2023/04/29

アクティブラーニング ー実は歴史が深かったー

皆さん,アクティブラーニングという用語を知っていますか?

アクティブラーニングは,ある特定の学習(教授)法を指すのではなく,例えばグループワークやチームでの議論(ディベート),反転学習(事前に学生が予習の内容として問題の解法や結論を学び,授業でその確認や補足,問題に対する議論を行う授業)といった(最近ではこの言い方が主流らしいですが)”主体的対話的で深い学び”の手法全体を指す総称です(4年生以上の東京高専の学生だと,必然的に関わることとなる"社会実装"も,一種のアクティブラーニングでしょうね).
まさに我々教員もリアルタイムで(ある意味,学生の皆さんと一緒に)取り組んでいるアクティブラーニング.とはいえ率直に言って,この“教え方の概念”に効果があるとしても,あらゆる物事には両面があり,素晴らしいの一辺倒ということはないでしょう.ということで読み始めたのが以下.

アクティブラーニング ー学校教育の理想と現実ー (小針 誠 著,講談社現代新書)

タイトルの通り,手法や概念としてのアクティブラーニングの利点欠点について著されていることは期待していましたが,それより印象深かった(ある意味びっくりした)のは,
“アクティブラーニングって意外と(!?)昔から実践(試行)されてきた方法なのね”
ということ.

このエントリのタイトルにも記載しましたが,本書を読むまで恥ずかしながら,アクティブラーニングの概念や手法は,古くともこの20年くらいの間で提案されてきたものだと思っていました.本書で紹介されているアクティブラーニングの実践例として最も古いものは大正時代まで遡りますので,少なくとも日本では約100年前には存在し,実際に行われていたこととなります.そしてある意味面白い,というか(実際はただ楽しんでいるだけではとてもいられないものの)“歴史は繰り返す”を読んで字のごとく体現しているのだな,と思えるところとして,いわゆるアクティブラーニング(本書でいうところの「生徒主導で,学習に臨む態度や考える力を重視する経験主義の教育」と,教師主導・知識重視の本質主義(系統主義)の教育(それこそ,詰め込み教育と言われるタイプのもの)とが,ある時期はこちら,その後はこちらと振り子のように繰り返されてきたという点が挙げられます.

アクティブラーニングの波は,上述の通り最初に大正時代,その後,“戦時下新教育”として第二次対戦中にも取り組まれていたことは意外でした(その後,本書を読んでいて,なるほどそれも一理ある,と感じましたが).そしてさらに,戦後新教育,平成以降のアクティブラーニングがあり,加えて“ゆとり教育“のスパイスも加味された上で現在,アクティブラーニングのエッセンスも残しつつもまた“その反対側“へと振り子が触れつつあるような感もあります.

この書籍を読んで一番印象的だったのは上にも記載した通り,なぜ戦時下においてアクティブラーニングの取組が積極的になされてきたのか,というところでした.そして歴史が繰り返され,なぜまた現在,アクティブラーニングの重要性が訴えられてきたのか.繰り返される歴史には,それぞれの時代背景はあるものの,背景ごとの相違点がある一方で,やはり共通した意図があるように思います.特に,教育は国の一大政策です(「国は国民からなっている」ので,と僕は思っています).ということは,日本に限らずある国がある教育政策を取ること=その国がそういった人を育成したい(その結果として将来的にこういった国を目指したい)という意志そのものだと考えるわけです.
本書を読んで上記の考えを再確認したとともに,本書に記載されたような推測は,確かにあり得ると(多少の実感を持って)感じたところが,今回の一番の収穫でした.
具体的な“推測“については,敢えてここには記載しません.興味のある皆さんは是非,手にとって見てもらえればと思います.

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