2023/03/20

おとなの教養 私たちはどこから来て、どこへ行くのか? ー確認できたことはよかったー

ある意味,自分に対する確認として読んだとも言える今回の書籍,結果として確認できたので良かったです.

おとなの教養 ー私たちはどこから来て、どこへ行くのか?ー (池上彰 著,NHK出版新書)

この書籍は,いわゆる”リベラルアーツ”について紹介する書籍です.高専の学生だとあまり聞き覚えのない言葉かもしれませんが,大学ではよく使われる言葉・・・とはいえ,正確な(?)意味を理解できていない人は大学生でも多いかもしれません.
それこそ,本書のタイトルともなっている「教養」という意味をイメージする人が多いかもしれませんね.例えば,今は違うように思いますが,僕が以前在籍していた北大には「教養棟」と呼ばれる建物があったと記憶していて(もしかすると学生が勝手に名付けた通称かもしれませんが),そこではいわゆる”教養科目”を教えていました.その時点での我々学生のイメージとして,教養科目は専門科目を学ぶための基礎的な科目&社会人になる際に必要な(知らないと恥ずかしい)知識を学ぶ科目,といったところでしょうか(例えば前者でいうと,専門分野での計算を行うための基礎となる数学系の科目,後者は世界史や経済,語学といった科目).
ただ,この日本語訳はちょっと違うな,と歳をとってみて改めて思っていて,本書を読んでみると,まずはリベラルアーツの直訳として「人を自由にする学問」という表現が出てきます.これはこれで抽象的でわかりづらいですね(苦笑).その昔のヨーロッパの大学ではリベラルアーツとして,(1)文法,(2)修辞学(弁論の技術を学ぶ),(3)論理学,(4)算術,(5)幾何学,(6)天文学,(7)音楽の7科目が挙げられていたとのこと.当時これらの科目を学ぶと人は自由になったのか,というとちょっと疑問ですが,読み進めていくと徐々に分かってきます.
実例としてMIT(マサチューセッツ工科大学)では音楽の授業が充実していることが挙げられています.その理由についてMITの教員は,

MITでは最先端の研究をしていて、学生にも最先端技術を教えているが,それらは4年もすると陳腐化する.すぐ陳腐化するものばかりを大学で教えてもしょうがないし,むしろ社会に出て新しいものが出てきても,それを吸収したり,自ら新しいものを作り出して行くためのスキルを大学で学ぶべき

と述べていて,音楽はそのための”教養”の一つだよ,と.
この説明と合わせて,その他アメリカの大学,特にエリート大学の多くはリベラルアーツとして”すぐには役に立たなくても良いこと”を教えている,という記述が,リベラルアーツの定義として,個人的に非常にしっくり来ました.要は,単に最新の知識や難しい理論を詰め込むのではなく,今後社会に出て新たな(解決法が不明な)問題を解決したり,そもそもどこに問題があるのかを見つけ出すための”考え方や解決の仕方の「土台」を作るための科目=リベラルアーツ”ということだと認識しました.

大学ではもっと,社会に出てすぐに役立つ科目を教えるべき,といった風潮が日本でもありました(今でもある?)が,ある意味これとは全く反対の方向性ですね(苦笑).そして最近に至っては,学生に教養がない,という意見もちらほら聞こえます.が,それってそもそも,即戦力の学生が欲しいと”すぐに役立つ(=すぐに陳腐化する?)科目ばかり”教えるよう要望があったことによる副反応なのでは?とも思えます・・・

高専の場合,大学とはやはり違っていて,現時点での最新の技術を教える部分に特色があり,その特色ゆえに企業の皆さんから期待されている面があるので,それはそのままでよい,とある程度は感じていますが,個人的には自分の授業やその他の活動の中で,学生の皆さんには”今後社会に出たときのため,これは考えて(身につけて)もらいたい”というtips的な情報や「ものの考え方」といったノウハウも示すようにしています(学生さんがそれに気づいているか,また,自分も取り入れてみようと思ってくれているかは不明です).

ちょっと話がズレましたが,本書で著者の池上彰氏は,著者自身が考える「現代のリベラルアーツ7科」として,(1) 宗教,(2) 宇宙,(3) 人類の旅路,(4) 人間と病気,(5) 経済学,(6) 歴史,(7) 日本と日本人を挙げています.これらは相互に関連する部分も多いものの,確かに社会に出て以降,さらに大人になってからも問題を見つけたり解決したりする際,学んでおくべき重要な項目と僕も思います.

ただ,僕自身この本を読んで(冒頭記載の通り)印象に残ったことは,上記各項目の内容というより,以下の2点です.

1. 簡単に教養を手に入れることは無理

2. 学び続けることと、アンラーン(unlearn)が大事

1.ですが,最近書店でよく見かけるのが,簡単に(短期間で?)身につけられる教養,といったタイトルの書籍です.これ,もしかすると上述した昔の大学でいうところの教養科目をイメージしているのかもしれませんが,もし,すぐには役に立たなくても良いこと,を指しているとすると,おそらくリベラルアーツの本来の役目の半分くらいしか満たさないと思っています.いわゆる雑学的な幅広い知識としてのみ,その書籍の内容を覚えたとして,それはそれでいずれ何処かで役立つ可能性はあるでしょうが,おそらくその知識をインプットしたのみでは,今後新たに発生する可能性のある,答えが示されていない(あるかどうかもわからない)問題を解いたり,そういった問題が今後どこでどのように生じるかを見つけることはできないと感じます.こればかりは,それこそすぐには役に立ちそうもないけれど興味がある,とか,特段興味はないけれど,もしかすると面白いかもしれないから試しに読んで(見て,聞いて)みようか,と手にとった書籍や映画などから少しずつ,長い期間かけて”蓄積して”いかないと得ることは難しいと考えています.つまり,”インスタント教養は効能が限定的”とでもいうのでしょうか.

2.については,本書での記述で「やはりな」,と納得した部分がありました.現在の日本の歴史教科書では,聖徳太子という名詞がそのまま出ることはないそうですね(僕が中学生の頃は普通に掲載されていました).代わりに,厩戸皇子/厩戸王や厩戸皇子(聖徳太子)といった表記がされ,また,以前教科書に載っていた肖像画は,本人でない可能性が高くなったので掲載されなくなったとのこと(皆さんの教科書では,既にそうだったかもしれませんね).

何が言いたいかというと,教科書に載っているようなことでも,それらが必ずしも事実とは限らない.これは,当時嘘を教えていた、ということではなく,その時点での事実はそうだったものの,調査研究を続ける過程でより正確な情報が得られ,それによって内容を修正しているということになります.1.とも関係しますが,現時点で最新だったり,正しいとされている知識や情報も,時の流れとともに陳腐化したり,実は間違いだった(より適切な情報が得られた)ということがわかった場合,当時の知識を一旦削除(unlearn)して,新たな,より適切な知識へとアップデートする必要があるよ,ということです.これがまさにアンラーン,な訳ですが,そもそもアンラーンするためには常にアンテナを張って,情報をインプットし,自身の持つ知識が最新で最適かどうかを確認する必要があります.そしてそのためには1.にも書いた通り,定期的にかつ継続的に,自ら情報を取りに行くことが重要になります.

今回,本書を読んで上記2点をしっかりと再確認できたことが,僕にとっては最大の収穫でした.

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