に駆られたり,一つの心配が解消してもまたすぐ次の心配事がやってくる・・・ とはいえ,答えのない(わからない)問いの答えをどのように見つけるのか,という本質的な問題があるわけですが,根本的な不安を緩和したり解消したりするための実践的な方法として,仏教があるよ,というのがこの本の主題です.

宗教というと,胡散臭さを感じる人や,特に若い学生の皆さんにとっては自分とは関係の薄いものというイメージがあるかもしれませんが,歴史の教科書で習った 仏教伝来 から 現在まで 生き残ってきている という意味では,やはりそれなりの意味・意義があるのだろう,とも感じないでしょうか.


著者は仏教と他の宗教との違い,そしてこのタイトルに対する一つの回答(解決策)として宗教が挙げられる理由を.

不安を緩和・解消するための実践的な方法論を持っているため

と書いています.

国語の授業で習った(学習済みでしょうかね?)平家物語に,諸行無常という言葉が出てきますが,これは仏教用語です.意味としては,世の中で変わらないものなど一つもない.むしろ,あらゆるものが常に動いている(別の表現をすると,自由である)ということです.人は必ず死ぬ,というのも諸行無常であり,人の心も絶えず揺れ動いている(常に新たな心配が生まれる)というのもこの考え方で捉えることができます.

ただし仏教では,自分自身と心はイコールではなく,本当の自分は感情の波の動きによって普段見る・感じることはできないと考えているようです.確かに,普段は落ち着いて温厚な人でも,怒りや悲しみの感情に影響を受けて普段とは全く異なる言動をすることは少なからずあると思います.

仏教では,例えば普段の行動(掃除をする,食事をする,といった些細な物事を含む)を通して自分の心の動きを観察し,観察することを通して心を落ち着かせる(感情の波を立てないようにして,本当の自分を見ることができるようにする)方法論がたくさんあります.普段の呼吸や,通勤通学時に歩く際など、コツを掴めばそれら全てが自分の心を沈めて(冷静に観察して)“本当の自分“を見ることができるようになる,と.


いかにも仏教っぽい方法論としては,(詳しくは本書を参照のこと)行=ぎょうと呼ばれる取り組みであったり,瞑想といったものは名前を知っている人もいるかもしれません.
とにもかくにも本書において,仏教は我々,特に日本人とは長い付き合いである故に縁も深く,あちらこちらにお寺があり親近感があり,かつ,日常に即した(ある意味,特別の大袈裟な準備を必要とすることのない)方法論を通して,自分の心を冷静に観測することを可能とする手段であるということを述べています.


以前紹介したと思いますが,瞑想とは現在,そのエッセンス部分がピックアップされて,Mindfulness(マインドフルネス)として,様々な企業(Googleのような世界的大企業含む)でも取り入れられていて,より身近なところでは“食べるマインドフルネス“といったように,普段の皆さんの日常的な行動をマインドフルに行うことで心を落ち着けられる,といった使われ方もしています(ちなみにこの,食べるマインドフルネスは.上で紹介したある種の行ということができます).

とはいえ,これらを極めたところで「どうせ死ぬのになぜ生きるのか,の答えは得られないのでは?」と考える人もいるかと思います.実際,著者もこの問いの答えには辿りつけていないとのことですが,僕個人の考えとして,この問いに対する“言語化された解答“は確かに得られていないのかもしれないけれど,この根本的な問いから派生する様々な不安や感情の揺れを,一つ上の視点から冷静に観測して,心の落ち着きを取り戻したり不安を和らげたりできるのであれば,それは,言語化はできていないものの,現在の自分を受け入れて心やすらかに生きていけるという意味での一つの答えと言っても良いのではないかと思っています.

本書では,行や瞑想に加えて,方便という概念についても記述があります.これもまた仏教の概念の中では重要なもので,仏教をより実践的な宗教たらしめている要素と思いました.簡単にいうと,

行や瞑想によって自分の心の安定性を保つことで,
周囲の人々に対して適切な方法で貢献すること

ということになるでしょうか?

これら諸々を読んでも,やっぱり宗教は胡散臭い,と思う人もやはりいるような気はしますが(^o^;;),本書には,いわゆる実践的な方法論として,簡単にできる(といっても,手間がかからないという意味で,心の準備やコツは必要ですが)行のやり方や,実践事例,少々難解な仏教用語や仏教の枠組の中で行われている取組を,知識のない我々にもわかりやすく,また普段の生活に取り入れやすく紹介してくれているので,仏教という宗教そのものは置いておき,“メソッドだけ採用する“ために使うという手は十分にあると感じました.

そもそも著者も,仏教について本気で学び始めてからまだ数十年(それでも,大した長期間ですが)であり,まだまだ足りない部分がある,と認めつつも,むしろそうであるからこそ,仏教が身近ではない(僕を含む)一般の読者にとっても敷居の低い,わかりやすい書籍となっているように思いました.

2023/03/11

映画ドラえもん のび太と空の理想郷

 今日は,小学生の娘が観たい,というので,かなり久しぶりにドラえもん映画を観てきました.

映画ドラえもん のび太と空の理想郷

公式サイトを覗いてみると,今作でシリーズ42作目とのこと.確かに僕が小学生の頃(もう35年以上前 ^o^;;)からやっていたし,恐らく,直近で最後に見たのはそのくらい前でしょうね(Wikipediaの力を借りて調べてみましたが,恐らく最初に見たのはシリーズ3作目あたり,1983年公開の“のび太の大魔境” and/or “のび太の海底鬼岩城”あたりかと思います).

ネタバレになる,というほど,皆さんが観る機会は無いかもしれない(子供が小さいと,親も一緒に観る,という今回の僕のようなシチュエーションがあると思いますけれど),とはいえ念のため詳細なストーリーは省きますが,一言で言ってとても面白かったです.

なんといってもストーリーが素晴らしく,“伏線回収”が見事としか言いようがありません.最近の子供向け映画というとクレヨンしんちゃんが有名でしょうか.こちらはたまにTVで放送しているのを見て,やはりストーリーが素晴らしく,不覚にも涙することがあったりしますが,実は今回のドラえもんも,終盤はまさに“泣かされ“ました.

そして,これまたネタバレ案件なので詳細は述べませんが,エンディングはいい意味で“いかにも“,という感じで,後味が非常に良く,終わった直後にはチビと何度も「面白かったねぇ」と繰り返してしまうほど.自ら観に行こう,というところまでは行かないものの,子供達から誘われたら,次回作以降もまた観に行ってみたいと思わせられます.

当たり前ですが,ダテに42作も続いているわけではない,ということでしょうね.


最後に,この映画で印象に残ったセリフを一つ.

“この世界は初めから素晴らしい“

ある意味,このセリフが言えるためには色々な経験が必要で,それを乗り越えた先に“世界の素晴らしさ“が見えてくるもの(それこそ,ルイ・アームストロングの”What a wonderful world”のように)と思いますが,のび太をはじめ,劇中の登場人物(&ロボット)がストーリーの中で経験したことを踏まえれば,非常に実感がこもったものとなるのも納得できます.

2023/03/06

自分の強みを見つけよう 「8つの知能」で未来を切り開く

今日紹介する以下の書籍は,タイトルだけ見ると自己啓発書的なイメージが強いように思うものの,実際に読み進めてみると,そういった側面もあるものの,むしろこのタイトルにもあるとおり,まずは自分自身を正確に,具体的に捉えるための尺度にフォーカスしており,そこに興味を持ったことから読み始めました.

自分の強みを見つけよう 「8つの知能」で未来を切り開く 有賀三夏 著,yamaha music media

多くの人は,知能指数(IQ)という言葉を聞いたことがあると思います.一般的にIQが高い人は“頭の良い人“などと言われる(見なされる)ことが多いですが(この辺り,書き出すと長文になるので興味のある人は調べてみてください),実際のところ,IQを算出するテストは頭の良さを測るには分野が偏り過ぎており,例えば本書では「主に人間の記憶力,推力,判断力から測定するもの」と定義されているように,原則変動しない,数値化・得点化された単独の尺度として利用されています(別な資料でも,論理(数学)的,言語的,空間的な能力に基づくといった記述があります).

個人的にもこれは少々乱暴な尺度だと感じていて,人間の能力ってそれらだけではないよね?というところでタイトルに引っかかって見つけたのが本書でした.
本書では,人間の知能は単純に数値化できる単一の尺度では表現しきれないし,可変だし,鍛えることができる,という,そもそものIQの考え方とは対照的な前提からスタートしており,

  • 論理・数学的知能
  • 言語的知能
  • 音楽的知能
  • 空間的知能
  • 博物的知能
  • 身体・運動的知能
  • 対人的知能
  • 内省的知能
の8つからなるとする“多重知能理論”について紹介しています.

これらの根拠は,それぞれの活動によって活発化する脳の領域と対応づけられているため,科学的根拠もある程度はっきりしていると思われますが,IQのようなある特定の側面のみに注目した尺度ではない(&得点が高いか低いかで“その人全ての知能(≒頭の良さ?)が判断されてしまう“),ということと,人によって得意不得意な分野があるので,その凸凹を見ながら,“自分はどの知能が優れているのか,どこが強みなのかを把握するために活用できる“という点が重要だと感じます.

また,何か新たな知識を学ぶ(本書では英語を学んだり,映画や小説を見た/読んだ時に感想を話し合う,といった例が挙がっています)際,その人のどの知能が発達しているかによって,学び方(教え方)の入口(本書ではエントリーポイントと表現されています)が異なる,別な言い方をすれば,ある方法で上手く学習が進まなくても,その人の知能に応じた別なアプローチで学習することで,同じ対象でも学習効率が上げられる効果が期待できるとしています.
確かに実際,英単語を覚えたり英会話を習得する際,とにかく喋ってみる、という実践から入る人もいれば,単語をしっかり覚えて文法を覚えて,という人もいれば,それらをミックスして上手く習得できる人もいるでしょう.教える側の教員としても,何かを教える際のアプローチとして,黒板に書く一辺倒ではなく,実例を挙げてみるとか,実際にやってみてもらうとか,図示してみるとか,”複数のゴールへの道筋“を用意しておくことで,より多くの学生に理解してもらうことができるだろう,ということは,実体験としても納得できます.

一方で,本書の少々残念,というか物足りなかった部分としては,この理論を説明するにあたって,IQとの対比をはじめとした歴史的背景を紹介したり,逆に一部専門的過ぎる部分があったりと,フォーカスが絞りきれていない点です.特に,この理論を活用してどうやって実際に個々人にadaptした教え方をするのか,といった部分や,個々の知能の測定方法の詳細などについての記述が若干足りていないところは,良くも悪くも欲求不満な(もっとしっかり書いてほしいと感じた)ところでした.

ただ,この理論自体,IQを完全に否定するものではないと個人的には思いましたし,自分が自分自身の(弱みよりむしろ)強みを知ったり,自分の能力向上の際,自分が思っている知能ではない知能を活用するアプローチで新たな発見や成長に繋げられる可能性を提示するという意味で,面白い考え方だと感じました.
多重知能理論自体,提唱されてからまだ間もない理論のようですが,アメリカやアジア圏で,実際に教育に取り入れている機関も多くあるようで,むしろこの本で十分に記述されていない部分についてより深く知るため,もう少し勉強してみようと思わせられているという意味で,本書の存在意義は十分に達成できているのかも知れません.

2023/03/01

ジブリアニメで哲学する ーある種,哲学が身近にー

 ここ最近は情報のインプットアウトプットに関する書籍の感想が多かったですが,現在同様に,哲学・心理学系の書籍も意図的に読んでいます.今回紹介するのはそのうちの一冊で,率直にいって”ジャケ買い”というか,タイトルに興味を持って読んでみたものです.

ジブリアニメで哲学する 世界の見方が変わるヒント 小川仁志 著,PHP研究所

いわゆる哲学ってそもそも何?という話ですが,実は僕もよく分かっていませんでした(苦笑)ので,ちょっと調べてみたところ,辞典などでは

”世界や(世界で起こる)物事,人間の生き方(人生)の基本的・根本的な原理(仕組み・大本)を探求する学問”

といった意味合いのようで,個人的には,人がこの世で生きていくにあたって重要な(有用な)ものの考え方・捉え方,といった認識でいます.それこそ,学校で習う哲学というと,かなり昔の哲学者(プラトン,ソクラテスやらアリストテレス)が対象になることが多いので,良くも悪くも(?)”堅苦しさ”が前面に出てくる印象がありますが,そんな哲学の対象をジブリアニメにしたことで,哲学がどんなものかはおいておき,書籍の性質的には一気に身近になったように思いました(それが,僕がこの本を読んでみようと思った要因でもあります).


本書の中で著者は,ジブリの代表的なアニメ(映画)ほぼ全作を対象に,個々の映画における特徴的なキャラクターや設定,映画のテーマや,作中で印象的に登場する小道具的なものについて,これらはどのような意味で用いられているのか,論じていきます.
例えば,「となりのトトロ」に登場する”ネコバス”は,作中では文字通りネコなんだけれどバス,という,字面だけ見れば怪物(とはいえ作中ではかなり可愛いキャラクター)であるものの,この作品に登場する”バス”は,当該作品においてどのような意味を持っているのか,著者なりの視点で記述されています.
同様に,「魔女の宅急便」における”魔女”であったり,「紅の豚」においてタイトルにもなり,作中でもたくさん登場する”赤”という色にはどのような意味があるのか,などなど,様々な作品における多様なコンテンツについて”哲学して”いきます.

哲学,という言葉を使うと一気に高尚なイメージが出て来ますが,我々も映画に限らず,音楽(歌詞やメロディ)だったり小説だったりでも,

”この歌詞はそのまま受け取れば字面通りだけれども,作者はこのような「別な意味」をこの歌詞に暗黙的に込めているのではなかろうか”

といった”深読み”をして楽しむことがあるかと思います.そしてだいたいその場合,字面自体はありふれた普通のものであったとしても,その裏には,人間愛であったり,人生の真理のような,より大きな意味 and/or 作者の思いが込められていると考えることが多いように思います.

本書で行っている哲学はまさにこれで,そう考えると実は我々も普段から無意識に,自分にとって身近なものを使って”哲学していた”のかもしれません.
ある面でこれが楽しかったりもするわけですが,この深読みの結果は当然,人によって異なる場合が多く,それぞれの”読み方”どちらが正しい(or 作者の本当に考えていることと近い)かを議論したりすることがあるかと思いますが,著者も本書で,一通り自身の考えを記述した後,「ある一つの答え」という表現で,著者の考える結論(その対象はこういった意味合いで登場しているのでは?)を述べます.

僕が読んでいても実際,これは自分とは違う見方だな,と思うものもあれば,非常に自分と近い考えだと感じる部分もありました.上述の通り,人が10人いれば考え方が10通りあると考えるのが当然であるものの,意外とその当たり前のことを忘れてしまい,自分と違う考えについては否定的になってしまうことが多いように思います.ただ,本書を読んでいると,(対象がジブリアニメだからなのかもしれませんが)
「そういう見方もあるのか.それはそれで面白いな」
とか
「自分と同じ考え方でこの作品を捉えていた人が他にもいたのか」
といったように,”考え方や捉え方の違いを楽しむのと同時に,自分と他者との考え方に共通点があることも楽しむ”ことが自然にできます.

著者はあとがきで,「何度でも書きたい本」というタイトルで,同じ本を何度でも書けそう,しかも,毎回違うことが書けそう,と述べていますが,これは全く同感です.
実体験として,少年時代から好きなアーティストのCDを何度も聴き直すことがありますが,購入当初に買った時に聴いた後の感じ方と,5年後,10年後に聴いた時の感じ方が違うことは,まさに実感していますし,ほぼ同様のタイミングで聴いても,その時の自分の心持ちによって全く異なる印象で響いてくるということも少なくないように思います.映画にせよ音楽にせよ小説にせよ,対象は変わっていないのに”自分が変わることで捉え方が変わる”というのは,それらの作品をもとに”自分を定点観測”しているような,非常に面白い感覚ですよね.

そういう意味では,例えば今回対象になっているジブリアニメのような,(自分を含め)多くの人にとって身近な作品や,自分が大好きな作品を,何年かごとに見直してみると,作品中に新たな発見があったり,昔は感じられなかった新たな感情が生まれることで,自分の変化や成長に気づくことができるのかもしれません.

冒頭に記載した哲学の定義に,人生の原理を探求するというものがありましたが,なんらかの不変な対象を鏡として自分を見直すことで,自分のものの見方や考え方(の変化・成長)を観測することが,まさに人生の原理の探求にも相当するのかな?と感じたことが,本書を読んでの一番の収穫でした.

@dkitakosi からのツイート