前回投稿からかなり間が空いてしまいました.
今年度は所属学科の学科長にもなってしまった(!?)ので,おそらくますます投稿頻度が少なくなりそうな気配ですが,細々とやっていきたいと思っています.
今年度ですが,個人的な目標としては,”研究目的で最低一回は海外に行くこと”(理想的には,台湾ともう一カ国くらい),社会実装の取組に関連して,規模・期間をよりextendした実証実験を行うことですね.
学科長としては当然”1年間大きな問題が生じることなく学科を運営すること”です.
東京工業高等専門学校情報工学科の北越です。 更新頻度はほどほどに、主に研究のことや、読んだ(読んでいる, 購入した, 借りた, ...etc.)本のことについて書いていきます。
前回投稿からかなり間が空いてしまいました.
今年度は所属学科の学科長にもなってしまった(!?)ので,おそらくますます投稿頻度が少なくなりそうな気配ですが,細々とやっていきたいと思っています.
今年度ですが,個人的な目標としては,”研究目的で最低一回は海外に行くこと”(理想的には,台湾ともう一カ国くらい),社会実装の取組に関連して,規模・期間をよりextendした実証実験を行うことですね.
学科長としては当然”1年間大きな問題が生じることなく学科を運営すること”です.
先日,某授業をしていて不意に,「最近忙しくて,読みたい本がたくさんあるのになかなか読めていない」という話をしたんですが,ふと,
”どのくらいの本が積まれているのか?=(待ち行列に並んでいるのか?)”
念のため把握しておいた方が良いのではなかろうか(=読めないことがわかっているのに買う本が減るのではなかろうか ^o^;;)と思い立ちました.
僕が,いわゆる読書をする媒体としては2種類あって,電子書籍/実物(!?)の書籍でそれぞれ待ち行列ができています.さらに,一般的な書籍で自分がぜひ読みたいと思ったものは電子書籍で買いますが,興味の有無,自身にとって有益(有意義)かどうか不確実性がある書籍は図書館で”実物”を借ります.加えて,後日電子書籍として購入したり図書館で借りたりすることが難しい,最新の情報が掲載される雑誌の類も,必ずしも毎週ではありませんが特定のものを購入することが多いです.まだあります(笑).僕は小学校高学年くらいから漫画雑誌,および単行本も購入していて,この習慣はいまだに続いていますので,これらも読まねば(?!)なりません.
上記諸々について現時点で,現在進行形で読んでいるもの,”積読”になっているものを,備忘録的にリストアップしておきます.ちなみに僕の読書傾向は”雑食”で,硬軟自在,自分がその瞬間に興味を持ったものは何でも手を出します(苦笑).
昨日のスーパーマリオに続き,今日は1人でレイトショーで観てきました.
一足早く公開されたアメリカでも大好評だそうですが,ここ最近見ている他の映画の予告編で紹介された時点で,観るのは確定していた映画です(笑).
皆さん,アクティブラーニングという用語を知っていますか?
アクティブラーニングは,ある特定の学習(教授)法を指すのではなく,例えばグループワークやチームでの議論(ディベート),反転学習(事前に学生が予習の内容として問題の解法や結論を学び,授業でその確認や補足,問題に対する議論を行う授業)といった(最近ではこの言い方が主流らしいですが)”主体的対話的で深い学び”の手法全体を指す総称です(4年生以上の東京高専の学生だと,必然的に関わることとなる"社会実装"も,一種のアクティブラーニングでしょうね).年度末,年度はじめも比較的読書は(細々と)続けていたのですが,とにかく多忙でアウトプットの時間がほとんど取れませんでした.とはいえその間何冊かは読了したのですが,幸か不幸か“ハズレ”の書籍が多く(苦笑),アウトプットの暇もないし,アウトプットしたくなる書籍もなかったというところでした.
そんな中,この本はちょっと面白いな,と思ったのがメタ認知 ーあなたの頭はもっとよくなるー (三宮真智子 著,中公新書ラクレ)
皆さんも見聞きしたことがあるかもしれませんが,「メタ」というのはいわゆる「より上位階層の」という意味合いで,メタ認知というのは要は、“認知に対する認知“です.本書曰く,心理学分野における認知というのは,頭を働かせるあらゆることを指すとのこと.ですのでメタ認知とは例えば,“「自分は今こんなことを考えている」ということを一つ上から観測している“といったイメージになります.
何らかの感情や思考をしている自分を,もう一人の自分が上から見ている,とも言えるかと思いますが,それが効率的に,また,意識的にできるようになると,例えば現在の自分の状態を客観的に確認して,より効率的な方向へと改善したり,怒りや焦りといったネガティブな感情に囚われる前に,自分の状態をポジティブ(少なくともニュートラル)な状態へと引き戻すこともできるようになることが期待できます.
とはいえ,書くのは簡単,行うのは難しいのがメタ認知だと個人的には思っていて,実際,メタ認知をしっかりとできるようになるにはそれなりの“修行“が必要なようです.例えば,メタ認知のための知識が不足していたり,自身の状態を知るための方法に不足や誤りがあれば,誤った認知をしてしまい,その結果,状態を改善できないどころか,むしろ改悪してしまうこともあり得るでしょう.
とはいえ,本書に紹介されたような自身の状態をモニタリングする方法や,メタ認知を通して自身の状態を改善するための知識などを蓄積していくことで,メタ認知のスキル自体が上がっていくことも期待できそうです.
一方,本書の後半の一部では,メタ認知とは全く無関係ではないのでしょうが,効果的なものの考え方や,思考力を改善するための協働の仕方,環境の整え方,といった“脇道的な“(補足的な?)内容にも触れています.この辺りの部分も含めてびっしりメタ認知についてコンテンツを埋めてもらっても良いくらいだと,個人的には感じました.
書籍を読んでいて全般的に感じたことは,ここ数年,よく読んできたマインドフルネス(心を落ち着け,現在の自分の状態をそのままにスキャニングすることで心身状態をニュートラルに持っていく取り組み)にも通じるものがあるなというところ.先日読んだ仏教における瞑想はほぼマインドフルネスそのものですが,メタ認知によっても,現在の自分の状態をモニタリングする点では同様と思います.マインドフルネスの場合は,モニタリングしたその情報をそのまま受け入れる一方,メタ認知の場合は,その情報を踏まえてどのように自分の状態を良い方向を持っていくか,実際の方策を通して行動を取るための方法論,という印象を持ちました.
上述の通り一部脱線した感もあったものの,全体を通して見るとよくまとまっていて,メタ認知に関する初心者だけではなく,ある程度具体的に活用したい,実践したいという人にとっても読む価値のある書籍だと思いました.
ある意味,自分に対する確認として読んだとも言える今回の書籍,結果として確認できたので良かったです.
おとなの教養 ー私たちはどこから来て、どこへ行くのか?ー (池上彰 著,NHK出版新書)高専の場合,大学とはやはり違っていて,現時点での最新の技術を教える部分に特色があり,その特色ゆえに企業の皆さんから期待されている面があるので,それはそのままでよい,とある程度は感じていますが,個人的には自分の授業やその他の活動の中で,学生の皆さんには”今後社会に出たときのため,これは考えて(身につけて)もらいたい”というtips的な情報や「ものの考え方」といったノウハウも示すようにしています(学生さんがそれに気づいているか,また,自分も取り入れてみようと思ってくれているかは不明です).
ちょっと話がズレましたが,本書で著者の池上彰氏は,著者自身が考える「現代のリベラルアーツ7科」として,(1) 宗教,(2) 宇宙,(3) 人類の旅路,(4) 人間と病気,(5) 経済学,(6) 歴史,(7) 日本と日本人を挙げています.これらは相互に関連する部分も多いものの,確かに社会に出て以降,さらに大人になってからも問題を見つけたり解決したりする際,学んでおくべき重要な項目と僕も思います.
ただ,僕自身この本を読んで(冒頭記載の通り)印象に残ったことは,上記各項目の内容というより,以下の2点です.
1. 簡単に教養を手に入れることは無理
2. 学び続けることと、アンラーン(unlearn)が大事
1.ですが,最近書店でよく見かけるのが,簡単に(短期間で?)身につけられる教養,といったタイトルの書籍です.これ,もしかすると上述した昔の大学でいうところの教養科目をイメージしているのかもしれませんが,もし,すぐには役に立たなくても良いこと,を指しているとすると,おそらくリベラルアーツの本来の役目の半分くらいしか満たさないと思っています.いわゆる雑学的な幅広い知識としてのみ,その書籍の内容を覚えたとして,それはそれでいずれ何処かで役立つ可能性はあるでしょうが,おそらくその知識をインプットしたのみでは,今後新たに発生する可能性のある,答えが示されていない(あるかどうかもわからない)問題を解いたり,そういった問題が今後どこでどのように生じるかを見つけることはできないと感じます.こればかりは,それこそすぐには役に立ちそうもないけれど興味がある,とか,特段興味はないけれど,もしかすると面白いかもしれないから試しに読んで(見て,聞いて)みようか,と手にとった書籍や映画などから少しずつ,長い期間かけて”蓄積して”いかないと得ることは難しいと考えています.つまり,”インスタント教養は効能が限定的”とでもいうのでしょうか.
2.については,本書での記述で「やはりな」,と納得した部分がありました.現在の日本の歴史教科書では,聖徳太子という名詞がそのまま出ることはないそうですね(僕が中学生の頃は普通に掲載されていました).代わりに,厩戸皇子/厩戸王や厩戸皇子(聖徳太子)といった表記がされ,また,以前教科書に載っていた肖像画は,本人でない可能性が高くなったので掲載されなくなったとのこと(皆さんの教科書では,既にそうだったかもしれませんね).
何が言いたいかというと,教科書に載っているようなことでも,それらが必ずしも事実とは限らない.これは,当時嘘を教えていた、ということではなく,その時点での事実はそうだったものの,調査研究を続ける過程でより正確な情報が得られ,それによって内容を修正しているということになります.1.とも関係しますが,現時点で最新だったり,正しいとされている知識や情報も,時の流れとともに陳腐化したり,実は間違いだった(より適切な情報が得られた)ということがわかった場合,当時の知識を一旦削除(unlearn)して,新たな,より適切な知識へとアップデートする必要があるよ,ということです.これがまさにアンラーン,な訳ですが,そもそもアンラーンするためには常にアンテナを張って,情報をインプットし,自身の持つ知識が最新で最適かどうかを確認する必要があります.そしてそのためには1.にも書いた通り,定期的にかつ継続的に,自ら情報を取りに行くことが重要になります.
今回,本書を読んで上記2点をしっかりと再確認できたことが,僕にとっては最大の収穫でした.
twitter (& facebook)では報告していましたが,こっちでお伝えするのを失念していました.
3月3日と4日の二日間にわたり,久しぶりの対面(&一部オンライン)で,
が開催され,僕が指導するプロジェクトチームの皆さん(全員4年情報工学科の学生さんです)が”構想賞”を受賞しました.
ただ,誤解を恐れずにいうと,今回の受賞,学生の皆さんにとっては少々悔しい結果だったと推測しています.当該フォーラムは”社会に取組を実装する”ことの効果やインパクトを競うことが最終目標なので,”構想止まり”では先に進めません.とはいえ実は現在,我々のチームでは某自治体さん,および自治体に所在する企業さんと連携して,実証実験を進めていきましょうという話し合いが本格化していますので,その準備がスムーズに進み,具体的な実験を実施することができたとしたらあるいは,来年度のフォーラムでは最高賞(=最優秀社会実装賞)がいただけるのでは?と期待しています.
具体的な取組については,もう少し計画が進んでから・・・と書きつつ,実は今回のタイミングで某自治体さんのタウンニュースの取材を受けており,リンク先からはご覧いただける状況にもなっています(^o^;; (まぁ,敢えて隠すほどのことではありませんのでね,と言いつつこちらでは名前を伏せておきます).
とにもかくにも,今のところ新年度でのメンバー変更はないようですし,あとは来年度の5年生(前期)=今回の受賞メンバ & 4年生(後期)がどれだけ現実的な実験プランを立てるとともに,実験で評価いただける状態までシステムを持って行くか,が勝負でしょう.
正直申し上げて,完全なる”にわかファン”でした.ただ,偶然タイトルを見かけて電子書籍サイトで原作漫画の表紙とあらすじ,劇場版CMを見た瞬間,これは劇場版を見なければいけない,と,僕の第六感が命じたこの作品.
基本的に好奇心は旺盛なので,特に映画音楽書籍系については分野にあまり関係なく”雑食”で,感覚にもとづいて行動する&比較的成功する確率が高いと自覚しています.そして今回の作品,最高でした.
一人の青年が世界一のジャズプレイヤーになることを目指して上京し,仲間と共に日本最高の舞台でのプレイを目指していくまでが本作のストーリー.冒頭記載の通り,広告を見てピンきたのが実際のところなので,まずは”予習”として原作のシーズン1を大人買いして読みました.
その上で劇場版に臨んだのですが,個人的には予習しておいて非常に良かった.劇場で購入したパンフレットを読んで初めて,当該作品はまさにこのシーズン1のストーリーがもとになっていることを知ったのですが,原作を読むことで劇場版の構成が非常に良く練られていることが理解できます(ストーリーと音楽のバランスや,演奏シーンとストーリーとの融合によるシーン構成が素晴らしい).時間の都合上圧縮されている部分もある一方で,原作には描かれていないいくつかのシーンが,主人公の青年たちの日常を瑞々しく表しているように感じられました.
今回,特に素晴らしかったのが音楽,というか”サウンド”.
ジャズがテーマの作品ということもあり,当然劇中でたくさんのジャズナンバー(有名なものから,彼らが作ったオリジナルも)が流れるのですが,今回鑑賞した劇場の音響の素晴らしさも手伝い,それぞれの曲の躍動感やグルーブがモロに伝わってきて,思わず幾度となく体が動いてしまうほど.
元々Rhythm&Blues等,黒人由来の音楽やR&Bから派生した日本人ミュージシャンの曲を好んで聴いていることもあり,ジャズも時折聞いていましたが,今回,映画館の素晴らしい音響でジャズを初めて聴いて,かつ,映画内で主人公,宮本大が言う”ジャズは感情の音楽”と言うセリフも相まって,その迫力がとてつもなく素晴らしいことに感動しました.
加えて,そもそも劇中でのジャズ演奏,挿入されるその他の曲は,上原ひろみをはじめとする日本を代表するジャズミュージシャンが担当.これは本当に凄い.
あまりにも素晴らしかったので,映画を見た直後にサウンドトラックをダウンロード購入してしまいましたが,実はこのサントラ,率直に言って劇場で聞くほど良いとは感じられていません(今の所).なんと言っても・劇場の素晴らしい音響で,ビリビリと響くようなサックスの音圧で聴くことにこそ意味があると実感できたと言う意味で,あえて購入してよかったとも思っています(音量上げて,良い再生環境で,お酒を飲みながら(笑)改めてじっくりと聴いてみようと思っています).
原作漫画を読んで感じたのは,ジャズ漫画とはいえ当然,絵から音は出ないものの,まるで音が鳴っているかように見える(!?)臨場感やダイナミックさが素晴らしい表現力で,読者の多くが同様の感想を持っているようです.その一方,ある意味”音が鳴っていないのに鳴っているように感じる”ほど素晴らしい原作漫画の表現力を,映画館のド迫力サウンドで再現している(もしくはそれさえも超えている)と感じさせるのは,映画館ならではの素晴らしさだと思いました.
それこそ,メインキャストの宮本大,玉田俊二,沢辺雪祈のリアルなライブに来場して,その場に本人たちがいるかのような臨場感を味わうことができました.
本当に文字通り,映画館で観なければ(聴かなければ)味わえない感動だと思います.
最後にこの映画のストーリーについての感想です.
原作を予習しておいて,加えて,事前にパンフレットも予習しておいて良かったです.
あまり書きすぎても野暮ですので控えますが,実のところ、恐らくどの順番で見ても,観た人それぞれの感動があると思いますが,僕は個人的に,
”漫画 → 映画のパンフレット → 映画本編”
の順番で観ることができてよかったと思っています.
本作,原作の漫画は現在シーズン3(でしょうかね?)として連載中で,実は僕はまだシーズン2の冒頭までしか読めていません.が,この時点で今後の展開がさらに楽しみになってしまっているので,(他に読みたい本もたくさん後に控えているのですが ^o^;;)早めに読み進めていければと感じているところです.
ここ最近,哲学心理学系の本を読むことが多いですが,今回の書籍はそれらとも密接に関連する,宗教に関する本です.
どうせ死ぬのになぜ生きるのか ー晴れやかな日々を送るための仏教心理学講義ー (名越康文 著,PHP研究所)
著者の名越康文 氏は,TV番組のコメンテーターとして出演することもありますが,本職は精神科医です.精神科医がなぜ仏教を?という疑問を持つ人もいるかもしれませんが,ここ最近,哲学系,特に心理学系の関連書籍を読み漁っていると,これらの分野は根底ではしっかりとした共通点がある,というか,お互いに関係し合っている面があることがわかってきて,書籍中で著者も述べていますが,自身の仕事である精神科医としての活動にも活用できる点が多くあることがわかります.
そもそも,このタイトルの問いに対して,万人が納得できる答えを明快に持っている人というのはなかなかいないように思います.本書冒頭で,人間の悩みや不安は尽きることがないが,その1番の理由は,それらの根底にある漠然とした不安(疑問?)= “どうせ死ぬのになぜ生きるのか“ が解消できないからではないか,という記述があります.人間を含め,生物は必ず死にます.それはわかっているものの、普段は特に,もしくは敢えてそれを考えることなく生活している人がほとんどでしょう(僕含め).
ただ,そういった不安,というか,答えのわからない問いを抱えたまま生きていることで,何かの拍子に不安に駆られたり,一つの心配が解消してもまたすぐ次の心配事がやってくる・・・ とはいえ,答えのない(わからない)問いの答えをどのように見つけるのか,という本質的な問題があるわけですが,根本的な不安を緩和したり解消したりするための実践的な方法として,仏教があるよ,というのがこの本の主題です.
宗教というと,胡散臭さを感じる人や,特に若い学生の皆さんにとっては自分とは関係の薄いものというイメージがあるかもしれませんが,歴史の教科書で習った “仏教伝来 から 現在まで 生き残ってきている“ という意味では,やはりそれなりの意味・意義があるのだろう,とも感じないでしょうか.
著者は仏教と他の宗教との違い,そしてこのタイトルに対する一つの回答(解決策)として宗教が挙げられる理由を.
不安を緩和・解消するための実践的な方法論を持っているため
と書いています.
国語の授業で習った(学習済みでしょうかね?)平家物語に,諸行無常という言葉が出てきますが,これは仏教用語です.意味としては,世の中で変わらないものなど一つもない.むしろ,あらゆるものが常に動いている(別の表現をすると,自由である)ということです.人は必ず死ぬ,というのも諸行無常であり,人の心も絶えず揺れ動いている(常に新たな心配が生まれる)というのもこの考え方で捉えることができます.
ただし仏教では,自分自身と心はイコールではなく,本当の自分は感情の波の動きによって普段見る・感じることはできないと考えているようです.確かに,普段は落ち着いて温厚な人でも,怒りや悲しみの感情に影響を受けて普段とは全く異なる言動をすることは少なからずあると思います.
仏教では,例えば普段の行動(掃除をする,食事をする,といった些細な物事を含む)を通して自分の心の動きを観察し,観察することを通して心を落ち着かせる(感情の波を立てないようにして,本当の自分を見ることができるようにする)方法論がたくさんあります.普段の呼吸や,通勤通学時に歩く際など、コツを掴めばそれら全てが自分の心を沈めて(冷静に観察して)“本当の自分“を見ることができるようになる,と.
いかにも仏教っぽい方法論としては,(詳しくは本書を参照のこと)行=ぎょうと呼ばれる取り組みであったり,瞑想といったものは名前を知っている人もいるかもしれません.
とにもかくにも本書において,仏教は我々,特に日本人とは長い付き合いである故に縁も深く,あちらこちらにお寺があり親近感があり,かつ,日常に即した(ある意味,特別の大袈裟な準備を必要とすることのない)方法論を通して,自分の心を冷静に観測することを可能とする手段であるということを述べています.
以前紹介したと思いますが,瞑想とは現在,そのエッセンス部分がピックアップされて,Mindfulness(マインドフルネス)として,様々な企業(Googleのような世界的大企業含む)でも取り入れられていて,より身近なところでは“食べるマインドフルネス“といったように,普段の皆さんの日常的な行動をマインドフルに行うことで心を落ち着けられる,といった使われ方もしています(ちなみにこの,食べるマインドフルネスは.上で紹介したある種の行ということができます).
とはいえ,これらを極めたところで「どうせ死ぬのになぜ生きるのか,の答えは得られないのでは?」と考える人もいるかと思います.実際,著者もこの問いの答えには辿りつけていないとのことですが,僕個人の考えとして,この問いに対する“言語化された解答“は確かに得られていないのかもしれないけれど,この根本的な問いから派生する様々な不安や感情の揺れを,一つ上の視点から冷静に観測して,心の落ち着きを取り戻したり不安を和らげたりできるのであれば,それは,言語化はできていないものの,現在の自分を受け入れて心やすらかに生きていけるという意味での一つの答えと言っても良いのではないかと思っています.
本書では,行や瞑想に加えて,方便という概念についても記述があります.これもまた仏教の概念の中では重要なもので,仏教をより実践的な宗教たらしめている要素と思いました.簡単にいうと,
行や瞑想によって自分の心の安定性を保つことで,
周囲の人々に対して適切な方法で貢献すること
ということになるでしょうか?
これら諸々を読んでも,やっぱり宗教は胡散臭い,と思う人もやはりいるような気はしますが(^o^;;),本書には,いわゆる実践的な方法論として,簡単にできる(といっても,手間がかからないという意味で,心の準備やコツは必要ですが)行のやり方や,実践事例,少々難解な仏教用語や仏教の枠組の中で行われている取組を,知識のない我々にもわかりやすく,また普段の生活に取り入れやすく紹介してくれているので,仏教という宗教そのものは置いておき,“メソッドだけ採用する“ために使うという手は十分にあると感じました.
そもそも著者も,仏教について本気で学び始めてからまだ数十年(それでも,大した長期間ですが)であり,まだまだ足りない部分がある,と認めつつも,むしろそうであるからこそ,仏教が身近ではない(僕を含む)一般の読者にとっても敷居の低い,わかりやすい書籍となっているように思いました.