2023/03/14

どうせ死ぬのになぜ生きるのか

ここ最近,哲学心理学系の本を読むことが多いですが,今回の書籍はそれらとも密接に関連する,宗教に関する本です.

どうせ死ぬのになぜ生きるのか ー晴れやかな日々を送るための仏教心理学講義ー (名越康文 著,PHP研究所)

著者の名越康文 氏は,TV番組のコメンテーターとして出演することもありますが,本職は精神科医です.精神科医がなぜ仏教を?という疑問を持つ人もいるかもしれませんが,ここ最近,哲学系,特に心理学系の関連書籍を読み漁っていると,これらの分野は根底ではしっかりとした共通点がある,というか,お互いに関係し合っている面があることがわかってきて,書籍中で著者も述べていますが,自身の仕事である精神科医としての活動にも活用できる点が多くあることがわかります.

そもそも,このタイトルの問いに対して,万人が納得できる答えを明快に持っている人というのはなかなかいないように思います.本書冒頭で,人間の悩みや不安は尽きることがないが,その1番の理由は,それらの根底にある漠然とした不安(疑問?)= “どうせ死ぬのになぜ生きるのか“ が解消できないからではないか,という記述があります.人間を含め,生物は必ず死にます.それはわかっているものの、普段は特に,もしくは敢えてそれを考えることなく生活している人がほとんどでしょう(僕含め).
ただ,そういった不安,というか,答えのわからない問いを抱えたまま生きていることで,何かの拍子に不安に駆られたり,一つの心配が解消してもまたすぐ次の心配事がやってくる・・・ とはいえ,答えのない(わからない)問いの答えをどのように見つけるのか,という本質的な問題があるわけですが,根本的な不安を緩和したり解消したりするための実践的な方法として,仏教があるよ,というのがこの本の主題です.

宗教というと,胡散臭さを感じる人や,特に若い学生の皆さんにとっては自分とは関係の薄いものというイメージがあるかもしれませんが,歴史の教科書で習った 仏教伝来 から 現在まで 生き残ってきている という意味では,やはりそれなりの意味・意義があるのだろう,とも感じないでしょうか.


著者は仏教と他の宗教との違い,そしてこのタイトルに対する一つの回答(解決策)として宗教が挙げられる理由を.

不安を緩和・解消するための実践的な方法論を持っているため

と書いています.

国語の授業で習った(学習済みでしょうかね?)平家物語に,諸行無常という言葉が出てきますが,これは仏教用語です.意味としては,世の中で変わらないものなど一つもない.むしろ,あらゆるものが常に動いている(別の表現をすると,自由である)ということです.人は必ず死ぬ,というのも諸行無常であり,人の心も絶えず揺れ動いている(常に新たな心配が生まれる)というのもこの考え方で捉えることができます.

ただし仏教では,自分自身と心はイコールではなく,本当の自分は感情の波の動きによって普段見る・感じることはできないと考えているようです.確かに,普段は落ち着いて温厚な人でも,怒りや悲しみの感情に影響を受けて普段とは全く異なる言動をすることは少なからずあると思います.

仏教では,例えば普段の行動(掃除をする,食事をする,といった些細な物事を含む)を通して自分の心の動きを観察し,観察することを通して心を落ち着かせる(感情の波を立てないようにして,本当の自分を見ることができるようにする)方法論がたくさんあります.普段の呼吸や,通勤通学時に歩く際など、コツを掴めばそれら全てが自分の心を沈めて(冷静に観察して)“本当の自分“を見ることができるようになる,と.


いかにも仏教っぽい方法論としては,(詳しくは本書を参照のこと)行=ぎょうと呼ばれる取り組みであったり,瞑想といったものは名前を知っている人もいるかもしれません.
とにもかくにも本書において,仏教は我々,特に日本人とは長い付き合いである故に縁も深く,あちらこちらにお寺があり親近感があり,かつ,日常に即した(ある意味,特別の大袈裟な準備を必要とすることのない)方法論を通して,自分の心を冷静に観測することを可能とする手段であるということを述べています.


以前紹介したと思いますが,瞑想とは現在,そのエッセンス部分がピックアップされて,Mindfulness(マインドフルネス)として,様々な企業(Googleのような世界的大企業含む)でも取り入れられていて,より身近なところでは“食べるマインドフルネス“といったように,普段の皆さんの日常的な行動をマインドフルに行うことで心を落ち着けられる,といった使われ方もしています(ちなみにこの,食べるマインドフルネスは.上で紹介したある種の行ということができます).

とはいえ,これらを極めたところで「どうせ死ぬのになぜ生きるのか,の答えは得られないのでは?」と考える人もいるかと思います.実際,著者もこの問いの答えには辿りつけていないとのことですが,僕個人の考えとして,この問いに対する“言語化された解答“は確かに得られていないのかもしれないけれど,この根本的な問いから派生する様々な不安や感情の揺れを,一つ上の視点から冷静に観測して,心の落ち着きを取り戻したり不安を和らげたりできるのであれば,それは,言語化はできていないものの,現在の自分を受け入れて心やすらかに生きていけるという意味での一つの答えと言っても良いのではないかと思っています.

本書では,行や瞑想に加えて,方便という概念についても記述があります.これもまた仏教の概念の中では重要なもので,仏教をより実践的な宗教たらしめている要素と思いました.簡単にいうと,

行や瞑想によって自分の心の安定性を保つことで,
周囲の人々に対して適切な方法で貢献すること

ということになるでしょうか?

これら諸々を読んでも,やっぱり宗教は胡散臭い,と思う人もやはりいるような気はしますが(^o^;;),本書には,いわゆる実践的な方法論として,簡単にできる(といっても,手間がかからないという意味で,心の準備やコツは必要ですが)行のやり方や,実践事例,少々難解な仏教用語や仏教の枠組の中で行われている取組を,知識のない我々にもわかりやすく,また普段の生活に取り入れやすく紹介してくれているので,仏教という宗教そのものは置いておき,“メソッドだけ採用する“ために使うという手は十分にあると感じました.

そもそも著者も,仏教について本気で学び始めてからまだ数十年(それでも,大した長期間ですが)であり,まだまだ足りない部分がある,と認めつつも,むしろそうであるからこそ,仏教が身近ではない(僕を含む)一般の読者にとっても敷居の低い,わかりやすい書籍となっているように思いました.

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