2021/12/30

Factfulness ー現代を生きる全員に必要な考え方ー

以前感想を書いた “Search Inside Yourself ー仕事と人生を飛躍させるグーグルのマインドフルネス実践法ー” と同じタイミングで読み始めたものの,猛烈な多忙のため読み終えるのに時間がかかった以下の一冊,

“FACTFULNESS ー10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣ー”

を読了.

読み終えるまでに時間がかかったものの,内容的には非常に興味深く,僕のような研究や教育を生業としている人間はもちろんのこと,多くの人に是非一度読んでもらい,自分を顧みることで感じること,気がつくこと,学べることが多くある本だと感じました.

この本で強調しているのは,人間がそもそも備えている“本能”によって,真実を誤って捉えてしまったり,その誤った情報をもとに,結果として不適切に振る舞ってしまうような過ちを,データを正しく見ることで防ぎ,問題の本質を知ることで解決していくことができる,ということです.具体的には
  • 分断本能
  • ネガティブ本能
  • 直線本能
  • 恐怖本能
  • 過大視本能
  • パターン化本能
  • 宿命本能
  • 単純化本能
  • 犯人捜し本能
  • 焦り本能
という本能の働きを抑え(本能に影響されていることを自覚し),データ(事実)に基づいた冷静な判断をすることが大事だよ,という話が実例に基づき記述されています.
面白いのが,これを読者に気づかせるため“チンパンジーテスト”と呼ばれる問題が用意されていて,確かになるほどこれらの問題を高い正答率で解くのは難しいかも,と思わせる13問です.

この本で言いたいことは非常によく理解できて,身近な and/or 世界の問題を解決する際や,前提として現状把握を行う際,こういった本能を排除した冷静でフェアな捉え方をしないと,場合によってはむしろ問題を改悪するような判断をしてしまう可能性がある,というのが全般を貫くテーマとなっています.が,個人的にはどうしてもそういった問題のある状況を自分の仕事と関連づけてしまう癖がありまして(苦笑),研究を進める際の方針の決め方や進捗確認,得られたデータの捉え方や考察の仕方,結論のまとめ方といったあらゆる研究活動の全てにおいて,この”FACTFULNESS”は非常に重要なバックグラウンドとなり得るということに気づきました.

その昔読んだ本に「データはウソをつく ー科学的な社会調査の方法ー」というのがあったのですが,最初に思い出したのはコレです.実はマスコミ(テレビや新聞雑誌)が少なからぬ頻度で使う方法だったりするので,皆さんも是非読んでみてもらえればと思うのですが,(実験自体はフェアな方法で行なっていたとしても)データの扱い方や見せ方によって,いくらでも人を騙す(勘違いさせる)ような見せ方ができてしまう,というのがテーマです.一方で,そういった“騙し方”を知っていれば,怪しい情報に騙されることはないし,どんな情報に対しても公平で冷静な判断を下せるよね,という話にもなります.
例えば学生さんが実施した実験の結果を見る際,自身にそういった“騙す意図“がなかったとしても,スキルや経験の不足によってデータの見方や見せ方に問題や,許容範囲を超えた偏りがある場合があります.それは説明の不足に起因していたり,必要なデータの不足に起因していたり,見やすさを意識しすぎるあまり重要な情報が抜け落ちてしまったりと様々ですが,例えばこういった不慮の問題に対して,指導している我々までが「騙されて」しまっては研究そのものに重大な問題が生じる可能性があります.

今回読んだFACTFULNESSでは,そういったスキル的なもの以前に,情報を確認する際の心構えや準備として,人間が大昔から生存本能的に,もしくは歴史的に平和に生きていくうちに獲得した本能が邪魔をしないように心がけないと,情報・データを眺めたその時点で誤った捉え方をしてしまう可能性があることへの警鐘を鳴らしています.若干,スキル的な記述もあるものの,心構えや準備に関する記述が多いため,よくも悪くも統計や確率といった専門的な用語はほぼ出てくることなく,とはいえ非常に重要な姿勢について示しているという意味で,学生の皆さんにも是非読むことをお勧めしたい本ですね(また,この本を読んで騙し方(笑)に興味を持った人は,上に紹介した本や,「統計はウソをつく」的なタイトルの本が複数出版されていますので,そっち方面の書籍に手を出してみても良いかと思います).
冒頭にも記載した通り,多くの実例が紹介されていること,またそれに加えて“著者の失敗例“がふんだんに記述されていることも,問題の重要性をより身近に感じさせる意味で効果的だと思います.

実際のところ,大怪我をしない,死なない程度の失敗を,可能な限り若いうちに,可能な限りたくさん経験しておくことほど将来的に役立つことはないと自分自身痛感しているので(実際,そういった経験を経て,人の痛みがわかったり自分自身”多少の修羅場に遭遇しても我を忘れずに”冷静な判断ができている自覚があります),そういった経験談が盛り込まれていることで内容の説得力が増しているように思います.

マインドフルネスの本もそうでしたが,こちらのFACTFULNESSも結構なボリュームでしたので,一気に読むことが難しい人にとっては少々推薦を躊躇します。とはいえ各事例(各本能)は原則独立していて,章単位で読んでも不具合はないと思いますし,何よりこの年末年始にかけて読書に時間を割ける人は,手に取る価値のある本かと思いました.

2021/12/11

2021冬の読書週間 ー研究者に興味のある人へー

ちょっと返却締切が過ぎてしまった子供達の借りた本を図書館に返しつつ,事もあろうに(!?)自分が読む本を代わりに借りてきました(先のエントリでも書いたと思いますが,現在読んでいる本も数冊ほど“現在進行中”です).

今回借りた本は,どちらかというと新たな知識を得るため,というよりは“答え合わせ”のため,および,もしかすると将来的にアカデミックな世界(研究者や大学・高専の教員)を目指したいと考える学生がいたときに紹介できる良い本を探す,といった目的のものなので,借りた側からどんどん読み進めて「確かにそうだよね」と思う部分を確認しながら読んでいます.

具体的な書籍名は以下の通り(他にも借りていますが,今回紹介するのはこの一冊)

ヒラノ教授の論文必勝法 今野浩 著 中公新書ラクレ

この“ヒラノ教授シリーズ”は,研究者(の卵&ヒナ)にとってはかなり有名なシリーズなのですが,僕が手に取って読み始めたのは研究者になってからかなり後で,「すべて僕に任せてください ー東工大モーレツ天才助教授の悲劇ー」という,実話に基づく物語を読んだところからスタートしています.

著者の今野先生は多数の学術論文が学術誌に掲載されているだけでなく,上のような“一般の人向け“の書籍も数多く執筆していて,特に有名なのがこの,ヒラノ教授シリーズです.

おそらく,ここを見ている(主に(東京)高専,本科の学生と思われる)皆さんにとって,論文とは未知のものだと思われますが,ごく簡単に説明すると

主に自身(の含まれる研究グループ)の研究成果を発表するための出版物

で,

一般的に査読(さどく)と呼ばれる審査をクリアすることによって出版される

ものを指します.上記の査読がない論文を「査読なし論文」として「査読あり(査読付)論文」と区別する場合がありますが,ぶっちゃけ査読なし論文は(特に工学系の)研究者にとっては研究業績になりません.
“研究業績にならない”ということは何を意味しているのか,というと,猛烈にぶっちゃけると,たくさん書いたところで出世(昇任)には影響しないということです.

今回紹介している「論文必勝法」ですが,いわゆる論文を書くための文章表現技術だったり章・節の構成などに関する詳細な説明はむしろ記載されておらず,論文を書くために必要な環境や心構え,研究を進めるために必要なお金の獲得の仕方といった,より”戦略的な”話題にフォーカスしているのが面白いですね.加えて,そういった戦略的なお話が,著者の今野先生やその同僚の実体験として紹介されていることが,ここの話題をよりリアリティを持って伝えるのに貢献している.

そろそろ8割くらい読み終えたような状況ですが(恐らく今日中に読み終わる),個人的に非常に共感したのは

「研究という営みには、誰にも邪魔をされない”まとまった”時間が必要である。日本の大学で、このような時間に恵まれるのは、学生時代と、思いやりがある教授の助手(現・助教)として過ごす数年間だけである」

という一節と、効果的に研究を進める(&論文を継続的に執筆する)ためのノウハウとして紹介された

「既に掘りつくされた鉱山で落穂拾いをせずに、積極的に新しい分野に参入して、創業者利益を手に入れること。その際すべてを自分だけでやろうとせずに、学生や同僚を巻き込むこと」

という一節です.

僕の場合,大学生・院生の時代と大学の助手・助教時代の間にポスドク(非常勤研究員)の時代もあり,これらがまさに研究に専念できるまとまった時間だったと思いますが,まさに(冗談やお世辞抜きで)大学教員になった際の最初のボスは,「是非ご自身の研究に時間を使ってください」と仰られたので,非常にありがたかったとともに,ここまで言われて成果が出なければそれは完全に自分の責任だな,と身が引き締まったことを思い出します.

また,研究分野を徐々にシフトしていくというノウハウは実際に行なっていて,基盤となる概念は”学習&適応”というキーワードで串刺ししているものの,それをベースにしつつ,”人工生命””マルチエージェント””確率モデル””教育工学””介護予防””フードロス&食育”といった分野にピボットを移しながら研究を進めています.また,東京高専の学生ならご存知の通り(!?),僕自身はアホほど忙しいことがほぼ日常と化しているので,多くの優秀な学生さんや共同研究者の先生からサポートしてもらいながら,彼ら彼女らと共著の形で論文を発表しているという状況です.

残り2,3割ほどまだ読み終えていないのですが,少なくともここまでの”答え合わせ”は個人的にはほぼ全問正解かと思っていて,残りも今日のうちに答え合わせを終えたいなと考えています.

冒頭で,アカデミックな世界に興味がある or 研究者になりたい学生におすすめしたい本を,と書きましたが,いわゆる論文単体をきっちりと仕上げるためのスキルに関する書籍は,今回紹介する本ではなく,文章表現や英文表現に関する別な本がまた色々とあります.今回紹介した論文必勝法は,より大局的,戦略的な意味で,どうやって研究者としてやっていくか,どうやってバリバリと研究が進められて,安定的継続的に論文を執筆できるか,といったノウハウが詰まっているという意味で,是非読んでみることをおすすめしたい本ですね.

質か量か,だけではない,の続き

 先ほどアップした文章,少し補足があったので追記します.

先ほどのエントリでは,現在読んでいる本の中で,日本の高等教育は(特に文章の読み書きについて)”広く浅い=十分な時間をかけてトレーニングできていない”こと,それには構造的環境的な状況が原因として挙げられること.そして,個人的にはその状況は好ましくないと思っているけれど,それこそ僕の周辺の状況を鑑みても,やはり簡単に改善することは難しいと思っていること,までを書きました.

が,ここで終わってしまうと,”いやぁ困ったね.でもしょうがないよね”という,身も蓋もない結論で終わってしまうなぁ(苦笑),と自分で読み返して気づいてしまったので,じゃぁ解決策はあるの?という話を少しだけ書き足していきます.
先ほどの文章では,僕の個人的な経験として,個人レベルであれば”自身の創意工夫と努力で”いくらでもインプット/アウトプットの力は鍛えられるという話をしました.これは,全く同じ方法ではなくとも,それぞれに合った方法で同じような(or それ以上の)効果を出す方法があると思います.
一方,いわゆる構造的環境的な問題を根本的に解決する方法があるか,といえば,これは少なくとも僕個人の能力影響力の範疇を超えてしまうので,今回は枠組を”現在の東京高専における僕の周囲”という,僕の能力影響力の及ぶ範囲に限定して考えてみました.

その場合,実際にインプット/アウトプットの能力を鍛える場はあって,それは卒業研究や特別研究に関連する作業に相当します.
ただし,この作業において先に引用したような「多くの文献を読んで,それに関する分析や自身の意見を大量に書く」ような課題と同じことをやることはかなり難しく,また,そもそも論として僕のところにきた学生全員に同様の作業を課したら,前のエントリに記載したのと同様、学生は倒れるし僕も倒れる可能性が非常に高いです(苦笑).
少なくとも現在の状況において,このような質・量双方が伴うトレーニングを行うには,指導する側もされる側もそれなりの”覚悟”が必要です.やったら絶対に効果が出ることはわかっているものの,一方で絶対に”猛烈に大変であることもわかって”います.加えてその効果ですが,僕の研究分野である強化学習よろしく,”報酬は遅れてやってくる(=即効的な効果が期待できるかどうかはわからない)”のが悩ましいところです.少なくとも自分の能力向上を自覚できる状況となるのに,遅い人は数ヶ月から1、2年かかるかもしれません(要は,トレーニングしている当初はただただ大変なだけ・・・).が,何ヶ月か何年か経って,同様の課題に向かった際,当時の経験が強力に生きてくるという状況に遭遇して「あ,自分は成長できている」という実感ができる,とでもいうのか.

トレーニングの題材は,自分の研究内容と,その関連研究です.卒研や特研では当然,そのバックグラウンドとなる参考文献も調査する必要がありますし,中間発表や最終発表,学会発表で論文原稿を書く機会もあります.最後には卒論や特研論文をまとめる必要もあります.変な言い方になりますが,”最も成長できるコース”を選ぶ覚悟を決めた学生は,いくらでもハードなトレーニングを積めますし,それを望まない学生に無理やりそのようなトレーニングをしても誰も幸せになりませんので,その場合には”卒業できるコース””ちょっと良い卒論が書けるコース”などもご用意しています.

では,幸か不幸か(!?)ある年の学生さん全員が最も成長できるコースを選んだ場合,上に書いたように学生も教員も共倒れになるか,と改めて想像してみましたが,恐らくそうはならないだろうという予想が過去の記憶を伴って浮かんできました.
大体そういった”意識の高い”(念の為申し上げておきますが,この場合最後に「系」の字はつきません)学生が集まった場合,学生さん同士でも切磋琢磨する環境が生まれ,教員は”押さえるべきところさえ押さえて”おけば,学生さんが自分達でどんどん成長していく,というシチュエーションが生まれる,という経験を遠い昔にしたことがありました.そのような環境はなかなかお目にかかれるものではありませんが,学生のモチベーションが高いとこちらとしても非常に喜ばしく,ポジティブな刺激を受けますので,学生-教員間でも前向きなフィードバックループが回るようになります.

ただし,これはこれで理想的な状況ではあるものの,繰り返しになりますがトレーニング自体は非常に大変なものですから,途中で路線変更する学生や,最初から”卒業できるコース”を選ぶ学生もいますし,それが悪いとも全く思いません(むしろ,無理をして結果として卒業できなくなってしまっては元も子もありません).

一番大事なことは,(少なくとも僕に関しては,最低限のルールや仁義を守り,やるべきことをやってくれるという前提条件さえ満たしてくれれば)それぞれの学生さんとの相談のもとで,それぞれの状況に合った方向で,それぞれの目的に合ったゴール設定をすることだと思っています.そのためには,むしろ勉強に関するインプット/アウトプットの量以前に,”相互のコミュニケーションがちゃんと取れるか/取れているか”の方が圧倒的に重要で合ったりします.

上記,あくまで自分のごく周囲のみについての考えですから,根本的な解決にはなっていないのは明白ですが,少なくとも僕の研究分野に興味を持って(状況によって,必ずしも興味はないのに)研究室に来てくれた学生さんが,少なくとも何か”成長できたと実感できる”もの・ことを身につけた上で卒業できればいいな,と思っています.
繰り返しになりますが,何につけても最も重要な必要条件は,頻繁なコミュニケーションです.

2021/12/10

質か量か,だけではない

11月の基調講演も無事,とは言い切れないものの終わり,定期試験も一段落して,ここ1週間くらいはやっと少しだけ時間の余裕ができてきました(体力的にはまだまだギリギリですが).

そうなると最近,やりたいなと思うのは運動と読書.

運動はここ半年くらいのウェイトコントロールの一環で継続しているものの,時間がないとできないウォーキングも先週今週はできました.読書については以前,読みかけと書いていたマインドフルネスの本は読了(とはいえ,実践するにはもう少し修行が必要な模様).Factfulnessは読み終えていないのですが,そんな状況で新しい本も読み始めています.タイトルは”教育論の新常識”(松岡亮二 編著)という新書で,学生の皆さんにとっては興味がないかもしれませんが,実際のところ自分達が受けている教育の現在に関する話題なので,「自分が受けたい教育ってどんなもの?」と考えながら読んでみても面白いのではないかと思います.

で,実際読んでみると面白くて,新書にしてはかなり分厚い部類なんですが,既に半分以上は読み終わっている状態.タイトルに新常識とある通り,昨今話題になっている教育格差や,まさに現在進行形である”コロナ禍での教育”についても記述があり,内容的にタイムリーな部分もたくさんあるのですが,個人的に非常に興味深かったのが”大学教育”をフォーカスした

「広く浅い」学びから脱却せよ

というセクションです.
両方で教員をした経験のある僕の個人的な感覚として,大学よりは専門(実践)よりではあるものの,高専教育も大学教育と類似した点が多いと感じていますが,学生の皆さんにとって,高専(や大学)の教育は広く浅いと思いますか?僕自身は,確かにその通り,と思っています.例えば(工業)高専の場合,中学から入学した時点でかなり専門的な内容に特化した勉強をしますので,そういった意味では”狭い・深い”ようにも思えますが,ここでの比較対象は国内ではなく海外(特にこの本の中では欧米)の大学で,特に読み書きの面において

多くの課題文献を読みこなし,そこで得られた知識をもとに,かなり長い論文(A4版で10枚前後)を毎週書くような課題のもとで,argument(根拠を示した上での自分なりの分析やその結果に基づく自分の考えの表明)を行う教育

と比較して,日本の大学(および恐らく高専)は学生にかける負荷が少ないですよね,といった記述があります.そもそも日本の高等教育機関はセクションタイトルの通り「広く浅い」教育を行って(著者の考える「日本がそういった教育をしている理由」は書籍本体を参照のこと)いて,欧米型の,上に記載したような教育を行うには様々なハードルがあると書かれています.

そもそも論として,広く浅いこと自体が日本の高等教育の問題だ,とまでは書かれていないものの,タイトルをみてもわかる通り,著者は暗にこの状況は好ましくないと考えているわけで,この点については僕も同感です.読解力および聴解力(聞いて理解する力)は学習の基盤であり,これらについては繰り返し,長時間かつ大量な”練習”を行うことでしか身に付かないと思いますし,練習の中で良いお手本をたくさんインプットすることでしか,自らが良い文章を書くスキルを身につけることができないのではないかと,僕は考えています(当然,何もしなくても理解力があり,良い文章を書ける人もいるのかもしれませんが,逆に,そういった能力が当初乏しい人であっても,訓練によって一定の,十分なレベルに到達できると思います).

広く浅い教育には広く浅い教育のメリットがあって,それにより向上する能力もあるでしょうが,それはそれとして,全ての基盤となるインプット/アウトプット能力は,圧倒的な分量のトレーニングを介さないと身に付かず,欧米ではそういったトレーニングが行われているものの日本の多くの高等教育機関ではその実現が(様々な理由で)難しい,というのがこのセクションの主な内容です.

個人的に思うところとして,インプット/アウトプット能力に関しては,質の良いトレーニングであれば量が少なくとも成果が出る,という類のものではなく,まず大前提として”量が大事”であり,”量が質を作る”と言えるのではないかと考えているものの,例えば僕の周辺の環境を見てみると,

  • カリキュラム的にそんなに時間をさけない
  • 教員(=自分)が学生のトレーニング結果を評価できるだけの時間的体力的余裕がない(苦笑)

といった事情があり,ホントはなんとしてでも鍛えたい(身につけてもらいたい)能力なんですが,環境的構造的制約によって,いわゆるカリキュラム内では十分なトレーニングができないことが悩ましいというなんとも不毛な結論に辿り着きました.

ただ,では,日本の学生はみんなこういったトレーニングを受けられないのか,といえばそんなことはないと思っていて,例えば僕の場合,高専から大学に編入学した4年生から研究が忙しくなる博士後期課程のある時期までの間

  • 興味のある分野の英語論文を読みまくり,わからない単語や熟語を調べまくり
  • 読んだ論文の要約文を日本語で記述する
という作業を延々と繰り返すことで,英語のボキャブラリや論文で使用する表現をマスターしつつ、要約の際に日本語表現を工夫することで文章表現力や”まとめる力”が鍛えられたと思っています.当然その間,国内外の学会でも発表していたので,いわゆる口頭でのアウトプットのトレーニングもそれなりに積むことができました.

本来であれば高専や大学のカリキュラムにこういった猛烈な”質も量も伴ったトレーニング”を行うための授業・演習があればいいのでしょうが,恐らくそんな時間がいきなりできたら,学生の大部分はついていけなくなり,もし奇跡的に半分でも学生がその授業についてくると,今度は教員の側が提出される課題の添削に対応できなくなるという,”ある種コント,実際には悲劇”のような状況が生まれそうな気がします・・・

個人的に,最も身につまされながら読んだのが上の部分なのですが,それ以外の部分も興味深い(ある意味悩ましい)内容が多く,その上まだ半分弱,読んでいない部分が残っているというのは,楽しみなような不安なような感覚でいます.
ただ,このエントリの冒頭を書くために記憶を呼び起こしたら、そういえばFactfulnessをまだ読了していなかったということを図らずも思い出してしまったので,こっちも読書再開して,なんとか年内には読み終えてしまいたいところ(こっちも,面白いんですよ.忙しすぎて読み終わっていなかったことを忘れていましたが).

2021/11/26

賞状が届きました(学生さんの)

 以前,恐らくtwitterでは伝えたかと思うのですが,去る11月6日&7日と開催された(ちょっとタイトルが長いんですが)

に参加した学生さんが優秀発表賞を受賞しまして,先日表彰状が届いたのでこちらでも紹介しておこうと思います.

この研究は継続研究で,かつ杏林大学との共同研究となっています(研究期間は,はや10年くらいになるでしょうか).先行研究や関連研究を調査しつつ,自身のやるべきことを定め,計画を立てて進めていく必要がありますし,現在研究している他の学生と同様,5年生や専攻科生はこういった研究がすべて自身の卒業研究,特別研究とも対応しているので,要は”研究進捗がある=卒業に近づく”という意味でも重要性が高いわけです.

今回,このシンポジウムに参加した学生は3名いますが,受賞しなかった学生も含めて,3名とも準備をしっかり整えて参加できたこと,また,うち1名がその努力を認められたことは,今後の研究進捗にも良いモチベーションになったのではないかと思います.

また,こういった学会発表をすることのメリットはいろいろあって,

  • 自身の研究進捗を整理できる
  • 高専内でのフォーマルな発表会に向けた良い練習になる(高専内の発表会が学会発表の練習となる場合もある)・・・練習,と考えることで比較的参加のハードルが下がる&資料を一回作ると,それをもう一方に転用できるので効率が良い
  • 他の機関の学生の良さや自分たちの良さ(意外と外部の学生も・・・)に気付いたり学んだりできる

といったところもあるので,学会の規模やハードルの高さはいろいろあるものの,例えば指導教員が「この学会に出してみない?」と勧めた学会については,参加を検討してみる価値が十分にあるのではないかと思います(ある人にとって明らかにレベルが低すぎる/高すぎる学会を勧めることは,少なくとも北越はありませんし,(あり得るとすれば)百歩譲って少しレベル高めの学会を勧める場合は,リスクもメリットも説明します.
あ,ただ,今後の卒研発表会に向けて,発表しておいた方が絶対にメリットがある,という学会の場合,”半強制的に”参加してもらうことはありますね(そして上のシンポジウムはどちらかというとそんな感じでした,が,日程上都合の合わなかった学生さん(今回は1名いました)まで,無理やり参加させたりはしていませんよ).

個人的に&原則的に,論文提出締切に余裕があって,教員から見て発表できると判断した場合でなければ参加はお勧めしないので,お勧めされたということは,自分は参加の資格がある,と受け止めて,前向きに検討してもらえると,少なからず自分に返ってくる収穫や手応えがあるのではないでしょうか.

2021/11/25

オンラインの功罪

 去る11月19日,今の所は今年度最初で最後の僕の口頭発表である基調講演が終了しました.ただ,これはちょっと流石に”無事終わった,とは言い難い”状況です(苦笑).

まず,これはこちらの事情ですが,あまりにも多忙過ぎてリアルタイムで(ライブで)発表がちゃんとできる自信がなかったので,事前に発表動画を録画し本番で再生していただき,質疑応答のみリアルタイムで,という形式にした点.
これは別の視点から見ればオンラインの利点,とも言えるでしょうね.ぶっちゃけ発表内容を覚える必要がない(今回,僕も100%発表内容が頭に入っていたかといえば,少々自信のない箇所がありましたし,そうなる可能性があったので録画にしたという経緯もあります).まぁ、対面オフラインの学会でもカンペ見ながら発表するような(1億歩譲って学生なら許せますが,そうでなければ本来,登場の時点で退場処分に相応しい)人もいるので一概にはいえませんが,覚えているかどうか,と言うより,覚えてしまうくらい練習を積んでいないと,そもそも自信を持って発表に臨めないし,さまざまな状況に対応できないのでは?と個人的には思っています.

実施する対象が授業なのか,学会発表のようなイベントなのか,もっとフランクな座談会,ワークショップ的なものなのかによっても違うでしょうが,良くも悪くも一方通行的なイベント(発表者以外はあまり発言しない/できないようなイベント)であれば,表向きは問題が起こりづらいですよね.授業の場合,

  • どこからでも参加できる
  • 録画をとっていれば後日見直して復習できる
といったメリットもあり,学会などのイベントでも前者は同様かと思いますが,双方向的なやりとりをしない/できないとなると,どうしても授業が単調になって飽きられやすくなったり,単純に理解しづらくなるということもありますよね.

今回の基調講演は,いわゆる”ハイブリッド形式”(現地でオフライン参加する人もいれば,オンラインで参加する人もいるスタイル)でのシンポジウム内で行ったのですが,何といっても

”オフラインでの質問=現地会場の参加者からのマイクを通した質問が悲劇的に聞きづらい”

のが大問題でした.
現地の人は会場のスピーカーで問題なく聞こえているのかもしれませんが,オンライン参加者にとっては,質問者とマイクとの距離やその他ノイズ,会場スピーカーからマイクに改めて入ってくる音声によるエコーなどの影響で,もう正直いって何をいっているのかさっぱり分からないという状況でした.

ただ,これも質問者によって違って,知ってか知らずか,上記のようなノイズやエコーが入りづらい喋り方(マイクの使い方?)ができる人もたまにいたりと,必ずしも常に聞きづらいわけではないのですが,オンラインでの発表音声&オンラインでの質問音声は常に問題なくクリアに聞こえる(少なくともオフラインでの音声よりは確実に)ので、これはハイブリッド形式特有の問題かもしれません.

現地に行かなくても参加できるというのは,ある面では強力なメリットであるものの,完全にオンライン or オフラインに振り切ってしまった方が,運営側にとっても参加する側にとっても,少なくとも発表や質疑の環境だけにフォーカスしたら快適なんだろうな,ということに気がついたのが,実は今回の最大の収穫だったかもしれません.

一方で,今回ダメだったからもうダメだ,と思っているわけでは全くなく,上にも書いた通り,ちゃんとできている(聞き取れる質問ができる)オフライン参加者もいたので,”正しい方法を身に付け”さえすれば,ハイブリッドでも違和感ややりづらさを感じることのないイベント参加・運営の方法を模索していけば良いのだと思います.
コロナ禍自体は当然,今後どんどん改善・解消していって欲しいと思うものの,今回得られた様々な正負の経験は全てしっかりと生かしながら,コロナが去ったから全部対面に戻す,みたいなことでなく,ベストなハイブリッド,ベストなオンライン,それらを踏まえたベストなオフラインのイベント実施・参加ノウハウをマスターしていきたいところです(で,その時々に応じたベストな形式でイベント参加できれば,むしろオフラインのみの場合よりも生産性は確実に向上するのでは,と期待しています).

2021/11/18

国際シンポジウムが開催されます、が

 基調講演でお話しさせていただくISET2021,暦の上ではもう明日,開催で,初日の午後イチに僕の講演が予定されています.また,僕が論文投稿をお勧めした,東京高専や千葉工大の学生さん,教員の皆様の発表もあります.以下はシンポジウムのProceedings(予稿集)へのリンクです.

今回,オンラインとはいえリアルタイムで発表することを当初予定していたのですが,発表の前後が猛烈に立て込んでおり,発表準備の時間がどれだけ取れるのか未知数であったので,事前に動画を録画し提出させてもらう形式としました.ある意味そのおかげで”発表が近づいてきた実感”がイマイチ体感できない,という厄介な状況にはなっているものの,実際現在,発表直前である今日も,明日の発表直後も色々と予定が詰まっていて,事前録画にしておいて本当に良かったなと思っているところです.

ただ,本当であれば現地に出張し,在外でお世話になった皆さんへもご挨拶させていただきつつ,発表でもその場で聞いているみなさんの反応を見ながら質疑したかったというのも本音です.実際に現地に行けるということになれば,それ自体はかなりのモチベーションになると思いますが,それこそ現在,これだけ忙しい理由の一つでもあるコロナの状況が落ち着いてこないとまだまだ難しいでしょうね・・・

来年の今頃には国内外問わず移動が楽に&安全にできる状況となっていることを期待しつつ,今回のシンポジウムも可能な限り他の皆さんの発表を聞いておきたいと思っています.それは単なる知的好奇心であることはもちろん,ここ最近全く英語でのコミュニケーションを行っていないため,自分の本番(発表は事前録画しましたが,その後の質疑はライブですので)に向けて少しでも耳と頭を慣らしておきたいという下心もあります.
19日1日の諸々が終われば,(仕事的には定期試験の問題作りや採点など,ハードルはまだまだあるものの)心情的には”今年のデカい仕事は終わった”という感覚になりそうな気がしている&流石に今年はもう仕事を納めさせて(苦笑)という心情になりそうです.

2021/10/15

レコーディングの効果

このブログのサイドバーにも表示してあるTwitterでは最近,あと約1ヶ月後(ヤバい。もう1ヶ月しかない・・・)に迫った国際シンポジウム ISET2021 でお話しする予定である,基調講演用資料の作成記録を,確か今から半月くらい前からtweetしています.

知っている人は多いかと思いますが,幸か不幸か僕はここ数年”暇というものを経験しておらず”,仕事にせよプライベートにせよ常に何かに追われている感じなので,上記発表は引き受けた直後から「発表できる?そもそも資料作りは間に合う?」と考えていました.
という状況のため,主に”自分にプレッシャーをかける”ということを目的として,資料づくりを本格化し始めたタイミングで,発表資料作成に関する作業内容を原則毎日tweetすることにしました.
時々多忙のため and/or 夜ウォーキングにいって帰ってきたら日付が変わっていることもあるんですが,作業内容がほぼ0の時も含めて毎日tweetしています.

資料作成は上記の通り,他のいろんな仕事の影響で所々停滞しているものの(苦笑),当初予想していた以上に順調に進められている印象があります.誰が見ているかは置いておいて,誰が見ているかもしれないtwitterに進捗をアップするのは,これまた当初予想の通り,自分にプレッシャーをかける=毎日記録を取ると決めたことで,むしろ”記録を取るためにちょっとでも進めよう”という意欲につながる,という意味で効果があったのはもちろんのこと,

  • 記録を取ることで”今(これから)やる”作業内容を自分自身で把握しやすい
  • 過去の履歴を確認しやすい
  • 毎日少しずつでも作業に触れているので,発表内容を忘れない

といったプラスアルファの効果もありました.実は3つ目は結構重要で,これまでは仕事が忙しくなると,数日〜1週間くらい資料作成から離れてしまうことがよくあり,そうするとこれまで考えていた発表のストーリーを忘れてしまっていたり,そもそも資料がどこまでできていたか記憶違いを起こすようなことがあり,ただでさえ進んでいない資料作成の効率がさらに悪化するという状況になっていたところを,多少無理やりにでも進めることが作業内容が頭に常にある状況をキープできています.

油断はまだまだ禁物ではあるものの,実際このブログを書きつつも,発表まであと1ヶ月ちょっとしかなくて,その割にまだ資料は完成しておらず,当然話す内容もほぼ頭に入っていない,という現状は(認めたくないものの ^o^;;)しっかりと把握できているので,自身の繁忙度も考慮に入れつつ作業は進められそうです.

話は変わり,知ってる人は知っていると思いますが,実はここ数ヶ月の間,いわゆる”ダイエット”をしています.ただでさえストレスの多い日常を送っていますので(苦笑),ウェイトコントロールでまでストレスを感じたくない,ということで,詳細は省きますが”ほとんどノーストレスな方法”でいい感じに減量できています(簡単にいうと,糖質制限と適度な運動をしつつ,空腹にはしない,といった方法です).
ウェイトコントロールはこれまでにも何度かやっていて,実は失敗したことがありません(でも,長期的にはまた太っているので,これを失敗というのであれば失敗ですが,体重体脂肪に関しては”落とそうと思えば落とせる”).例に漏れず,今回も始めて3ヶ月くらいで順調に15Kgくらいは落ちていたんですが,この辺りのタイミングで偶然,"レコーディングダイエット"のいいスマホアプリがあるということを何かで知り(というか以前聞いていた名前をWebか何かで改めて見かけて),試しにインストールしてみたらこれまた面白い.
これは単純に効果が云々というより,個人的な嗜好で面白がって使っているんですが,もちろん効果もあるんでしょうね(使う前から順調に減量できていたので,効果を比較できないのは残念).僕自身がこういった

”しっかりと記録しながら作業することが好き”

というタイプである可能性も高いですが,単になんとなくやっていた普段の運動や食べ物の選定を履歴ベースでできるようになったり,毎日の摂取カロリーや運動による消費カロリーがある程度把握できるようになったことが楽しい.

こういったレコーディングが性格的に向かない,という人は当然いるでしょうから,万人受けする方法ではないと思いますが,例えばSNSで定期的に何か情報を公開しているようなタイプの人であれば、比較的親和性は高いような気がしました.企業で働く人が,日報や週報(最近はもっと細かいスパンで記録・共有している企業もありますね)をつけるのも,自分やチームメンバの作業内容を把握することによる効率化(や,ある意味で自分へのプレッシャかけ)を期待してのものなのでしょう.
・・・と,このブログを書きはじめると長文に(いつも)なることは予想済みなので(苦笑),資料作成は既にある程度進めています.

シンポジウムはオンライン開催.実はそもそも,海外で発表できることがこの手の発表の楽しみ,かつ,対面での発表が良いプレッシャーとなっていたのに,軒並み発表がオンラインとなってしまい,楽しみもプレッシャーも激減していたことから,今回のtwitter日報を思いついたんですが,今後,対面での発表が復活してもこの方法を続けるメリットはありそうかな,と考えているところです.

2021/09/23

Output ーしたいけれど、したくないー

 最近はもっぱら,添削,添削,採点,採点,添削,採点,添削,添削,の日々を送っています・・・.その間に入ってくるものといえば,授業やら会議やら,言っちゃあ悪いですが,自身のリフレッシュになるような類のものではなし(そりゃ,仕事ですから当然ちゃんと,全力でやりますがね).こう言った作業もある面では非常に大事な側面があることは承知しているものの,物事にはバランスというものがあって,誰かが作ったものを見て指摘することをInputとするならば,やはり自分が考えたものを形にしてOutputしたいとどうしても思う.

そろそろ後期も近づき,今度は後期開講の授業準備もしなければいけないわけですが,ここでいう資料作りも,実際のところはInput寄りです(作る,という意味ではOutputなのかもしれませんが,かなりの部分で”これまでに得た知識を流用”している面が大きいので).

ここでいうOutputは,少なからず”既知 << 未知”であるものを意図していて,どうすれば目的を達成できるか,ある意味苦しみのたうちまわりつつ産み出した何か(例:仕事関係でいれば,論文や発表など)が,結果としてこちらの期待通りとならずとも,それを見聞きした誰かにとって意味のあるInputになっていれば達成感が得られる類のもの,とでもいうのでしょうか.

以前このブログやtwitterかで紹介したかもしれませんが,何らかの技術や知識などの学習において,最後のフェーズは「それを誰かに教えられるか」どうかです.物事を完全理解できていなければ教えられないし,ただある意味矛盾する表現かもしれませんが,完全理解できているかどうかを把握するために”教えて(話して)みる”という作業がとても大事になります.自分が誰かに話してみることで,自分がその対象を完全に理解できているか,理解できていないのだとしたらどこがどの程度理解できていないのか,よりよく理解するためには何が必要なのか,などなど色々なことがわかってくる.要は,

"Outputこそが自分に対する最良のInput"

となります.
書籍や論文も,授業で教わったことも,ただ読んで理解したつもりになっているだけでは50点,それを他者にとってわかりやすく要約して説明できたり,実際にそれを応用して問題を解いてみたりしてみて初めて完璧な理解に到達できますよ,というように僕は考えています.

前にも書きましたが,そういう意味でボチボチ,11月中旬の基調講演が近づいてきていて,その発表資料を作らなければいけません.自身の研究に関する発表ですから,新たな知識はいらんだろ,という話ですが,もしかするとよくよく整理して話そうとしても,どうにもこの部分がうまく説明できない,といったスライドが登場するかもしれません.研究の世界は一般的に”既知の(答えがわかっている)もの”は対象にならないので,研究を進め,実験を通してわかったつもりでいても,実は当の本人も完全に理解しきれていなかった,ということは少なからずある話です.ですから,この機会は最近Inputばかりの僕にとっては良い(いや,ある意味では多少厳し目の)エクササイズだと思っています.

InputばかりだからOutputしたい,と考えている自分にとってはまたとない機会ですが,先述の通りある意味のたうちまわるような苦労を,他の仕事の合間に,締切厳守で(苦笑),かつOutput対象の言語は英語で進めなければいけないので,タイトルの通り,”したいけれど、したくない”というのが率直な気持ちなんです・・・
とはいえ,締切があるとか,もう決まっちゃってる(学会HPには僕の写真も講演の概要もアップされちゃってる)という状況は,自分に鞭を入れるという意味では非常に効果的ですね(涙).
まだしばらくInput作業自体は別件で続きそうですが,そろそろデュアルで作業をしていこうと思っています,ということをここで宣言することで,新たな鞭を自分に入れようと思った次第.

2021/08/19

Social Innovation

5月末にアップした読書記録のうち,読了していない2冊(FACTFULNESSとサーチ・インサイド・ユアセルフ)は実はまだ読み終わってないんですが,とは言え読むのをやめたわけではなく,”細々と”読んでます(読み応えがあるのと,内容はしっかり頭に入っているので,このままマイペースで行くか,と).
そんな中,子供たちが図書館に行くってんで着いて行ったら比較的面白そうな新書があったので適当に2,3冊見繕って借りて読んでいたら”当たり”に遭遇しました.

「世界を変えるSTEAM人材 シリコンバレー「デザイン思考」の核心」 
ヤング吉原麻里子,木島里江 著 朝日新書

借りておいて言うのもなんですが,STEMはある程度知っていたものの,実はSTEAM(要は、STEM + "A")はよく知りませんでした(だから借りたという話もある).STEMは

Science,Technology,EngineeringにMathematics

の略ですが,このワードを見て,日本で言うところの理系を思い浮かべるのはあまりよろしくありません(と言うのが個人的な見解).そもそもが理系/文系のように,簡単に学問領域を一刀両断になどできるものではない=各分野が相互に影響を与え合っているのが実際の姿,というのが僕の考えですが,STEAMはまさにそれを体現していると言えるかもしれません.で,追加されたAですが,これは”Arts”.ただし,日本人が一般的にArtに対して思い浮かべる「芸術」と言うよりはむしろ”リベラルアーツ”(これまた日本語訳にはめるとちょっとズレてくる感がありますが,いわゆる教養科目)といった方が妥当で,いわゆる数理的,工学的なスキルを,実際に人間の生活を向上させるため,困っている人のニーズを満たすために使っていこうとするために必要な能力を学ぶ,もしくはそういった能力を有した人材をSTEAM(人材)と呼ぶ,とのこと.

この本を読んでいて図らずも感じたのは,東京高専の“社会実装プロジェクト”導入の資料としても良い書籍なのでは?ということ.本のサブタイトルともなっている,いわゆる「デザイン思考」というのは,ウチの社会実装プロジェクトのカリキュラムを検討する際にもキーワードとして出てきていた用語ですが,この書籍を読んで,より具体的にイメージができたと思います.

率直に言って,社会実装に限らず,教員や職員がどれだけその科目について方法や目的を把握していても,授業を受ける学生が“何のためにこの(こんな?)授業を受けるのか(受けなければいけないのか)?“を理解できていないと十分な学習効果が得られないのではないかと思っていますが,特にここ最近で授業化された社会実装系科目は,特にその傾向が強いように思っています(実の所,社会実装は教員間でも捉え方やイメージ,到達目標にずれがあるのではないかと感じています).

この本は,東京高専における社会実装に特化した内容では当然ないですが,

・社会のニーズを吸い上げ
・ニーズを持つ当事者とのやりとりを通して
・プロトタイプの作成とフィードバックを経て
・実践的なものづくりを進めていく

という,東京高専における社会実装にもフィットした“STEAM人材育成”のエッセンスや他の機関における実例が紹介されているので,なるほど東京高専でのこういったことをやりたいと思っているのか,といったイメージがつけやすいように思いました.

冒頭に書いた通り,実は現在,読んでる最中だけれど読了していない本もある中で,この本は新書という形式もあり(&図書館で借りた本なので返さないかんこともあり),かなり短時間で,気軽に読めるのも良いですね.

最後に1つ,この本の中でも序盤で,これはまさに社会実装に取り組む際に重要なスタンスだな,と僕が常々考えている“イノベーターのマインドセット”(マインドセット=ものの考え方、心構え、姿勢)が紹介されているので、それを引用したいと思います.

① 型にはまらない think out of the box
② ひとまずやってみる give it a try
③ 失敗して、前進する fail forward

個人的には特に3つ目が重要だと考えています.企業や組織との連携も積極的に行われている科目なので、連携先のスタンスによっては失敗に対する捉え方が変わってくる可能性もありますが、社会実装の科目自体はむしろ”どれだけ有意義な失敗経験を積めるか”こそが重要だと思っています.取組のフェーズがどの段階か(企画/開発/実証実験/実用化などなど)によっても違ってくるとは思うものの,少なくとも学生の皆さんのための科目として存在する以上,”失敗はできるうちにできるだけしておいた方が良い”でしょう.

ちなみに今日のタイトルである"Social Innovation"ですが、この本の終盤で紹介されているアメリカの,幼稚園年中から高校生までの14年間,デザイン思考を取り入れた未来のSTEAM人材の育成を目指す私立校に実際にある科目名とのこと.東京高専では日本語名が社会実装なので,英語訳は直接的にSocial Implementationとすることが多いと思いますが,語感を見て一発で「こっちの方が格好良いな」と思ったので,エントリのタイトルにしてみました(笑).

2021/08/07

夏”休み”?

 東京高専では7月22日から,学生は夏期休業に入りました(8月31日まで).正直言って,台湾にいた2018年度は除き,いわゆる夏休みに休んだという実感はほとんどないのですが(苦笑),今年度はこれまでに輪をかけてさらに”休んでいる実感がない”夏休みとなっています.

単純に言って,やることが多過ぎます.当然コロナ禍の影響もありますが,担任業務を掛け持ち(!?)していることもあり,学生からの連絡や学生へ連絡するという作業がかなりあったり,そんな中でも研究周りの作業も進めねばならずで,例年よりマッサージに通う頻度が確実に上がっています(ホントに).

7月末,ここ最近では個人的に一番大きなイベントであった,久留米大学さんでの公開セミナーを終え,今度は11月に開催される国際シンポジウム(ISET2021)の基調講演の準備だ,と思っていたのですが,残念ながら単純に時間的な余裕が全くないのでとりあえず放置しています.

今日からうちの学校では,ここ数年恒例の”省エネ期間”(冷房で電気代を食うから全員来るな,の期間)なんですが,学校に行ってないだけでやることはほぼ同じ(強いていうならマッサージに行ったくらい)という感じ.
コロナ感染者数も急増していますので,本格的に休めるかどうかという話はあるものの,少なくともアクティブに動ける状況ではありませんので,ひっそりと過ごしたいと思っています.

インターンシップに参加する学生の皆さんには,せっかくの機会ですので是非貴重な経験を積んできてほしいと思うと同時に,可能な限りの注意をしながら,様々な状況の変化に柔軟に対応できるようなRobustnessも身につけてもらいたいですね.
様々な理由で参加しない(参加できない)学生もいますが,その分自由になる時間は増えますし,否応なしに行動が制限される分,集中して何かに没頭できる面もあるでしょう.ただただ”コロナにやられた年だったと記憶するのは癪”ですので,この機会に何か目標設定して頑張ってみるのも一つの手だと思っています.

2021/06/21

文章作成の際のページ制限について(for beginner)

 5月末辺りから猛烈に忙しくなってきて,ものの見事にBlog更新頻度が下がりましたが(苦笑),幸か不幸かある意味予想通りだったので持ち堪えられています(来ると分かっていれば,心も体も意外と準備できるもの).
そんな昨今ですが,うちの学科の5年生が中間報告書の作成のタイミングとなり,これはちょっと書いておくかということで久しぶりに書きます.ちなみに今回のネタは,この夏休みに各企業様にお世話になり,夏休み明けに報告書を書くこととなる高専4年生(東京に限らず,インターンシップを行う高専は同様でしょうか)にとっても大事な話かもしれません.

何かについて文章でまとめよ,という場合,そのほとんどで”何ページ以内”といった制限がつきます.ページ数が少なくて喜ぶ人は,文章作成経験が乏しい人か,そのことについて真面目に取り組まかったために書くことがない人か,その両方です.”いくらでも好きなだけ書いていいよ”と言われた場合が最も楽勝で,逆に極端な話”今回のテーマについて一言で”とか,俳句(原則17文字)で表せ,という方が難易度が高いと思いませんか?(Twitterは140文字でしたっけ?結構少ない文字数ですが,あれで言わんとしていることをしっかり表現しきっている人ってほとんどいないのではないでしょうか?結果として,意図が正確に伝わらずに=誤って伝わって要らぬ騒ぎが起こったりしているような・・・Twitterユーザの全員に文章力があれば,また,しっかりと推敲した上で投稿していれば,勘違いや意図を伝え損ねての問題はぐっと減って幸せな世界になると思います)

話がそれましたが,書くべきことがそれなりにあるのに,それを少ないページ数でコンパクトにまとめて表すことの方が,好きなだけ書いていい,とか,何ページ以上書いてと言われるよりも大変そうだということがイメージしてもらえたでしょうか.
少ないボリュームでまとめること自体,そもそも難しいのですが,それに加えて特に文章作成経験の乏しい人や,これから書こうとしている対象についての知識が乏しい人が苦戦するのが,“そもそも何を書くべきか”を取捨選択することです.

報告書などのフォーマルな文章の執筆初回(or 数回の経験)で,これをいきなり過不足なく,かつページ制限を守って書き切れる人には会ったことがありません.むしろ最も多いパターンは

”書かなくても良いことをあれこれ書き,書かなければいけないアレコレが抜けている”

というものです.で,これも最初のうちはしょうがない面があるのですが,多くの皆さんにとっては「この資料は何ページでまとめよ」という制約が猛烈に大事”であるようで,要らないコンテンツが大量に含まれている上に必要なコンテンツが複数抜けているのに,丁寧に時間をかけてページ数の制限「だけは」守って提出してきてくれます.

・・・が,当然その文章は猛烈に無駄が多く,加えて必要なことが抜けているので,ほぼほぼ全部書き直す,といったような事態に陥ります.報告書にせよ何にせよ,ページ制限がある,提出締切もある,といった文章を作成する必要があり,かつ,そういった文章作成の経験がない場合,まずすべきことは

“これまでの自分の知識と経験を総動員して
「この文章に関してこれが抜けると,この文章の真意が伝わらない」
というコンテンツを全て文章に盛り込む”

ことです.当然,これまでの文章作成の場数が少ない場合,やはりそれでも重要なものが抜けたり,(最重要なものと比較して)要らないもの無駄なものがリストアップされたりしてしまいますが,場数を踏んでいくごとにだんだん,文章の骨格を作るために必要なコンテンツを過不足なくまとめられるようになっていきます.

その際,重要なことは,多少無駄なものが含まれるかもしれないが,“リストアップしたコンテンツの中に,絶対に必要なコンテンツが含まれること”です.文章内にそれらが含まれていて,願わくばそれが理解しやすい(理解可能な)流れや表現で記述されているのであれば,あとは不要な部分を削るだけです.特に初心者の場合,この訓練を積む過程では,文章作成のバージョン1(初版)からしばらくの間はページ制限よりも当然,文章がオーバーしますが,むしろそれで良いのです.初版の文章の中に必要なコンテンツが全て含まれていて,あとは削るだけ,なんていう文章を書いてくる学生がもしいたら,僕は感動して泣くかもしれません(大袈裟でなく)・・・というくらい,経験を積まないと難しい作業だと思います.

もちろん,ページはオーバーしてOKとはいうものの,2ページが上限の文章で初版のボリュームが4ページ(2倍)あるとなると,さすがに書き過ぎでしょうとなりそうですが,1.5倍くらいまでであれば(個人的には)全くもって許容範囲ですし,制限内におさめるというプレッシャーからは解放されるという意味でも良いかもしれません.
加えて,せっかくぴったりのページ数に収めて提出したのに,あれもこれも要らない,という一方,あそこもここも足りない,と言われてほとんど全部書き直せと言われるショックも多少は回避できるように思います.

今から自分が書こうとしている文章についての背景知識や文章作成スキルが不足しているという自覚がある場合は,そもそも最初から”一度に1から10まで全部書き上げよう,としない”ことも重要かもしれません.例えば,文章の序盤で致命的なミスを犯している場合,それ以降の当該箇所や,当該箇所と関連している部分は全部直さなければいけないことにもなります.あまりにも記述量が少なすぎるとコメントの出しようがない,という意味では「過ぎたるは及ばざるが如し」ですが,例えば1節程度のまとまりができた時点で見せてもらえた方が,早い段階で軌道修正ができるのでベターなように思います.

以上,僕がこれまで,多くの学生が文章作成初心者だった時分に彼らの文章添削をしていて思ったこと,および実際に指摘してきたことを踏まえてオススメしている”初心者の文章作成アプローチ”です.ただしこれはあくまでも「北越が考える」アプローチで,別の方には別の方のアプローチがあり得ます.また,上の方法がどうにも自分の文章作成法には合わない,という人もいるかもしれませんので,強制はしません.が,僕が人の文章を見るときは,上のような見方をしますので,近日僕に文章をみられることになる5年や4年の学生は,上記の内容を確認の上,試しにこの方法を意識して作ってみると,少なくとも僕とは相性が良くなるかもしれません.

2021/05/28

読書記録 April to May, 2021

 タイトルの通り、ここ最近読んだ(読み終わった)&読んでいる書籍と一言感想を、備忘録的にまとめておきます。

  • 「ボクはやっと認知症のことがわかった 自らも認知症になった専門医が、日本人に伝えたい遺言」長谷川和夫 / 猪熊律子 著・・・日本の認知症研究の第一人者である長谷川先生の著書.自伝としても素晴らしいし,認知症について書いた書籍の中でも,最も説得力のある一冊と言えるでしょう.

  • 「世界一しあわせなフィンランド人は、幸福を追い求めない」 フランク・マルテラ / 夏目大 著・・・ある種の勘違いがきっかけで購入した本.ただ,そうでもなければ普段なら読まない類の分野かもしれません.関連書籍をあと数冊読んでみたいと思っています.

  • 「フォン・ノイマンの哲学 人間のフリをした悪魔」 高橋昌一郎 著・・・このリストにある書籍の中で,最も印象に残っている本.情報系なら絶対に知っているものの,流石にその考え方や性格までは知らなかったフォン・ノイマン.当たり前ですが,彼は架空の世界のヒーローではなく,血の通った人間であり,ある意味科学に魂を売った,正真正銘の天才であるということがよく分かる.

  • 「フィンランドの教育力 なぜ、PISAで学力世界一になったのか」 小林禮子 / リッカパッカラ 著・・・リスト2つ目を読了してから買い直した(!?)本.東京高専はフィンランドとは縁があるわけですが,フィンランドからの留学生を受け入れるたび,学生個人のパーソナリティに加えて,フィンランドという国の教育システムにも興味をもった次第.分かったつもりになっているものの,もう数冊読んで知識を深めたいと思わせた一冊.

  • 「FACTFULNESS(ファクトフルネス)10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣」 ハンス・ロスリング / オーラ・ロスリング / アンナ・ロスリング・ロンランド / 上杉周作 / 関美和 著

  • 「サーチ・インサイド・ユアセルフ ― 仕事と人生を飛躍させるグーグルのマインドフルネス実践法」 チャディー・メン・タン / 一般社団法人マインドフルリーダーシップインスティテュート / 柴田裕之 著

最後の2冊は現在読んでるところ・・・ではあるものの,猛烈に忙しい真っ只中なので,いつ読了できることやら.キーワードは微妙に似ている,FactfulnessとMindfulness.後者は,ここまで忙しくなる前に読み終わっておきたかった(この多忙の中,心の健康をキープするのに役立ちそうなので).

2021/05/23

論文は1章から書いてはいけない(for beginner)

 何だか,こんな”〇〇は××しなさい”とか,”△△は□□しなさんな”みたいなタイトルの本が多いので,タイトルの感じを真似してみました(笑).


タイトルは多少ふざけましたが,これまた先日の英語の話題と同じく,普段から思っている,と言うか,学生の皆さんに論文(学会・研究会・発表会等での要旨も含む)を書いてもらうたびに助言していることなので,今回,文章にまとめておこうと思いました.

最初に断っておきますが,今回のタイトルはカッコ書きで「for beginner」と書いてある通り,以降の内容はまさに初心者向け,要は,論文や発表要旨を作成した場数がまだ少ない学生さん向けのものとなっています(場数を踏んでいる人なら最初から”書ける”ので書いても良いし,なんなら書きたいところから書けばいいのです・・・が,こと初心者に関してはよろしくない,という話です).

タイトルにインパクトを求めたので(苦笑),タイトルに含まれた情報量は実は少し少なくて,厳密に言うと,
”アブストラクト(あらまし)と第一章/節と最終章/節は,最初に書いてはいけない(というか,書けない)”
が,僕の考えです.

卒業論文や学会発表論文,要旨などには,その冒頭で論文全体の概要を記載するアブストラクト(Abstract)を用意する必要があることが一般的です.それに引き続き,研究の背景や対象領域における課題,自分の研究テーマの意義や目的を記載する第一章(はじめに)があり,その後,提案手法の説明や手法の説明のための準備,手法の妥当性・有効性を評価するための実験の説明等が続き,実験結果や考察に関する記述があった後,論文に記載された研究の取りまとめと今後の課題や方針について述べる最終章(まとめ・結論)が記述されて本編は終了.論文によってはその後に謝辞(協力いただいた関係者・機関等へ感謝を述べる)が挟まって,最後に参考文献,必要に応じて付録(本編に記載するには場所をとるので最後に回した補足説明や数式の証明など)を記載することとなります(論文や本など,100ページ以上のボリュームとなると文章の一まとまりは「章」で区切りますが,数十ページの論文やそれ以下の用紙の場合は「節」で区切るのが普通.章・節・項というのが単位になります).

特に,卒業研究をはじめとする研究活動を始めたばかりの学生がこの手の文章を書くことをイメージした場合,上記の各章 or 節の中で,どこが一番書きやすいと思いますか?
個人的には,恐らくほとんどの学生が一番先に取り組むであろう,自身の提案したい/開発したい手法やシステム,機械装置などに関する説明であったり,既にそれらが完成しているのであれば,これまたまさに自身が実施(しようと)している実験設定や結果・考察に関する記述ではないかと思います.これらはまさに,自分自身がリアルタイムで取り組んでいたり,実施した直後であったりするので書きやすいですし,むしろしっかりと覚えている間に書くべきです.また,書くことでアイディアの構成や実験設定の”抜け”に気がつき,早めに手法や実験設定の修正も可能になる,というメリットもあります(これはまた別のエントリとして書きたいですが,アウトプットはある意味,自分にとっての最良のインプット/フィードバックとなるので,書いてみるということはその意味でも重要です).

要は,論文の章立てでいうところの”中盤部分が一番書きやすい”(書こうと思えばすぐにでも手がつけられる)部分となるわけですが,ここまでは良いでしょうか?これはこれとして,ではなぜ,アブストラクトや一章,最終章は書きづらい/書いてはいけないのでしょうか?
まず,一番わかりやすいのはアブストラクトです.アブストはその名の通り,論文の概要(あらまし)です.論文の全体的な内容を,特に最も重要な,”読者が知りたいであろう内容”に絞り込んで要約したものがアブストです(アブストラクトは,論文によってはサマリー=summaryとも言います).
考えてみてください.研究を始めて間もない,ヘタをするとシステム開発も完了していなかったり,実験結果もまだ得られていないような状況で,研究全体の要約を書けると思いますか?
アブストラクトやサマリーは論文の冒頭で,あまり多くのボリュームを取らずに,簡潔にまとめるべき文章です.学生の皆さんは長文を書く(書かされる?)ことを嫌がったり心配する傾向があるように思いますが,むしろ,大事なことを(余計な部分を削り取って)簡潔にまとめれる能力の方が重要かつ,高い作文能力が求められます.そういった意味でもアブストラクトは第一章と同様,書くのは一番最後とすべきです.

続いて第一章ですが,第一章では
”その研究がどのくらい意義深い=やる必要性や将来性があるか”
について,読者を納得させる必要があります.もっとぶっちゃけていうと,面白そうなことやってるな(続きを読んでみようかな),と思わせることができるかどうかが重要です.
論文タイトルを見て興味を持たない読者はその論文自体を手に取ることはないでしょう.タイトルに惹かれても,アブストや一章を読んで面白くないと判断したら,それ以降を読むことはありませんね.”タイトル・アブスト・一章は論文の看板であり顔”です.看板を見て美味しそうな店だな,と思わせないと,人は店の中までは入ってきませんので,そういった意味でも非常に重要な役割を果たすパートです.

自身の研究の意義や重要性を説得力のある(簡潔な)文章で述べる必要があるので,当然関連研究についても押さえておく必要がありますし,自分の研究を完全に理解した上で執筆を始めないと,後からあれも足りないこれも足りない,ということになってくるわけです.
結果,最初にあるからと一章から手をつけても,一向に書き終わらず,そうこうしているうちに一章も書き終わらないうちに締切が来てしまうのですが,正確にはそうではなく,本来最後に取り組むべき文章に最初からチャレンジしているという順番自体に致命的な問題があります.
同様に,最終章もその研究全体をよく理解していないと書けませんし,そもそも一章と最終章はほぼ,記述内容が同一です.強いていうなら一章では,「これから○○について検証する」,とか,「こういった目的で実験を行う」,というように,現在形・未来形での表現が多く,最終章ではそれらが「○○について検証した.(その結果・・・)」,「実験を行った」のように過去形・完了形に変わるという程度です.一章では未来形であったのに対し,最終章では完了しているので,その結果や,結果を踏まえた今後の課題・方針に関する記述が付加される程度で,書くべき情報や書くために必要な準備はかなりの部分で重なります.

ある意味,初心者限定です,と冒頭で断ったのは,初心者と場数を踏んだ学生や教員では,文章力の差はもちろんのこと,それ以前の問題として自身の従事する研究そのものに対する知識や経験が少ないので,一章やアブストを書きたくても,書くためのコンテンツを持ち合わせていないのですから,書けなくて当然とさえ言えます.
ただし,そろそろ卒研を取りまとめますよ,というタイミングになっても書けないとなってくると,それはそこまでの時間を何に使っていたの?ということにもなってくるので注意が必要です.例えば4月から研究を始め,教員や先輩のアドバイスを聞きながら準備を進めつつ,自身の研究の意義や将来性,他の研究との違いを明らかにするために文献を調査し,手法を考え実験を実施し,結果が出て取りまとめて,評価・考察をしていくうちに,一章や最終章を書くための情報が溜まってくるハズですので,”その頃には”少なくとも当該の章を書くためのコンテンツは揃ってきているハズですね(あとは文章力の問題です).

何度か要旨を書いたり,学会などで発表したりしている学生であれば,自身の研究に対するベーシックな知識や他の研究との類似点・相違点,現在の自身の研究の完成度などについても把握できているでしょうから,正直に第一章から書き始めるという選択肢もできるでしょうし,状況に応じてそれ以外の章から書いていくことも可能かと思います.
文章力についても,最初はかなり苦労するでしょうから,文章を書き始める必要がある時は修正の時間を大量に用意できるよう,可能な限り早く書き始めることが重要です.しかしながらその一方で,ある程度のレベルまでは,繰り返し訓練することでほとんどの人は確実にたどり着けます.発表スキル等と同様,やればやるほど向上しますし,どんな人でも向上できるレベルの上限にまで到達すれば,世の中でも”文章が/発表が上手い人”と一般的に認識されるレベルにまで到達できると思っています(この意味で,「自分には文章/プレゼンの才能がない」と言っている人は,プロの小説家や俳人,インフルエンサーでも目指しているのであれば別ですが,いわゆる技術文書を書いたり,学会発表をしたりすることに関して言っているのであれば,単に”練習不足”なだけだと断言できます.怠けずに練習してください).

ただ,そうは言っても世の中では意外と「一章(アブスト)から書いてね」などと言われることが多かったりもします.そのような,否応無く対応せざるを得ない状況に遭遇した時,極力避けたいところではあるものの避けられない場合は,文字通り必要最低限の当たり障りのない文章を作成し,真面目に作文に取り組むのは,順番として最後の方に回すのがやはり結果としてベターだと考えます. 

2021/05/19

英語(語学)+1(後編)

前回のエントリに引き続き,英語をはじめとする語学の習得は大事だよ,という話を,勉強のメリットではなく,勉強しないデメリットから考察するという,ある意味挑発的な(笑)アプローチをとってみましたが,今回は後編として,特に”+1”の部分にフォーカスしてお話をしていきたいと思います.
が,その前に一点補足で,多くの学生さんにとって身近な外国語は英語であるかと思いますが,知っている=読んだり書いたり話せたりすることで(あえて下世話にいうと)メリットがある言語としては,当然中国語も入ってきます.あとはスペイン語まで入れれば,世界のかなりの部分で意思疎通ができるのではないでしょうか?
例えば北越の場合,英語は ”まぁまぁ”  できるつもりでいるので,最低限英語を喋る人とであれば意思疎通は可能ですし,それなりの準備は必要ですが専門的な内容での発表も可能です.また,在外のおかげで台湾には友人がたくさんできたので,中国語圏の情報も色々と知ることができます(それより何より,台湾という国と人の素晴らしさに惹き込まれてしまっているので,この関係は僕が死ぬまで大事にしていきたいと思っています).
人によっては,それが中国語であってもスペイン語であっても,ヒンドゥー語であってもアラビア語であっても良いでしょう.情報共有のチャネルが増えるというだけでも,日本語以外でのインプット/アウトプット手段しか持っていない人に比べて,それだけでアドバンテージがある,と言えるでしょう.

とは書いたものの.
高専の学生にせよ,そうでない学生にせよ,習得した語学に加えて是非,最低限 ”+1”  は身につけておいてほしいと思っています.
想像がついている皆さんも多いかもしれませんが(もしかすると2つくらい考えている人もいるかも),特に仕事の面でメリットがある,という意味でいうと,僕は
One = 自身の専門性(身についている,自身の専門分野に関するスキル・知識)
と考えます.
何が言いたいかというと,
”ただ「英語(外国語)が流暢に話せる」だけでは仕事に繋がらない.その言語をツールとして活かせる専門性がないと,「ただ英語話すのがうまいだけの人」になる”
ということです.
もしかすると↑は,高専で普通に過ごしている学生であればある意味心配はいらないのかもしれません.5年間(+専攻科の2年間?)高専で勉強して卒業すれば,最低限の専門性は身についているはず(身についていないと卒業できない)ですので,卒業後はその技術や知識を磨き続け,アップデートし続けていければ+1は既に手元にある,ということになると思います(ただし,工学系の知識やスキルは”日進月歩”どころではないスピードでアップデートされていきますので,卒業したからOK!と学ぶことを止めた時点で早々に ”+1ー1”  となるでしょう).

さらに,今回のタイトルでは+1と書いたものの,仕事をはじめとするもろもろをよりスムーズに進めるためには,直接的には仕事や専門性とは関係のない ”教養”  も重要となってくるように思います.ここでいう教養とは,要は”自分を形作ってきた文化的・思考的背景”とでもいえるもので,具体的にいうと,遠いところでは日本の歴史や文化,社会構造に関する知識,近いところでいえば,自分が育ってきた地域の歴史や文化に関する知識です.これはある意味,国内外に関わらず”人がコミュニケーションを取る際に必要な基本的要素”と思っているので,あえてタイトルに ”+2”  と記載しなかった理由でもあります.
場合によっては(特に日本人同士の場合は),明示的にその知識が会話の中で出てくることはないかもしれませんが,同じ文化的背景を持つ人同士であれば暗黙的に持てる認識であったり,ある種の常識であったり,考え方等が共有できることでコミュニケーションや共同作業が円滑に進みます.また,外国の方のように歴史的文化的背景が異なる人との作業の場合,お互いのバックグラウンドを理解することで信頼関係を築くことが容易になったり,単純に異文化に対する興味からコミュニケーションが活発化することもあります.

例外的に,一般的な枠を超えるような超人的な才能をもった人間であれば,その他の教養も語学力も飛び越えて一流の成果を挙げる可能性はあるかと思いますが,一般的な枠を超えない中では, ”語学力を身につけるとその枠自体が大きくなり,+1を武器にその枠内で成功する確率を上げられる.教養があれば,チャンスを掴んだり成功するまでのスピードをブーストできる”  というのが僕のイメージです.

そしてある意味,語学力についても教養についても, ”一朝一夕では絶対に身につかない”一方, ”継続していれば必ず身につく”  と言って良い素養だとも思っています.専門的能力については,ある面では難しいところもあるのが事実です.例えば,どんなに頑張ってもこの問題が解けない,といった「壁」は存在しますし,○年間プログラムを頑張ったけれど全く(ほとんど)まともに書けるようにならなかった,という人もいるかもしれません.ただ,ここでいう専門的能力は必ずしも工学的なものや理系のものである必要はありません.今回は(東京)高専の学生さんを主なターゲットとして書いていますが,それぞれの学生さんにとって,それぞれに合った(得意な,好きな)専門性はあるのではないでしょうか.それは文系の何かであったり,美術的なものであったり,もしくは経営や営業の才能であるかもしれませんが,それらの能力を海外でも発揮しようとすれば当然,語学が必要になってきますし,逆に英語が喋れて営業の才能があるのであれば,何も国内の営業職だけを就職や活躍の対象に限定する必要がなくなりますので,それだけでも活動の対象範囲が広がっていきます.

個人的には,人生,いつでもやり直せるし,いつから始めても遅すぎることはない,と信じていますが,良いことは早めに始めるに越した事はないとも考えています.要は,1年生なら今から始めればいいし,5年生でも専攻科生でも,場合によってはOBでも,今からでも始めればいいと思います.
かくいう僕は,中学校の頃から単純に英語が好きで(高専生としては特異かもしれません ^o^;;),好きだったので抵抗感もなく勉強が続けられました.一方,専門性については(函館)高専に入って初めてPCに触り,入学後からタッチタイピングを学び,当然プログラムスキルも高専1年生になってから勉強を始めたので,むしろ専門性については,入学前からプログラムが得意だったという学生より遅いスタートでした.そんな僕でも工学で学位が取れ,教員になれた上で,英語も海外の文化にも興味があったこともあり,海外での発表や研究の機会を得られたのは,まさに語学力が多少なりともあったからでしょう.おかげさまで海外にも連絡を取り合う友人ができたり,何かあったら ”あそこへ帰りたい”  と思う海外の国もできました.

僕自身,まだ比較的幸せな環境の下で勉強や仕事ができてきた&できているのでは,と,日本と世界の今後を予想しながら考える一方で,より混沌化し不確実性の増していく未来を考えれば,非常事態が起こってからでは遅いと考えるのが自然です.
誤解を恐れずに言えば,何かあった時にはすぐに or 何かある前に自分(と家族)の身を(特に生活面・経済面で)守ることができる/逃げることができる準備は整えておくことが
”今後長い間,落ち着いて生活していくための必要条件”
なのではないかと,かなり真面目に考えています.

2021/05/17

英語(語学)+1(前編)

今日は,ここ最近ずっと話したいと思っていたことについて書きます.基本的に僕は文が長くなりがちなんですが(苦笑),今回はスッゲェ長いので,前後編の2部に分けました(実は,それでもまだ長いんですが,興味のある人は読んでください).
特に高専生,というか,学生の皆さんに話したいと思っていて,つい先日,やっと僕が担任をやっている学生にも少しだけ話すことができたので,その補足も兼ねて書き進めていきます.ちなみに僕も,しばらく前からぼんやりと考えていたことなんですが,2018年,台湾に在外に行って以降,よりその意識が明確になったという経緯があります.

語学はできたほうが良い,世界中の人と話せる,話せると受験に有利,などなど,英語をはじめとする語学は”勉強すると良い”と言われてきて,実際に我々教員もそうやって学生の皆さんに語学習得を奨励してきました(もちろん中には,自らその必要性や語学習得の楽しさに気づいて,というかそれを楽しいと感じて,積極的に身につけている人もいるでしょう).

上記はある意味真実で,語学を習得するメリットが並んでいるわけですが,幸か不幸か個人的には今回,語学を勉強するメリットではなく”語学を学ばないことによるデメリット”といえるポイントについて紹介したいと思います.

冒頭で,台湾での在外の経験に触れましたが,皆さんは台湾の語学事情についてはご存知でしょうか?台湾は親日の国で知られていて,日本語を話せる人も(特に第三次産業関連や,アニメが好きな学生に)多いですが,最低限読み書きができないと"お話にならない"のが英語です.

なぜ,お話にならないのか,理由はわかるでしょうか?

台湾の現在の人口は2300〜2400万人くらい,日本の5分の1程度でしょうか.そのうち,学生はどのくらいいるでしょうか?後ろの話とも関係してくるので先に書いておくと,台湾は日本を上回る猛烈なスピードで高齢化が進んでいる最中なので,割合的に学生の世代は多くないし,今後はどんどん減っていくと予想されています(当然,人口も減っていくでしょう).
台湾の母国語は中国語,ではありますが,実は台湾で使用されている漢字は中国本土で用いられている中国語(簡体字)とは異なる繁体字と呼ばれるもので,日本で昔使われていた,”複雑な,画数の多い旧字体”と類似しており,簡体字と繁体字はほぼ別な字と言って良いでしょう(おそらく,音声でのコミュニケーションは可能ですが,台湾の人は中国本土の字を読めないと思います:もしかすると,本土の人は台湾の字を読めるかもしれません・・・中国の簡体字は繁体字を文字通りsimplifyしたものなので,originalは推測できるかも).

若干横道にそれましたが,要は何が言いたいかというと,台湾で教科書をはじめとする書籍を母国語で作ろうとすると,母国語を読める人はほぼ台湾の人に限定される上に,台湾の人口は高々2千数百万人ですから,ただでさえ売れない(!?)教科書をわざわざ繁体字で作ったり,英語の専門書を繁体字に翻訳しても儲けがありません.老若男女が手に取るであろうベストセラーの小説であれば翻訳されるかもしれませんが,国民全員が手に取って買っても,人口の母数が限られていますからやっぱり儲けはそれほど期待できないでしょう.
そうなると,最新の理論が英語で記載された教科書があったとしても,それを翻訳しようということにはならず,”原書のまま読め”ということになりますから,
英語が読めない=勉強をすることができない
ということになります.

ちなみに上では勉強(教科書)についての話題にフォーカスしましたが,これは一般の製品についても同様で,良い商品を作ったところで国内だけで流通させても儲けはあまり出ず,必然的に世界を相手にしないと商売自体が成り立たないことが多いと推測できます.
在外で台湾の大学でお世話になっていた際,現地の教員から聞きましたが,台湾ではいわゆる事務職への求人票にも,”TOEIC○点以上”といった語学力に関する条件が記載されることが少なくないようです.
例えば技術者の場合,最新の論文や教科書を読むため英語力が必要であることは言うまでもありません(日本でも当然,最新の情報はまず英語でpublishされるので,英語が読めることが重要ですし,自身の研究成果を公開する場合も,英語で書けないことには世界中に発表することはできない=日本語で書いてもそもそも読める人がいないから意味がないと言うことになります).
が,海外を相手に商売をする必要がある場合,電話の応対をするような事務職であっても英語がしっかりと理解でき話せないと,大事な連絡の意味を取り違える,なんてことが起こってくるので,やはり英語力が必須と言うことでしょうね.

しばらく,台湾における状況について記述してきましたが,ここまで読んできて,日本との共通点には気がついたでしょうか?
  • 高齢化が進んでいる(これから進む)=人口が減る/今後減っていく
  • 母国語が特徴的
台湾にとっての一つのメリットは,音声コミュニケーションであれば中国本土とやりとりできることでしょう.中国本土の市場は大きいですから,本土でも利用できる製品を本土に輸出(?)できれば大きな利益を上げられるかもしれません,が,皆さんもご存知の通り台湾と中国は微妙な関係ですので,あまりそのメリットにはすがることができないかもしれません(ちなみにここまでの話&これ以降の話,主な対象者は日本も台湾も,大学生や高専生などの高等教育を受けている人or過去に高等教育を受けた人,と考えてください).

翻って日本です.
日本語は世界でも習得が難しい言語と言われていますし,海外の人々がわざわざ日本語を習得して日本人と取引したいと思うことは,それほど多くないでしょう.むしろ我々が英語なり中国語なりを習得する方が近道ですし,個人レベルでも(自分の収入をあげるという意味で)有効です.
加えて,少子高齢化です.僕は介護予防研究を行っているので,台湾や日本,その他の国の高齢化率などについては比較的よく知っている方かと思いますが,改めて日本の人口の推移を調べてみて(予想していたとはいえ)かなりビビりました.総務省の「総人口の長期的推移」を見ると,2100年の人口は多く見積もっても6400万人,低く見積もると3770万人です.昨今の少子化対策が全く効果を表さないどころか出生率が下がり続けていることを考えると,低い方の見積もりさえ下回りそうな勢いかと思います.ちなみに,その時点での高齢化率の予測値は約40%で,人口のほぼ半分が高齢者,若年人口は9%を切る予想なので,国内の若者向けだけに製品を作ったところで,多く見積もっても600万人くらいまでにしかリーチしないという話になります(ちなみに,総人口がピークである2004年の若年人口は1759万人ですから,単純計算で市場は1/3です).

さて,前置きが非常に長くなってしまいましたが,ここまで書くと,語学を学ばないことによるデメリット,なんとなく僕が言いたいことはわかったかと思います.

ぶっちゃけ,ここまで来ても外国語は苦手,という人も,別にお金儲けしたいと考えていない,という人もいるかとは思いますが,状況によっては,お金を儲ける以前に,通常の生活を送るための最低限必要な費用を賄うための,”読み書きソロバン”としてのスキルの一つに「外国語(主に英語 or 中国語)」が入ってくる可能性が高いのでは,と僕は予想しています.
学生一人一人の能力やポテンシャルといった個人的な能力とは別に,日本自体は既に先進国ではない,また,科学技術立国ではない,という意見もチラホラと聞こえるようになりました.現在高専生であったり,高専生と同世代の学生がバリバリと働く年代は上記予想よりもかなり近い未来寄りですので,上記ほど悲観的な状況とはなっていないかと思いますが,少子高齢化が着々と進んでいるという感覚は持っているのではないでしょうか.この状況は,このまま維持されるのではなく,ネガティブな方向にまだまだ進行していくこと,また,進行の果てにどのような状況が訪れるのか,といったところを予想・想像していくと,幸か不幸か外国語を学ぶことのメリット以上に,学ばないことのデメリットが自身の外国語学習のモチベーションを上げる(学ばざるを得ない状況に追い込まれる)ということがあり得るのではないかと思っています(苦笑).

必要に迫られて勉強するのが最高のモチベーションであるのは一つの真理ですが,社会人になって仕事を抱えながらの勉強は非常に負担が大きいです.一方でそういった必要性が必ずしもない or 予測できない状況でモチベーションをあげて勉強するのは大変かもしれませんが,(社会人と比較して圧倒的に)容易に時間を作れる学生のうちに学べるところまで学んでしまうことができれば,いざという時の助けとなることはもちろん,語学習得のポジティブな理由として挙げられる恩恵も当然得ることができるので,少なくとも悪いことはない,のではないかと思っています.

・・・ただ,個人的にはもう一つ,このエントリのタイトルにも記載した通り,必要,かつ,重要なポイントがあると僕は考えています.
冒頭で予告しましたが,久しぶりに猛烈に長文を記載しましたので,残りは次回(後編)に回します.後編は,ここまで長文とはならないようにがんばります(!?).

2021/05/12

ミーティング三昧

 前回エントリでも書きましたが,今週は研究に関するミーティングが結構あります.

本当は対面で実施したかった,共同研究している大学の先生との打ち合わせ.介護福祉関連がご専門の先生で,当然大学の学部学科もそちら方面のため,打ち合わせを兼ねて学生が大学訪問して教室・実習室を見学するのは刺激になると思ったんですがね・・・.
それで思い出しましたが,コロナの影響もあって最近行くことができていない,八王子市内の保健福祉センターさんにも,ご挨拶しておかなければ.保健福祉センターは市内3箇所にあり,いずれもこれまでの研究活動で非常に有意義な助言をいただいたり,実験協力を賜っています.が,それに輪をかけて重要なのが,参加者の皆さんの健康維持・増進のための活動を見られること.センターが用意し一般に募集をかける体操教室から,参加者の皆さんが有志で集まり自主的に実施しているサークル活動まで,さまざまな取組が行われていて,研究活動と実験協力の関係性を構築しているおかげで,それらの活動を見学したり参加させてもらったりしていますが,これが実際のシステム開発に非常に重要な”示唆” (Suggestion)を与えてくれます.

もう一件,今週末に実施する打ち合わせは藤沢市の介護老人保健施設のスタッフの方とのもの.こちらも長らくお世話になっている施設で,まさにその名の通り高齢者の皆さんのリハビリなどに従事するスタッフの方からのご意見は,我々が開発している介護予防に関するシステムにとっても有意義かつ実践的なものが非常に多い.一方,我々がお邪魔することで施設利用者やスタッフの皆さんにコロナやその他ウイルスの影響やそれらに関する不安を与えるのも好ましいことではないので,当初からオンラインでの打ち合わせとして予定をしていました.が,やっぱりこっちも本当なら,是非現地で打ち合わせをしたいところだったなぁ,と(^o^;;

ちなみに,上記ミーティングの間には定例の研究室ミーティングがあったり,学生さんからのリクエストによる即席の(!?)個別ミーティングがあったり(これは対面でしたが,久しぶりだったなぁ),オンラインでの研究ミーティングもやっぱりあったりと,やっと研究活動の面でも”今年度が始まった感”が出てきました.

僕をはじめ高専の教員は忙しい人が多いですし,忙しさに関する考え方は人それぞれなので全員同じということはないでしょうが,少なくとも自分にとっては,研究に関する話し合いは休憩の時間が削れようが忙しさに拍車をかけようが是非やりたいイベントの一つです(研究は楽しいので).まぁ恐らく,ここでいう楽しいというは世間一般でいう楽しさ(Fun)ではありませんが,いわゆる単純な楽しさではないからこそ楽しいのだと思っています(わかる?).

あと,対面での会話という意味では,最近は専攻科の推薦入試の面接練習で学生さんの”練習相手”になることも増えてきました.まさに東京高専では,今がそのシーズン,という感じですね.当初,文字通りの打ち合わせという意味で,タイトルにミーティングというキーワードを持ってきましたが,単純に先週あたりからは,対話するという意味でもミーティングが増えてきています.
もちろん,実施の際には感染症対策をしっかりととってやらんといかんので,その辺りは例年よりシビアに気をつけながらやっていますが,そういった気遣いをしつつでも,直接話す機会を持つということはやっぱり大事だな,ということを改めて認識している今日この頃です.

2021/05/09

実質連休最終日?

 あまり連休っぽくありませんでしたが,いわゆるゴールデンウィークは今週水曜日に終了.木曜金曜は平日で,普通に出勤もしたしミーティングも打ち合わせも授業も結構あったものの,連休中盤以降は結構体力を使っていたので,木金は”省エネ運転”で,ある意味連休をこの土日まで引っ張ったような感じとなりました.

そうこうしているうちに緊急事態宣言が今月末まで伸びましたが,幸か不幸かあまり生活には変化なく(苦笑),普通に埼京線と京王線を使って通勤もしているし授業もある.
一点残念なのは,連休明けに予定していた外部機関(大学)の先生との打ち合わせを,宣言期間の延期に伴いオンラインにせざるを得ないこと.介護予防まわりの研究テーマで,共同研究をしているこの先生はまさにそちら方面の学部・学科の先生なので,今年度研究を新たに引き継いだ学生にも,別な大学のキャンパスを見せるとともにそう言った分野を学ぶ別な大学の学生さんの姿や学習環境を見せられれば,と思っていたんですが,ある意味予想通り宣言終了は先送りになってしまいました・・・

冒頭に記載の通り,水曜日(5/5)までは結構首や肩にも負担がきていたんですが,6日7日をなんとかやり過ごし,この土日である程度はリカバリーできた模様.一方,ここ最近は比較的運動もできているせいか,一時猛烈に落ち込んだ読書に対する意欲も有難いことに復活してきて,複数の本を並行して読むことができています(それが首と肩の凝りを助長したという説もありますが).また,そんな状況の中でtwitterやらブログやらも更新のネタがあるので比較的更新頻度も上がりめのような.

もう一つ変えたこととして,ブログやtwitterの閲覧専用として,新しいブラウザをインストールしました.googleのアカウントはいくつか持ってるんですが,実はこれらを切り替えるのって結構ストレス,かつ,切り替えをミスるとセキュリティ上もあまりよろしくないので,それも更新に二の足を踏む理由になっていたかもしれません.
このブラウザを開くと自動的に”すぐにブログやtwitterを更新できる”状況になる,という設定は,意外と更新頻度を上げるモチベーションになるかも,と思っています(と書いたこのエントリ以降しばらく更新がなくなったら「理由は別にあったか」と思ってください ^o^;;).

今週からは,オンラインになったものの共同研究先との打ち合わせが2件(1件は元々オンラインで実施予定だったもの)もありますし,卒業研究&特別研究も本格化してきます(実は今年度,ちょっとスタートが遅いような感覚もあり).定期試験までも残り1ヶ月を切る状況になるので,こちらもボチボチ全開で行けるようにしたいところです.

2021/05/02

連休

 実質昨日(日付が変わってしまったので一昨日)からスタートした今年のゴールデンウィーク.

今日(もう日付が変わって昨日ですが)はかなり濃い1日でした.
一言で言うと,非常に久しぶりに”仕事を全くしなかった日”(^o^;;

それがニュースになると言うのもなんだかなぁ,と思うものの,個人的にかなりレアな出来事であるのは確か.

相変わらずコロナ禍で自由度の低い連休ですが,最優先事項としてしっかりと休養をとりつつ,しっかりと楽しみつつ,終盤ではしっかりと連休明けの仕事準備も進めておきたいところ・・・でも,仕事の準備は”最”終盤でいいか(笑)

2021/04/25

早くも1ヶ月

 本日,このエントリを書き始めたのは4月24日(アップロードするのはいつになるか分かりませんが),まだ実質1週間くらいあるとはいえ,感覚的にはもはや“新年度が始まって1ヶ月”というイメージです.


昨年度末からそうでしたが,今年度に入ってからは猛烈に忙しい日々が続いています.単純に大変な仕事が多いということに加えて,文字通り“分刻みのスケジュール” である日が非常に多い.主な理由の一つは,2学年分の担任をやっているからでしょう.東京高専では4年生以上の担任は進路指導教員,専攻科生の「担任的な(?)役職」は主任と呼んでいますが,今年度僕はまさにその学級指導教員と主任を兼務しています.
昨今のコロナ禍で学生の皆さんもストレスを感じているであろうということもあり,新年早々面談を実施したり,その合間に進路関係の面談やインターンシップ周りの打ち合わせがあったり(これらも今年度は,もろにコロナ禍の煽りを受けています),そんな中,誤解を恐れずにいえば“幸か不幸か”科研費があたってしまった(!?)ので,その手続きに追われたりと,新年度入ったばかりのタイミングで締め切りがタイトな仕事ばかりというのが実際のところです・・・

僕が担当する学生の皆さん全員との面談が昨日やっと終わりましたが,今度はそろそろ卒業研究や特別研究も具体的にテーマや目的を決めて動き出す必要があるよね,ということで,学生たちや連携先との打ち合わせも詰まって来ています.

そんな中,またもや非常事態宣言が発令されるということで,色々な予定や目論みが不確実性の海(沼?)に浮かんでは消えていく(=浮かんだまま,ということは原則ない)という,非常にストレスの強い環境に,まさにこれから改めて突入していくという状況になりました.

これはもう,誰にも今後は予測できないと言って良いでしょう(と書きつつ,ネガティブな予想には信憑生がありそうに思えるのが悩ましいですが).そもそも当初から我々にできることは限られていたわけですが,新年度の生活にせよCOVID-19対策にせよ,自分にできることを自分のできる範囲で,毎日その日のベストを尽くす以外になさそうです(無理をしても長くは続かない,というのは,今回の緊急事態宣言が3回目(でしたっけ?)であることからも明らか).
身の丈にあった日々の努力を積み上げることのみが,着実な成果を生むと信じて,各々で粛々とやっていきましょう.

2021/04/11

2021年度最初の投稿

 皆さん,新年度明けましておめでとうございます(!?)

こちらは,猛烈に忙しいです.コロナ禍での新年度,と言う意味では2年目.
良いんだか悪いんだか分かりませんが,実際慣れてきた部分もあるのでもう少し楽に and/or 気楽に新年度を迎えられるかと思いましたが全くそうはなっておらず.

仕事関係で言うといくつかの委員の交代があったりするわけですが,引継ぎ情報をまだもらえていないものがあったり,逆にこちらがまだ十分に引き継ぐことができていなかったりで,非常に”中途半端”な状態で新年度に入っています.

授業の準備は,昨年度遠隔授業をそれなりにやったので,そこはスムーズに行けそうだと思って蓋を開けてみたら担当授業が全て対面授業という(^o^;;
むしろ,対面授業の勘が戻っておらず(現在進行形)戸惑っているというのが実感です.加えて今年度は本科,専攻科の”担任的な”仕事をデュアルで担当することとなり,そっちの方もかなり立て込んでいます(どちらの学年の学生も協力的なので,至らぬ担任を是非助けて欲しいと思っています,本気で).

ここしばらく,担任的なことは担当していなかったことに加え,今年度本科で担任する学年はおそらく,2010年度以来11年ぶりと,ほぼ干支1周分くらいのブランクがあるので,文字通りアレもコレも忘れてしまっています・・・ホント,学生の皆さんが頼りです.

研究面で言うと,3年ぶりくらいに文科省の某競争的研究資金を当てることができました(当たってしまった)ので,時間的には猛烈にタイトになりますが,研究環境的には今年度以降数年は比較的余裕を持って活動できることとなりました.

・・・などと,新年度を迎えて,みたいな書きぶりですが,実際のところ個人的にはまだ”新年度開始の渦中”ですので,おそらくゴールデンウィークが始まる頃まではこの調子でバタバタし続けそうな気がしています.

2021/03/27

(恐らく)今年度最後の投稿?

 気がついたらあっという間に,後3日とちょっとで今年度が終了です.

仕事の内容は既に,今年度のまとめから来年度の準備にシフトしていますが,ぶっちゃけ全く間に合っていません(苦笑).遠隔授業の準備はいくつかの授業で終了しているものの,幸か不幸か今年度対面でできた授業や諸事情により担当しなかった授業は”対面用の資料”しか用意できていないので,どっちでも対応できるよう最低限の準備は今からしておきたいところ.

今年度いっぱいで任期切れでお役御免となる仕事がある一方,当然新しい役目も仰せつかっているので,そっちの(心の)準備もしておく必要がありますし,久しぶりに担任業務もあります(この学年の担任は約10年ぶりくらいなので,そもそも”勘が鈍って”いるのではないかと ^o^;;).

研究周りはちょっと小休止状態,かと思ったんですが,先日いきなり某国際会議にて「基調講演で話してくれ」との依頼が来て,約半年以上後の話なのでそもそも予定がはっきりしないという話もあるものの,はっきりしないからと断っていたら大体のオファーは断ることになってしまうので,取り急ぎ受けてみてから考えることとしました.
詳細は正式決定したら改めてお知らせしますが,恐らく確実なのはオンラインでの講演になるでしょう,ということ.
出張の旅費がかからないとか,移動の負担がない/少ないのはある意味メリットなのかもしれませんが,個人的にはやはり現地に出向いて発表して,現地の研究者,関係者の皆さんとリアルタイムで対面でディスカッションして得られるものも多いので,多くの皆さんと同様,なんとか早く今の状況が改善して欲しいなと思っているところ.

半年以上先の予定なので,あるいはもしかしたら出張できる状態になっているかもしれませんが,実は講演予定日が中間試験の2日前くらいという状況のため,行くとなったらそれはそれでスリルのある(!?)旅行となりそうです.

2021/03/15

コミュニケーション能力

 今日のタイトル,過去にも何回か触れているかな?と思って検索してみましたが,意外にしっかりとは触れていないようですので,今回ちょっとまとめておきます.きっかけは某サイトの記事にあった”プレゼンテーション”に関する話題の中で,

「発表者に対する情報が乏しいのに,無駄な周辺情報を盛り込んでただただ長い発表をするのは完全に逆効果」

という内容を読んで,これも要は”コミュ力”に関する話だな,と思ったことです.


恐らく,ですが,特に学生のみなさんが考えるコミュニケーション能力とは,簡単にいうと

  • うまく話すための能力や技術
  • 見栄えのするデザイン
  • ユーモアやネタ
だったりするのではないかと思うのですが,個人的に上記はある面ではコミュ力の一部を担うことはあっても,コミュニケーション能力を身につけるための必要条件ではないと思っています.


コミュニケーション能力は,イコール

”相手のことを考える力” 特に, ”相手が今何を欲しているか(どんなことを知りたがっているか)を把握する能力”

だと考えます.
例えば高専の授業で,学生は当該分野の知識がないから「基本のキ」から教えて欲しいのに,教員は「最先端の技術を」と考えて難解な理論を数式満載で板書し始めたら引くでしょう?
逆に例えば,既にAIの基本は押さえていて,深層学習(DeepLearning)に関するより高度な知識を手に入れたいと思っている学生に教員が「じんこうちのうというものは〜」といった講義を始めたら,そんなまどろっこしいことは話してないでとっとと本題に入ってくれ,とストレスを感じるはずです.

どんな分野にせよ,単なる雑談であったとしても,この人はコミュニケーションが上手いな,と思える人は,(色々な知識を持っていることは前提として)相手がどのような話題を欲しているか?どんな知識をありがたがるか?と言ったところを推測して and/or 事前にリサーチして,その人にとってわかりやすく伝えることができる人だと思っています.
百歩譲って当該分野の知識を持っていなかったとしても,例えば話をする当日まで時間があるなら,事前に情報を仕入れておくなり,最大限,相手が喜びそうな情報に近い情報を提供することもできるでしょう.

冒頭のプレゼンの話題も同様で,発表者のことをよく知らないし,発表内容以外は特に知りたくもないと思っているのに,本題にいつまで経っても入らず自己紹介ばっかりやっているようでは,オーディエンスも途中で飽きてしまう可能性が高いです.
そう言った意味で,一見すると”一方通行”に見える授業もコミュニケーションです(学生をたくさん指名して回答させるかどうか,とは関係なく).また,もろに一方通行であることが多いプレゼンテーションもコミュニケーションです.
同じテーマであっても,その話をする対象者は誰?そのイベントはどんなイベント?相手はどんな情報を求めている?どういった雰囲気であれば伝えるべき情報が伝わりやすい?と言った諸々をよく考える必要があります.

学校説明会に来た中学生に難しい数式や法則の話を専門用語満載で伝えても興味を持たれない可能性がありますが,一緒に来ているお父さんお母さんがその分野の企業に開発者として勤められているのであれば,一般の中学生に向けた易しい説明では興味を惹けないかもしれません.学校説明会に来ている家族の中でも,中学生にはコレ,保護者にはこっち,というように,提供する情報(の詳細さ)や話し方を変えるだけで,(実は話していることは一緒だったとしても)話を聞いた全員を満足させられるかもしれません.


ぶっちゃけ,非常に平易な表現でいうと,”相手のことをいかに思いやって”話せるか=コミュニケーション能力の高さとも言えるかと思います.
この能力,いわゆる対外的な発表などで当然重要になってきますが,例えば”卒業研究の進捗報告”などでも必須の能力です.教員が欲しい情報を把握して,教員が欲しい形式で提供してもらえれば,それだけでミーティング時間の短縮につながり,お互いの理解が深まるので研究も進むというものです.

コミュ力以前の問題として,コミュニケーション自体の不足が問題となるような場合は論外です(実はこっちの状況も結構ある)が,頻繁にやり取りしているからといって相手が十分な情報を得られているか(コミュニケーションに満足しているか)は,必ずしも分からないので,注意しましょう.

2021/03/14

新年度へ向けて

新年度へ向けて,というタイトルにはしてみたものの,今年度中にやり残していることはまだまだあって,そんな中でも新年度の準備をしなければいけないというなかなかハードな状況です.例年似た様な状況ではあるものの,今年度はコロナの影響もあり,プラスアルファで負担が上乗せされている印象があります.

例えば先週は学生の学会発表があったり,今週後半はOB学生の国際会議発表もある予定ですが,”幸か不幸か”双方ともオンライン開催のため,現地へ移動することなく”発表ができてしまう”という状況です.ある意味,何でもオフィスや自宅で完結してしまうのは(特に僕に関しては)精神的にあまりよろしくないようです.遠かろうが僻地であろうが,どこか別のところへ行く,ということが良い気分転換にもなっているようで,そういう意味では非常にストレスフルな1年間でした(節約できた分の時間で他のことができた,という面も無きにしも非ず,ではありますが,実際のところはむしろ,これまで出張先や移動中での仕事が猛烈に進んだというポジティブな記憶しかありません).
もう一つ,オンラインでの国際会議参加で気がついたのは,
”時差の問題を忘れがち”
ということですね.在外での滞在を含め,ここ最近では日本との時差が1時間しかない台湾とのやりとりが多かったのですが,次の国際会議の会場はイングランドです(http://www.iciss.org).ご丁寧に現地時間と発表者の滞在地の時間を書いたプログラムを用意してくれていたおかげで気づいたのですが,現地に到着しての参加の場合,(時差ボケの影響はあるかもしれませんが)現地の時計に沿って過ごすこととなるので問題はありません.一方,日本にいながら国際会議に参加する場合,当たり前ですが日本にいながらにして現地のセッションに参加することとなり,今回の場合でいうと9時間の時差を否応無く意識せざるを得ません.今回,OB学生の発表は現地時間11:00頃ですが、日本では20時台.
いきなりSession Chairの依頼があり,OKしたSessionの開始時刻は19時台スタートと,これまたもはやナイトセッションです(笑).何がヤバイって,その時間帯にSessionがあるという感覚がそもそもないので普通に忘れてしまいそう(^o^;;

恐らく,上の国際会議での(学生の)発表と,Session Chairが終われば概ね今年度の研究回りの活動は終了かと思います,が,冒頭に書いた通り,来年度向けの準備はまだまだ山ほど残っているという状況です.今年度ほどではないかもしれませんが,東京高専では遠隔授業も引き続き行うでしょうし,状況が改善すれば対面授業の割合が,悪化すれば遠隔授業の割合が増えるかも,という意味でも非常に不確定性が高いので,ぶっちゃけ”両方に対応できる様に”準備をしておかなければイカンと.
今年度との大きな違いは,多くの授業が遠隔授業で実施されたので,遠隔授業版の授業資料は既にまぁまぁ揃っているということでしょう(”ほぼぶっつけ本番”での対応でしたので,かなり突貫工事で準備することとなったのは大変でしたが).今年度遠隔授業を実施した科目については,恐らくかなり変則的な状況になっても柔軟に対応できそうですが,授業以外でも色々と”臨機応変な対応”が求められることが増えそうな来年度.できることには限りがあるでしょうが,備えあれば何とやら,ということで,できる範囲では準備を整えておきたいところ.
ただ,実のところ一番大事なのは,過去例にないほど変化に富んだ1年の疲れを,何とかして少しでも軽減した上で来年度に臨む,ということですね・・・ 

2021/03/11

本日は大掃除(卒研室の)

 タイトルに記載の通り,本日は学生部屋の大掃除,およびPC設定の初期化やバックアップ作業を行ってもらう日です.
そろそろ年度末の様相を(やっと!?)呈してきましたが,個人的にはまだまだ年度末感がありません.学生部屋は整理しなさいと言っておきつつ,自身の部屋は荷物が増える一方です(整理したり処分したりする時間的な余裕がなく・・・).

その一方でこの後は,学会発表する学生がいるのでまずはそっちの様子を確認しつつ,大掃除等は”やってもらうこと”を伝えた後は学生の皆さんにお任せ.来年度以降の情報工学科の広報用写真を,学生の皆さんにも協力してもらいつつ撮影し,あとは卒業式を待つばかり,という状況にできる限り近づけて置く予定.

一部,卒論の差し替えを予定している学生もいるので,もう少し作業は続く人もいるかと思いますが,今日の午後で”必要条件”はクリアしてもらえればと思っている次第です.
幸か不幸かオンラインでの活動が多かったので,大掃除はそれほど大変ではないかと思いますが,夕方になると僕は別件で不在となってしまうので,テキパキと進めてもらいたいところ.

今日は東日本大震災から10年.当時は今日と同じく居室にいて,ずいぶん揺れたなぁという印象はあったものの,その時点ではこれほどの大事態となるとは思っていませんでした(実際その後,帰宅できない学生がたくさんいたり,町の一部は停電していたり,翌日帰るというフィンランド学生を心配したり,そもそも僕自身は翌日出張だったので,どうやってたどり着くか,そもそもたどり着けるかを心配していたことを覚えています・・・学生が先乗りしていたので,自分だけ行くのを取りやめるという選択肢はなかったのです).
幸か不幸か今日,震災から10年をじっくり考える時間の余裕がないのですが,むしろ常に心の片隅にあった10年でもあるので,今日は今日で1日の終わりに,心穏やかに振り返ろうと思っている次第(夜には国際会議で発表する学生さんの練習もありますし).

2021/03/06

研究室に配属される学生に望むこと

専攻科生は特別研究論文の提出が終了したものの,(このブログの執筆開始日=2月末の時点で)5年生はまさに提出締切が週明けという現在,4年生は研究室配属の希望調査の真っ只中,という状況かと思います(途中で執筆を一休みして間が空いたので、このブログのアップは卒論提出完了後となりました).

今日,今から書くことは,縁あって北越の研究室に配属されることになった学生の皆さんに期待すること,および”これは絶対に守ってほしい”ということがメインとなっていますが,例えば1年生や2年生のタイミングで僕の研究室での研究内容に興味を持ち,「5年になったら配属されたいなぁ」と思っている学生の皆さんにとって留意しておいてほしいことも含んでいます.あくまで北越個人の期待や要望なので,研究室によっては当てはまらない条件があるかもしれませんが,恐らく,大なり小なりどの研究室でも必要であったり,そのくらいはおさえておいて欲しいという要素かと思います.

1.報告・相談は頻繁に

今も昔も,研究に限らずあらゆる活動の大前提であるにも関わらず,多くの学生が十分に(もしくは全く)できないのがこれ.そして,個人的な感覚として,この報告・相談が”最も必要な時に限って全くできない/できなくなる”という学生が多いのも悩ましいところ.
卒研や特研などの研究に関していうと,特に5年生は研究活動自体が初めての経験であり,本人が「進んでいる」と思っていても,実は盛大に間違えていたり,猛烈に遠回りしていたりする場合が非常に多いです.奇跡的に(?)順調に進んでいる(ように見えた)としても,研究を進めるにあたっては様々な”不測の事態”が起こるので,そういった状況が極力発生しないように備えながら進めていく,という意味でも,指導教員と学生は密に連絡をとっておく必要があります(そもそも,”答えが分かっている研究なんて研究とは言わない”わけで,教員も当該分野についての基本知識があったとしても,完全に答えが分かっているような研究を対象にすることはありません・・・というか,そんな研究つまらないのでやってもしょうがないですね).
研究に従事する学生の状況が分からなければこちらからもアドバイスのしようがないので,実際にどのような状況になっていようとも,手を出せなくなります.当然,研究活動に手を出せない=責任を持てない,ということになるので,報告・相談がない状況のまま,結果として卒研が終わりませんでした,となっても教員としてはアドバイスもレスキューもできません(というか,そのような学生であればレスキューしたいとは思えないのが人情でしょう・・・仕事ですからレスキューしますが).

2.研究テーマの選択は慎重に

大前提として,北越に限らずどの研究室でも”今,取り組んでいる研究”というものがありますし,当然その中には”やって欲しい(やってもらわないと困る)研究”といったテーマが含まれている可能性があります.
例えば,高専に入学して(場合によっては入学前から),ある教員の研究に興味を持ち,ずっとその希望を持ったまま当該教員の研究室に配属され,いざ当該のテーマを希望してみたら,「そのテーマはもう全部やり尽くしたから、今はやっていないよ」とか「(成果の有無に関わらず)そのテーマは今のトレンドに合わないので,○年前にプロジェクトは終了したよ」といった回答をもらって愕然とする・・・といったことが少なからずあります.
特に工学系の場合,その分野の特徴としても,応用研究が多いということからも,社会の要求という側面が大きくなります(要は、やることで社会に役立つ(可能性がある)こと,今後重要になる(可能性がある)こと,について重点的に取り組む傾向が強い).加えて,研究室に所属する学生の数や,教員が一度に取り扱える研究テーマの数にも限りがありますので,研究費を獲得していて,今年度進めなければいけない研究テーマに従事してくれる学生が一人もいない、ということは避けなければいけませんし,逆に,一人いれば十分なテーマに3名も4名も希望者がいる,という状況もある意味悩ましいことになります.
ある教員の研究分野を考えた場合,応用先はそれぞれのテーマで限定されるでしょうが、基盤となる理論や技術(北越の場合,機械学習やエージェントシステム,確率モデルに関する諸々)は共通していることが普通なので,「このテーマ以外はあり得ない」と言われてしまうと非常に困りますし(おおもとの理論は一緒 or 類似しているので,理論面でやりたいことはアプリケーションに関わらず大体の場合はできますし),実際,当該テーマ=同じアプリケーションをネタにしたテーマにはどうやっても従事させられない,という状況が比較的よく起こるということは意識しておく必要があります.

3.勉強の成績と研究能力に、正の相関は必ずしもない

自分はこれまで高専の勉強を頑張ってきたし成績もオールAだから,当然卒業研究も問題なくまとめられる(良い成果を出せる),と考えるのは時期尚早です.ある意味,いわゆる学校の勉強と研究活動は,必要とされる資質がかなり違います(これはもしかすると,学校教育の問題かもしれませんが).
例えば学校の勉強では,覚えるべきもの(歴史上の出来事や公式など)を覚えて,繰り返し問題を解いたりすれば成績はついてくるかもしれませんが,研究の場合,基盤技術についての知識を完全に覚えていたからといって良い成果が得られるとも限りません.そもそも,指導教員さえが答えを知らない状況で研究はスタートする(繰り返しになりますが,答えが分かっているテーマは原則,研究にならない)ので,当初見込んでいた予測が外れていたり,実験をやってみたけれど失敗した,なんていうことはザラです.むしろそれを受け入れて,その結果を踏まえてどうやって軌道修正しながら目的に向けて進めていくのかが重要です.ざっくりとしてタイムスケジュールはありますが,締切らしい締切と言えば,中間発表や最終発表の資料提出,卒業論文の提出締切など限定的で,毎週課題がある一般の授業とも異なります.
学生一人一人で得意分野も違うし,場合によっては経験のない作業を行うことになるので,学生自身もどのくらいの時間で作業が終えられるかわからない,ということもあります.そのような中で,ある種”自分で締切を設定”しながら,状況に応じて”作業内容や,場合によっては締切自体,研究目標自体を修正”せざるを得なくなることもあります.そういった状況を学生一人で解決するのは難しいので,研究経験が豊富な教員がアドバイスすることになりますが,(モロに1.と関係しますが)後戻りできない状況になるまで連絡も報告もなかったり,自分では上手くいっていると勘違いして突き進んだものの,教員に報告したら実は全く違う方向に進んでいた,なんていうある種のギャグに近い状況(とはいえ全く笑えない)も起こります.
教員から指示されたことさえできない,というのは論外ですが,言われたことだけやっていれば良い研究ができるというわけでもありません.レアな確率で,教員の指示通りやって良い成果が挙げられた,という場合もあるかと思いますが,ちょっと考えてみてください.そこに学生自身のアイディアが一切含まれていない卒業研究は,その学生の研究ではなく,むしろ教員の研究ですよね?(卒業)研究というのは,従事する当人の創意工夫や試行錯誤の結果,これまで明らかになっていなかった and/or これまでできていなかったことが明らかになる and/or できるようになることが成果になりますので,そういった点で学生の自主性,主体性が「良い研究を行う」ための条件となります.
では逆に,学校の勉強ができなくても良いのか,というとそうではなくて,研究を進めるに当たっても基本的な知識は授業で学んだことが少なからず含まれますし,自分が知らない知識を素早く入手し自分のものとするためには,いわゆる学校の勉強の手法が非常に有効である場合が多いですから,「自分は研究はできる(と思う).だから学校の勉強は頑張らない」というのはやめてください(そもそも,卒業研究ができる状況まで辿り着けない可能性も低からず出てくるでしょう).

※ 一点補足です.1年間(専攻科は2年間)頑張って研究した結果,予想した成果が出なかったら卒業・修了できない,とは限りません.自身では全く研究を進められず,”何もやってないから成果も出ない”場合には如何ともしがたいですが,いろいろと試行錯誤してうまくいかず,結果的にタイムアップになってしまったという場合,それはある意味では全く失敗でなく,”最終的な成功に向けて,うまくいかなかった事例を収集できた”という成果になります.上述の通り,ある研究の答えが事前に分かっているということは通常あり得ないので,やってみるまでは簡単だと思っていたのに,やってみたらメチャクチャ難しかった,ということも当然あり得ます.難しいのであれば,1年や2年で成果を出すのは難しいということもありますし,成果が出たとしてもそれで研究終了ではなく,成果の中にも課題があったり,課題ばかりのこともあるでしょう.そして,それらを翌年度以降の後輩が引き継ぐ,ということもあります(継続研究等と呼ばれるものは,これらの類の研究です). 


書いていると,昔のことから最近のことまで,研究指導をしてきて苦労してきた記憶がどんどん蘇ってきますが(苦笑),これまでの内容を簡潔にまとめると,
・視野を広く持って(自分はこれしかやりたくない,といったこだわりを捨て)
・指導教員とよく相談してテーマを決め
・研究を進めるに当たっても,セルフジャッジすることなく教員と頻繁にやりとりしながら
・主体性と積極性を持って活動する
のが,最低限”途中で座礁したり遭難したり行方不明になったりすることなく”,研究をゴールまで到達させるための必要条件かと思っています.

では,十分条件は何?という話も出てくるかと思いますが,これについては僕も完璧な答えは持っていないように思います.が,自分が考える「これ」というものはいくつかあります.これを書き始めると恐らく,ブログの文章量が今の5倍くらいになる(論文一本分くらいは書ける)ような気がするので,興味のある人は直接問い合わせてもらえればと思います(北越の研究室に配属された学生さんは,折に触れて豆知識的に触れる機会があるかもしれません).

2021/02/01

年度末の気分

今年度,と言う意味ではまだあと2ヶ月ほど残っているわけですが,先週末には専攻科の特別研究発表会が行われ,明日(2月2日)はウチの学科の卒業研究発表会と,昨年度スタートした社会実装プロジェクトの,2回目の報告会が開催される予定です(報告会の方は卒研発表会とバッティングしているので,ほとんど参加できなさそうですが・・・).

この手のイベントが立て込んでくると,個人的にはすっかり“年度末”の雰囲気なんですが,年度末の定期試験は来週だし,卒業・修了・進級関連の会議は当然それらの後,卒業式は当然さらにその後(3月中旬)ですから,客観的には確実に“気が早い”という状況です(苦笑).
今年度は、多くの人が集まるイベントや対外的な行事がことごとくできなかった一方、遠隔授業の準備や、例年だと1箇所に集合して行うものをオンラインでやるための準備もあり、早くすぎた感と,やたらと長かった感が共存している不思議な感覚がありますが,ただ一つ確実なことは,

”メチャクチャ疲れた”

 まだ年度末にもなっていないのにこの感覚で,残り2ヶ月の間にも重要な仕事・イベントは目白押しなので,本当に年度末を終えた頃にはどうなっているか恐ろしいですが,来年度,この経験を活かして少しでも楽になるのであれば・・・と期待(祈念)しているところ.

年度末には国際会議(オンライン).もあるし,国際会議論文の査読依頼も今日一件入ったし(苦笑),国内学会もあるので,研究方面も年度末ギリギリまで結構充実した(過酷な)日々を過ごすこととなりそうです.

2021/01/25

今年もよろしくお願いします

 前回投稿から約1ヶ月ほど経ち,早くも2021年の12分の1が経過しようとしている現在,コロナ周りはある意味相変わらず,特に首都圏は悪い意味で現状が維持されているような状況ですね.前回,年末のエントリでは「来年度に向けて」ということでいくつか計画や希望を記述していました.

環境整備は,少しずつ進めてはいるものの,その一方で我々が使用している遠隔授業用ツールであるMicrosoft Teamsの”仕様変更が激し過ぎる/頻繁過ぎる”おかげで(苦笑),予測不能な変更に対応しつつ環境を整備する,という中々なタスクに新年早々取り組んでいます.
実際に授業を受講している学生さんにとっては,授業を受講しつつ環境改善(の試行)がどの程度うまく機能するかを,その身を持って評価してもらっているという状況で,試した結果イマイチだった,と言った評価もあり得るかと思います(先日はiPadのsidecar = iPadをデュアルディスプレイの一つとしての利用を試してみましたが、iPadのスペックの問題か、当日の通信状況が悪かったせいか,途中で接続が切れるというハプニングがありました).
できるだけ早く,より良い環境構成で受講しやすい授業を実施できるようにしたいと思っていますが,そればかりに専念できる状況でもなく,もうしばらく時間がかかるかと思いますが協力お願いします > 僕の授業受講者の皆さん

研究まわりでいうと,今はまさに本科5年生と専攻科2年生の”最終発表直前ウィーク”なので,ボチボチ論文や要旨の添削,発表資料の添削や発表練習指導などなどで忙しくなる・・・はずなんですが,ある意味恐ろしいことに今年度はそれほどでもありません(間に合うんだろうか).年度末の学会発表要旨を作成した学生はあまり心配していませんが(既に外部向け資料を作っているので),残りの人が今週いっぱいでどのくらい仕上げてくるのかが気になる≒不安な状況です. #発表会は週明け

OBとの共同研究でいうと,3月にUKで開催される(とはいえ我々はオンライン参加予定の)国際会議 ICISS2021 (2021 The 4th International Conference on Information Science and Systems) へのcamera ready manuscriptの投稿が完了し(ページ数の上限をオーバーしていることが判明して少々extra chargeをとられることになったのはご愛嬌),恐らく特に問題なく発表できる予定です.テーマとしては既に昨年台湾でも発表しているものなので,発表資料のかなりの部分は使いまわせるハズ.今年度という括りでいうと,このままいけば(全部オンラインですが^o^;;)3回発表することとなり,久しぶりに海外での発表頻度が高い年度となりそうです(例年は,多くても2回です).

遠隔授業やオンライン発表などは来年度も少なからず続くかと思いますが,少しでもon siteでの学会参加や,対面授業が増えるような改善の兆しが見えることを期待しています(とはいえ,上半期は厳しいですかね・・・).

@dkitakosi からのツイート