2022/01/01

2022年 明けましておめでとうございます

皆さん,明けましておめでとうございます.今年もよろしくお願いします.

去年は,ここ数年の中でも群を抜いて”過酷な1年”でした.コロナ禍による諸々だけではなく,心身ともに消耗するような出来事が多かったと思います.

そんな状況に引き続いての新年なので,例年だとそれなりに前向きな目標を設定するのですが,今年に関してはとにかく

”心身ともに健康を維持すること”

が唯一かつ最大の目標です.
見栄えはしませんが,個人的には,これでも十分に前向きな目標と思っています.また,上の目標さえクリアできれば,それに付随して色々なサブゴールも必然的に達成できるのではないかと思っています.

ということで,この1年はくれぐれも”安全運転”で行くことを心がけていきます.

2021/12/30

Factfulness ー現代を生きる全員に必要な考え方ー

以前感想を書いた “Search Inside Yourself ー仕事と人生を飛躍させるグーグルのマインドフルネス実践法ー” と同じタイミングで読み始めたものの,猛烈な多忙のため読み終えるのに時間がかかった以下の一冊,

“FACTFULNESS ー10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣ー”

を読了.

読み終えるまでに時間がかかったものの,内容的には非常に興味深く,僕のような研究や教育を生業としている人間はもちろんのこと,多くの人に是非一度読んでもらい,自分を顧みることで感じること,気がつくこと,学べることが多くある本だと感じました.

この本で強調しているのは,人間がそもそも備えている“本能”によって,真実を誤って捉えてしまったり,その誤った情報をもとに,結果として不適切に振る舞ってしまうような過ちを,データを正しく見ることで防ぎ,問題の本質を知ることで解決していくことができる,ということです.具体的には
  • 分断本能
  • ネガティブ本能
  • 直線本能
  • 恐怖本能
  • 過大視本能
  • パターン化本能
  • 宿命本能
  • 単純化本能
  • 犯人捜し本能
  • 焦り本能
という本能の働きを抑え(本能に影響されていることを自覚し),データ(事実)に基づいた冷静な判断をすることが大事だよ,という話が実例に基づき記述されています.
面白いのが,これを読者に気づかせるため“チンパンジーテスト”と呼ばれる問題が用意されていて,確かになるほどこれらの問題を高い正答率で解くのは難しいかも,と思わせる13問です.

この本で言いたいことは非常によく理解できて,身近な and/or 世界の問題を解決する際や,前提として現状把握を行う際,こういった本能を排除した冷静でフェアな捉え方をしないと,場合によってはむしろ問題を改悪するような判断をしてしまう可能性がある,というのが全般を貫くテーマとなっています.が,個人的にはどうしてもそういった問題のある状況を自分の仕事と関連づけてしまう癖がありまして(苦笑),研究を進める際の方針の決め方や進捗確認,得られたデータの捉え方や考察の仕方,結論のまとめ方といったあらゆる研究活動の全てにおいて,この”FACTFULNESS”は非常に重要なバックグラウンドとなり得るということに気づきました.

その昔読んだ本に「データはウソをつく ー科学的な社会調査の方法ー」というのがあったのですが,最初に思い出したのはコレです.実はマスコミ(テレビや新聞雑誌)が少なからぬ頻度で使う方法だったりするので,皆さんも是非読んでみてもらえればと思うのですが,(実験自体はフェアな方法で行なっていたとしても)データの扱い方や見せ方によって,いくらでも人を騙す(勘違いさせる)ような見せ方ができてしまう,というのがテーマです.一方で,そういった“騙し方”を知っていれば,怪しい情報に騙されることはないし,どんな情報に対しても公平で冷静な判断を下せるよね,という話にもなります.
例えば学生さんが実施した実験の結果を見る際,自身にそういった“騙す意図“がなかったとしても,スキルや経験の不足によってデータの見方や見せ方に問題や,許容範囲を超えた偏りがある場合があります.それは説明の不足に起因していたり,必要なデータの不足に起因していたり,見やすさを意識しすぎるあまり重要な情報が抜け落ちてしまったりと様々ですが,例えばこういった不慮の問題に対して,指導している我々までが「騙されて」しまっては研究そのものに重大な問題が生じる可能性があります.

今回読んだFACTFULNESSでは,そういったスキル的なもの以前に,情報を確認する際の心構えや準備として,人間が大昔から生存本能的に,もしくは歴史的に平和に生きていくうちに獲得した本能が邪魔をしないように心がけないと,情報・データを眺めたその時点で誤った捉え方をしてしまう可能性があることへの警鐘を鳴らしています.若干,スキル的な記述もあるものの,心構えや準備に関する記述が多いため,よくも悪くも統計や確率といった専門的な用語はほぼ出てくることなく,とはいえ非常に重要な姿勢について示しているという意味で,学生の皆さんにも是非読むことをお勧めしたい本ですね(また,この本を読んで騙し方(笑)に興味を持った人は,上に紹介した本や,「統計はウソをつく」的なタイトルの本が複数出版されていますので,そっち方面の書籍に手を出してみても良いかと思います).
冒頭にも記載した通り,多くの実例が紹介されていること,またそれに加えて“著者の失敗例“がふんだんに記述されていることも,問題の重要性をより身近に感じさせる意味で効果的だと思います.

実際のところ,大怪我をしない,死なない程度の失敗を,可能な限り若いうちに,可能な限りたくさん経験しておくことほど将来的に役立つことはないと自分自身痛感しているので(実際,そういった経験を経て,人の痛みがわかったり自分自身”多少の修羅場に遭遇しても我を忘れずに”冷静な判断ができている自覚があります),そういった経験談が盛り込まれていることで内容の説得力が増しているように思います.

マインドフルネスの本もそうでしたが,こちらのFACTFULNESSも結構なボリュームでしたので,一気に読むことが難しい人にとっては少々推薦を躊躇します。とはいえ各事例(各本能)は原則独立していて,章単位で読んでも不具合はないと思いますし,何よりこの年末年始にかけて読書に時間を割ける人は,手に取る価値のある本かと思いました.

2021/12/11

2021冬の読書週間 ー研究者に興味のある人へー

ちょっと返却締切が過ぎてしまった子供達の借りた本を図書館に返しつつ,事もあろうに(!?)自分が読む本を代わりに借りてきました(先のエントリでも書いたと思いますが,現在読んでいる本も数冊ほど“現在進行中”です).

今回借りた本は,どちらかというと新たな知識を得るため,というよりは“答え合わせ”のため,および,もしかすると将来的にアカデミックな世界(研究者や大学・高専の教員)を目指したいと考える学生がいたときに紹介できる良い本を探す,といった目的のものなので,借りた側からどんどん読み進めて「確かにそうだよね」と思う部分を確認しながら読んでいます.

具体的な書籍名は以下の通り(他にも借りていますが,今回紹介するのはこの一冊)

ヒラノ教授の論文必勝法 今野浩 著 中公新書ラクレ

この“ヒラノ教授シリーズ”は,研究者(の卵&ヒナ)にとってはかなり有名なシリーズなのですが,僕が手に取って読み始めたのは研究者になってからかなり後で,「すべて僕に任せてください ー東工大モーレツ天才助教授の悲劇ー」という,実話に基づく物語を読んだところからスタートしています.

著者の今野先生は多数の学術論文が学術誌に掲載されているだけでなく,上のような“一般の人向け“の書籍も数多く執筆していて,特に有名なのがこの,ヒラノ教授シリーズです.

おそらく,ここを見ている(主に(東京)高専,本科の学生と思われる)皆さんにとって,論文とは未知のものだと思われますが,ごく簡単に説明すると

主に自身(の含まれる研究グループ)の研究成果を発表するための出版物

で,

一般的に査読(さどく)と呼ばれる審査をクリアすることによって出版される

ものを指します.上記の査読がない論文を「査読なし論文」として「査読あり(査読付)論文」と区別する場合がありますが,ぶっちゃけ査読なし論文は(特に工学系の)研究者にとっては研究業績になりません.
“研究業績にならない”ということは何を意味しているのか,というと,猛烈にぶっちゃけると,たくさん書いたところで出世(昇任)には影響しないということです.

今回紹介している「論文必勝法」ですが,いわゆる論文を書くための文章表現技術だったり章・節の構成などに関する詳細な説明はむしろ記載されておらず,論文を書くために必要な環境や心構え,研究を進めるために必要なお金の獲得の仕方といった,より”戦略的な”話題にフォーカスしているのが面白いですね.加えて,そういった戦略的なお話が,著者の今野先生やその同僚の実体験として紹介されていることが,ここの話題をよりリアリティを持って伝えるのに貢献している.

そろそろ8割くらい読み終えたような状況ですが(恐らく今日中に読み終わる),個人的に非常に共感したのは

「研究という営みには、誰にも邪魔をされない”まとまった”時間が必要である。日本の大学で、このような時間に恵まれるのは、学生時代と、思いやりがある教授の助手(現・助教)として過ごす数年間だけである」

という一節と、効果的に研究を進める(&論文を継続的に執筆する)ためのノウハウとして紹介された

「既に掘りつくされた鉱山で落穂拾いをせずに、積極的に新しい分野に参入して、創業者利益を手に入れること。その際すべてを自分だけでやろうとせずに、学生や同僚を巻き込むこと」

という一節です.

僕の場合,大学生・院生の時代と大学の助手・助教時代の間にポスドク(非常勤研究員)の時代もあり,これらがまさに研究に専念できるまとまった時間だったと思いますが,まさに(冗談やお世辞抜きで)大学教員になった際の最初のボスは,「是非ご自身の研究に時間を使ってください」と仰られたので,非常にありがたかったとともに,ここまで言われて成果が出なければそれは完全に自分の責任だな,と身が引き締まったことを思い出します.

また,研究分野を徐々にシフトしていくというノウハウは実際に行なっていて,基盤となる概念は”学習&適応”というキーワードで串刺ししているものの,それをベースにしつつ,”人工生命””マルチエージェント””確率モデル””教育工学””介護予防””フードロス&食育”といった分野にピボットを移しながら研究を進めています.また,東京高専の学生ならご存知の通り(!?),僕自身はアホほど忙しいことがほぼ日常と化しているので,多くの優秀な学生さんや共同研究者の先生からサポートしてもらいながら,彼ら彼女らと共著の形で論文を発表しているという状況です.

残り2,3割ほどまだ読み終えていないのですが,少なくともここまでの”答え合わせ”は個人的にはほぼ全問正解かと思っていて,残りも今日のうちに答え合わせを終えたいなと考えています.

冒頭で,アカデミックな世界に興味がある or 研究者になりたい学生におすすめしたい本を,と書きましたが,いわゆる論文単体をきっちりと仕上げるためのスキルに関する書籍は,今回紹介する本ではなく,文章表現や英文表現に関する別な本がまた色々とあります.今回紹介した論文必勝法は,より大局的,戦略的な意味で,どうやって研究者としてやっていくか,どうやってバリバリと研究が進められて,安定的継続的に論文を執筆できるか,といったノウハウが詰まっているという意味で,是非読んでみることをおすすめしたい本ですね.

質か量か,だけではない,の続き

 先ほどアップした文章,少し補足があったので追記します.

先ほどのエントリでは,現在読んでいる本の中で,日本の高等教育は(特に文章の読み書きについて)”広く浅い=十分な時間をかけてトレーニングできていない”こと,それには構造的環境的な状況が原因として挙げられること.そして,個人的にはその状況は好ましくないと思っているけれど,それこそ僕の周辺の状況を鑑みても,やはり簡単に改善することは難しいと思っていること,までを書きました.

が,ここで終わってしまうと,”いやぁ困ったね.でもしょうがないよね”という,身も蓋もない結論で終わってしまうなぁ(苦笑),と自分で読み返して気づいてしまったので,じゃぁ解決策はあるの?という話を少しだけ書き足していきます.
先ほどの文章では,僕の個人的な経験として,個人レベルであれば”自身の創意工夫と努力で”いくらでもインプット/アウトプットの力は鍛えられるという話をしました.これは,全く同じ方法ではなくとも,それぞれに合った方法で同じような(or それ以上の)効果を出す方法があると思います.
一方,いわゆる構造的環境的な問題を根本的に解決する方法があるか,といえば,これは少なくとも僕個人の能力影響力の範疇を超えてしまうので,今回は枠組を”現在の東京高専における僕の周囲”という,僕の能力影響力の及ぶ範囲に限定して考えてみました.

その場合,実際にインプット/アウトプットの能力を鍛える場はあって,それは卒業研究や特別研究に関連する作業に相当します.
ただし,この作業において先に引用したような「多くの文献を読んで,それに関する分析や自身の意見を大量に書く」ような課題と同じことをやることはかなり難しく,また,そもそも論として僕のところにきた学生全員に同様の作業を課したら,前のエントリに記載したのと同様、学生は倒れるし僕も倒れる可能性が非常に高いです(苦笑).
少なくとも現在の状況において,このような質・量双方が伴うトレーニングを行うには,指導する側もされる側もそれなりの”覚悟”が必要です.やったら絶対に効果が出ることはわかっているものの,一方で絶対に”猛烈に大変であることもわかって”います.加えてその効果ですが,僕の研究分野である強化学習よろしく,”報酬は遅れてやってくる(=即効的な効果が期待できるかどうかはわからない)”のが悩ましいところです.少なくとも自分の能力向上を自覚できる状況となるのに,遅い人は数ヶ月から1、2年かかるかもしれません(要は,トレーニングしている当初はただただ大変なだけ・・・).が,何ヶ月か何年か経って,同様の課題に向かった際,当時の経験が強力に生きてくるという状況に遭遇して「あ,自分は成長できている」という実感ができる,とでもいうのか.

トレーニングの題材は,自分の研究内容と,その関連研究です.卒研や特研では当然,そのバックグラウンドとなる参考文献も調査する必要がありますし,中間発表や最終発表,学会発表で論文原稿を書く機会もあります.最後には卒論や特研論文をまとめる必要もあります.変な言い方になりますが,”最も成長できるコース”を選ぶ覚悟を決めた学生は,いくらでもハードなトレーニングを積めますし,それを望まない学生に無理やりそのようなトレーニングをしても誰も幸せになりませんので,その場合には”卒業できるコース””ちょっと良い卒論が書けるコース”などもご用意しています.

では,幸か不幸か(!?)ある年の学生さん全員が最も成長できるコースを選んだ場合,上に書いたように学生も教員も共倒れになるか,と改めて想像してみましたが,恐らくそうはならないだろうという予想が過去の記憶を伴って浮かんできました.
大体そういった”意識の高い”(念の為申し上げておきますが,この場合最後に「系」の字はつきません)学生が集まった場合,学生さん同士でも切磋琢磨する環境が生まれ,教員は”押さえるべきところさえ押さえて”おけば,学生さんが自分達でどんどん成長していく,というシチュエーションが生まれる,という経験を遠い昔にしたことがありました.そのような環境はなかなかお目にかかれるものではありませんが,学生のモチベーションが高いとこちらとしても非常に喜ばしく,ポジティブな刺激を受けますので,学生-教員間でも前向きなフィードバックループが回るようになります.

ただし,これはこれで理想的な状況ではあるものの,繰り返しになりますがトレーニング自体は非常に大変なものですから,途中で路線変更する学生や,最初から”卒業できるコース”を選ぶ学生もいますし,それが悪いとも全く思いません(むしろ,無理をして結果として卒業できなくなってしまっては元も子もありません).

一番大事なことは,(少なくとも僕に関しては,最低限のルールや仁義を守り,やるべきことをやってくれるという前提条件さえ満たしてくれれば)それぞれの学生さんとの相談のもとで,それぞれの状況に合った方向で,それぞれの目的に合ったゴール設定をすることだと思っています.そのためには,むしろ勉強に関するインプット/アウトプットの量以前に,”相互のコミュニケーションがちゃんと取れるか/取れているか”の方が圧倒的に重要で合ったりします.

上記,あくまで自分のごく周囲のみについての考えですから,根本的な解決にはなっていないのは明白ですが,少なくとも僕の研究分野に興味を持って(状況によって,必ずしも興味はないのに)研究室に来てくれた学生さんが,少なくとも何か”成長できたと実感できる”もの・ことを身につけた上で卒業できればいいな,と思っています.
繰り返しになりますが,何につけても最も重要な必要条件は,頻繁なコミュニケーションです.

2021/12/10

質か量か,だけではない

11月の基調講演も無事,とは言い切れないものの終わり,定期試験も一段落して,ここ1週間くらいはやっと少しだけ時間の余裕ができてきました(体力的にはまだまだギリギリですが).

そうなると最近,やりたいなと思うのは運動と読書.

運動はここ半年くらいのウェイトコントロールの一環で継続しているものの,時間がないとできないウォーキングも先週今週はできました.読書については以前,読みかけと書いていたマインドフルネスの本は読了(とはいえ,実践するにはもう少し修行が必要な模様).Factfulnessは読み終えていないのですが,そんな状況で新しい本も読み始めています.タイトルは”教育論の新常識”(松岡亮二 編著)という新書で,学生の皆さんにとっては興味がないかもしれませんが,実際のところ自分達が受けている教育の現在に関する話題なので,「自分が受けたい教育ってどんなもの?」と考えながら読んでみても面白いのではないかと思います.

で,実際読んでみると面白くて,新書にしてはかなり分厚い部類なんですが,既に半分以上は読み終わっている状態.タイトルに新常識とある通り,昨今話題になっている教育格差や,まさに現在進行形である”コロナ禍での教育”についても記述があり,内容的にタイムリーな部分もたくさんあるのですが,個人的に非常に興味深かったのが”大学教育”をフォーカスした

「広く浅い」学びから脱却せよ

というセクションです.
両方で教員をした経験のある僕の個人的な感覚として,大学よりは専門(実践)よりではあるものの,高専教育も大学教育と類似した点が多いと感じていますが,学生の皆さんにとって,高専(や大学)の教育は広く浅いと思いますか?僕自身は,確かにその通り,と思っています.例えば(工業)高専の場合,中学から入学した時点でかなり専門的な内容に特化した勉強をしますので,そういった意味では”狭い・深い”ようにも思えますが,ここでの比較対象は国内ではなく海外(特にこの本の中では欧米)の大学で,特に読み書きの面において

多くの課題文献を読みこなし,そこで得られた知識をもとに,かなり長い論文(A4版で10枚前後)を毎週書くような課題のもとで,argument(根拠を示した上での自分なりの分析やその結果に基づく自分の考えの表明)を行う教育

と比較して,日本の大学(および恐らく高専)は学生にかける負荷が少ないですよね,といった記述があります.そもそも日本の高等教育機関はセクションタイトルの通り「広く浅い」教育を行って(著者の考える「日本がそういった教育をしている理由」は書籍本体を参照のこと)いて,欧米型の,上に記載したような教育を行うには様々なハードルがあると書かれています.

そもそも論として,広く浅いこと自体が日本の高等教育の問題だ,とまでは書かれていないものの,タイトルをみてもわかる通り,著者は暗にこの状況は好ましくないと考えているわけで,この点については僕も同感です.読解力および聴解力(聞いて理解する力)は学習の基盤であり,これらについては繰り返し,長時間かつ大量な”練習”を行うことでしか身に付かないと思いますし,練習の中で良いお手本をたくさんインプットすることでしか,自らが良い文章を書くスキルを身につけることができないのではないかと,僕は考えています(当然,何もしなくても理解力があり,良い文章を書ける人もいるのかもしれませんが,逆に,そういった能力が当初乏しい人であっても,訓練によって一定の,十分なレベルに到達できると思います).

広く浅い教育には広く浅い教育のメリットがあって,それにより向上する能力もあるでしょうが,それはそれとして,全ての基盤となるインプット/アウトプット能力は,圧倒的な分量のトレーニングを介さないと身に付かず,欧米ではそういったトレーニングが行われているものの日本の多くの高等教育機関ではその実現が(様々な理由で)難しい,というのがこのセクションの主な内容です.

個人的に思うところとして,インプット/アウトプット能力に関しては,質の良いトレーニングであれば量が少なくとも成果が出る,という類のものではなく,まず大前提として”量が大事”であり,”量が質を作る”と言えるのではないかと考えているものの,例えば僕の周辺の環境を見てみると,

  • カリキュラム的にそんなに時間をさけない
  • 教員(=自分)が学生のトレーニング結果を評価できるだけの時間的体力的余裕がない(苦笑)

といった事情があり,ホントはなんとしてでも鍛えたい(身につけてもらいたい)能力なんですが,環境的構造的制約によって,いわゆるカリキュラム内では十分なトレーニングができないことが悩ましいというなんとも不毛な結論に辿り着きました.

ただ,では,日本の学生はみんなこういったトレーニングを受けられないのか,といえばそんなことはないと思っていて,例えば僕の場合,高専から大学に編入学した4年生から研究が忙しくなる博士後期課程のある時期までの間

  • 興味のある分野の英語論文を読みまくり,わからない単語や熟語を調べまくり
  • 読んだ論文の要約文を日本語で記述する
という作業を延々と繰り返すことで,英語のボキャブラリや論文で使用する表現をマスターしつつ、要約の際に日本語表現を工夫することで文章表現力や”まとめる力”が鍛えられたと思っています.当然その間,国内外の学会でも発表していたので,いわゆる口頭でのアウトプットのトレーニングもそれなりに積むことができました.

本来であれば高専や大学のカリキュラムにこういった猛烈な”質も量も伴ったトレーニング”を行うための授業・演習があればいいのでしょうが,恐らくそんな時間がいきなりできたら,学生の大部分はついていけなくなり,もし奇跡的に半分でも学生がその授業についてくると,今度は教員の側が提出される課題の添削に対応できなくなるという,”ある種コント,実際には悲劇”のような状況が生まれそうな気がします・・・

個人的に,最も身につまされながら読んだのが上の部分なのですが,それ以外の部分も興味深い(ある意味悩ましい)内容が多く,その上まだ半分弱,読んでいない部分が残っているというのは,楽しみなような不安なような感覚でいます.
ただ,このエントリの冒頭を書くために記憶を呼び起こしたら、そういえばFactfulnessをまだ読了していなかったということを図らずも思い出してしまったので,こっちも読書再開して,なんとか年内には読み終えてしまいたいところ(こっちも,面白いんですよ.忙しすぎて読み終わっていなかったことを忘れていましたが).

2021/11/26

賞状が届きました(学生さんの)

 以前,恐らくtwitterでは伝えたかと思うのですが,去る11月6日&7日と開催された(ちょっとタイトルが長いんですが)

に参加した学生さんが優秀発表賞を受賞しまして,先日表彰状が届いたのでこちらでも紹介しておこうと思います.

この研究は継続研究で,かつ杏林大学との共同研究となっています(研究期間は,はや10年くらいになるでしょうか).先行研究や関連研究を調査しつつ,自身のやるべきことを定め,計画を立てて進めていく必要がありますし,現在研究している他の学生と同様,5年生や専攻科生はこういった研究がすべて自身の卒業研究,特別研究とも対応しているので,要は”研究進捗がある=卒業に近づく”という意味でも重要性が高いわけです.

今回,このシンポジウムに参加した学生は3名いますが,受賞しなかった学生も含めて,3名とも準備をしっかり整えて参加できたこと,また,うち1名がその努力を認められたことは,今後の研究進捗にも良いモチベーションになったのではないかと思います.

また,こういった学会発表をすることのメリットはいろいろあって,

  • 自身の研究進捗を整理できる
  • 高専内でのフォーマルな発表会に向けた良い練習になる(高専内の発表会が学会発表の練習となる場合もある)・・・練習,と考えることで比較的参加のハードルが下がる&資料を一回作ると,それをもう一方に転用できるので効率が良い
  • 他の機関の学生の良さや自分たちの良さ(意外と外部の学生も・・・)に気付いたり学んだりできる

といったところもあるので,学会の規模やハードルの高さはいろいろあるものの,例えば指導教員が「この学会に出してみない?」と勧めた学会については,参加を検討してみる価値が十分にあるのではないかと思います(ある人にとって明らかにレベルが低すぎる/高すぎる学会を勧めることは,少なくとも北越はありませんし,(あり得るとすれば)百歩譲って少しレベル高めの学会を勧める場合は,リスクもメリットも説明します.
あ,ただ,今後の卒研発表会に向けて,発表しておいた方が絶対にメリットがある,という学会の場合,”半強制的に”参加してもらうことはありますね(そして上のシンポジウムはどちらかというとそんな感じでした,が,日程上都合の合わなかった学生さん(今回は1名いました)まで,無理やり参加させたりはしていませんよ).

個人的に&原則的に,論文提出締切に余裕があって,教員から見て発表できると判断した場合でなければ参加はお勧めしないので,お勧めされたということは,自分は参加の資格がある,と受け止めて,前向きに検討してもらえると,少なからず自分に返ってくる収穫や手応えがあるのではないでしょうか.

2021/11/25

オンラインの功罪

 去る11月19日,今の所は今年度最初で最後の僕の口頭発表である基調講演が終了しました.ただ,これはちょっと流石に”無事終わった,とは言い難い”状況です(苦笑).

まず,これはこちらの事情ですが,あまりにも多忙過ぎてリアルタイムで(ライブで)発表がちゃんとできる自信がなかったので,事前に発表動画を録画し本番で再生していただき,質疑応答のみリアルタイムで,という形式にした点.
これは別の視点から見ればオンラインの利点,とも言えるでしょうね.ぶっちゃけ発表内容を覚える必要がない(今回,僕も100%発表内容が頭に入っていたかといえば,少々自信のない箇所がありましたし,そうなる可能性があったので録画にしたという経緯もあります).まぁ、対面オフラインの学会でもカンペ見ながら発表するような(1億歩譲って学生なら許せますが,そうでなければ本来,登場の時点で退場処分に相応しい)人もいるので一概にはいえませんが,覚えているかどうか,と言うより,覚えてしまうくらい練習を積んでいないと,そもそも自信を持って発表に臨めないし,さまざまな状況に対応できないのでは?と個人的には思っています.

実施する対象が授業なのか,学会発表のようなイベントなのか,もっとフランクな座談会,ワークショップ的なものなのかによっても違うでしょうが,良くも悪くも一方通行的なイベント(発表者以外はあまり発言しない/できないようなイベント)であれば,表向きは問題が起こりづらいですよね.授業の場合,

  • どこからでも参加できる
  • 録画をとっていれば後日見直して復習できる
といったメリットもあり,学会などのイベントでも前者は同様かと思いますが,双方向的なやりとりをしない/できないとなると,どうしても授業が単調になって飽きられやすくなったり,単純に理解しづらくなるということもありますよね.

今回の基調講演は,いわゆる”ハイブリッド形式”(現地でオフライン参加する人もいれば,オンラインで参加する人もいるスタイル)でのシンポジウム内で行ったのですが,何といっても

”オフラインでの質問=現地会場の参加者からのマイクを通した質問が悲劇的に聞きづらい”

のが大問題でした.
現地の人は会場のスピーカーで問題なく聞こえているのかもしれませんが,オンライン参加者にとっては,質問者とマイクとの距離やその他ノイズ,会場スピーカーからマイクに改めて入ってくる音声によるエコーなどの影響で,もう正直いって何をいっているのかさっぱり分からないという状況でした.

ただ,これも質問者によって違って,知ってか知らずか,上記のようなノイズやエコーが入りづらい喋り方(マイクの使い方?)ができる人もたまにいたりと,必ずしも常に聞きづらいわけではないのですが,オンラインでの発表音声&オンラインでの質問音声は常に問題なくクリアに聞こえる(少なくともオフラインでの音声よりは確実に)ので、これはハイブリッド形式特有の問題かもしれません.

現地に行かなくても参加できるというのは,ある面では強力なメリットであるものの,完全にオンライン or オフラインに振り切ってしまった方が,運営側にとっても参加する側にとっても,少なくとも発表や質疑の環境だけにフォーカスしたら快適なんだろうな,ということに気がついたのが,実は今回の最大の収穫だったかもしれません.

一方で,今回ダメだったからもうダメだ,と思っているわけでは全くなく,上にも書いた通り,ちゃんとできている(聞き取れる質問ができる)オフライン参加者もいたので,”正しい方法を身に付け”さえすれば,ハイブリッドでも違和感ややりづらさを感じることのないイベント参加・運営の方法を模索していけば良いのだと思います.
コロナ禍自体は当然,今後どんどん改善・解消していって欲しいと思うものの,今回得られた様々な正負の経験は全てしっかりと生かしながら,コロナが去ったから全部対面に戻す,みたいなことでなく,ベストなハイブリッド,ベストなオンライン,それらを踏まえたベストなオフラインのイベント実施・参加ノウハウをマスターしていきたいところです(で,その時々に応じたベストな形式でイベント参加できれば,むしろオフラインのみの場合よりも生産性は確実に向上するのでは,と期待しています).

2021/11/18

国際シンポジウムが開催されます、が

 基調講演でお話しさせていただくISET2021,暦の上ではもう明日,開催で,初日の午後イチに僕の講演が予定されています.また,僕が論文投稿をお勧めした,東京高専や千葉工大の学生さん,教員の皆様の発表もあります.以下はシンポジウムのProceedings(予稿集)へのリンクです.

今回,オンラインとはいえリアルタイムで発表することを当初予定していたのですが,発表の前後が猛烈に立て込んでおり,発表準備の時間がどれだけ取れるのか未知数であったので,事前に動画を録画し提出させてもらう形式としました.ある意味そのおかげで”発表が近づいてきた実感”がイマイチ体感できない,という厄介な状況にはなっているものの,実際現在,発表直前である今日も,明日の発表直後も色々と予定が詰まっていて,事前録画にしておいて本当に良かったなと思っているところです.

ただ,本当であれば現地に出張し,在外でお世話になった皆さんへもご挨拶させていただきつつ,発表でもその場で聞いているみなさんの反応を見ながら質疑したかったというのも本音です.実際に現地に行けるということになれば,それ自体はかなりのモチベーションになると思いますが,それこそ現在,これだけ忙しい理由の一つでもあるコロナの状況が落ち着いてこないとまだまだ難しいでしょうね・・・

来年の今頃には国内外問わず移動が楽に&安全にできる状況となっていることを期待しつつ,今回のシンポジウムも可能な限り他の皆さんの発表を聞いておきたいと思っています.それは単なる知的好奇心であることはもちろん,ここ最近全く英語でのコミュニケーションを行っていないため,自分の本番(発表は事前録画しましたが,その後の質疑はライブですので)に向けて少しでも耳と頭を慣らしておきたいという下心もあります.
19日1日の諸々が終われば,(仕事的には定期試験の問題作りや採点など,ハードルはまだまだあるものの)心情的には”今年のデカい仕事は終わった”という感覚になりそうな気がしている&流石に今年はもう仕事を納めさせて(苦笑)という心情になりそうです.

2021/10/15

レコーディングの効果

このブログのサイドバーにも表示してあるTwitterでは最近,あと約1ヶ月後(ヤバい。もう1ヶ月しかない・・・)に迫った国際シンポジウム ISET2021 でお話しする予定である,基調講演用資料の作成記録を,確か今から半月くらい前からtweetしています.

知っている人は多いかと思いますが,幸か不幸か僕はここ数年”暇というものを経験しておらず”,仕事にせよプライベートにせよ常に何かに追われている感じなので,上記発表は引き受けた直後から「発表できる?そもそも資料作りは間に合う?」と考えていました.
という状況のため,主に”自分にプレッシャーをかける”ということを目的として,資料づくりを本格化し始めたタイミングで,発表資料作成に関する作業内容を原則毎日tweetすることにしました.
時々多忙のため and/or 夜ウォーキングにいって帰ってきたら日付が変わっていることもあるんですが,作業内容がほぼ0の時も含めて毎日tweetしています.

資料作成は上記の通り,他のいろんな仕事の影響で所々停滞しているものの(苦笑),当初予想していた以上に順調に進められている印象があります.誰が見ているかは置いておいて,誰が見ているかもしれないtwitterに進捗をアップするのは,これまた当初予想の通り,自分にプレッシャーをかける=毎日記録を取ると決めたことで,むしろ”記録を取るためにちょっとでも進めよう”という意欲につながる,という意味で効果があったのはもちろんのこと,

  • 記録を取ることで”今(これから)やる”作業内容を自分自身で把握しやすい
  • 過去の履歴を確認しやすい
  • 毎日少しずつでも作業に触れているので,発表内容を忘れない

といったプラスアルファの効果もありました.実は3つ目は結構重要で,これまでは仕事が忙しくなると,数日〜1週間くらい資料作成から離れてしまうことがよくあり,そうするとこれまで考えていた発表のストーリーを忘れてしまっていたり,そもそも資料がどこまでできていたか記憶違いを起こすようなことがあり,ただでさえ進んでいない資料作成の効率がさらに悪化するという状況になっていたところを,多少無理やりにでも進めることが作業内容が頭に常にある状況をキープできています.

油断はまだまだ禁物ではあるものの,実際このブログを書きつつも,発表まであと1ヶ月ちょっとしかなくて,その割にまだ資料は完成しておらず,当然話す内容もほぼ頭に入っていない,という現状は(認めたくないものの ^o^;;)しっかりと把握できているので,自身の繁忙度も考慮に入れつつ作業は進められそうです.

話は変わり,知ってる人は知っていると思いますが,実はここ数ヶ月の間,いわゆる”ダイエット”をしています.ただでさえストレスの多い日常を送っていますので(苦笑),ウェイトコントロールでまでストレスを感じたくない,ということで,詳細は省きますが”ほとんどノーストレスな方法”でいい感じに減量できています(簡単にいうと,糖質制限と適度な運動をしつつ,空腹にはしない,といった方法です).
ウェイトコントロールはこれまでにも何度かやっていて,実は失敗したことがありません(でも,長期的にはまた太っているので,これを失敗というのであれば失敗ですが,体重体脂肪に関しては”落とそうと思えば落とせる”).例に漏れず,今回も始めて3ヶ月くらいで順調に15Kgくらいは落ちていたんですが,この辺りのタイミングで偶然,"レコーディングダイエット"のいいスマホアプリがあるということを何かで知り(というか以前聞いていた名前をWebか何かで改めて見かけて),試しにインストールしてみたらこれまた面白い.
これは単純に効果が云々というより,個人的な嗜好で面白がって使っているんですが,もちろん効果もあるんでしょうね(使う前から順調に減量できていたので,効果を比較できないのは残念).僕自身がこういった

”しっかりと記録しながら作業することが好き”

というタイプである可能性も高いですが,単になんとなくやっていた普段の運動や食べ物の選定を履歴ベースでできるようになったり,毎日の摂取カロリーや運動による消費カロリーがある程度把握できるようになったことが楽しい.

こういったレコーディングが性格的に向かない,という人は当然いるでしょうから,万人受けする方法ではないと思いますが,例えばSNSで定期的に何か情報を公開しているようなタイプの人であれば、比較的親和性は高いような気がしました.企業で働く人が,日報や週報(最近はもっと細かいスパンで記録・共有している企業もありますね)をつけるのも,自分やチームメンバの作業内容を把握することによる効率化(や,ある意味で自分へのプレッシャかけ)を期待してのものなのでしょう.
・・・と,このブログを書きはじめると長文に(いつも)なることは予想済みなので(苦笑),資料作成は既にある程度進めています.

シンポジウムはオンライン開催.実はそもそも,海外で発表できることがこの手の発表の楽しみ,かつ,対面での発表が良いプレッシャーとなっていたのに,軒並み発表がオンラインとなってしまい,楽しみもプレッシャーも激減していたことから,今回のtwitter日報を思いついたんですが,今後,対面での発表が復活してもこの方法を続けるメリットはありそうかな,と考えているところです.

2021/09/23

Output ーしたいけれど、したくないー

 最近はもっぱら,添削,添削,採点,採点,添削,採点,添削,添削,の日々を送っています・・・.その間に入ってくるものといえば,授業やら会議やら,言っちゃあ悪いですが,自身のリフレッシュになるような類のものではなし(そりゃ,仕事ですから当然ちゃんと,全力でやりますがね).こう言った作業もある面では非常に大事な側面があることは承知しているものの,物事にはバランスというものがあって,誰かが作ったものを見て指摘することをInputとするならば,やはり自分が考えたものを形にしてOutputしたいとどうしても思う.

そろそろ後期も近づき,今度は後期開講の授業準備もしなければいけないわけですが,ここでいう資料作りも,実際のところはInput寄りです(作る,という意味ではOutputなのかもしれませんが,かなりの部分で”これまでに得た知識を流用”している面が大きいので).

ここでいうOutputは,少なからず”既知 << 未知”であるものを意図していて,どうすれば目的を達成できるか,ある意味苦しみのたうちまわりつつ産み出した何か(例:仕事関係でいれば,論文や発表など)が,結果としてこちらの期待通りとならずとも,それを見聞きした誰かにとって意味のあるInputになっていれば達成感が得られる類のもの,とでもいうのでしょうか.

以前このブログやtwitterかで紹介したかもしれませんが,何らかの技術や知識などの学習において,最後のフェーズは「それを誰かに教えられるか」どうかです.物事を完全理解できていなければ教えられないし,ただある意味矛盾する表現かもしれませんが,完全理解できているかどうかを把握するために”教えて(話して)みる”という作業がとても大事になります.自分が誰かに話してみることで,自分がその対象を完全に理解できているか,理解できていないのだとしたらどこがどの程度理解できていないのか,よりよく理解するためには何が必要なのか,などなど色々なことがわかってくる.要は,

"Outputこそが自分に対する最良のInput"

となります.
書籍や論文も,授業で教わったことも,ただ読んで理解したつもりになっているだけでは50点,それを他者にとってわかりやすく要約して説明できたり,実際にそれを応用して問題を解いてみたりしてみて初めて完璧な理解に到達できますよ,というように僕は考えています.

前にも書きましたが,そういう意味でボチボチ,11月中旬の基調講演が近づいてきていて,その発表資料を作らなければいけません.自身の研究に関する発表ですから,新たな知識はいらんだろ,という話ですが,もしかするとよくよく整理して話そうとしても,どうにもこの部分がうまく説明できない,といったスライドが登場するかもしれません.研究の世界は一般的に”既知の(答えがわかっている)もの”は対象にならないので,研究を進め,実験を通してわかったつもりでいても,実は当の本人も完全に理解しきれていなかった,ということは少なからずある話です.ですから,この機会は最近Inputばかりの僕にとっては良い(いや,ある意味では多少厳し目の)エクササイズだと思っています.

InputばかりだからOutputしたい,と考えている自分にとってはまたとない機会ですが,先述の通りある意味のたうちまわるような苦労を,他の仕事の合間に,締切厳守で(苦笑),かつOutput対象の言語は英語で進めなければいけないので,タイトルの通り,”したいけれど、したくない”というのが率直な気持ちなんです・・・
とはいえ,締切があるとか,もう決まっちゃってる(学会HPには僕の写真も講演の概要もアップされちゃってる)という状況は,自分に鞭を入れるという意味では非常に効果的ですね(涙).
まだしばらくInput作業自体は別件で続きそうですが,そろそろデュアルで作業をしていこうと思っています,ということをここで宣言することで,新たな鞭を自分に入れようと思った次第.

@dkitakosi からのツイート