2024/09/01

久しぶりに一気に読了しました ー邦楽通史ー

 猛烈に多忙な今年度,久しぶりの更新です.

多忙な中でも(いや,だからこそか)毎日,原則早朝に起床し運動しているのですが,その際のお供はTV,動画よりもFMラジオが多いです.土日も関係なくラジオを聴きつつ運動しているわけですが,土曜日早朝にやっている音楽番組”みのらじ”が,マニアックものからミーハーものまで様々なジャンル,年代の音楽を扱っていて非常に面白く,しばらく聴いているうちにパーソナリティのみの氏が邦楽通史に関する書籍を出版していることを知りました.


にほんのうた 音楽と楽器と芸能にまつわる邦楽通史 みの 著,株式会社KADOKAWA 発行


一言で言うと,タイトルに記載の通り”一気に読了”したほどの面白さ.書籍紹介にもありますが,縄文時代から初音ミクまで,文字通り日本とそれを取り巻く海外の音楽,芸能に関する歴史の流れを網羅していて,興味深い書籍でした.

特に興味を惹かれたのは,明治時代と現代における”演歌”の違いや,それとは反対に,かなり昔の時代から”推し”に類似した文化があったこと,富国強兵と音楽との関係性などなど,いくつ上げてもキリがありません.
また,これまでいまいち把握しきれていなかった,ハードロックとヘビーメタル,プログレ,パンクといった様々なロックの派生分野の違いをある程度把握できたことも収獲.楽器や芸能に関する今昔の話題はもちろん,最終的にはヒップホップやボカロまで,本当に一通り邦楽の歴史を網羅しているところは面白いの一言.

邦楽や特にロックを愛するベテラン(!?)の方や,場合によっては若年層からも炎上したと,著者自身のYouTubeチャンネルでも取り上げられていますが,事象の捉え方は個人差があって当然でしょうし,それが誹謗中傷ではなく建設的な議論となって,むしろかえって多様な視点から邦楽史を振り返ることができるようになればそれもまた素晴らしいことと思えます.

当初はラジオから入り,その後本書,さらにYouTubeチャンネルとどんどん作品を追いかけていっていますが,元々マニアックなものの見方が好きなので,こういったバックグラウンドの話や,「そもそもこの分野は・・・」といったように歴史を掘り下げて大元まで辿り着こうとする姿勢も好きなので,結構なボリュームのある本書ですが(計500ページ弱あります),実質3日くらいで読み終えてしまいました.

ぶっちゃけ,ちょっとしたハンドブック,辞典並の分厚さではありますが,邦楽全般に興味のある人,もしくは日本史と音楽との関係性に興味がある人にはおすすめです.
ところどころ,てにおはに違和感のある部分や一部誤植もありますが,基本的にはほぼ気にすることなく,驚きや発見や納得と共に読了できるのではないかと思います.


p.s. そうそう,J-POP というジャンル(用語?)がJ-WAVE 発信だったということも,知りませんでした.こういう話も面白い.

2024/05/03

今年度の活動 ー宣言しておきますー

 タイトルは仰々しいですが,要は”宣言しておけば,簡単に怠けたりギブアップできない”という,”自分に向けてプレッシャーをかけるため”の儀式です(苦笑).

何かというと,次の2点.

  1. 国際会議に論文投稿する
  2. 科研費に最低1件は申請する

前者は,これまでにも複数回参加させていただいている,台湾各地で開催される国際会議

TAAI2024

に参加したいため.恐らく専攻科の学生も最低1名は参加するのでは?と思っているものの,そうならなかった場合には参加できなくなってしまうので,念の為今回は自分でも論文投稿しておこうというもの(&ここ最近,英文論文を投稿していないのでブランクを埋めるという目的も兼ねて).

後者については,今年度で今の科研費研究課題が終了するので,1件は確実に申請する(しなければいけない)ものの,現在共同研究で取り組んでいるもう一つのテーマでも申請してみたいという気持ちがあるため.

率直に言って今年度,これまでもかなりのものでしたが・・・それに輪をかけさらに忙しくなっているので,その中で,(ごく簡単に言うと)同じタイミングで2つ(もしくは3つ)の作文をしていくのはかなりハードルが高いと認識しているがための,今回の宣言です.
取り急ぎ論文については既に作成を始めています.ネタはある程度揃っているので構成が決まれば書き始めるのは難しくないものの,”書き進めるための時間を確保する”こと自体が一つのタスクという印象.こっちがある程度安心して進められる(書き終えられる)という状況にならないと,科研費申請も心許ないので,早いうちにアドバンテージを作っておきたいというのが本音です.

ということで,ぶっちゃけこの文章を書いている時間も論文執筆に充てたほうが良いんじゃないの?という話もあるので,今後進捗についてのアップは控え,”結果どうなったか?”だけはちゃんと報告できれば,と思っています.

2024/04/30

日本経済新聞に掲載いただきました ー規格外青果有効活用プロジェクトー

取組を始めて約5年ほどとなりますが,昨年度,実証実験を実施してある程度成果を挙げることができた,社会実装プロジェクト”規格外青果有効活用プロジェクト”について,日本経済新聞関東版にて,記事として取り上げていただきました. 


「東京高専、アプリで規格外農産物の販売支援 廃棄削減へ」

電子版は本日公開,紙媒体は明日,関東圏の日経新聞に掲載されるとのことです.

2018年度,在外研究から戻ってきた年からスタートしたので,まさにまる5年経って,様々な方々からのご支援・ご協力のもとでなんとかここまで来たという感がありますが,記事内にもある通り,実用化に向けてはまだまだ色々とクリアしなければいけないハードルもあります(2年以内に・・・なんてコメントを載せていただいていますが,これは個人的には”全てが奇跡的にうまく進んだ場合”くらいの条件付きだと考えています.とはいえもちろん,非現実的な計画であるとも思っていません).

社会実装プロジェクトは東京高専におけるカリキュラムの一つであるので,実際に取り組む学生さんの頑張り次第で年毎の進捗は大きく変わります.そういう意味では,これまで当該プロジェクトを引っ張ってきてくれた学生の皆さんの意志を継いで,さらに力強くプロジェクトを進めてくれる意欲的な(&開発力のある)学生さんの参加を期待しています.

2024/04/08

新年度一発目の投稿です ー今年も投稿頻度は少なくなりそうー

前回投稿からかなり間が空いてしまいました.

今年度は所属学科の学科長にもなってしまった(!?)ので,おそらくますます投稿頻度が少なくなりそうな気配ですが,細々とやっていきたいと思っています.

今年度ですが,個人的な目標としては,”研究目的で最低一回は海外に行くこと”(理想的には,台湾ともう一カ国くらい),社会実装の取組に関連して,規模・期間をよりextendした実証実験を行うことですね.

学科長としては当然”1年間大きな問題が生じることなく学科を運営すること”です.

2023/05/13

今読んでいる本,読もうとしている本,習慣的に読んでいる本(雑誌) ー漫画含むー


 先日,某授業をしていて不意に,「最近忙しくて,読みたい本がたくさんあるのになかなか読めていない」という話をしたんですが,ふと,

”どのくらいの本が積まれているのか?=(待ち行列に並んでいるのか?)”

念のため把握しておいた方が良いのではなかろうか(=読めないことがわかっているのに買う本が減るのではなかろうか ^o^;;)と思い立ちました.

僕が,いわゆる読書をする媒体としては2種類あって,電子書籍/実物(!?)の書籍でそれぞれ待ち行列ができています.さらに,一般的な書籍で自分がぜひ読みたいと思ったものは電子書籍で買いますが,興味の有無,自身にとって有益(有意義)かどうか不確実性がある書籍は図書館で”実物”を借ります.加えて,後日電子書籍として購入したり図書館で借りたりすることが難しい,最新の情報が掲載される雑誌の類も,必ずしも毎週ではありませんが特定のものを購入することが多いです.まだあります(笑).僕は小学校高学年くらいから漫画雑誌,および単行本も購入していて,この習慣はいまだに続いていますので,これらも読まねば(?!)なりません.

上記諸々について現時点で,現在進行形で読んでいるもの,”積読”になっているものを,備忘録的にリストアップしておきます.ちなみに僕の読書傾向は”雑食”で,硬軟自在,自分がその瞬間に興味を持ったものは何でも手を出します(苦笑).

  • 今読んでいる本
    • 実物:科学とはなにか ー新しい科学論、今必要な三つの視点ー
    • 電子:「言葉にできる」は武器になる。
  • 積読本
    • 実物:北前船の近代史 ー海の豪商たちが遺したものー
    • 電子:
      • 武器になる哲学 人生を生き抜くための哲学・思想のキーコンセプト50
      • 医者が教える食事術2 実践バイブル
      • 理数探求の考え方
      • 5段落エッセイ指導で日本の子どもが変わる!
  • (比較的)定期的に買っている雑誌
    • THE 21
    • Tarzan
    • 東洋経済
    • PRESIDENT
    • ダイヤモンド
  • 漫画
    • 実物:週刊少年マガジン
    • 電子:
      • ONE PIECE
      • BLUE GIANT
      • クッキングパパ
      • きのう何食べた?
      • 新米姉妹のふたりごはん
      • 今どきの若いモンは
      • リエゾン
      • 極主夫道
・・・改めて並べてみると,猛烈にありますね(苦笑).それに,ほぼ定期的に購入している雑誌もかなりのもの.実際,書籍購入にはかなりの費用をかけている実感がありますが,これらは(漫画も含めて)全て”自分への投資”という実感を持っています.
読書で得られるものは,自分の現在の仕事に関連する知識はもちろんのこと,仕事(特に研究)や自分の人間としての幅を広げられるような知見,それとは反対に,自分がなかなか経験できないような世界観に自分が置かれていると想像を掻き立てられ,非日常を味わえる新鮮な感覚,趣味でもあり日常でもある料理(食べること)の楽しさ面白さを体験できる,等など,即時的なものから明日使えるもの,(以前紹介したリベラルアーツ的に)教養として,”いつかその時が来たら使えるかもしれない知識”と認識しているので,読書で得られたいろいろなものはそのまま自身の血肉となり,自分自身を形成しているという感覚です.

おそらく,一生役に立たない情報もあるかもしれませんが,そういった情報を含めてまるまるインプットしておくことで、人間として余裕,余白というか,良い意味での”遊び”が得られると考えています.

読書と並行して,最近は英会話のレッスンも再開しています.英会話はある意味,直接的に僕の仕事とも関連してくるスキルかと思いますが,いつも思っているのは,
”どうせ英語を話すなら,自分や日本について,相手のメリットに繋がるようなコミュニケーションを実現したい”
ということ.
たくさん単語を知っている,発音が良い,むずかしい文法を駆使できる,流暢に話せる,といったスキルがあったとしても,自分について,自分が暮らしてきた日本という国やその文化について,まともに知らないようであれば,
”ただ英語が話せるだけのバカが,自ら恥を晒すために流暢に英語で話している”
に過ぎないと考えています.これは別に,日本のために頑張れ,という話ではなく,自分が育ってきた国のことくらい,海外の人に説明できるようになっておかないと,海外の人から(どころか自国の人間からも)尊重されるような人間にはなれないよ?という意味です.

これはある意味,言語という意味では同様の”プログラム”にも共通すると感じていて,ただただスキルがある(流暢に喋れる, プログラムの複雑な/最新のスキルを有している,などなど)だけでは意味が無く(場合によってはむしろネガティブな影響がある),その能力を使ってどれほど周囲に良い影響を与えられるか,その能力を有意義な対象に対して活用できるか,といったところがより重要になると思っています.

・・・途中で脱線した感がありますが(苦笑),とにもかくにも僕が意識していることは,自分の全ての活動は自分の今後の全てに直結しているし,より良い今後(プライベートも仕事も含めて)のために役立つと思える活動については,(他の人から見て)無駄に見えたとしても,むしろどしどし積極的にやっていこう,ということです.

もしかすると遠回りに見えることもあるかと思いますが,それこそ”急がば回れ”の精神かと思っています.自分の人生にどのような知識やスキルが必要になるかは,ざっくりとはわかるかもしれませんが,実際に全てがわかることはありません(それこそ、情報系なら数学の知識やプログラミングスキルが大事,ということは,おそらく誰でもわかるので重要性は低いです).もしかすると大事かもしれない,と思ってインプットしておいた知識が,思いがけないところで自分の仕事やプライベートの充実に繋がっていく可能性があることを意識して,様々なインプットを積極的に(特に,時間が大量にある学生のうちに)実施しておくことを,強くお勧めします.

2023/05/02

Village ーある種,最低で最高に刺激的な作品ー

 昨日のスーパーマリオに続き,今日は1人でレイトショーで観てきました.



非常に良い意味で,過去最高に頭を働かせる必要がある作品だったと思います.

ストーリー的には,誤解を恐れずに言えばシンプルなものかもしれません.
過疎の村に金を呼び込むためゴミ処理施設を作ろうとする者,反対する者.出来上がった施設で働く者,働かざるを得ないものの不満を抱き続ける者.自身はこれ以上ないほどに頑張っているのに全く報われない者,本人は全く努力していないのに生まれ and/or 財力でデフォルトで良い立場にいる者,といった,それぞれの差異に応じた”区別,差別”といったものが露骨に描かれています.

実際に現状,ここまでの状況があるとは信じたくないですが,状況としては(世界のどこでも,日本でも)十二分にあり得るでしょう.
そのような過酷な状況の中で,主人公の優(横浜流星)がどのような感情を抱いていたのか,また,どのような感情からその振舞が引き起こされたのか,それぞれのシーンで考えさせられる点が多くありました.

が,問題は(?!)実質一番最後のシーンで,主人公の優が…するところです(これから観たい人もいるでしょつから,伏せておきます).

このシーンは…個人的に非常に悩ましく,かつ素晴らしいシーンだったと率直に思います.
この映画を観た人の感想はさまざまだという評判を聞いていましたが,まさにその通り,結末は視聴者に完全に委ねられていて,かつ,その理由も同じく,観た人の解釈次第だといって良いでしょう.

この考察/評価ができる or 楽しめる/悩める・苦しめる人は,その時点で幸せ(?)です.ぶっちゃけ,自分にとって都合の良い(ハッピーな?)エンディングに持っていくことも可能かもしれません(ストーリー的に厳しいかと思いますが).とは言え,この映画の素晴らしさはまさにこの「余韻」にあると言って過言ではないでしょう.

ここまで,鑑賞者に深く考えさせる作品には中々お目にかかれないという意味で,連休が始まったという多少寝ぼけ気味の感覚が一気に研ぎ澄まされた印象があります.
…なんて無難にまとめていますが,とうの鑑賞者である私自身,結末をどう解釈するか,いまだに考察中(=楽しんでいる最中)です.

最後に,今回,主演の横浜流星さん,じっくり演技を見たのは初めてですが,凄い俳優さんですね.まだ26歳と若手と呼ばれる年代なのかもしれませんが,今後が非常に楽しみな方.そして,なんと言っても一ノ瀬ワタルさんと古田新太さん,西田尚美さんに杉本哲太さん,周りを固める俳優陣,全員”最低で最高”でした.

2023/05/01

ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー ーマリオ世代(!?)は必見ー

 一足早く公開されたアメリカでも大好評だそうですが,ここ最近見ている他の映画の予告編で紹介された時点で,観るのは確定していた映画です(笑).



はっきり言ってタイトルの通り,恐らくスーパーマリオのゲームを一度でもプレイしたことのある人であれば,楽しめること請け合いでしょう.特に(年齢がバレますが ^o^;;)初代ファミリーコンピュータ用ソフトとしてリリースされた初代スーパーマリオ,ディスクシステム(懐かしい!)でリリースされた2,スーパーファミコン(これまた懐かしい)でリリースされた3をプレイした世代であれば,諸々文句ナシに楽しめるはずです.

と書くとオールドファンのみにハマる映画のように思われますが,ここ数日の盛況っぷりを見ると,最近のマリオファンの皆さんにも見事にハマっているようですから,ぶっちゃけ全世代にハマるのでしょう(すいません.最近のハードウェアは持ってないので,ここ最近のマリオ関連ゲームは一才プレイできていないのです).

ということで,以降はいわゆる”オールドファン”向けに書かせてもらいますが,その前に全世代向けに全世代向けにお勧めしておきたいのは,”3Dで観るのが超お勧め”ということです.2Dで見ていないので2Dがダメというつもりはないし,2Dで見ても十分に楽しいかとは思うのですが,アクション映画としても秀逸な本作品,コメディ要素もあるんですが,アクションもコメディも,3Dで見た方が確実に楽しめることと思います(2Dよりちょっとチケットが高いですけど).

ここからが本題(!?)で,まず,ストーリー的には破綻なく無難にまとまっている,というと可もなく不可もなくのように思えるものの,そもそもゲーム世界とリアルを結ぶシナリオがスムーズに感情移入できる時点でかなり秀逸なシナリオだと思えます(これも”マリオ世代”であるからかもしれませんが).
アクションが大迫力,かつ,コメディ要素が全開であるのも魅力的で,ほぼ満員の劇場ではあちらこちらで子供達の爆笑が響いていました(と書きつつ,当の自分も大笑いした箇所少なからずでした).
最近のハリウッドCG映画の技術は凄まじく,実はこちらでは紹介していないんですが,1ヶ月ほど前に”長靴をはいた猫”を観た時も全く同じ感想を抱きました.

加えて,初代マリオ世代にとって泣けたのは,要所要所で奏でられる”懐かし挿入曲”でしょうか.詳細は省きますが,日本では某青春ラグビードラマの主題歌として大ヒットした名曲や,AC/DC,A-haの名曲が,それぞれのシーンを効率的に彩るタイミングで見事に融合していて,これはまさに”当時のプレイヤー”をターゲットにした演出のように思いました(とは書きつつ,楽曲のクオリティは世代を超えると思いますし,そういう意味でも効果的なタイミングでインサートされていたように感じています).

なんと言っても,クッパ(ラスボス)がいい味を出しています.
この作品を視聴予定の皆さんには,是非,本当に,最後の最後まで,しっかりと見てほしいと思います(エンディングロールの途中でおかえりになった皆さんは・・・).

2023/04/29

アクティブラーニング ー実は歴史が深かったー

皆さん,アクティブラーニングという用語を知っていますか?

アクティブラーニングは,ある特定の学習(教授)法を指すのではなく,例えばグループワークやチームでの議論(ディベート),反転学習(事前に学生が予習の内容として問題の解法や結論を学び,授業でその確認や補足,問題に対する議論を行う授業)といった(最近ではこの言い方が主流らしいですが)”主体的対話的で深い学び”の手法全体を指す総称です(4年生以上の東京高専の学生だと,必然的に関わることとなる"社会実装"も,一種のアクティブラーニングでしょうね).
まさに我々教員もリアルタイムで(ある意味,学生の皆さんと一緒に)取り組んでいるアクティブラーニング.とはいえ率直に言って,この“教え方の概念”に効果があるとしても,あらゆる物事には両面があり,素晴らしいの一辺倒ということはないでしょう.ということで読み始めたのが以下.

アクティブラーニング ー学校教育の理想と現実ー (小針 誠 著,講談社現代新書)

タイトルの通り,手法や概念としてのアクティブラーニングの利点欠点について著されていることは期待していましたが,それより印象深かった(ある意味びっくりした)のは,
“アクティブラーニングって意外と(!?)昔から実践(試行)されてきた方法なのね”
ということ.

このエントリのタイトルにも記載しましたが,本書を読むまで恥ずかしながら,アクティブラーニングの概念や手法は,古くともこの20年くらいの間で提案されてきたものだと思っていました.本書で紹介されているアクティブラーニングの実践例として最も古いものは大正時代まで遡りますので,少なくとも日本では約100年前には存在し,実際に行われていたこととなります.そしてある意味面白い,というか(実際はただ楽しんでいるだけではとてもいられないものの)“歴史は繰り返す”を読んで字のごとく体現しているのだな,と思えるところとして,いわゆるアクティブラーニング(本書でいうところの「生徒主導で,学習に臨む態度や考える力を重視する経験主義の教育」と,教師主導・知識重視の本質主義(系統主義)の教育(それこそ,詰め込み教育と言われるタイプのもの)とが,ある時期はこちら,その後はこちらと振り子のように繰り返されてきたという点が挙げられます.

アクティブラーニングの波は,上述の通り最初に大正時代,その後,“戦時下新教育”として第二次対戦中にも取り組まれていたことは意外でした(その後,本書を読んでいて,なるほどそれも一理ある,と感じましたが).そしてさらに,戦後新教育,平成以降のアクティブラーニングがあり,加えて“ゆとり教育“のスパイスも加味された上で現在,アクティブラーニングのエッセンスも残しつつもまた“その反対側“へと振り子が触れつつあるような感もあります.

この書籍を読んで一番印象的だったのは上にも記載した通り,なぜ戦時下においてアクティブラーニングの取組が積極的になされてきたのか,というところでした.そして歴史が繰り返され,なぜまた現在,アクティブラーニングの重要性が訴えられてきたのか.繰り返される歴史には,それぞれの時代背景はあるものの,背景ごとの相違点がある一方で,やはり共通した意図があるように思います.特に,教育は国の一大政策です(「国は国民からなっている」ので,と僕は思っています).ということは,日本に限らずある国がある教育政策を取ること=その国がそういった人を育成したい(その結果として将来的にこういった国を目指したい)という意志そのものだと考えるわけです.
本書を読んで上記の考えを再確認したとともに,本書に記載されたような推測は,確かにあり得ると(多少の実感を持って)感じたところが,今回の一番の収穫でした.
具体的な“推測“については,敢えてここには記載しません.興味のある皆さんは是非,手にとって見てもらえればと思います.

2023/04/15

メタ認知 ーマインドフルネスにも通じる自己観察ー

年度末,年度はじめも比較的読書は(細々と)続けていたのですが,とにかく多忙でアウトプットの時間がほとんど取れませんでした.とはいえその間何冊かは読了したのですが,幸か不幸か“ハズレ”の書籍が多く(苦笑),アウトプットの暇もないし,アウトプットしたくなる書籍もなかったというところでした.

そんな中,この本はちょっと面白いな,と思ったのが

メタ認知 ーあなたの頭はもっとよくなるー (三宮真智子 著,中公新書ラクレ)

皆さんも見聞きしたことがあるかもしれませんが,「メタ」というのはいわゆる「より上位階層の」という意味合いで,メタ認知というのは要は、“認知に対する認知“です.本書曰く,心理学分野における認知というのは,頭を働かせるあらゆることを指すとのこと.ですのでメタ認知とは例えば,“「自分は今こんなことを考えている」ということを一つ上から観測している“といったイメージになります.

何らかの感情や思考をしている自分を,もう一人の自分が上から見ている,とも言えるかと思いますが,それが効率的に,また,意識的にできるようになると,例えば現在の自分の状態を客観的に確認して,より効率的な方向へと改善したり,怒りや焦りといったネガティブな感情に囚われる前に,自分の状態をポジティブ(少なくともニュートラル)な状態へと引き戻すこともできるようになることが期待できます.

とはいえ,書くのは簡単,行うのは難しいのがメタ認知だと個人的には思っていて,実際,メタ認知をしっかりとできるようになるにはそれなりの“修行“が必要なようです.例えば,メタ認知のための知識が不足していたり,自身の状態を知るための方法に不足や誤りがあれば,誤った認知をしてしまい,その結果,状態を改善できないどころか,むしろ改悪してしまうこともあり得るでしょう.

とはいえ,本書に紹介されたような自身の状態をモニタリングする方法や,メタ認知を通して自身の状態を改善するための知識などを蓄積していくことで,メタ認知のスキル自体が上がっていくことも期待できそうです.

一方,本書の後半の一部では,メタ認知とは全く無関係ではないのでしょうが,効果的なものの考え方や,思考力を改善するための協働の仕方,環境の整え方,といった“脇道的な“(補足的な?)内容にも触れています.この辺りの部分も含めてびっしりメタ認知についてコンテンツを埋めてもらっても良いくらいだと,個人的には感じました.

書籍を読んでいて全般的に感じたことは,ここ数年,よく読んできたマインドフルネス(心を落ち着け,現在の自分の状態をそのままにスキャニングすることで心身状態をニュートラルに持っていく取り組み)にも通じるものがあるなというところ.先日読んだ仏教における瞑想はほぼマインドフルネスそのものですが,メタ認知によっても,現在の自分の状態をモニタリングする点では同様と思います.マインドフルネスの場合は,モニタリングしたその情報をそのまま受け入れる一方,メタ認知の場合は,その情報を踏まえてどのように自分の状態を良い方向を持っていくか,実際の方策を通して行動を取るための方法論,という印象を持ちました.

上述の通り一部脱線した感もあったものの,全体を通して見るとよくまとまっていて,メタ認知に関する初心者だけではなく,ある程度具体的に活用したい,実践したいという人にとっても読む価値のある書籍だと思いました.

2023/03/20

おとなの教養 私たちはどこから来て、どこへ行くのか? ー確認できたことはよかったー

ある意味,自分に対する確認として読んだとも言える今回の書籍,結果として確認できたので良かったです.

おとなの教養 ー私たちはどこから来て、どこへ行くのか?ー (池上彰 著,NHK出版新書)

この書籍は,いわゆる”リベラルアーツ”について紹介する書籍です.高専の学生だとあまり聞き覚えのない言葉かもしれませんが,大学ではよく使われる言葉・・・とはいえ,正確な(?)意味を理解できていない人は大学生でも多いかもしれません.
それこそ,本書のタイトルともなっている「教養」という意味をイメージする人が多いかもしれませんね.例えば,今は違うように思いますが,僕が以前在籍していた北大には「教養棟」と呼ばれる建物があったと記憶していて(もしかすると学生が勝手に名付けた通称かもしれませんが),そこではいわゆる”教養科目”を教えていました.その時点での我々学生のイメージとして,教養科目は専門科目を学ぶための基礎的な科目&社会人になる際に必要な(知らないと恥ずかしい)知識を学ぶ科目,といったところでしょうか(例えば前者でいうと,専門分野での計算を行うための基礎となる数学系の科目,後者は世界史や経済,語学といった科目).
ただ,この日本語訳はちょっと違うな,と歳をとってみて改めて思っていて,本書を読んでみると,まずはリベラルアーツの直訳として「人を自由にする学問」という表現が出てきます.これはこれで抽象的でわかりづらいですね(苦笑).その昔のヨーロッパの大学ではリベラルアーツとして,(1)文法,(2)修辞学(弁論の技術を学ぶ),(3)論理学,(4)算術,(5)幾何学,(6)天文学,(7)音楽の7科目が挙げられていたとのこと.当時これらの科目を学ぶと人は自由になったのか,というとちょっと疑問ですが,読み進めていくと徐々に分かってきます.
実例としてMIT(マサチューセッツ工科大学)では音楽の授業が充実していることが挙げられています.その理由についてMITの教員は,

MITでは最先端の研究をしていて、学生にも最先端技術を教えているが,それらは4年もすると陳腐化する.すぐ陳腐化するものばかりを大学で教えてもしょうがないし,むしろ社会に出て新しいものが出てきても,それを吸収したり,自ら新しいものを作り出して行くためのスキルを大学で学ぶべき

と述べていて,音楽はそのための”教養”の一つだよ,と.
この説明と合わせて,その他アメリカの大学,特にエリート大学の多くはリベラルアーツとして”すぐには役に立たなくても良いこと”を教えている,という記述が,リベラルアーツの定義として,個人的に非常にしっくり来ました.要は,単に最新の知識や難しい理論を詰め込むのではなく,今後社会に出て新たな(解決法が不明な)問題を解決したり,そもそもどこに問題があるのかを見つけ出すための”考え方や解決の仕方の「土台」を作るための科目=リベラルアーツ”ということだと認識しました.

大学ではもっと,社会に出てすぐに役立つ科目を教えるべき,といった風潮が日本でもありました(今でもある?)が,ある意味これとは全く反対の方向性ですね(苦笑).そして最近に至っては,学生に教養がない,という意見もちらほら聞こえます.が,それってそもそも,即戦力の学生が欲しいと”すぐに役立つ(=すぐに陳腐化する?)科目ばかり”教えるよう要望があったことによる副反応なのでは?とも思えます・・・

高専の場合,大学とはやはり違っていて,現時点での最新の技術を教える部分に特色があり,その特色ゆえに企業の皆さんから期待されている面があるので,それはそのままでよい,とある程度は感じていますが,個人的には自分の授業やその他の活動の中で,学生の皆さんには”今後社会に出たときのため,これは考えて(身につけて)もらいたい”というtips的な情報や「ものの考え方」といったノウハウも示すようにしています(学生さんがそれに気づいているか,また,自分も取り入れてみようと思ってくれているかは不明です).

ちょっと話がズレましたが,本書で著者の池上彰氏は,著者自身が考える「現代のリベラルアーツ7科」として,(1) 宗教,(2) 宇宙,(3) 人類の旅路,(4) 人間と病気,(5) 経済学,(6) 歴史,(7) 日本と日本人を挙げています.これらは相互に関連する部分も多いものの,確かに社会に出て以降,さらに大人になってからも問題を見つけたり解決したりする際,学んでおくべき重要な項目と僕も思います.

ただ,僕自身この本を読んで(冒頭記載の通り)印象に残ったことは,上記各項目の内容というより,以下の2点です.

1. 簡単に教養を手に入れることは無理

2. 学び続けることと、アンラーン(unlearn)が大事

1.ですが,最近書店でよく見かけるのが,簡単に(短期間で?)身につけられる教養,といったタイトルの書籍です.これ,もしかすると上述した昔の大学でいうところの教養科目をイメージしているのかもしれませんが,もし,すぐには役に立たなくても良いこと,を指しているとすると,おそらくリベラルアーツの本来の役目の半分くらいしか満たさないと思っています.いわゆる雑学的な幅広い知識としてのみ,その書籍の内容を覚えたとして,それはそれでいずれ何処かで役立つ可能性はあるでしょうが,おそらくその知識をインプットしたのみでは,今後新たに発生する可能性のある,答えが示されていない(あるかどうかもわからない)問題を解いたり,そういった問題が今後どこでどのように生じるかを見つけることはできないと感じます.こればかりは,それこそすぐには役に立ちそうもないけれど興味がある,とか,特段興味はないけれど,もしかすると面白いかもしれないから試しに読んで(見て,聞いて)みようか,と手にとった書籍や映画などから少しずつ,長い期間かけて”蓄積して”いかないと得ることは難しいと考えています.つまり,”インスタント教養は効能が限定的”とでもいうのでしょうか.

2.については,本書での記述で「やはりな」,と納得した部分がありました.現在の日本の歴史教科書では,聖徳太子という名詞がそのまま出ることはないそうですね(僕が中学生の頃は普通に掲載されていました).代わりに,厩戸皇子/厩戸王や厩戸皇子(聖徳太子)といった表記がされ,また,以前教科書に載っていた肖像画は,本人でない可能性が高くなったので掲載されなくなったとのこと(皆さんの教科書では,既にそうだったかもしれませんね).

何が言いたいかというと,教科書に載っているようなことでも,それらが必ずしも事実とは限らない.これは,当時嘘を教えていた、ということではなく,その時点での事実はそうだったものの,調査研究を続ける過程でより正確な情報が得られ,それによって内容を修正しているということになります.1.とも関係しますが,現時点で最新だったり,正しいとされている知識や情報も,時の流れとともに陳腐化したり,実は間違いだった(より適切な情報が得られた)ということがわかった場合,当時の知識を一旦削除(unlearn)して,新たな,より適切な知識へとアップデートする必要があるよ,ということです.これがまさにアンラーン,な訳ですが,そもそもアンラーンするためには常にアンテナを張って,情報をインプットし,自身の持つ知識が最新で最適かどうかを確認する必要があります.そしてそのためには1.にも書いた通り,定期的にかつ継続的に,自ら情報を取りに行くことが重要になります.

今回,本書を読んで上記2点をしっかりと再確認できたことが,僕にとっては最大の収穫でした.

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