2024/04/08

新年度一発目の投稿です ー今年も投稿頻度は少なくなりそうー

前回投稿からかなり間が空いてしまいました.

今年度は所属学科の学科長にもなってしまった(!?)ので,おそらくますます投稿頻度が少なくなりそうな気配ですが,細々とやっていきたいと思っています.

今年度ですが,個人的な目標としては,”研究目的で最低一回は海外に行くこと”(理想的には,台湾ともう一カ国くらい),社会実装の取組に関連して,規模・期間をよりextendした実証実験を行うことですね.

学科長としては当然”1年間大きな問題が生じることなく学科を運営すること”です.

2023/05/13

今読んでいる本,読もうとしている本,習慣的に読んでいる本(雑誌) ー漫画含むー


 先日,某授業をしていて不意に,「最近忙しくて,読みたい本がたくさんあるのになかなか読めていない」という話をしたんですが,ふと,

”どのくらいの本が積まれているのか?=(待ち行列に並んでいるのか?)”

念のため把握しておいた方が良いのではなかろうか(=読めないことがわかっているのに買う本が減るのではなかろうか ^o^;;)と思い立ちました.

僕が,いわゆる読書をする媒体としては2種類あって,電子書籍/実物(!?)の書籍でそれぞれ待ち行列ができています.さらに,一般的な書籍で自分がぜひ読みたいと思ったものは電子書籍で買いますが,興味の有無,自身にとって有益(有意義)かどうか不確実性がある書籍は図書館で”実物”を借ります.加えて,後日電子書籍として購入したり図書館で借りたりすることが難しい,最新の情報が掲載される雑誌の類も,必ずしも毎週ではありませんが特定のものを購入することが多いです.まだあります(笑).僕は小学校高学年くらいから漫画雑誌,および単行本も購入していて,この習慣はいまだに続いていますので,これらも読まねば(?!)なりません.

上記諸々について現時点で,現在進行形で読んでいるもの,”積読”になっているものを,備忘録的にリストアップしておきます.ちなみに僕の読書傾向は”雑食”で,硬軟自在,自分がその瞬間に興味を持ったものは何でも手を出します(苦笑).

  • 今読んでいる本
    • 実物:科学とはなにか ー新しい科学論、今必要な三つの視点ー
    • 電子:「言葉にできる」は武器になる。
  • 積読本
    • 実物:北前船の近代史 ー海の豪商たちが遺したものー
    • 電子:
      • 武器になる哲学 人生を生き抜くための哲学・思想のキーコンセプト50
      • 医者が教える食事術2 実践バイブル
      • 理数探求の考え方
      • 5段落エッセイ指導で日本の子どもが変わる!
  • (比較的)定期的に買っている雑誌
    • THE 21
    • Tarzan
    • 東洋経済
    • PRESIDENT
    • ダイヤモンド
  • 漫画
    • 実物:週刊少年マガジン
    • 電子:
      • ONE PIECE
      • BLUE GIANT
      • クッキングパパ
      • きのう何食べた?
      • 新米姉妹のふたりごはん
      • 今どきの若いモンは
      • リエゾン
      • 極主夫道
・・・改めて並べてみると,猛烈にありますね(苦笑).それに,ほぼ定期的に購入している雑誌もかなりのもの.実際,書籍購入にはかなりの費用をかけている実感がありますが,これらは(漫画も含めて)全て”自分への投資”という実感を持っています.
読書で得られるものは,自分の現在の仕事に関連する知識はもちろんのこと,仕事(特に研究)や自分の人間としての幅を広げられるような知見,それとは反対に,自分がなかなか経験できないような世界観に自分が置かれていると想像を掻き立てられ,非日常を味わえる新鮮な感覚,趣味でもあり日常でもある料理(食べること)の楽しさ面白さを体験できる,等など,即時的なものから明日使えるもの,(以前紹介したリベラルアーツ的に)教養として,”いつかその時が来たら使えるかもしれない知識”と認識しているので,読書で得られたいろいろなものはそのまま自身の血肉となり,自分自身を形成しているという感覚です.

おそらく,一生役に立たない情報もあるかもしれませんが,そういった情報を含めてまるまるインプットしておくことで、人間として余裕,余白というか,良い意味での”遊び”が得られると考えています.

読書と並行して,最近は英会話のレッスンも再開しています.英会話はある意味,直接的に僕の仕事とも関連してくるスキルかと思いますが,いつも思っているのは,
”どうせ英語を話すなら,自分や日本について,相手のメリットに繋がるようなコミュニケーションを実現したい”
ということ.
たくさん単語を知っている,発音が良い,むずかしい文法を駆使できる,流暢に話せる,といったスキルがあったとしても,自分について,自分が暮らしてきた日本という国やその文化について,まともに知らないようであれば,
”ただ英語が話せるだけのバカが,自ら恥を晒すために流暢に英語で話している”
に過ぎないと考えています.これは別に,日本のために頑張れ,という話ではなく,自分が育ってきた国のことくらい,海外の人に説明できるようになっておかないと,海外の人から(どころか自国の人間からも)尊重されるような人間にはなれないよ?という意味です.

これはある意味,言語という意味では同様の”プログラム”にも共通すると感じていて,ただただスキルがある(流暢に喋れる, プログラムの複雑な/最新のスキルを有している,などなど)だけでは意味が無く(場合によってはむしろネガティブな影響がある),その能力を使ってどれほど周囲に良い影響を与えられるか,その能力を有意義な対象に対して活用できるか,といったところがより重要になると思っています.

・・・途中で脱線した感がありますが(苦笑),とにもかくにも僕が意識していることは,自分の全ての活動は自分の今後の全てに直結しているし,より良い今後(プライベートも仕事も含めて)のために役立つと思える活動については,(他の人から見て)無駄に見えたとしても,むしろどしどし積極的にやっていこう,ということです.

もしかすると遠回りに見えることもあるかと思いますが,それこそ”急がば回れ”の精神かと思っています.自分の人生にどのような知識やスキルが必要になるかは,ざっくりとはわかるかもしれませんが,実際に全てがわかることはありません(それこそ、情報系なら数学の知識やプログラミングスキルが大事,ということは,おそらく誰でもわかるので重要性は低いです).もしかすると大事かもしれない,と思ってインプットしておいた知識が,思いがけないところで自分の仕事やプライベートの充実に繋がっていく可能性があることを意識して,様々なインプットを積極的に(特に,時間が大量にある学生のうちに)実施しておくことを,強くお勧めします.

2023/05/02

Village ーある種,最低で最高に刺激的な作品ー

 昨日のスーパーマリオに続き,今日は1人でレイトショーで観てきました.



非常に良い意味で,過去最高に頭を働かせる必要がある作品だったと思います.

ストーリー的には,誤解を恐れずに言えばシンプルなものかもしれません.
過疎の村に金を呼び込むためゴミ処理施設を作ろうとする者,反対する者.出来上がった施設で働く者,働かざるを得ないものの不満を抱き続ける者.自身はこれ以上ないほどに頑張っているのに全く報われない者,本人は全く努力していないのに生まれ and/or 財力でデフォルトで良い立場にいる者,といった,それぞれの差異に応じた”区別,差別”といったものが露骨に描かれています.

実際に現状,ここまでの状況があるとは信じたくないですが,状況としては(世界のどこでも,日本でも)十二分にあり得るでしょう.
そのような過酷な状況の中で,主人公の優(横浜流星)がどのような感情を抱いていたのか,また,どのような感情からその振舞が引き起こされたのか,それぞれのシーンで考えさせられる点が多くありました.

が,問題は(?!)実質一番最後のシーンで,主人公の優が…するところです(これから観たい人もいるでしょつから,伏せておきます).

このシーンは…個人的に非常に悩ましく,かつ素晴らしいシーンだったと率直に思います.
この映画を観た人の感想はさまざまだという評判を聞いていましたが,まさにその通り,結末は視聴者に完全に委ねられていて,かつ,その理由も同じく,観た人の解釈次第だといって良いでしょう.

この考察/評価ができる or 楽しめる/悩める・苦しめる人は,その時点で幸せ(?)です.ぶっちゃけ,自分にとって都合の良い(ハッピーな?)エンディングに持っていくことも可能かもしれません(ストーリー的に厳しいかと思いますが).とは言え,この映画の素晴らしさはまさにこの「余韻」にあると言って過言ではないでしょう.

ここまで,鑑賞者に深く考えさせる作品には中々お目にかかれないという意味で,連休が始まったという多少寝ぼけ気味の感覚が一気に研ぎ澄まされた印象があります.
…なんて無難にまとめていますが,とうの鑑賞者である私自身,結末をどう解釈するか,いまだに考察中(=楽しんでいる最中)です.

最後に,今回,主演の横浜流星さん,じっくり演技を見たのは初めてですが,凄い俳優さんですね.まだ26歳と若手と呼ばれる年代なのかもしれませんが,今後が非常に楽しみな方.そして,なんと言っても一ノ瀬ワタルさんと古田新太さん,西田尚美さんに杉本哲太さん,周りを固める俳優陣,全員”最低で最高”でした.

2023/05/01

ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー ーマリオ世代(!?)は必見ー

 一足早く公開されたアメリカでも大好評だそうですが,ここ最近見ている他の映画の予告編で紹介された時点で,観るのは確定していた映画です(笑).



はっきり言ってタイトルの通り,恐らくスーパーマリオのゲームを一度でもプレイしたことのある人であれば,楽しめること請け合いでしょう.特に(年齢がバレますが ^o^;;)初代ファミリーコンピュータ用ソフトとしてリリースされた初代スーパーマリオ,ディスクシステム(懐かしい!)でリリースされた2,スーパーファミコン(これまた懐かしい)でリリースされた3をプレイした世代であれば,諸々文句ナシに楽しめるはずです.

と書くとオールドファンのみにハマる映画のように思われますが,ここ数日の盛況っぷりを見ると,最近のマリオファンの皆さんにも見事にハマっているようですから,ぶっちゃけ全世代にハマるのでしょう(すいません.最近のハードウェアは持ってないので,ここ最近のマリオ関連ゲームは一才プレイできていないのです).

ということで,以降はいわゆる”オールドファン”向けに書かせてもらいますが,その前に全世代向けに全世代向けにお勧めしておきたいのは,”3Dで観るのが超お勧め”ということです.2Dで見ていないので2Dがダメというつもりはないし,2Dで見ても十分に楽しいかとは思うのですが,アクション映画としても秀逸な本作品,コメディ要素もあるんですが,アクションもコメディも,3Dで見た方が確実に楽しめることと思います(2Dよりちょっとチケットが高いですけど).

ここからが本題(!?)で,まず,ストーリー的には破綻なく無難にまとまっている,というと可もなく不可もなくのように思えるものの,そもそもゲーム世界とリアルを結ぶシナリオがスムーズに感情移入できる時点でかなり秀逸なシナリオだと思えます(これも”マリオ世代”であるからかもしれませんが).
アクションが大迫力,かつ,コメディ要素が全開であるのも魅力的で,ほぼ満員の劇場ではあちらこちらで子供達の爆笑が響いていました(と書きつつ,当の自分も大笑いした箇所少なからずでした).
最近のハリウッドCG映画の技術は凄まじく,実はこちらでは紹介していないんですが,1ヶ月ほど前に”長靴をはいた猫”を観た時も全く同じ感想を抱きました.

加えて,初代マリオ世代にとって泣けたのは,要所要所で奏でられる”懐かし挿入曲”でしょうか.詳細は省きますが,日本では某青春ラグビードラマの主題歌として大ヒットした名曲や,AC/DC,A-haの名曲が,それぞれのシーンを効率的に彩るタイミングで見事に融合していて,これはまさに”当時のプレイヤー”をターゲットにした演出のように思いました(とは書きつつ,楽曲のクオリティは世代を超えると思いますし,そういう意味でも効果的なタイミングでインサートされていたように感じています).

なんと言っても,クッパ(ラスボス)がいい味を出しています.
この作品を視聴予定の皆さんには,是非,本当に,最後の最後まで,しっかりと見てほしいと思います(エンディングロールの途中でおかえりになった皆さんは・・・).

2023/04/29

アクティブラーニング ー実は歴史が深かったー

皆さん,アクティブラーニングという用語を知っていますか?

アクティブラーニングは,ある特定の学習(教授)法を指すのではなく,例えばグループワークやチームでの議論(ディベート),反転学習(事前に学生が予習の内容として問題の解法や結論を学び,授業でその確認や補足,問題に対する議論を行う授業)といった(最近ではこの言い方が主流らしいですが)”主体的対話的で深い学び”の手法全体を指す総称です(4年生以上の東京高専の学生だと,必然的に関わることとなる"社会実装"も,一種のアクティブラーニングでしょうね).
まさに我々教員もリアルタイムで(ある意味,学生の皆さんと一緒に)取り組んでいるアクティブラーニング.とはいえ率直に言って,この“教え方の概念”に効果があるとしても,あらゆる物事には両面があり,素晴らしいの一辺倒ということはないでしょう.ということで読み始めたのが以下.

アクティブラーニング ー学校教育の理想と現実ー (小針 誠 著,講談社現代新書)

タイトルの通り,手法や概念としてのアクティブラーニングの利点欠点について著されていることは期待していましたが,それより印象深かった(ある意味びっくりした)のは,
“アクティブラーニングって意外と(!?)昔から実践(試行)されてきた方法なのね”
ということ.

このエントリのタイトルにも記載しましたが,本書を読むまで恥ずかしながら,アクティブラーニングの概念や手法は,古くともこの20年くらいの間で提案されてきたものだと思っていました.本書で紹介されているアクティブラーニングの実践例として最も古いものは大正時代まで遡りますので,少なくとも日本では約100年前には存在し,実際に行われていたこととなります.そしてある意味面白い,というか(実際はただ楽しんでいるだけではとてもいられないものの)“歴史は繰り返す”を読んで字のごとく体現しているのだな,と思えるところとして,いわゆるアクティブラーニング(本書でいうところの「生徒主導で,学習に臨む態度や考える力を重視する経験主義の教育」と,教師主導・知識重視の本質主義(系統主義)の教育(それこそ,詰め込み教育と言われるタイプのもの)とが,ある時期はこちら,その後はこちらと振り子のように繰り返されてきたという点が挙げられます.

アクティブラーニングの波は,上述の通り最初に大正時代,その後,“戦時下新教育”として第二次対戦中にも取り組まれていたことは意外でした(その後,本書を読んでいて,なるほどそれも一理ある,と感じましたが).そしてさらに,戦後新教育,平成以降のアクティブラーニングがあり,加えて“ゆとり教育“のスパイスも加味された上で現在,アクティブラーニングのエッセンスも残しつつもまた“その反対側“へと振り子が触れつつあるような感もあります.

この書籍を読んで一番印象的だったのは上にも記載した通り,なぜ戦時下においてアクティブラーニングの取組が積極的になされてきたのか,というところでした.そして歴史が繰り返され,なぜまた現在,アクティブラーニングの重要性が訴えられてきたのか.繰り返される歴史には,それぞれの時代背景はあるものの,背景ごとの相違点がある一方で,やはり共通した意図があるように思います.特に,教育は国の一大政策です(「国は国民からなっている」ので,と僕は思っています).ということは,日本に限らずある国がある教育政策を取ること=その国がそういった人を育成したい(その結果として将来的にこういった国を目指したい)という意志そのものだと考えるわけです.
本書を読んで上記の考えを再確認したとともに,本書に記載されたような推測は,確かにあり得ると(多少の実感を持って)感じたところが,今回の一番の収穫でした.
具体的な“推測“については,敢えてここには記載しません.興味のある皆さんは是非,手にとって見てもらえればと思います.

2023/04/15

メタ認知 ーマインドフルネスにも通じる自己観察ー

年度末,年度はじめも比較的読書は(細々と)続けていたのですが,とにかく多忙でアウトプットの時間がほとんど取れませんでした.とはいえその間何冊かは読了したのですが,幸か不幸か“ハズレ”の書籍が多く(苦笑),アウトプットの暇もないし,アウトプットしたくなる書籍もなかったというところでした.

そんな中,この本はちょっと面白いな,と思ったのが

メタ認知 ーあなたの頭はもっとよくなるー (三宮真智子 著,中公新書ラクレ)

皆さんも見聞きしたことがあるかもしれませんが,「メタ」というのはいわゆる「より上位階層の」という意味合いで,メタ認知というのは要は、“認知に対する認知“です.本書曰く,心理学分野における認知というのは,頭を働かせるあらゆることを指すとのこと.ですのでメタ認知とは例えば,“「自分は今こんなことを考えている」ということを一つ上から観測している“といったイメージになります.

何らかの感情や思考をしている自分を,もう一人の自分が上から見ている,とも言えるかと思いますが,それが効率的に,また,意識的にできるようになると,例えば現在の自分の状態を客観的に確認して,より効率的な方向へと改善したり,怒りや焦りといったネガティブな感情に囚われる前に,自分の状態をポジティブ(少なくともニュートラル)な状態へと引き戻すこともできるようになることが期待できます.

とはいえ,書くのは簡単,行うのは難しいのがメタ認知だと個人的には思っていて,実際,メタ認知をしっかりとできるようになるにはそれなりの“修行“が必要なようです.例えば,メタ認知のための知識が不足していたり,自身の状態を知るための方法に不足や誤りがあれば,誤った認知をしてしまい,その結果,状態を改善できないどころか,むしろ改悪してしまうこともあり得るでしょう.

とはいえ,本書に紹介されたような自身の状態をモニタリングする方法や,メタ認知を通して自身の状態を改善するための知識などを蓄積していくことで,メタ認知のスキル自体が上がっていくことも期待できそうです.

一方,本書の後半の一部では,メタ認知とは全く無関係ではないのでしょうが,効果的なものの考え方や,思考力を改善するための協働の仕方,環境の整え方,といった“脇道的な“(補足的な?)内容にも触れています.この辺りの部分も含めてびっしりメタ認知についてコンテンツを埋めてもらっても良いくらいだと,個人的には感じました.

書籍を読んでいて全般的に感じたことは,ここ数年,よく読んできたマインドフルネス(心を落ち着け,現在の自分の状態をそのままにスキャニングすることで心身状態をニュートラルに持っていく取り組み)にも通じるものがあるなというところ.先日読んだ仏教における瞑想はほぼマインドフルネスそのものですが,メタ認知によっても,現在の自分の状態をモニタリングする点では同様と思います.マインドフルネスの場合は,モニタリングしたその情報をそのまま受け入れる一方,メタ認知の場合は,その情報を踏まえてどのように自分の状態を良い方向を持っていくか,実際の方策を通して行動を取るための方法論,という印象を持ちました.

上述の通り一部脱線した感もあったものの,全体を通して見るとよくまとまっていて,メタ認知に関する初心者だけではなく,ある程度具体的に活用したい,実践したいという人にとっても読む価値のある書籍だと思いました.

2023/03/20

おとなの教養 私たちはどこから来て、どこへ行くのか? ー確認できたことはよかったー

ある意味,自分に対する確認として読んだとも言える今回の書籍,結果として確認できたので良かったです.

おとなの教養 ー私たちはどこから来て、どこへ行くのか?ー (池上彰 著,NHK出版新書)

この書籍は,いわゆる”リベラルアーツ”について紹介する書籍です.高専の学生だとあまり聞き覚えのない言葉かもしれませんが,大学ではよく使われる言葉・・・とはいえ,正確な(?)意味を理解できていない人は大学生でも多いかもしれません.
それこそ,本書のタイトルともなっている「教養」という意味をイメージする人が多いかもしれませんね.例えば,今は違うように思いますが,僕が以前在籍していた北大には「教養棟」と呼ばれる建物があったと記憶していて(もしかすると学生が勝手に名付けた通称かもしれませんが),そこではいわゆる”教養科目”を教えていました.その時点での我々学生のイメージとして,教養科目は専門科目を学ぶための基礎的な科目&社会人になる際に必要な(知らないと恥ずかしい)知識を学ぶ科目,といったところでしょうか(例えば前者でいうと,専門分野での計算を行うための基礎となる数学系の科目,後者は世界史や経済,語学といった科目).
ただ,この日本語訳はちょっと違うな,と歳をとってみて改めて思っていて,本書を読んでみると,まずはリベラルアーツの直訳として「人を自由にする学問」という表現が出てきます.これはこれで抽象的でわかりづらいですね(苦笑).その昔のヨーロッパの大学ではリベラルアーツとして,(1)文法,(2)修辞学(弁論の技術を学ぶ),(3)論理学,(4)算術,(5)幾何学,(6)天文学,(7)音楽の7科目が挙げられていたとのこと.当時これらの科目を学ぶと人は自由になったのか,というとちょっと疑問ですが,読み進めていくと徐々に分かってきます.
実例としてMIT(マサチューセッツ工科大学)では音楽の授業が充実していることが挙げられています.その理由についてMITの教員は,

MITでは最先端の研究をしていて、学生にも最先端技術を教えているが,それらは4年もすると陳腐化する.すぐ陳腐化するものばかりを大学で教えてもしょうがないし,むしろ社会に出て新しいものが出てきても,それを吸収したり,自ら新しいものを作り出して行くためのスキルを大学で学ぶべき

と述べていて,音楽はそのための”教養”の一つだよ,と.
この説明と合わせて,その他アメリカの大学,特にエリート大学の多くはリベラルアーツとして”すぐには役に立たなくても良いこと”を教えている,という記述が,リベラルアーツの定義として,個人的に非常にしっくり来ました.要は,単に最新の知識や難しい理論を詰め込むのではなく,今後社会に出て新たな(解決法が不明な)問題を解決したり,そもそもどこに問題があるのかを見つけ出すための”考え方や解決の仕方の「土台」を作るための科目=リベラルアーツ”ということだと認識しました.

大学ではもっと,社会に出てすぐに役立つ科目を教えるべき,といった風潮が日本でもありました(今でもある?)が,ある意味これとは全く反対の方向性ですね(苦笑).そして最近に至っては,学生に教養がない,という意見もちらほら聞こえます.が,それってそもそも,即戦力の学生が欲しいと”すぐに役立つ(=すぐに陳腐化する?)科目ばかり”教えるよう要望があったことによる副反応なのでは?とも思えます・・・

高専の場合,大学とはやはり違っていて,現時点での最新の技術を教える部分に特色があり,その特色ゆえに企業の皆さんから期待されている面があるので,それはそのままでよい,とある程度は感じていますが,個人的には自分の授業やその他の活動の中で,学生の皆さんには”今後社会に出たときのため,これは考えて(身につけて)もらいたい”というtips的な情報や「ものの考え方」といったノウハウも示すようにしています(学生さんがそれに気づいているか,また,自分も取り入れてみようと思ってくれているかは不明です).

ちょっと話がズレましたが,本書で著者の池上彰氏は,著者自身が考える「現代のリベラルアーツ7科」として,(1) 宗教,(2) 宇宙,(3) 人類の旅路,(4) 人間と病気,(5) 経済学,(6) 歴史,(7) 日本と日本人を挙げています.これらは相互に関連する部分も多いものの,確かに社会に出て以降,さらに大人になってからも問題を見つけたり解決したりする際,学んでおくべき重要な項目と僕も思います.

ただ,僕自身この本を読んで(冒頭記載の通り)印象に残ったことは,上記各項目の内容というより,以下の2点です.

1. 簡単に教養を手に入れることは無理

2. 学び続けることと、アンラーン(unlearn)が大事

1.ですが,最近書店でよく見かけるのが,簡単に(短期間で?)身につけられる教養,といったタイトルの書籍です.これ,もしかすると上述した昔の大学でいうところの教養科目をイメージしているのかもしれませんが,もし,すぐには役に立たなくても良いこと,を指しているとすると,おそらくリベラルアーツの本来の役目の半分くらいしか満たさないと思っています.いわゆる雑学的な幅広い知識としてのみ,その書籍の内容を覚えたとして,それはそれでいずれ何処かで役立つ可能性はあるでしょうが,おそらくその知識をインプットしたのみでは,今後新たに発生する可能性のある,答えが示されていない(あるかどうかもわからない)問題を解いたり,そういった問題が今後どこでどのように生じるかを見つけることはできないと感じます.こればかりは,それこそすぐには役に立ちそうもないけれど興味がある,とか,特段興味はないけれど,もしかすると面白いかもしれないから試しに読んで(見て,聞いて)みようか,と手にとった書籍や映画などから少しずつ,長い期間かけて”蓄積して”いかないと得ることは難しいと考えています.つまり,”インスタント教養は効能が限定的”とでもいうのでしょうか.

2.については,本書での記述で「やはりな」,と納得した部分がありました.現在の日本の歴史教科書では,聖徳太子という名詞がそのまま出ることはないそうですね(僕が中学生の頃は普通に掲載されていました).代わりに,厩戸皇子/厩戸王や厩戸皇子(聖徳太子)といった表記がされ,また,以前教科書に載っていた肖像画は,本人でない可能性が高くなったので掲載されなくなったとのこと(皆さんの教科書では,既にそうだったかもしれませんね).

何が言いたいかというと,教科書に載っているようなことでも,それらが必ずしも事実とは限らない.これは,当時嘘を教えていた、ということではなく,その時点での事実はそうだったものの,調査研究を続ける過程でより正確な情報が得られ,それによって内容を修正しているということになります.1.とも関係しますが,現時点で最新だったり,正しいとされている知識や情報も,時の流れとともに陳腐化したり,実は間違いだった(より適切な情報が得られた)ということがわかった場合,当時の知識を一旦削除(unlearn)して,新たな,より適切な知識へとアップデートする必要があるよ,ということです.これがまさにアンラーン,な訳ですが,そもそもアンラーンするためには常にアンテナを張って,情報をインプットし,自身の持つ知識が最新で最適かどうかを確認する必要があります.そしてそのためには1.にも書いた通り,定期的にかつ継続的に,自ら情報を取りに行くことが重要になります.

今回,本書を読んで上記2点をしっかりと再確認できたことが,僕にとっては最大の収穫でした.

今年度の社会実装教育フォーラムで,(学生の皆さんが)構想賞を受賞しました ーあとは実装ー

 twitter (& facebook)では報告していましたが,こっちでお伝えするのを失念していました.

3月3日と4日の二日間にわたり,久しぶりの対面(&一部オンライン)で,

第11回社会実装教育フォーラム

が開催され,僕が指導するプロジェクトチームの皆さん(全員4年情報工学科の学生さんです)が”構想賞”を受賞しました.

ただ,誤解を恐れずにいうと,今回の受賞,学生の皆さんにとっては少々悔しい結果だったと推測しています.当該フォーラムは”社会に取組を実装する”ことの効果やインパクトを競うことが最終目標なので,”構想止まり”では先に進めません.

とはいえ実は現在,我々のチームでは某自治体さん,および自治体に所在する企業さんと連携して,実証実験を進めていきましょうという話し合いが本格化していますので,その準備がスムーズに進み,具体的な実験を実施することができたとしたらあるいは,来年度のフォーラムでは最高賞(=最優秀社会実装賞)がいただけるのでは?と期待しています.

具体的な取組については,もう少し計画が進んでから・・・と書きつつ,実は今回のタイミングで某自治体さんのタウンニュースの取材を受けており,リンク先からはご覧いただける状況にもなっています(^o^;; (まぁ,敢えて隠すほどのことではありませんのでね,と言いつつこちらでは名前を伏せておきます).

とにもかくにも,今のところ新年度でのメンバー変更はないようですし,あとは来年度の5年生(前期)=今回の受賞メンバ & 4年生(後期)がどれだけ現実的な実験プランを立てるとともに,実験で評価いただける状態までシステムを持って行くか,が勝負でしょう.

2023/03/15

BLUE GIANT ー音の迫力が凄まじいからこそ、原作の凄みがわかるー

正直申し上げて,完全なる”にわかファン”でした.ただ,偶然タイトルを見かけて電子書籍サイトで原作漫画の表紙とあらすじ,劇場版CMを見た瞬間,これは劇場版を見なければいけない,と,僕の第六感が命じたこの作品.

BLUE GIANT

基本的に好奇心は旺盛なので,特に映画音楽書籍系については分野にあまり関係なく”雑食”で,感覚にもとづいて行動する&比較的成功する確率が高いと自覚しています.そして今回の作品,最高でした.

一人の青年が世界一のジャズプレイヤーになることを目指して上京し,仲間と共に日本最高の舞台でのプレイを目指していくまでが本作のストーリー.冒頭記載の通り,広告を見てピンきたのが実際のところなので,まずは”予習”として原作のシーズン1を大人買いして読みました.
その上で劇場版に臨んだのですが,個人的には予習しておいて非常に良かった.劇場で購入したパンフレットを読んで初めて,当該作品はまさにこのシーズン1のストーリーがもとになっていることを知ったのですが,原作を読むことで劇場版の構成が非常に良く練られていることが理解できます(ストーリーと音楽のバランスや,演奏シーンとストーリーとの融合によるシーン構成が素晴らしい).時間の都合上圧縮されている部分もある一方で,原作には描かれていないいくつかのシーンが,主人公の青年たちの日常を瑞々しく表しているように感じられました.

今回,特に素晴らしかったのが音楽,というか”サウンド”

ジャズがテーマの作品ということもあり,当然劇中でたくさんのジャズナンバー(有名なものから,彼らが作ったオリジナルも)が流れるのですが,今回鑑賞した劇場の音響の素晴らしさも手伝い,それぞれの曲の躍動感やグルーブがモロに伝わってきて,思わず幾度となく体が動いてしまうほど.
元々Rhythm&Blues等,黒人由来の音楽やR&Bから派生した日本人ミュージシャンの曲を好んで聴いていることもあり,ジャズも時折聞いていましたが,今回,映画館の素晴らしい音響でジャズを初めて聴いて,かつ,映画内で主人公,宮本大が言う”ジャズは感情の音楽”と言うセリフも相まって,その迫力がとてつもなく素晴らしいことに感動しました.

加えて,そもそも劇中でのジャズ演奏,挿入されるその他の曲は,上原ひろみをはじめとする日本を代表するジャズミュージシャンが担当.これは本当に凄い.
あまりにも素晴らしかったので,映画を見た直後にサウンドトラックをダウンロード購入してしまいましたが,実はこのサントラ,率直に言って劇場で聞くほど良いとは感じられていません(今の所).なんと言っても・劇場の素晴らしい音響で,ビリビリと響くようなサックスの音圧で聴くことにこそ意味があると実感できたと言う意味で,あえて購入してよかったとも思っています(音量上げて,良い再生環境で,お酒を飲みながら(笑)改めてじっくりと聴いてみようと思っています).

原作漫画を読んで感じたのは,ジャズ漫画とはいえ当然,絵から音は出ないものの,まるで音が鳴っているかように見える(!?)臨場感やダイナミックさが素晴らしい表現力で,読者の多くが同様の感想を持っているようです.その一方,ある意味”音が鳴っていないのに鳴っているように感じる”ほど素晴らしい原作漫画の表現力を,映画館のド迫力サウンドで再現している(もしくはそれさえも超えている)と感じさせるのは,映画館ならではの素晴らしさだと思いました.
それこそ,メインキャストの宮本大,玉田俊二,沢辺雪祈のリアルなライブに来場して,その場に本人たちがいるかのような臨場感を味わうことができました.

本当に文字通り,映画館で観なければ(聴かなければ)味わえない感動だと思います.

最後にこの映画のストーリーについての感想です.
原作を予習しておいて,加えて,事前にパンフレットも予習しておいて良かったです.
あまり書きすぎても野暮ですので控えますが,実のところ、恐らくどの順番で見ても,観た人それぞれの感動があると思いますが,僕は個人的に,

”漫画 → 映画のパンフレット → 映画本編”

の順番で観ることができてよかったと思っています.

本作,原作の漫画は現在シーズン3(でしょうかね?)として連載中で,実は僕はまだシーズン2の冒頭までしか読めていません.が,この時点で今後の展開がさらに楽しみになってしまっているので,(他に読みたい本もたくさん後に控えているのですが ^o^;;)早めに読み進めていければと感じているところです.


2023/03/14

どうせ死ぬのになぜ生きるのか

ここ最近,哲学心理学系の本を読むことが多いですが,今回の書籍はそれらとも密接に関連する,宗教に関する本です.

どうせ死ぬのになぜ生きるのか ー晴れやかな日々を送るための仏教心理学講義ー (名越康文 著,PHP研究所)

著者の名越康文 氏は,TV番組のコメンテーターとして出演することもありますが,本職は精神科医です.精神科医がなぜ仏教を?という疑問を持つ人もいるかもしれませんが,ここ最近,哲学系,特に心理学系の関連書籍を読み漁っていると,これらの分野は根底ではしっかりとした共通点がある,というか,お互いに関係し合っている面があることがわかってきて,書籍中で著者も述べていますが,自身の仕事である精神科医としての活動にも活用できる点が多くあることがわかります.

そもそも,このタイトルの問いに対して,万人が納得できる答えを明快に持っている人というのはなかなかいないように思います.本書冒頭で,人間の悩みや不安は尽きることがないが,その1番の理由は,それらの根底にある漠然とした不安(疑問?)= “どうせ死ぬのになぜ生きるのか“ が解消できないからではないか,という記述があります.人間を含め,生物は必ず死にます.それはわかっているものの、普段は特に,もしくは敢えてそれを考えることなく生活している人がほとんどでしょう(僕含め).
ただ,そういった不安,というか,答えのわからない問いを抱えたまま生きていることで,何かの拍子に不安に駆られたり,一つの心配が解消してもまたすぐ次の心配事がやってくる・・・ とはいえ,答えのない(わからない)問いの答えをどのように見つけるのか,という本質的な問題があるわけですが,根本的な不安を緩和したり解消したりするための実践的な方法として,仏教があるよ,というのがこの本の主題です.

宗教というと,胡散臭さを感じる人や,特に若い学生の皆さんにとっては自分とは関係の薄いものというイメージがあるかもしれませんが,歴史の教科書で習った 仏教伝来 から 現在まで 生き残ってきている という意味では,やはりそれなりの意味・意義があるのだろう,とも感じないでしょうか.


著者は仏教と他の宗教との違い,そしてこのタイトルに対する一つの回答(解決策)として宗教が挙げられる理由を.

不安を緩和・解消するための実践的な方法論を持っているため

と書いています.

国語の授業で習った(学習済みでしょうかね?)平家物語に,諸行無常という言葉が出てきますが,これは仏教用語です.意味としては,世の中で変わらないものなど一つもない.むしろ,あらゆるものが常に動いている(別の表現をすると,自由である)ということです.人は必ず死ぬ,というのも諸行無常であり,人の心も絶えず揺れ動いている(常に新たな心配が生まれる)というのもこの考え方で捉えることができます.

ただし仏教では,自分自身と心はイコールではなく,本当の自分は感情の波の動きによって普段見る・感じることはできないと考えているようです.確かに,普段は落ち着いて温厚な人でも,怒りや悲しみの感情に影響を受けて普段とは全く異なる言動をすることは少なからずあると思います.

仏教では,例えば普段の行動(掃除をする,食事をする,といった些細な物事を含む)を通して自分の心の動きを観察し,観察することを通して心を落ち着かせる(感情の波を立てないようにして,本当の自分を見ることができるようにする)方法論がたくさんあります.普段の呼吸や,通勤通学時に歩く際など、コツを掴めばそれら全てが自分の心を沈めて(冷静に観察して)“本当の自分“を見ることができるようになる,と.


いかにも仏教っぽい方法論としては,(詳しくは本書を参照のこと)行=ぎょうと呼ばれる取り組みであったり,瞑想といったものは名前を知っている人もいるかもしれません.
とにもかくにも本書において,仏教は我々,特に日本人とは長い付き合いである故に縁も深く,あちらこちらにお寺があり親近感があり,かつ,日常に即した(ある意味,特別の大袈裟な準備を必要とすることのない)方法論を通して,自分の心を冷静に観測することを可能とする手段であるということを述べています.


以前紹介したと思いますが,瞑想とは現在,そのエッセンス部分がピックアップされて,Mindfulness(マインドフルネス)として,様々な企業(Googleのような世界的大企業含む)でも取り入れられていて,より身近なところでは“食べるマインドフルネス“といったように,普段の皆さんの日常的な行動をマインドフルに行うことで心を落ち着けられる,といった使われ方もしています(ちなみにこの,食べるマインドフルネスは.上で紹介したある種の行ということができます).

とはいえ,これらを極めたところで「どうせ死ぬのになぜ生きるのか,の答えは得られないのでは?」と考える人もいるかと思います.実際,著者もこの問いの答えには辿りつけていないとのことですが,僕個人の考えとして,この問いに対する“言語化された解答“は確かに得られていないのかもしれないけれど,この根本的な問いから派生する様々な不安や感情の揺れを,一つ上の視点から冷静に観測して,心の落ち着きを取り戻したり不安を和らげたりできるのであれば,それは,言語化はできていないものの,現在の自分を受け入れて心やすらかに生きていけるという意味での一つの答えと言っても良いのではないかと思っています.

本書では,行や瞑想に加えて,方便という概念についても記述があります.これもまた仏教の概念の中では重要なもので,仏教をより実践的な宗教たらしめている要素と思いました.簡単にいうと,

行や瞑想によって自分の心の安定性を保つことで,
周囲の人々に対して適切な方法で貢献すること

ということになるでしょうか?

これら諸々を読んでも,やっぱり宗教は胡散臭い,と思う人もやはりいるような気はしますが(^o^;;),本書には,いわゆる実践的な方法論として,簡単にできる(といっても,手間がかからないという意味で,心の準備やコツは必要ですが)行のやり方や,実践事例,少々難解な仏教用語や仏教の枠組の中で行われている取組を,知識のない我々にもわかりやすく,また普段の生活に取り入れやすく紹介してくれているので,仏教という宗教そのものは置いておき,“メソッドだけ採用する“ために使うという手は十分にあると感じました.

そもそも著者も,仏教について本気で学び始めてからまだ数十年(それでも,大した長期間ですが)であり,まだまだ足りない部分がある,と認めつつも,むしろそうであるからこそ,仏教が身近ではない(僕を含む)一般の読者にとっても敷居の低い,わかりやすい書籍となっているように思いました.

@dkitakosi からのツイート